06 貴女は俺が守ります
「……どうやら死にたいようですね」
冷ややかな声、醒めた表情には感情が消失していた。見たことがないサイラス様の姿を前に身体は石のように固まった。緊張のあまり手足の感覚がない。
「覚悟なさい――その身をもって償っていただきましょう」
ざん、と眼前に迫った白銀の煌めきに、わたしは腰を抜かした。ひ、と息を呑み地面にへたりこんだところに勢いよく剣が振り下ろされる。
――もう駄目っ! サイラス様に、今度こそわたし殺される⁉
わたしはぎゅっと目を瞑り、その瞬間を待った。
◆◆【1時間前】◆◆
お食事を終えたわたしたちは、帰途に着こうと思っていたのだが――想定外の事態に巻き込まれていた。
「サイラス様ぁ、こっち向いて!」
「きゃあ困った顔も素敵だわ! 手を振ってしまおうかしら、はしたない女だと思われてしまったらどうしよう⁉」
前回のデートでもあったのだが、いわゆる囲みにあってしまっていたのだ。サイラス様(とわたし)を中心にして、女性たちが周囲をぐるりと取り囲んでしまって身動きが取れない状況になっている。
なかなかわたしの外出許可が下りなかったのは、サイラス様とお出かけするとこんな騒ぎになってしまいかねないという理由もあったのかもしれない。
などと推測している場合ではなかった。
「皆さん、落ち着いてください」
なんて、困惑気味のサイラス様が声を発したら発したで、黄色い歓声が掻き消さんばかりに聞こえてくる。可愛いとかなんとか。これだから人気者は大変である。
「なんて甘いお声なのかしらっ、聞き惚れてしまいますわ!」
「あ〰〰っ、もっと喋って下さらないかしら! 購入したばかりの録音の魔道具を使うべき時が来たようですわね」
人当たりの良いサイラス様もさすがに怒っているかと思いきや、どうしたものかと途方に暮れているようだった。となれば、やはりここはわたしの出番である。すう、と空気を肺一杯に吸い込んで声を張り上げる。
「えー、皆様っ! お集りの淑女の皆様、ごきげんよう。わたくし、サイラス様の婚約者のリーリエと申します。申し訳ないのですがサイラス様が困っておいでです。ひとまず二列に並んでいただきましてすこしご歓談頂いたら次の方にお譲りいただくという形で――」
「うるさいわよ! 婚約者だとかなんとか上から目線で何様のつもり⁉ 知ったような口をきかないで」
「サイラス様はみんなのものなんだから! いきなり出てきたニセモノ令嬢ごときがデカい顔してんじゃないわよ」
「……………うみゅ」
鎮火どころか、火に油を注いでしまった。がくりと肩を落としたわたしを庇うようにサイラス様がすっと前に立った。たったそれだけの動作だったのに、不思議と周囲の注目が彼に集中したのがすぐそばにいたわたしにはわかった。
「――リーリエへの侮辱は俺に対する侮辱と受け取ります」
それは、けして大きな声であったわけではない。
醒めた声音で放った一言に、ざわめいていた群衆は静粛になってしまったし、先ほど暴言を放っていた女性などは青ざめた顔をしている。失礼、と言いながらわたしの手を引いて前に進めば、ざあ、と潮が引くようにひとが流れてわたしたちのためだけの道が出来てしまった。
「すごい……」
思わず圧倒されていると、サイラス様は「さすがに目に余るものがありましたので」と笑顔で囁いて来る。これは間違いなく敵には回してはいけないタイプのお方であると肌で感じた。
ところが、である。
なんとか女性陣の囲みを突破したのはよかったのだが――運が悪いことにサイラス様とはぐれてしまった。確かに手を繋いでいたはずなのに、人混みの中でほどけてしまったのだった。
サイラス様は目立つのだが、休日の市街地は如何せんひとが多い。買い物に訪れたひとや、広場でやっている劇を観に来た子供たち、昼間から呑んでいる大人たちもいる。
なんとなく歩いているうちに
「詰んだ……」
途方に暮れながら、手近な壁に手をついて呼吸を整えていたときだった。ざ、と砂利を踏む音が背後で響いた。勢いよく振り返るとにたにた笑い声をあげる数人の男たちが立っていた。
びく、と後退った方向にも仲間らしい複数人が待機していて完全にわたしは逃げ場を失っていた。
「ようやくひとりになったなあ、お嬢ちゃん」
「な、何かわたしに御用、なんですか……?」
震える声で発すれば男たちは顔を見合わせて下卑た笑いを顔に刻んだ。
「……あるお方からのご命令だ。嬢ちゃんには恨みはないが、此処で死んでもらおうか!」
「なっ……えっ死⁉」
死んでもらおうか、など――思ってもみなかった単語が目の前に飛んできて、わたしは言葉を失ってしまった。どうして自分が殺されなければならないのか、しかも見ず知らずの人間に。がたがた震え、その場に座り込んでしまったわたしを取り囲むように男たちがにじり寄って来る。浅黒い肌の男の手には、大きなナイフが握られていた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう――! 頭の中が真っ白になり、振り上げられたナイフのぎらついた刀身に自分の姿が見えた。もう駄目だ、と悟るまで数拍もかからなかった。
――助けて、誰か……サイラス様っ!
そのとき視界が赤く染まった。
しわがれた悲鳴が聞こえたかと思うと、眼前に迫っていた男が昏倒する。続いてわたしの肩を掴もうとしていた腕がばっさりと斬り落とされた。てんてん、と地面に転がった腕がぴく、っと動いていた。
「ひっ」
あっという間の出来事だった。
逃げようとした者も含めて、一瞬でひとりの男が血祭りにあげていく。舞うように剣を振るい、ならずものたちを斬り伏せていった。
そして情けなくへたりこんだわたしの前に長身の男が立つ――サイラス・エルドラン卿。
デートのために用意した服は返り血に染まっている。
その彼が、わたしに剣を向けていた。
「……どうやら死にたいようですね」
冷ややかな声、醒めた表情からは感情というものが消えているようだった。いままで見たことがないサイラス様の姿を前に身体は石のように固まった。緊張のあまり手足の感覚がない。
「覚悟なさい――その身をもって償っていただきましょう」
ざん、と眼前に迫った白銀の煌めきに、わたしは腰を抜かした。そこに勢いよく剣が振り下ろされる。
――もう駄目っ! サイラス様に、今度こそわたし殺される⁉
わたしはぎゅっと目を瞑り、その瞬間を待った。
が、背後でぎゃあああという悲鳴が響いた。
「えっ……」
サイラス様はわたしのすぐ後ろ――わたしを人質にして逃げ延びようとしていたらしい――の男を着実に狙っていたようだった。
ばたりとあおむけに倒れた男を振り返り、サイラス様の方へ再度振り向いた途端、抱きしめられていた。血の匂いがつん、と鼻をつく。
「リーリエ! 無事ですか? 怪我は?」
「サイラス、さま……?」
わたしの身体を検分し、なんともないことを確かめる。よかった――と息を吐いた。
「帰りましょう」
「で、でも……これ、は」
目を向けるのも怖い。だが、そこに在ったのは確かな現実だった。まだ呻いている者が大半だが明らかに息をしていないようすの者もいる。ものの数分で、サイラス様が片付けてしまった脅威を前にわたしは震えた。
「警備部隊に連絡済です、すぐに此処に来るでしょう。リーリエ、すぐそこの通りに馬車が来ています。ひとりで乗って帰ってください」
「サイラス様は……?」
「いちおう後始末があるので」
サイラス様はひょいとわたしを抱きかかえると馬車に乗せてしまった。窓からは夕闇に染まる街の中で佇む婚約者の姿が見える。此処からではよくわからないが、彼は血染めの衣服を着ている。自らの怪我によるものでないことを願うばかりだが目の当たりにした惨劇を思うと背筋がゾゾゾと寒くなる。
エルドラン邸に帰るまでわたしは震えが止まらなかった。
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