#10 シエル part 2.2 ~五年前~

 私には、昔、大切な人たちがいた。


 自分を生み育ててくれた両親。


 そして、七年前、両親ともども魔物に殺されかけていた私を救い出し、一人になってしまった私の面倒を見てくれた冒険者、ブラン・アルカン。


 彼女は私の七つ年上で、魔物の知識や武器や魔法の扱い方など、たくさんのことを知っていた。時間があると、それを私に教えてくれていた。

 いつだってブランは、私のそばにいてくれた。


 五年前のあの時までは……。


「おかえり。遅かったから心配したんだよ」


 私は、その日の前日もほっとしてそんな事を言っていた。


「いやー、ごめんごめん。帰りにお菓子屋さんに寄って、ケーキを……」


 ブランの言葉を遮って、


「またそういうの買ってきたの? あんまり無駄遣いしないでよ」


 台所でばたばたと作業しながら、私はブランに苦言を呈した。


「お金が足りなくて生活が破綻したら、私たちはバラバラになっちゃうかもしれないんだよ? いいの?」


「もちろん嫌だけど……でも、あたしがお菓子を買ってきたら、シエルもなんだかんだ喜んでるじゃん」


「そうだけど……」


「それに、あたし、お菓子を食べると幸せな気持ちになるんだよね。だから、ちょっとやめられないかなー」


「むぅ……わかったよ」


 香辛料の香りが部屋に漂い始め、ブランが腹の虫をぐうと鳴らした。

 私は中身を焦がさないように、魔法で鍋底の火を弱め、しっかりとかき混ぜた。


「そういえば、いつの間にか【ファイア】を使いこなせるようになったんだ」


「まあね。毎日、練習しているから」


【ファイア】を始めてやった時は、ギフトによる膨大な魔力のせいで威力の調整がうまくできず、危うく火事を起こしてしまうところだった。


 けれど、毎日練習した結果、自由に火力をコントロールできるようになったのだ。


「はい、できた。よそうから準備して」


 完成を宣言すると、ブランは深めの皿を二枚、鍋の横へと持ってきた。

 私はそこにカレーを流し込んだ。


「……やっぱり、またこれなんだ」


「私だって正直飽きているけど、知っている料理はカレーしかないんだもん」


 私はブランと暮らす前、料理なんてしたことがなかった。

 だから、私が出来るものはブランから教わったことがあるものだけなのだ。


 しかし、ブランもカレーの作り方しかわからなかった。

 そのため、必然的に私たちの食卓には、毎日カレーが並ぶことになっていた。


「でも、まあ、シエルのカレーは美味しいからいいんだけどね」


 そんな一言とともに、ブランがほほ笑んだ。

 その愛らしい笑顔に、私はいつもドキドキしていた。


 当時の私は親愛とも家族愛とも違う特別な感情をブランに抱いていた。

 それは親友や家族に対して持つべきものではないと理解していたから、必死に隠していたけれど。


「じゃあ、食べようか」


 赤くなった顔を背けながら、エプロンを外して、テーブルの向かいに座る。

 あの頃の私はまだ自己暗示を習得する前で、ブランのように魔物と戦う力も勇気もなかった。


 できた事といえば、家でカレーを作って帰りを待つくらいのことしかなかった。


 だから、カレーの腕を褒められることは、こんな私でもブランの役に立てていると思えて嬉しかった。


「明日もまた依頼をこなしてくるよ。お金がいっぱい稼げそうなやつがあったんだ」


 カレーをすくったスプーンを口に運びながら、ブランが告げた。


「大丈夫なの? この間もそんなこと言って、危ない仕事をしようとしていたけど」


 ブランはエビルユニコーンという、危険な魔物の討伐に参加しようとしていた。

 エビルユニコーンは、住処に近づいた少女を無理やり自分の背に乗せて連れさるという馬の魔物だ。

 額に一本の角が生えており、それが武器や防具の素材として非常に良いという。


 しかし、エビルユニコーンは十八歳以下の少女の気配を察知しないと、姿を現さないのだという。そのため、誘き出すおとり役の依頼がブランの元に来ていたのだ。


 さすがに心配だったので、辞めさせたけれど。


「大丈夫。今回は採取依頼だから。ちょっと遠くの森までいって、魔法薬になる草花を摘んでくるだけだよ」


「まあ、それならいいんだけど」


 私はふうふうとしてから、カレーのひとさじを口に運んだ。

 われながら、なかなかの出来だった。

 香辛料の香りが口内中に広がった。


「遠くってことは泊まり?」


「そうだよ。行って帰ってくるのに三日四日くらいかかると思う」


「……大丈夫なの?」


「問題ないよ。だって、あたしだよ?」


 ブランは親指をグッと立てた。当時の冒険者の中でブランは五本の指に入るくらい強かった。もちろん、私と違って仮面の暗示なんかなしにだ。


「そうだ。せっかくだから、何かお土産を買ってくるよ。リクエストある?」


「無駄遣いしないでって言ったばかりなのに……」


「まあまあ。いいじゃん。たまには」


「毎回じゃん」


 ぶうたれながらも、私は考えた。


「……ケーキ」


「え? でも、生モノはこっちに戻ってくるまでに傷んじゃうかもよ?」


「じゃあ、いつものお菓子屋のケーキ」


「そんなんでいいの?」


 ブランは、少しだけ目を丸くした。


「それなら、今さっき買って来たばかりだけど」


「いい。私は結構このお店のケーキは好きだし」


「シエルがそういうなら、またここのケーキにするよ」


 ブランは、にっこりとほほ笑んだ。

 その笑顔に、私はまた胸がドキッとしていた。


 そして、翌朝。あの日。


「いってらっしゃい。気をつけて。ちゃんと帰ってきてね」


「わかっているよ。言われなくても、ちゃんと帰ってきているでしょ」


 けれど、ブランが帰ってくることはなかった。


 崖から転落したらしい。

 遺体も見つからなかった。

 変わり果てた姿ですら、帰ってくることはなかった。


 こうして、私は親友であり、家族でもあったブランを失った。

 両親とブラン、大切な人を二度も亡くした私は、深い絶望に沈んだ。もう一生あんな思いはしたくない。


 だから、私は他人とは一定以上の距離を取ると決めているのだ。


 ――何もない真っ暗な空間のその先に、両親とブランがいた。

 すがるような気持ちで、私はそこに向かって駆け寄る。

 けれど、いくら走っても、両親とブランは私から遠ざかるばかりだった。

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