第13話 『う』

※ 一部残酷な描写・性的表現を削除してあります。

予め御理解を願います。


『う』


『氏よりは育ち』


 江戸時代はボケの甚六・与太郎。ロクデナシでも尋常な長男であれば後次ぎとして育てられたが、それにも限度と言う物がある。

 箸にも棒にもかからない石潰しは、密かにあの世に行ってもらっていたのである。

 そこまで行かないにしても---削除---。戦いの無い時代が百年以上も続くと、いい加減武士の散在自体に疑問が出てくる。これ至極当然の成り行き。

 ---削除---切り捨てる。切り捨てられたのが---削除---「死刑」---削除---『クビ』はこんなところからきている。

 江戸時代は庶民には戦争の無い平和な時代だが、税金の取立ては厳しかった。現代日本に酷似している。

 武士にとっては「リストラ」の嵐。これも今の日本とさほど変わらない。

 武士は刀や武道よりも官僚・政治・行政によって生き残る為、勉学に励んだのである。ちなみに就職試験なんかもあった。

 就職試験は中国から伝わった物だが、中国もつまらん事を考えたものである。

 御受験戦争は江戸時代からあったのだよ。

 この場合の「氏」とは家柄の事。

「育ち」は教育レベルの事。

「いかに名家の出であろうとも、成績の優秀な者にはかなわない」と言う意味。

 現代よりも江戸時代の方が、よほど実力で生きて行けた時代だったのだ。

 算数もろくに出来ない「アホたれ」が上司に居ないだろうか。

 打ち首にしても、私は貴方を責めない。



『嘘からでたまこと』


 嘘だと言っているのに、結果的に私の記事を本当だと信じている人は多いようだ。

 嘘を本当と信じた人々が他の人に伝え、その人も信じてしまい又伝える。

 これが繰り返されると、嘘は真実になってしまう。

 嘘と真実の違いは【信じる者の数】で決まるからだ。

 科学者が現実をいくら人々に説いた所で、誰も信じなければ「地動説」「進化論」と同じ運命を辿る。

 とかく科学と宗教は対立する。

 科学が革新的であるのに対し、宗教は保守的である。

 双方共に自分の立場を守り社会的に優位な立場でいたいと願えば、主張は平行線を辿る運命にある。

 この集団的自我防衛権は、歴史的に観ると宗教団体の方が強い。

 信じる神を否定されては宗教家に生きる術は無い。命がけなのだ。

 それに、科学者一人の意見などもみ消してしまうだけの地位・権力・財力を持っている。

 対して、科学者は何時か真実は明かされると未来の科学の進歩と自論の証明・裏付けを他者に委ねられる。

 宗教家が開祖の教えという「過去」を中心に生きているのに対し、科学者は何十年何百年かの未来の科学者の証明という「未来」に総てを託して生きている。

 やはり平行線である。

 どちらも正しいとは言い難い。

 宗教は証明された事実でさえ認めようとしない。自分の存在意義を脅かすからだ。 

 過去において人類が今より野蛮だった頃は、宗教による正義の名によって多くの錬金術師(科学者)が処刑された。

 魔女狩りや生贄。宗教戦争にいたっては未だに大花火を打ち合っている。

 数百年後の今頃になって「あれは間違っていました」と言われた所で、誰も納得するものではない。

 科学は見える物、証明できる物以外信じない。

 精神病などの目に見えない病を、精神科以外の医師は「何処も悪いところ有りません」と診断する。

 患者は具合が悪いから受診している。

 医師なのに、自分の無能で患者の悪い所が分からないのを棚に上げて「異常なし」と診断する前に、自分よりもっと優秀な医師や別の科の受診を薦めたりはしない。

 医師は気のせいで不調を訴える者を患者と思わない。物を物として見ない。

 研究の素材として常日頃から世界を見渡している。

 科学的宗教団体というものは存在しえないのだろうか。



『牛を馬にす』


 一般的には理解し難い一言である。

 ノロマな牛から早い馬に乗り換える。鞍替えをする。景気の良さそうな方に付く。別の政党に行く。転校する。編入学する。といった所か。

 忠義を重んじる江戸時代にあっては、実に不誠実な行為を肯定するようなカルタである。

 現代社会で聞きなれないのは、言葉にして伝えられ難かったからだと推察できる。

 現代でも日本の裏社会では頻繁に使われている。一般の堅気さんが知らないだけである。

「牛でも上の者が馬だと言えばそれは馬」上の言う事は絶対である。「白を黒にする」と同じ意味で使われている。 

 殺したのは親分でも、自分が殺りましたと自首する。

 しかしながら、牛糞堆肥よりも馬糞堆肥の方が畑にはいいようである。

 その、あれであるが「馬なみ」とは言うが「牛なみ」とは言わない。

 それは体の大きさに対しての、そのー、あれの、大きさの割合が一番大きい。

 次が人間などと言っているが、実際、人間のは小さい。使用上の問題は無い。

 したがってこればかりは譲れないと「馬なみ」から「牛なみ」に変わる事はなかったのである。




『る』(い)


『芋の煮へたもご存じなく』


 人生斜め四拾五度にしか生きられない人がいる。

 人生を捨てたのではない。あきらめて自暴自棄になっているでもない。それなりに希望も夢もある。

「若頭になりたい」とか「ナンバーワンになりたい」とか。

 きっと、凡人よりも遥かにしっかりしたビジョンを持って斜め社会と向き合っている。

 さもなくば、弱肉強食・焼肉定職・塾肉教食の真っ只中で、日々命がけの緊張感を保ち続ける事は至難の業である。

 そんな斜めの社会に住む人間達が、世間知らずのぬるま湯ドップリ浸かっている、御アホタレお嬢様・お坊ちゃまに敬意を表して言う言葉がこれ。

『芋などというゲセワな食物、当然お口に合う筈もなく、煮方が上手いのか下手なのか、芋が美味いのか不味いのか、お判りにはならないで御座いましょうな』と言いたいのである。決して皮肉ではない。

 今はというと、芋、高いですから。高級食材ですから。 

 私の様なスーパーハイレベルプアーヒューマンには手が出ませんから。

(最近出回っている焼き芋、今までと品種が違うとかで、虫歯に成るほどに甘い美味い)

 自分の畑で作るしかないですから。

 ただー、うー、時期になると。毎日芋ですから。



『ゐり豆に花が咲く』


 炒った豆に芽が出て葉が出て葉が咲く。んな訳ないだろ。無理、無茶のある格言である。

「奇跡ダー」を長ったらしく判りにくく表現したにすぎない。

 奇跡を信じる者は多い。

「念ずーーーピーーー開く」と言った人がいる。

 それは成功したから言えたのであって、決して念じたからではない。たまたまその人がついていただけである。

 無理を押し通して人の犠牲の上にアグラをかいて、仕事が出来る立場にいた人間だったからである。

 極一般的な立場の人は「働けど、働けど、我が暮らし楽にならず、じっと手を見て、海や山に向かって、馬鹿野郎と叫ぶ」(一部パクッテます)

 奇跡はきっと何時か起きる。それは確かである。

 何処で起きるのかが個人的には重大なのだ。よそ様で起きてくれても何の喜びもない。

 どん底とまでは行かないまでも、ほぼ同じ位置に付けて誰が一番先にコケルかなーと言う状況下では 、人様の、それも赤の他人の「幸せ奇跡」を手放しで喜んでやれるほど太っ腹でも御人好しでもない。

 指をくわえて「いいなー」とうらやむのがせいぜいである。

 やる気を出してやればやるほど空回り、世間様からも会社からも、下手すりゃ家庭からも見放されちゃってる人、最近多くなったと思いませんか。

 江戸の頃と比べて、何かが違っちゃっているのは確実である。



『鰯の頭も信心から』


 どっちでもいいのだが「鰯のあたまも信心から」と「鰯のかしらも信心から」がある。古事を今更どうこうできないが統一してもらいたい。

 どこかの宗教団体であったが、どうしょーも無い「壷」が一つ数百万だとか、水道の水が1ℓ一万円とか。

 近所のお寺さんでは、檀家に強制的とも言える寄付を募ったとか。本堂建て替えの為の寄付が一口百万だそうである。

 人の弱みに付け込んでエゲツナイ商売してますなー。

 信じるなとは言わない。それによって心の安らぎが得られるのならばいい。

 だが、教団のやり方が下水のヘドロより汚くアクドイ。

 信仰の対象はいくらでも有る。その教義に拘る必要など無い。

 何でもいいのだ。信じる側も少しは考えろ。盲信してはいけない。

 何百万もはらって心の安らぎを求めるよりも、精神科か神経内科もしくはカウンセラーに行って「カウンセリング」でも受けたほうがいい。保険も利く。

 宗教とは嘘もしくは迷信・憶測・仮定の塊である。

 不確実なものと知ってもなお教義を理解し賛同できるのであれば、信じて従うのもまたいい。

 節分に柊の木に鰯の頭を指して門にかざしておくと魔除けになる。おおむね嘘である。

 だが、そうと分かっていても人々は節分に鰯の頭をぶっ刺す。百舌鳥と一緒だ。

 知らない人が見たらドラキュラとやってる事は同じだ。 

 本来、信仰とはかくあるべきものである。効果があるとか無いとかではない。

 営利を目的としてはならない。だから税金も大幅に免除されている。

 日本、いや世界最古のNPO法人なのである。

 人に心の安らぎを与える為の宗教。

 信心が現代社会では経済的・精神的な個人の負担に変わりつつある。

 宗教家の皆さんには、もう一度考え直してもらいたい物である。

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