第27話 『ひ』
『ひ』
『貧乏暇なし』
現代人には理解不可能に思えることわざである。
江戸の時代は物売り一つとっても多くの職業に細分化されていた。
自立起業を助けてくれる奉加帳なる仕組みにより資金の融通ができた事も有って、失業率は低かった。
現代は八百屋として一店舗になっている野菜だが、総て別売りの専門業者がいた。
【たけのこ売り】【胡瓜売り】【自然薯売り】といった具合。
魚も【カツオ売り】【飛び魚売り】【鯛売り】と、魚によって売る人が違っていたりした。
買い物をする側からすると不便なものだが、遠くまで買い物に行かなくても売り屋が向こうからやって来てくれる。
今で言う移動販売のようなものであったから、その点では楽だったのではないだろうか。
失業率は低かったが、一人頭の稼ぎは少なかった。
忙しなく少しずつの稼ぎで何とか食いつないぐ状態であったから『貧乏暇なし』の言葉が生まれた。
貧乏であるがゆえ、その日の生活費を何とかして稼ぎ出そうとバタバタしている様を書いている。
しかし現代の日本にあって、貧乏だからとて生活に追われて暇が無くなるだろうか。とかく現代の貧乏人は暇しているのが常である。
貧乏とは無縁と思える都会のエリートビジネスマンは、二十四時間どころか二十六時間戦えますかとばかりに不眠不休で稼ぎまくっている。金持ちこそ暇なしである。
何の為に金を稼いでいるのかさえ分からず、ただ稼ぐためだけに働いている。
貧乏人の苦しい生活は何故ゆえにあるか考えるに、仕事が無いからである。
仕事が無ければ暇しまくっているのは当然で、朝から晩まで毎日ゝ魚釣りして晩のおかずを作っている。
飢え死にしない程度に、あちこちの畑や林から少しずつ食い物をいただいて、時折コンビニのゴミ箱に掛った鍵を壊しては廃棄弁当をかっぱらう。
決して貧乏人は忙しくない。
あれもこれもやらなければと日々時間に追われ忙しなくしているのは、守るべき物が多過ぎる御大臣様である。
本当の貧乏人は生活に追われない。
もっとも、生活に追われなくなった貧乏人を、特別な貧困層の別枠として『世捨て人』などと表現する場合もあるがな。
こんな貧乏人の上を行っている奴がいる。時々我が家にやって来ては餌をねだる野良猫である。
あいつは一生涯、金など持たないし意識しない。
腹が減ったら拾い食いしていれば生きて行ける。
食い物が何とかなれば他に心配する事など何もない。
名もない野良猫は、今日も朽果てたウッドデッキで昼寝している。
『貧相の重ね食い』
貧相だから必ず貧乏とは限らない。
どう見てもレゲエの親父が、実は有名なミュージシャンだったりする。有る所にはあるものだ。
持ってる奴は持っているが、出したがらないだけである。
貧相は置いといて、この場合の貧相は貧乏とすべきだろう。
貧困のあまり食い物が買えなくて、いざあり付いた時に一時同時に多くの食べ物を口の中に放り込んでいる様子を言っている。
まだこの程度ならば貧乏とは言えない。軽い金欠病である。
小銭という薬で応急処置が可能だ。
広い世界には、国や大陸がそっくり貧しい地域がある。
この様な地域に住む人達には、貧乏の揚句にやっと食い物が手に入ったからと、いっぺんに口の中にぶち込んで飲み込むほどの元気が無い。
たとえ飲み込めたとしても、カラッポの胃袋に突然食い物が入っていくと、胃痙攣を起し下手すれば命に関わる。
貧乏は他人事ではない。明日は我が身と心して貧乏と正直に対話すべきである。
四か月間食えない時が有った。
貧乏由縁の欠食ではないが、その時、食えない辛さを嫌というほど味わった。
他の病室に運ばれて行く給食の匂いだけで、精神は錯乱状態になる。
個室に閉じ込められて、食事の匂いが入り込まないようにドアを締め切られた。
その時、貧乏と対話した結果として皮下脂肪を貯えると決心した。
少しずつ貯え、現在皮下脂肪の蓄積は限界値にな達して、内臓脂肪も中性脂肪も異常に高い数値を示してる。
目論みどおりと言いたい所だが、体型が変わるのは考慮していなかった。今更遅い。
言われるまでも無い。反省はしている。
ただ、後戻りが出来ない。
『ひょうたんから駒』
『瓢箪から駒が出る』が全文。だと思う。
瓢箪はウリ科の植物で、イメージとして思い浮かべるのはボンキュッボンとナイスボディーの携帯飲料水容器だ。
あまり知られていないが、瓢箪は食用としてアフリカから世界中に広まっている。だけど軽く毒が有るので食わん方がいい。
日本では瓢箪の同一種である【夕顔】の実から【干瓢】が作られている。
この水筒代わりの瓢箪。口が小さくなっているのが特徴だが、この口から【駒】が出て来るような事は「ありえねー!」と言いたがっている。
この「ありえねー!」が起きてしまった奇跡的状況下において使用するのが本来の使い方。
あらかじめ予測可能な事態であった場合に使うのは、紛れも無く誤用であるから注意していただきたい。
瓢箪から物が出たり入ったりする有名な話がある。
金閣銀閣が出て来るやつ。
この話から本来の『瓢箪から駒』の表現を【瓢箪】から将棋の【駒】が出て来ると勘違いしている方も多いと思う。実はかくいう私も最近までその様に解釈していた。
しかし、このことわざで言う【駒】は将棋の駒ではなく、動物の【馬】の事。
《瓢箪の様に小さな口から、馬の様にどでかい物が出て来る筈も無く、不可能であるのだが、出て来ちゃったよね、まいっちゃったなー》というのが本来あるべき解釈・使い方。
同じ様な意味を持つことわざはたくさん有って【嘘から出たまこと】【虚は実を引く】【冗談から駒】【根もない嘘から芽が生える】【灰吹きから蛇が出る】【灰吹きから竜が上る】なんかがそれ。
超マイナーなのだが真逆のことわざに『瓢箪から駒も出ず』というのがある。
英語圏では『Mows may come to earnest.(冗談で言ったことが本物になることがある)』なんてのもある。
何処へ行っても、何時の時代でも、奇跡をちょっとだけ信じたいのが人間の心理らしい。
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