第二章 私の友達

#9 シエル part 2.1 ~一緒にカレーを食べた~

「悪いけど、ロクなおもてなしは出来ないよ」


「いえいえ、こうして一泊させてもらえるだけでも助かります」


 そこは、ソムニアの街外れにある小さな家。

 かつて両親と暮らし、あの人と過ごした私の家だ。

 私は一人になってからも、ずっとここに住んでいる。


 行く宛がないひかりを、一晩だけという条件で泊めることにしたのだ。

 

 ――今まで、頑張って来たんですね。

 さっき、ひかりにそう言われた時、周囲に響いているんじゃないかという程、私の心音は高鳴っていた。


 それは、私がどこか求めていた言葉だったからだ。本当はひかりの手をぎゅっと握りしめたかった。けれど、それは私が他人と取ると決めている距離以上に近づいてしまう行為からしなかったけれど。


 それもあってか、ひかりとは早く離れなければと思っているのに、どうしても放っておけなかったのだ。


「ご家族の方は? ご挨拶しないとですよね」


「あー、私、家族いないんだ。両親は七年前に魔物に襲われて死んじゃって。その後、面倒を見てくれていた人も……ね」


「……すみません。そうとは知らずに」


 ひどく申し訳なさそうに、ひかりは視線を下に向けた。


「ううん。気にしないでいいよ」


 重くなってしまった空気を払うように、わたしはパチンと手を合わせて。


「それより、帰ってきて早々だけど、時間も時間だし、夕飯にしようか」


 わたしは台所へ行って、ナイフを握る。


 それから、棚から出した玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、豚肉を一口サイズにカットする。


 鍋に油を引いて、そこに切ったものを突っ込み、火を呼ぶ魔法【ファイア】で、鍋底に点火。


「すごい! これが魔法なんですね!」


 すると、横から眺めていたひかりが、目をキラキラとさせた。


「いやいや、ひかりも魔法を使っているじゃん。変身するやつとか一撃でスカルスパイダーを倒せるやつとか。それに、こんなのやろうと思えば誰でも出来るから。基礎中の基礎の魔法だし」


 この魔法は両親を亡くした後に、世話をしてくれていた人から生活の知恵として教わった魔法の一つだ。


 それをこんなに輝いた瞳で何度も褒められると、昔の自分を見ているようでくすぐったい気持ちになる。


「というか、ひかりの世界にもカレーがあるってことは、料理中に火を使うでしょ? そん時はどうしてたの? 魔法を使用しないとなると、火起こしとか?」


「わたしの世界にはコンロっていうものがあって、ツマミをくいってひねると、魔法を使わなくても火が出てくるんですよ」


「へえ。ひかりの世界には、そんな便利な道具があるんだ。うらやましい」


 話をしているうちに、具材が炒まって来た。

 水を生成する魔法【ウォータ】で鍋に水を注ぎ込み、しばらく煮込む。


「調理を始めてから聞く事じゃないかもしれないけどさ。昼もカレーで、夕食もカレーってどうなの? 嫌じゃない?」


 私はもう何年もカレーを食べ続ける生活を送っているから何も感じなかったけれど、よく考えてみれば、そうじゃない人間が連続でカレーというのは飽きてしまうだろう。


「いえ、わたしは別に。前の世界じゃあまり食べたことなかったですけど、わたし、結構カレーが好きみたいです」


「そりゃ良かった。まあ、嫌と言われても、私、カレーしか作れないから、どうしようもないんだけど」


 と、あの人直伝のブレンドスパイスを加えて、さらに一煮立ち。


 私にできる唯一の料理、カレーの完成だ。まだグツグツと煮えたぎっている内に、それを皿に移す。スパイシーな香りが部屋中に広がる。


 同時に、ひかりの腹の虫が辛抱ならないとでもいうような鳴き声を上げ、ひかりがはにかんだ。


 ちなみに、ご飯を炊くのが面倒だったので、今日のカレーのお供はパンだ。家にあった数個のパンを皿に乗せ、カレー皿ともども、机に置く。


「できた。席について」


「はーい」


 瞳を輝かせて、ひかりは椅子に座った。


「いただきます」


 それから、ひかりはスピーディーかつ美味しそうにカレーを口に運んでいく。

 本当に幸せそうに食べるな、この子。


「……どうかしました?」


「いや……美味い?」


「ええ。お昼のお店のやつよりも美味しいです」


「ありがとう……」


 少しこぞばゆくなって、私はひかりから顔を背けた。


 思えば、誰かのために料理をするのは、あの人がいなくなって以来だな……。

 感傷もほどほどに、私もスプーンを手に取る。


「あの」


「ん?」


「カレーのお代わりってまだあります?」


 早すぎる。私が食べ始める前に、もう一杯食べ終わってしまった。


「あるよ。残りはちょっとだけだし、全部食べちゃって」


 私はひかりの皿に、鍋の中のカレーを全て流し込む。

 パンはもうないので、自分の分を半分にちぎって、ひかりに与える。


 その脇から、かなりの速さでカレーが無くなっていく。細い体のどこに入っていくのだろう。


「……すごい勢いだね」


「うーん。言われてみればそうかもしれません。いっぱい食べられるようになったのが嬉しくて、つい……」


 急にひかりの手が止まった。口内の物を飲み込むと、遠くを見るような目つきを浮かべながらほほ笑みかけてきた。


「元気じゃなきゃ、食欲は湧きませんからね」


「……」


 影のようなその弱々しい表情に、私は何の言葉も返せなかった。


「……あ、ごめんなさい。ちょっと変な空気にしちゃいましたね。こんなことなんかより、楽しい話をしましょう」


「楽しい話、ね」


 私は絞り出すように返事した。


「ええ。例えば、この世界に関する話とか」


「この世界の話か……」


 少し考えてから、私は――。


 さっき使ってみせた【ファイア】や【ウォータ】、風を起こす魔法【ウィンド】、土を操る魔法【ソイル】といった生活に役立つ魔法。


 この世界にいるさまざまな魔物の生態や、その倒し方。


 他にも、剣の扱い方や武器や防具素材の知識……かつて、あの人から教えてもらった内容をそのまま話すことにした。


 それを飛びつくように聞き入るひかりの姿は、まるで昔の私のようだった。あの人との思い出が胸をきゅっと締め付けてきた。


 そんな息苦しさを感じながら喋っているうちに、不意に睡魔が襲って来た。あふぅと欠伸を噛み殺す。鏡のようになった窓から差し込む薄い月明かりが、すっかり夜が更けている事を告げていた。


 どうやら、私は自分のカレーに手もつけないままずっと語っていたようだ。


「……もう遅いし、そろそろ寝る準備をしようか」


「わかりました……。じゃあ、続きはまた明日にでも聞かせてくださいね」


 ひかりは少し名残惜しそうに頷いた。


「いや、だいぶネタ切れなんだけど……。あ、冷めたやつでいいなら私のカレー食べていいよ」


「じゃあ、せっかくなのでいただきます。ちょうど、小腹が空いていたので」


 私のカレーはみるみる内に、皿の上から姿を消していく。


 嬉々としてカレーを口に運んでいくひかりを見て、私は、ぬるま湯につかっているような心地よさを感じてしまっていた。


 このままでは、本当にまずい。手遅れになるまにどうにかしなくては……。

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