第一章 少女と勇者、邂逅する

#2 シエル part 1.1 ~少女と勇者、邂逅する~

 絡み合うような枝葉の隙間からわずかな陽が差し、どこからか鳥のさえずりが風のように吹き込んでくる。

 息を吸うと、樹皮や木の芽のむんとした匂いが鼻の中に広がる。

 よく晴れたある日、サブリサイドのはずれにある森で――。


「うえっ……嫌なものを見ちゃった」


 何人もの冒険者を葬った魔物を討伐しにやってきた私――シエル・クレール――は、あまりの光景に仮面の下の顔をしかめた。


 眼前には、自分の体より三倍ほど大きく、頭部が骸骨のようになっている、毒々しい体色の蜘蛛の魔物・スカルスパイダー。

 その風貌はソムニアの街の冒険者ギルドに掲示されていた討伐依頼書に書いてあった通りのモノだ。狼をバリバリと音を立てながら食らっていた。口元から血が滴となって垂れている。


「……こんなのが近くに住みついているんじゃ、街の人たちも不安だよね」


 気合を入れるように、私は被っている仮面の位置を調節する。


 と、スカルスパイダーがこちらに気付いたようだ。次なる獲物にしようと勢いよく飛び掛かってくる。


 息をゆっくりはいてから、私は右手を前に突き出した。


「【シャドーバレット】!」


 手のひらから黒い魔力の弾を放ち、覆いかぶさろうとしてきたスカルスパイダーを打ち落とす。


「よし! このまま一気に……」


 私は抜剣しながら、地面にひっくり返ったスカルスパイダーへ素早く接近し、そのまま心臓を剣で貫く。


「ギャァァァァァム!」


 スカルスパイダーは苦悶の声を上げ、しばらくもぞもぞとのたうち、やがて動かなくなった。

 それをしっかりと見届けてからスカルスパイダーから剣を引き抜く。傷口から、大量の体液が吹き出した。


「ああ、もう、最悪だ」


 剣を血振りして鞘へと納めた後、私は仮面の下の眉をひそめた。仮面や服が汚れてしまったし、仮面の隙間から液が目に入ってしまった。

 本当ならば、魔物と遭遇しそうな場所で仮面を取りたくなかったけれど、このまま放っておいて失明でもしたら大変だ。


 そう考えて、私が仮面を外して顔を拭った時だった。


 白い糸が私をめがけて飛んできた。体に触れるギリギリで、私はそれを転がるようにして回避する。


 よろめきながら立ち上がる私の前に、二匹目のスカルスパイダーが姿を現した。

 同胞を殺されて怒っているのか、髑髏の中の赤目をギラつかせ、牙をカチカチと鳴らしている。


「まずい!」


 蜘蛛糸を避ける際、私は手にしていた仮面を落としてしまった。

 それは私にとって致命的なことなのだ。

 私は慌てて仮面を拾った。しかし、仮面は真っ二つに割れていた。

 だいぶ古い物だったから、落とした衝撃で壊れてしまったようだ。


「そんな……」


 私には一部の人間だけが生まれ持つ特殊な力、ギフトがある。


 ギフト【無限の魔力】のおかげで、私の魔力は切れることがない。普段から魔物を倒すための修行も欠かさず行っている。おかげで、私は十代にして、一人で危険な魔物の討伐に向かうことが許される一級冒険者の座についている。


 でも、その実力を発揮できるのは仮面をつけている間だけなのだ。

 今から七年前、私が十歳の時、目の前で両親が魔物に殺された。

 私は通りかかった冒険者に助けられて運良く生き残ったけれど、そのトラウマで、私は魔物を前にすると動けなくなってしまう。


 けれど、仮面をつけて自分に暗示をかけ、「変身」すると魔物と戦えるようになるのだ。


「あばばばばば……」


 暗示が解け、何もできなくなった私の足首にスカルスパイダーが吐き出した糸が絡みつく。

 私の体はスカルスパイダーの元まで引きずり込まれ、木に張り付けられた。


 スカルスパイダーは、八本の脚でカタカタと地面を踏みしめながら、身動きが取れない私に近づいてくる。

 よく研いだナイフのような鋭い牙が、音を鳴らしつつゆっくり私の眼前に迫る。


 マジで喰われる五秒前。デッド・オア・ダイである。

 じっとりとした汗の感触が、私にそのことを告げてくる。


 不意に、両親が殺される瞬間が頭に浮かんできた。そして、あの人のことも――。

 途端に、私はわずかに残っていた抵抗する気力を失った。


 ――いいか、もう。


 私は、もはや諦めて固く目を閉じた。


 ……。

 …………。


「……ん?」


 しかし、しばらくたっても覚悟していた衝撃がこない。


 てっきり、目を瞑った数秒後には、自分はさっきの狼のように引き裂かれてしまうものだと思っていたけれど……。


 おそるおそるまぶたを開く。眼前には変わらずスカルスパイダーの姿。だけど、その体は光の花びらでできた鎖に包み込まれていた。

 スカルスパイダーは拘束を解こうと、咆哮をあげながらモゾモゾと暴れるが、一向に鎖がほどける様子はない。


 突然の事に呆気にとられていると、


「そこの人、大丈夫ですか?」


 少女の声が、周囲に響いた。


「……っ!」


 不意を打たれて、言葉が出ない。

 目線だけそちらに向けると、人形のように可愛らしい顔立ちの少女が、目をパチパチさせ、こちらをじっと見つめていた。


 その視線に捕らえられて、私は身動きができなくなってしまった。

 実際、物理的にも捕らえられていて、身動きができない状況ではあるけれど。

 そんな状況だというのに、私は現れた少女に思わず見とれてしまったのだ。


 少女が放つキラキラとした雰囲気に引き込まれてしまったのだ。

 ピンクっぽい色のボリュームのある長い髪。頭頂部には白いリボン。

 白い衣装に身を包み、花の装飾が施された杖を持っている。


 突然の乱入者に声を出せずにいると、少女はやや不安そうな顔をした。


「えっと……もしかして、言葉が通じてないんですか?」


「あ、いや、大丈夫。少しびっくりしちゃって……あなたは?」


 私がそう尋ねると、


「自己紹介の前に、ちょっと一仕事片づけちゃいますね」


 少女はくすりとほほ笑み、手にしていた杖の先をスカルスパイダーへと向けた。


「闇を払え、無垢なる光!【ルミナスバスター】!」


 すると、杖から閃光が迸り、光の鎖の中で暴れるスカルスパイダーに突き刺さる。


 瞬間。


 けたたましい断末魔をあげてスカルスパイダーは爆散し、跡形もなく消滅した。

 スカルスパイダーがいた場所は爆発により大きく抉れていた。


 それは初めて見る魔法だった。

 こんな強力な魔法をほほ笑み交じりに放つなんて、この子は何者なのだろうか。


 何はともあれ、どうやら助かったみたいだ。

 巻き付けられた蜘蛛糸をどうにかしようともぞもぞしていると、


「ひゃんっ!」


 突然、私を縛っていた蜘蛛糸が燃え上がり、一瞬にして掻き消えた。

 つい恥ずかしい悲鳴をあげてしまったが、燃えたのは蜘蛛糸だけだ。

 少女が魔法で糸を外してくれたみたいだ。


 危機が去ったことを実感した途端、全身の力が抜ける。縛られていた木に寄りかかるように私はへたり込んだ。

 先ほど変な声をあげてしまった気まずさから、伏し目がちに、


「あの……ありがとう」


 と、ボソっとした調子でお礼を言った。


「間に合って良かったです」


 少女がにこやかにほほ笑みを返した。見ているだけで、安心感を覚えるような心地のいい笑顔だった。


 と、少女が輝き出す。

 その光が弾けると、少女の姿が変化していた。


 長いピンクの髪は黒髪に。

 頭頂部にあったリボンは消え、代わりにアホ毛が一本ぴょこっと生えている。

 白い衣装は緑色のくたびれた衣服になった。

 理屈はよくわからないけれど、変身魔法のようなものだろう。


「あ、そういえば」


 場を切り替えるように、少女がポンと手を打った。


「まだ、自己紹介してなかったですよね。わたしは明日奈ひかりです。あなたは?」


「シエル。シエル・クレール」


「よろしくお願いします。シエルちゃん。わたし、まだ異世界からこの世界に来たばかりなので、いろいろと……」


 グウウウウウッッッ。


 突然、ひかりさんの腹の虫が大きく鳴り響く。

 その直後、ひかりさんがばったりと倒れてしまった。


「え? ちょっ……大丈夫? ねえ……」


「すいません。急に動けなくなっちゃって……」


「ええ……」


 とりあえず、私はひかりさんをサブリサイドの街まで連れていくことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る