#5 シエル part 1.3 ~呼び捨てにするのは~

 びゅおおおおおっ。


 そんな風を切る音とともに、私たちは空を進んでいた。少し痛みを感じる程の冷たい空気が頬を撫でた。


「いやー、気持ちがいいですねー! 異世界に来たからには、いつかドラゴンとか大きな鳥とかの乗ってみたいと思ってましたけど、こんなにすぐ叶うなんて!」


 心地よさそうに目を細めているひかりさん。

 私たちは今、巨大なカラスの背の上だ。この世界の交通手段の一つ・怪鳥タクシーを利用していた。


 怪鳥タクシーは、二十年前に世界を救った転生勇者によって、自分の世界のタクシーという物を元に考案された。

 料金こそかかるものの徒歩や馬車より、安全かつ早く目的地に着けることから、現在はある程度この世界に定着してきている。


 私は、サブリサイドから少し離れた場所にあるソムニアという街の冒険者ギルドに所属しており、そこで受けたスカルスパイダーの討伐クエストをこなすために森まで来ていた。

 スカルスパイダーは退治したので、あとはギルドに戻って完了報告すれば、依頼は達成となる。


 私が冒険者ギルドに用があることを話したら、ひかりさんも行ってみたいと言い出したので、こうして一緒にソムニアへ向かっていた。


 ソムニアまでは、サブリサイドから歩いて半日程の距離だけれど、怪鳥タクシーならば、一時間程だ。

 私は仮面がないため魔物と戦えず、ひかりさんの実力も未知数だ。

 スカルスパイダーを一撃で倒せるだけの強さはあるみたいだけれど、直後に空腹になって動けなくなっていたことを考えると、念の為、魔物との戦闘は避けた方がいいだろう。


 それなりの料金が掛かるのもあって、今まで一度も使ったことはなかったけれど、現状から判断すると、怪鳥タクシーで移動するのはいい選択だったと思う。


 ……ただ一点を除いては。


 それが、私にとって致命的だった。


 早い話、めっちゃ酔う。


 正直、もう降りたい。ぶっちゃけ、はきそう。私の三半規管は自分が想定していたより弱かったみたいだ。


 気分を変えようと、首を伸ばして地上を眺める。

 すでにサブリサイドは眼下になく、広大な一面の緑がそこに広がっていた。目を凝らしてみると、馬車が小さく見える。


 ……私だけあれに乗って、ソムニアまで行けないかな。


 そういう事を考えるくらいには追い詰められていた。


「……シエルちゃん、なんか顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃない。問題だ。一番いい酔い止めを頼むぅぅっぷ……」


 私の胃から喉元に向かって、何かが上がってくる。


「シエルちゃん⁉︎ どうしよう、薬なんて持っていないし……運転手さん! もう降ります! シエルちゃんがやばそうなので! やばそうっていうか……やばいです!」


「ええ? ここからだと街まで少し距離がありますよ? あとちょっとで着きますし、我慢できませんか?」


「……」


 私は無言で首を振った。もはや一刻の猶予もない。


「……わかりました。では、こちらで。ご利用ありがとうございました」


 それから程なくして、降り立った森の中。


 その木陰で。


 おぼっ……おぼろろろろろろろろろろ!


 私の口から、胃液の滝が勢いよく流れ落ちた。

 直接見られていないにせよ、人前でこんな醜態を晒す事になるなんて……。


 グロッキーな顔のまま、ひかりさんの元に戻ると、


「大丈夫ですか?」


 心配そうな表情で、ひかりさんは背中をさすってくれた。

 ひかりさんの手が私の服を擦る感触が伝わってくる。なんとも心地よい。

 どうしてか、もう少しそれを感じていたくもあったけれど、迷惑をかけている手前、そういうわけにもいかない。


「ごめん、面倒かけちゃって……」


「いえ、気にしないでください。もういいんですか?」


 私はふぅと呼吸を整える。


「うん。ありがとう、ひかりさん」


「ひかりさんですか……」


 物足りなさそうに、ひかりさんは首を捻った。


「やっぱり、できれば、ひかりって呼び捨てにしてほしいです」


「うーん……呼び捨てか……」


 友達を作らない。そう決めてから、私はほとんど他人を呼び捨てない。

 呼び捨てにすると、どうにも必要以上に距離が近くなってしまうのではと思うからだ。そのため、私が人を呼び捨てにするのは「変身」している時だけで、普段人の名を呼ぶときは常に敬称をつけている。


 けれど、ここでひかりさんの願いを聞き入れずに、もう一度、ひかりさんを傷つけてしまうのは、なんとなく嫌だった。


 だから、私は息をゆっくり吐き出して。


「ひ、ひかり……」


 照れと緊張で声を震わせながら、小さくひかりの名前を呼んだ。

 すごく久しぶりに呼び捨てをしたせいか、妙に恥ずかしい。顔が熱い。


「うん! いい感じです!」


 頷くひかりの目が嬉しそうにキラキラと光る。

 それを見た私の胸に、何か温かいモノが流れ込んできた。

 私はそれが心の奥に到達する前にどうにかせき止める。


 危ないところだった。誰かと親しくなればなるほど、失った時の苦しみは大きなものになるのだ。私はもう二度とそんな思いをしたくない。


 なるべく早くひかりと距離をとらなくては……。

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