第4章 誘拐は花の香り。

01 狩猟大会と訃報

「おはようございます、リーリエ」


 朝食の時間に食堂へ向かうと、サイラス様に何事もなかったかのような笑顔で迎えられ、わたしは拍子抜けしてしまった。なんだかひとりだけどぎまぎしているのが馬鹿らしくなってくる。おはようございます、と挨拶を返し席につくとレベッカによって朝食が給仕された。

 バターのにおいが香る焼き立てのパンを手にしながら、わたしはちらと向かいの席に座るサイラス様を盗み見る。

 さらさらの金髪は窓から差し込む陽光を浴びてきらきらと輝いて見えるし、静かな碧を湛えた双眸だって理知的な光を放っていて――わたしはもしかすると、どうかしてしまったのかもしれない。いつもどおりのサイラス様のまばゆい美貌がいつにも増して強力にわたしを直撃してくる。卑小なわたしなどたやすく滅せられてしまいそうだ。それに――つい、形の良い唇に目が行ってしまう。昨夜の行為キスを思い出してしまい、わたしはひとり身もだえた。


「どうかしましたか、リーリエ」

「い、いえ……なんでも、ありません」


 口ごもりながら答えると、サイラス様は口元に笑みを浮かべたままかすかに首を傾げた。そういうところ、そういうところが可愛……いや待って、成人男性が可愛いというのはおかしいのでは、などと考えながらぼんやりと食事を終えた。美味しいはずなのに上の空だったせいで何が胃袋の中に入ったのかうろ覚えである。これでは作ってくれたひとに申し訳ない。


「そういえば――今度、狩猟大会が開かれるんです」

「ああ、ラスグレーンの魔獣討伐ですね」


 もうそんな季節かと、わたしはしみじみ思った。ラスグレーンの地で行われる秋の狩猟大会に参加するのは王国騎士の中でも選抜された数名と決まっているらしい。昔は観客を入れての盛大なものではあったらしいが、近頃は危険なため騎士が数日間かけて危険な魔獣の数を減らすため狩りをするだけのものとなっているらしい。ただし報奨金が出るのでやる気になる者も多いとか。

 わたしも子供の頃から運動音痴でさえなければ騎士になるという将来設計もあったのかもな、と遠い目をした。


「それでしばらく俺とレベッカが王都を離れなくてはならず――その間、俺の部下が代わりにこの屋敷の警護を担当します。申し訳ありません」

「い、いえ……その、すこしさみしいですけどお気になさらず!」

「さみ――しい?」


 ええ、と頷くとサイラス様がなぜだか頭を抱えていた。どうしたのだろう。


「何なら実家に戻っていましょうか?」

「それはいけません。あなたはこの屋敷にいてください」


 危ないので、と力強く押し切られ、わたしは頷いたのだった。まったくサイラス様は相変わらず過保護が過ぎるらしい。


 食後のコーヒーと共にレベッカはサイラス様にアイロンでぱりっとしわが伸ばされた新聞を運んで来た。ありがとう、と笑顔で受け取ったサイラス様がさっと新聞を広げて中身に目を通し始める。わたしが熱いコーヒーをふうふう冷ましていたとき、サイラス様の新聞をめくる手がある記事を前にしてぴたりと止まった。


「……もうアルトマン氏が亡くなられるとは」

「えっ、アルトマン氏って、城下町の図書館の館長の⁉」


 ぼそりとサイラス様の呟いた一言に、わたしは手にしていたコーヒーをこぼしそうになった。アルトマン氏とは家計を助けるためにわたしが図書館で蔵書整理のお手伝いをしていたとき、お世話になった方だった。来館者だけではなく、お手伝い要員でしかなかったわたしにも人当たりがよく親切にしてもらった。

 ショックを受けているわたしにサイラス様は「今日、図書館前に献花台が設置されるようです」と気遣うように口にした。


「俺は出仕しなければならないので同伴できませんが――レベッカ。リーリエと一緒に、俺の分まで花を供えてきてもらえますか」

「よろしいのですか」


 ええ、とサイラス様は頷く。


「リーリエをくれぐれもよろしく頼みます」

「……承知いたしました」


 サイラス様を見送ったあと、レベッカと一緒に外出することになった。すぐに着替えてきます、と言ったレベッカを玄関ホールで待っているといつか見た騎士服姿で現れた。ついじろじろ眺めてしまっていたのか「なんでしょうか」と冷ややかな声で言われてしまった。


「前も思ったけれどよく似合ってるな、と思って」

「……こちらが本来の制服ですので」


 淡々と受け答えをしていたがまんざらでもないようで、いつになく道中のレベッカの機嫌がよかった。


 広場の花屋で献花用の白い百合を買い求めると、わたしたちは図書館に向かった。そこには新聞報道を見て駆けつけた人々でいっぱいで、献花台にも白い花がたくさん供えられていた。白百合を台の上において故人を偲ぶと、そっと列を離れた。そのまま図書館の裏手に向かう。レベッカは怪訝そうな顔をしながらもついてきてくれた。

 図書館は閉鎖中のようだったが、裏手の従業員用入り口は開いていた。廊下を進み、バックヤードに入ると涙を堪えながら仕事をしているかつての同僚の姿があった。


「あっリーリエじゃない。もしかして館長の訃報を聞いて?」

「みんな久しぶり……残念だったわね、館長」


 わっと駆け寄ってきた同僚に話しかけると、耐えきれないとばかりに眼から涙が伝い落ちた。


「良いひとだったのに、どうしてこんなひどい……」

「病気か何かだったの?」


 知らないの、と同僚は驚いたように目を瞠った。


「通り魔に遭ったのよ! 見ず知らずの男に刺されたらしいわ――犯人はもう捕まったらしいけれど薬物中毒者だったらしくて……本当に館長が気の毒で」


 言い終えるとわっと再び泣き出してしまった。泣いた同僚を宥めてから、わたしは許可を得て久しぶりに図書館の中を見て回ることにした。城下町の図書館は、王国のすべての本が集まるという国立図書館ほどの蔵書量ではないものの、町の人に親しまれている素敵な場所だった。

 ずらりと並んだ書架を眺めながら、わたしはレベッカに話しかけた。


「レベッカは図書館って来たことある?」

「子供の頃に連れて来られたきりです。私は本よりも身体を動かすことを好んでおりましたので」


 淡々と答えてはいるがレベッカは興味深そうに周囲を見回していた。


「ああ、そういえば……蔵書整理をしていたとき、ラブレターを見つけたことがあったんだった」

「ラブレター、ですか?」


 そう――ほとんど人が立ち寄らない小難しい内容の専門書が並んだ書架に手紙が挟んであったのだ。中身こそさすがに見なかったがこの手のやり取りは間違いなく、恋人同士が行う秘密の手紙と相場が決まっている。わたしは興奮した。

 いちおう館長にだけ報告したが、あのあとふたりはどうなったのか。蔵書整理の手伝いに入ることもなくなったからわからない。思わず懐かしくなってしまって、記憶をたどりそれらしき本を手に取った。


「あ」


 本を開いたと同時に、はらりと床に滑り落ちた封筒をレベッカが拾い上げ――目を瞠った。躊躇することなく封を開けると、中には何も入っていなかった。


「……なるほど、そういうことですか」

「えっ、どうしたの? その手紙って、まさかあのときのラブレター⁉」


 思わぬことに困惑するわたしを前に「リーリエ様、此処は危険です。屋敷に戻りましょう」とレベッカは促したのだった。

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