第26話 『ゑ』

『ゑ』


『縁は異なもの味なもの』


 まさか! 何でー、あの人とこの人が?

 男と女というものは何が縁で引っ付くか分からない。

 非常に不思議で面白いものだと言っている。

 確かに人類数十億分の一の確率でチャイチャイするのだから不思議である。

 ここで言う縁は信号のミドリでは無い。縁側の縁である。

 本来人様との縁ある側として、表通りに面して人通りの有る方の通路を指して縁側と言う。概ね南側に有る。 

 東・西の縁側は濡れ縁と言って、雨に濡れても良いような造りになっている。

 人通りの少ない場所が通路だと外敵の侵入に気付かなかったり、部屋から外へ出た時の温度差が大きかったりと何かと不都合がある。

 よって、通常北側に通路は造らない。

 狭い都会の住宅事情によって、近代になってからはこの限りではないようである。

 しかし、住宅建築の重要な用語ほどに深い意味を持った縁は、人間が考えも及ばない未知の力としか言い様が無いものである。

 別の言い方では単に「縁は異なもの」ともいう。そう異な物。

 異星人とか異物とか異人とか異性の異。

 理解出来ない自分とはまったく違った形態の物である。

 現代では男女間に限らず、同性であろうが人間外生命体であろうが縁として使っている。

 特に江戸だけとは言わずに庶民を強調したい場合は「縁は異なものいきなもの」とすると、粋を重んじた庶民の雰囲気が出てくる。

 男女間の縁に限ってであるが、英語圏にも同じ様なことわざが残されている。

 Marriages are made in heaven.(縁組は天国でなされる)

 Marriage is a lottery.(結婚はくじのようなもの)

 男女の関係だけでは無い。縁には色々とある。

 腐れ縁・親類縁者・遠縁・近縁・何かの縁・禁煙・動物園・失楽園・楕円・$円・一円・十円・一万円等々。ここらあたり、本気にしてもらうと後で私が困る。

 縁とは円周率が永久に割り切れないように、未来永劫摩訶不思議な力として存在し続ける物なのでありましょう。



『縁の下の力持ち』


『え』の所で京都に『縁の下の力持ち』が出ている。『え』の時に大阪では何と言っていたか『閻魔の色事』と言っていた。

 本当は大阪でも『縁の下の力持ち』を使いのたかったのだが、先に京都に使われてしまったからここに持ってきたのか?  どうも違うようである。

『え』の時の京都編では『縁の下の力持ち』について以下の様に記している。

《仕方なく成ってしまっている人と、成りたくて成った者とでは受け取り方がまったく違ってくる言葉である。気を付けて使わなければならない。・・・中略・・・物事何であれ人知れずそれを支えている人たちがいてこそ成り立っている。これを縁の下の力持ちと言うべきか、蔭の支配者と言うべきか。・・・中略・・・さて、この頃ここら辺りの縁の下の力持ち、どの様な方々なので御座いましょう》と書いたが、どの様な者でも自分より華やかな者を見れば、それは表に立った花形であり、自分は裏方であったり蔭の存在かと思ってしまう。

 例えれば、巷に溢れかえっているアイドルがそうである。一般的には花形スターと言われている。

 鼻たれのガキだろうが性悪の豚野郎だろうが、アイドルとして売り出せば花形である。

 一見売り出すスタッフは裏方、縁の下の力持ちなどと表現されがちだが、実のところ廻り廻ってスターに成っている。

 アイドルが目指す花形は大御所である。

 大御所は早い所タレント業に見切りをつけて、政財界のドンにでもなってと目論んでいる。

 政財界のドンの憧れは、知識人と言われる作家や音楽家、画家などのアーティストや素晴らしい身体能力を持ったプロスポーツ選手達に加えて、後世に偉業を成し遂げたとして名を残した偉人達。

 そんな偉人達は何者に憧れを抱いていたのだろうかと考えるに、アインシュタインが【時計職人になっておけばよかった】と言った。

 極々平凡な生活に憧れていたのだ。 

 平凡なサラリーマンはというと、定年退職して田舎のスローライフに強くひかれている。

 田舎に限らず、これからの日本を背負って立つ兄ちゃん姉ちゃんは何に夢中に成って居るかと言えば、漫画家やゲームクリエーター、思い切ってアイドルになりたがっている。

 この兄ちゃん姉ちゃんは消費者であり、アイドルを食わせているスポンサー企業からすれば一番大切な御客様。

 時と場合によるが、この子供達を必至になって育てたとおちゃんかあちやんは、子供達にとっては夜空に瞬くお星様である。

 死んじまって夜の星になったのではない、早合点しないように。

 そのとおちゃんかあちゃんはというと、舞台裏で毎日仕事に明け暮れている。

 そして大仕事の後にスターが産れたりしていたら、もはや誰が裏で誰が表か分からない。

 メビウスの輪状態の世界が、縁という不思議な力で繋がっているとしか思えない。

 縁の下の力持ち=宇宙の総て=縁。との考察式は成り立たないだろうか。

 【風が吹けば桶屋が儲かる】の計算式である。

 強い風程度ならば桶屋も儲かるが、凄まじい【嵐】に桶のタガが外れてバラバラになってしまっては元も子もない。

 何事も程々がよろしいようで。



『縁と月日』


『縁と月日は末を待て』の略である。

 男女が結びつく縁と幸せな生活は、ジタバタしないで気長に待っていれば必ず向こうからやって来るものだと言いたいらしい。

 馬鹿タレが。

 此の世に必ずなど有り得ない。

 生涯を独身で通した人は、今の地球に生きる全人口よりもはるかに多い。

どちらかと言ったら裏を返した意味として、いくら親身になって意見してやっても、聴く耳持たない馬耳東風。

 箸にも棒にも網にもザルにも引っ掛からない原始猿野郎には、何もかもが無意味だと言いたい所だが、ぐっとこらえてオブラートに包んで表現する時に使う。 

 人はあまりにも高い所や遙かな遠くを見続けていると、ついつい足元近くの小さな幸せを蔑ろにしてしまいがちである。

 小さな幸せだけでは満足できないのが人間であり、それはまた人類が進化し続けてきた原動力でもあるのだが、小さな幸せをかき集めてみると自分では抱えきれない程、人様にも分けてあげたくなる程の大きな幸せに成りうる事を忘れてはいけない。とか言っちゃってー。

 私は年がら年中忘れてます。

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