05 襲撃

 ひとの声が聞こえたのは深夜だった。


 階下がにわかに騒がしくなり、やがて静まり返った。ぎ、ぎ、と階段の軋む音が聞こえてくる。足跡を立てないように気をつけているらしい。わたしはふとんの中から這い出し、クローゼットの中に潜んだ。

 もし、何者かが屋敷に侵入してくるようなことがあれば隠れてください、とサイラス様に言われていたことを咄嗟に思い出したからだった。その話を聞いた時はまさか、と笑ったものだ。


 だがそのまさかが目の前で起きている。


 わたしの部屋の前で足音が立ち止まる。リーリエ様、とヨナスの声がドア越しに聞こえた。その声が張り詰めていたことにわたしは気づいていた。


「どうしたの……何があったの、ヨナス!」

「いまひとり倒しましたが、怪しい連中が屋敷のまわりをうろついています。絶対に部屋の外に出ないでくださいね」


 いつものひょうきんなようすは消えていて、緊張感がこちらまで伝わってくる。気をつけてね、と声をかけようとした時だった。


「……っ!」


 階下でガラスの割れる音が響き渡った。見てきます、と言ってヨナスが下に向かった。階段を駆け下りる音に続いて、物が倒れる音が続いた。

 屋敷の周りにいる「連中」とやらが、侵入はいって来たのかもしれない。ヨナスはどうしたのだろう。使用人の皆は――?

 探せ、という男の声が響く。

 侵入者は何かを探している――もしくは誰かを。階下に響いていた荒々しい足音が、階段を一息に駆けあがって来る。二階の廊下でばたんばたんと片っ端からドアを開閉している音が聞こえた。こっちにはいません、と誰かが叫んでいる。


 ――どうしよう、こっちへ来る⁉


 心臓が破れそうなほどに鳴り響いている。

 ぎい、と軋んでドアが開かれる気配がした。手で口を覆って息を殺す。クローゼットのわずかにひらいた隙間から覗き見れば、顔の周りをぐるぐる布で覆った男がふたり室内に足を踏み入れた。


「お? 女の部屋だ……此処じゃないか?」

「おおーい、さっさと出てきた方がいいぜぇ――さもないと、この部屋が血まみれになっちまう」


 どさ、と床に転がされたのはヨナスだった。背中を踏みつけられ、苦悶の表情を浮かべている。その首元には剣が押し当てられていた。

 わたしは数拍考えたのち、クローゼットの扉に手を掛けた。

 たとえこの場で出て行かなかったとしても、このクローゼットに鍵などついていないし簡単に開けられてしまう。どうせ時間の問題だった。


「リーリエ様!」


 わたしの顔を見てヨナスの悲痛な声が響く。

 顔を隠した男たちがわたしを見て下卑た笑い声を上げた。


「なんだやっぱりいるじゃねえか」

「女ひとり襲うのにこんなに人数要らなかっただろうに……も心配性だな」


 あのお方――いったい誰のことだろう。誰がこんな……わたしみたいな貧乏令嬢を誘拐したところでヴェルファ家は身代金さえ払えない。続々と部屋に入って来る男たちを見ながら震えが止まらなかった。

 ヨナスは近衛騎士団の団員でそれなりに腕は立つはずなのに、それほどの手練れを雇っているということなのかもしれない。蹴り飛ばされたヨナスが後ろ手に縛られるのを見ながら安堵の息を吐いた。少なくとも彼をすぐに殺す気はないらしい。


「……リーリエ・ヴェルファだな」

「は、い」


 声が揺れたが、まっすぐに睨み返すと後ろから羽交い絞めにされた。


「おとなしくしていてもらおうか――なあに、少しの辛抱だ」


 ぱちん、とリーダーらしき男が指を鳴らすとハンカチのようなものが顔に押し当てられる。

 意識を失う瞬間に、薬品のにおいに混じってふわりとどこかで嗅いだことのある花の香りがした。




 ぴぴぴ、と愛らしい鳥のさえずりを耳にしながらわたしは寝返りを打った。

 まだ眠い、起きたくないし、身体がなんだかぎしぎしと痛む……それにしても、妙に肌寒いのはおふとんを蹴り飛ばしてしまったせいだろうか。自分の寝相の悪さに呆れながら、わたしはゆっくりと瞼を持ち上げた。


「? えぇっと……どこだろう、此処」


 目が覚めたら屋外だった。

 寝相の悪いどころの騒ぎではない――わたしは青ざめた。それにしても記憶がおぼろげだ、昨夜何があったんだっけ……と考え始めたところでズキ、と頭痛が走った。


「そうだわたし、エルドラン邸から――攫われ、て?」


 護衛役だったヨナスも倒されて、侵入者の手に落ちたところまではなんとか思い出せたがそれ以降の記憶がふつりと途切れている。顔に押し当てられたハンカチのせいで昏倒して――……此処まで運ばれたということだろうか。


「ん? うえっ、なにこれ」


 ふと見下ろせば、ヨーク付きの寝間着の胸元にはべっとりと血がなすり付けられている。自分は怪我をしていないようだし、何の血だろう。それに――この血の跡、乱暴に描かれているが文様にも見える。


「三角形を横切る縦線、って……どこかで見たような」


 考えれば考えるほど怖くなるがそれより気にしないといけないのは現在地だった。


 森のようだ、が――華やかな都会である王都の近くには当然こんな場所はない。見たこともないような場所だからそもそも王国のどこなのか心当たりがないし、ひょっとすると外国だという可能性も捨てきれなかった。

 時刻は昼のようだけれど、背の高い木が並んでいてあまり日が差さない場所だ。陰気な雰囲気が漂っているし、じめじめと湿気た地面からは怪しげな色のキノコが生えている。ぐう、と呑気に空腹を訴えかける自分の胃袋をわたしは恨んだ。さすがにこのキノコを食べて食あたりを起こす未来を想像できないほど愚かではないつもりだ。

 

「……あれ、こういうときって動かない方が良いんだっけ?」


 遭難したときはどうすればいいのか、うろ覚えで聞いたような内容を反芻する。

 助けが来るのを待つのが上策かもしれないが、わたしがこの場所にいることを誰が知っているというのだろう。拉致した実行犯ぐらいしかいないんじゃなかろうか。でも近くには誰かいる気がしない。大声で呼んでみる? いやしかし――殺されなかっただけマシと思うしかない状況だ。


「……詰み、かあ」


 独り言が虚しく森に響く。


 それでも此処でじっとしていては餓死するのは目に見えていた。ひとまず水と食料の確保をすべく、森を散策してみることにする。ただし命がかかっているので「散策」と呼ぶのはいささか楽天的すぎるかもしれない。

 木の皮に近くにあった石で傷をつけて目印にする。よし、此処が出発地点として、川はどっちかな。もう少し、図書館で蔵書整理の手伝いをしているときにサバイバルの本でも読んで知識をつけておくべきだった。


 そのとき、がさ、と目の前の茂みが揺れた。


「だ、誰……⁉」


 やっぱり殺しておこうか、と思い直した拉致犯がわたしを襲いに来たのでは。周囲をきょろきょろと見回して、先ほど木を削った石を手に取った。目つぶしぐらいにはなるかもしれない。

 わたしは揺れる茂みから出てくるものに狙いを定めた。

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