#3 ひかり part 1.1 ~第二の人生の始まり~

 尋常じゃない空腹に突然襲われ、動けなくなってしまったわたしは、シエルちゃんに背負ってもらうことになった。


 ほろ甘い髪の匂いと温かい背中に揺られているからか、だんだん眠くなってくる。

 遠くなっていく意識の中、わたしの脳裏にはこの世界に来た経緯が浮かんできた。


 今日、病室のベッドにいたはずのわたしは、気がつくと青一色で塗りつぶされた空間にいた。

 一面が青い大理石に覆われていて、通路の両脇には、青白い炎を灯した燭台が等間隔で置かれている。奥には大きな祭壇が見え――。


 例えるなら、そこは真っ青な神殿とでも言うような場所だった。


「ここは……?」


 荘厳で神秘的な雰囲気に気圧されて、立ち尽くしていると、


「明日奈ひかり。残念だけれど、キミは死んでしまった」


 祭壇の上から、中性的な声が降ってきた。

 そちらへ視線を移すと、洞窟と同様の真っ青なワンピース姿の少女がいた。


 年は自分と同じ十代後半くらいに見える。

 目元に青いアイシャドーが塗られた顔立ちに感じる現実離れした美しさ。

 眩い金色の髪。両耳の前後には長い青色のエクステ。

 出過ぎず足りな過ぎずの完璧な体には、胸元には襟飾り、手首には腕輪と、所々に髪と同じく金色のアクセサリーがはめられている。


 少女は、琥珀のような澄んだ瞳で、何かを見極めるようにわたしをじっと見つめていた。

 わたしはその視線に射止められたみたいにそこから動けなかった。


「……つまりここは死後の世界で、あなたは神様ってことですか?」


 しばらくしてわれに返ったわたしは、か細い声で尋ねる。ずっと続いていた入院生活のせいで、初対面の相手と話すのは久しぶりだった。それもあって、緊張してあまりうまく声が出せなかった。


「まあ、そんなところかな。ボクはモルぺウス。よろしくね。ひかり」


 ぼんやりと自己紹介を聞いていると、いつの間にか目の前にモルぺウスさんの顔があった。


「近っ!」


 わたしは思わず後ずさる。


「チカ? キミの名はチカだったのかい?」


「いや……今のは別に名乗った訳じゃ……。あなたの顔が近すぎるって言っただけで……」


 ボソボソとツッコむ。さっきよりは少しマシになったけれど、まだちゃんと声が出ていない。


 それにしても――。


 立ちっぱなしなのに、全然しんどくない。これまでは杖がないとちょっとの時間立っているだけでもつらかったのに。そのことに気付いた途端、自分が死んだことを実感した。


「ところで……なんでわたしの名前を知っているんですか?」


「ボクは神だからね。それくらい当然さ。キミがどんな人生を送ってきたかとかも把握している。小さい頃からずっと病院のベッドの上で苦しむ毎日だったのだろう?」


 と、モルぺウスさんはどこからともなく大きなカップを取り出した。


「そうだ。せっかく来たんだしホットココアでも飲むかい? 他にもカプチーノ、宇治抹茶にキリマンジャロ、テテザリゼなんかもあるよ。どうだい?」


「……なんだか心がぴょんぴょんしそうなラインナップですね」


「ふむ。キミにネタが通じて良かったよ」


「その手のアニメはたくさん観ていましたから。というか、神様ってわたしの世界のアニメを観るんですね」


「まあ、暇つぶしにね。で、どうするんだい?」


「じゃあ……ココアで」


 モルぺウスさんからカップを渡され、わたしはそれを口に運ぶ。ほっとするような香りと甘さが口内に広がり、胸の周りがじんわりと温かくなって心地よい。ココアなんて何年振りだろう。


 ふぅっと、わたしは息を吐きだした。


「それで? わたしはどうなるんですか?」


 ココアで喉が潤ったのと、モルぺウスさんに慣れてきたので、やっとまともに声が出るようになってきた。


「天国とか地獄に行くんですか?」


「いや、どちらでもないよ」


「え? じゃあ、どこに?」


 わたしが訊くと、モルぺウスさんは少しためてから芝居がかった口調で言った。


「キミが向かうのは、この門の先さ」


 モルぺウスさんがパチンと指を鳴らすと、どこからともなくガッチリと閉じた巨大な扉が現れる。

 カップに残っていたココアをすべて喉に流し込み、わたしは門をまじまじと見た。


「この先には、何があるんですか?」


「キミが生前いた世界とは別の世界、オニロガルドさ。キミにはそこで第二の人生を送ってもらう」


「第二の人生……」


 わたしが視線を戻すと、またしてもモルぺウスさんの顔が目と鼻の先にあった。

 さっきから近いですって、と押しのける。


「ちなみにどんな世界なんですか?」


「キミが元いた世界と違って魔物や魔法が存在するような世界だ。キミの世界でいうところの異世界ファンタジーの世界だよ」


 ゲームのような世界で二度目の人生。よくある異世界転生ラノベそのものだ。


「でも、なんでわたしを異世界に? 勇者になって魔王を倒せとでも?」


「まあ、そんなところかな。キミには勇者としてオニロガルドを危機から救ってほしい。ボク達神々は無数の世界を管理しているのだけれど、どうしても人手が足りなくてね。キミのように素質があるものをスカウトし、ボク達の代わりに世界を守ってもらっているんだよ」


「わたしなんかに素質があるとは思えませんが……事情はだいたい理解しました。けど、わたしなんかじゃ、すぐに魔物に殺されて終わりでは? わたし、普通の女子以下の虚弱貧弱病弱女子ですよ?」


「心配はいらないさ。病も直してあげるし、異世界で戦い抜けるようにもしてあげるから」


 モルぺウスさんが軽く手をかざすと暖かな光がわたしの周りを包んだ。途端に体の奥底から力がみなぎってくる。


 それから、とモルぺウスさんは、どこからか白いスマホのような端末を取り出し、わたしに投げ渡した。


 わたしは反射的にそれを受け止める。


「その端末は、キミの心に呼応してキミを勇者としての姿に変身させるものだ」


「わたしの勇者としての姿って?」


「さあ。それは人によって違うから、使ってみなければわからない。あと、その端末には、勇者への変身だけでなく、いろいろと便利な機能が入っている。端的に言うと、変身アイテムになるスマホようなものだと考えてくれればいい。きっと、キミの助けになるはずだ」


 モルぺウスさんが告げると同時に、門が青く輝き、轟音とともに扉が開いた。

 中には眩い光が渦巻いている。


「そろそろ行ってもらうとしようかな。さあ、門の前へ」


 モルぺウスさんに促されるままにすると、それを合図にしたかのように、門から強風が吹きだした。その風がわたしの髪を乱す。


 ――髪?


 不思議と今まで気づかなかったけれど、わたしには髪が生えていた。

 自分の頭に髪があるなんて久しぶりだ。ここ数年、薬の影響で毛がなかったし。


 そんな事を考えていると、もう一度、強い風が吹いた。


「うわっ」


 不意に吹き込んだその風によって、わたしの体は掃除機に吸われる塵のように一気に門の中へと吸い込まれていった。

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