010 邂逅⑩/継承

庭師によって綺麗に整えられた庭園の中央には噴水が陽光を浴びて、きらきらと輝いている。


「んで爺さん、オレをこの場所に連れてきた理由はなんだ?」

「はい。レオン、今から貴方に一つの魔術を教えるためです」

 そう言って、エヴァルトは庭園の中にある石畳の地面を指差した。


「事前にその場所に簡易的ですが、魔方陣を描いておきました」

 エヴァルトが軽く指を鳴らすと、先程まで何もなかった石畳の地面に淡い光が灯った。


 素人目からすれば奇妙な文字が書かれた円形の魔方陣。そして、魔術に通ずる者が見れば、洗練された高位の魔術が施された至高の円形。


 エヴァルトはレオンに魔方陣の中に入るように促す。

「大丈夫なのかよ、これ……」


 地面の魔方陣から天へと伸びた光が円柱を作り出す。

「大丈夫です。私を信じてください」


 こくりと頷き、レオンは円柱の中へと足を踏み入れた。

 瞬間、とてつもない冷気がレオンの身体を襲った。そして同時に頭痛と吐き気を感じる。


「うう……なんだこれ……」

 自分の中の何かが壊れていくような錯覚すら覚える。レオンは立っているのがままならなくなり、膝立ちとなった。


 早くこの魔方陣から出なければ死ぬ、そう確信させるほどに小さな身体は悲鳴を上げていた。


「だま……したな……つ!!」

 レオンは魔方陣の外にいる老執事をきっ、と睨みつける。


 老執事はレオンを見下ろしていた。

 レオンは地面を這いながらも、魔方陣の外へ出ようとする。

 しかし、魔方陣の外へと手を伸ばしたはずが、見えない壁に阻まれた。


 入る時はすんなりと入れたはずが、出る時はそれを許さない。そう確信させるほどに壁は強固なものであった。


「うう……」

 レオンは苦悶の声を漏らす。

 頭を押し潰されそうな感覚が絶え間無く続いた。


 どこからか誰かの悲鳴が響いた。誰の声か分からない。男なのか女なのか。老人なのか子どもなのか。


「――ンッ!」

 誰かの声がする。


「――――オンっ!」

 とても懐かしい感じがした。


「――――――レオンッ!!」

 その瞬間、意識がはっきりとした。


長い冬が終わり雪が溶け、緑が戻り川が清く流れるように。

 

身体の芯から暖かくなっていく。

 心地よさすら感じた。


 レオンは両の足に力を入れ、立ち上がった。途端、レオンを囲っていた魔方陣の光が消える。それと同時に先程まで彼を蝕んでいた頭痛と吐き気は嘘のように無くなっていた。


 レオンは自らの両手を見る。外見は目立った変化がない。

「一体何だったんだ……」


 身体の芯から何かが溢れるような感覚が止まらない。


「はじめに私は貴方に謝らなければなりません、レオン」

 エヴァルトが口を開いた。


「そうだ、さっきのすげえ辛かったんだぞ! 頭が割れそうだった。吐きそうだったし、爺さん、オレに何したんだよ!!」

「貴方に先程かけた魔方陣、あれは私の魔術の一端を継承させるものです」


 エヴァルトは淡々とそう言った。その言動に対し、レオンは訝しげな視線を送る。

「爺さんの魔術? なんだよそれ」

「はい、実際に見た方が早いでしょう。レオン、できるだけゆっくりと、適切な発音で【エアル】と詠唱してください」

「いやオレ魔術師じゃねえし、魔術なんて人生で一回も使ったことがないんだけど」


「物は試しです。ですから【エアル】と詠唱してください」

「……わかったよ」

 レオンは適当に返事し、エヴァルトから数歩離れて呟く。


「【エアル】」

 数秒の沈黙、しかしレオンには変化が訪れなかった。


「やっぱり何も起こらねえぞ、爺さん」

「もう一度呼吸を整え、丁寧に発音してください」

 有無を言わせぬエヴァルトの言葉にレオンは渋々詠唱を続ける。


「【エアル】」

 やはり何も起きない。


「やっぱりだめ――」

 レオンがエヴァルトに視線を送ると、そこには真っ直ぐにレオンを見る老執事の姿があった。


 レオンの才能を信じるように、あるいはレオン自身を信じているかのように、エヴァルトは小さな少年の姿をその瞳に映している。


 期待に応えなければならないと思った。

 昨日、魔物から命を救ってくれた恩義がある。ああいう風に誰かを救えたらと強く願ったはずだ。


 レオンはもう一度、呼吸を整え、静かにそして明瞭に唱える。


「【円環エアル】」


 その瞬間、レオンを覆うように直径2メートルほどの円が展開された。

「うお! なんだこれ!?」


 レオンは円球の内側からツンツンと軽く指で弾く。

 確かな硬さを誇るそれはさながら騎士の鎧のようであった。


「初めてにしては良い出来です。少々小さいサイズですが、硬度は十分でしょう」

 エヴァルトはレオンを囲む円球を軽く叩きながらそう言った。


「この魔術の名は【円環エアル】。その効力は術者、被術者に頑強な守りを与える領域を展開するというものです」


「す、すげえ……!」

「その状態を解除する時は、【解放リリース】と先程と同じような感覚で発音して下さい」

「……【解放リリース】」

 その言葉を合図に、レオンを覆っていた円球が消える。

 二人を隔てていた壁がなくなると同時に、レオンはエヴァルトの元へと駆け寄った。


「なあなあ、爺さん! 他にオレにできる魔術はないのか!? 手から炎を出すやつとか、雷を放つやつとか、すごく足が速くなるやつとか。なあなあ、もっとカッコいいやつ教えてくれよ!」


 興奮気味にレオンは捲し立てる。その目は年相応の子どものようにキラキラと輝いていた。


「まずはこの【円環エアル】を迅速にかつ正確に展開できるようになってからです。理想としては無詠唱で複数個同時に円球を展開できるように、反復練習あるのみです」


「ええー、この地味なの練習しなきゃいけねえの?」

「こら、地味とか言わないで下さい」


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