005 邂逅⑤/屋敷へ

 街から少し離れた森の中に屋敷があった。手入れの行き届いた庭には噴水が湧いている。庭の先にある建物の硝子窓からは光がこぼれ、夜の庭を明るく照らしていた。


「すげえ……」


 レオンは感嘆の息を吐いた。これほどまでに立派な建物を目にしたのは彼の人生の中で初めてだった。


 エヴァルトは屋敷の玄関の前で馬車を止める。すると屋敷の玄関から使用人とおぼしき女性たちが出てきた。


「お帰りなさいませ」

 すらりと伸びた手足に、髪を後ろに丁寧に結い上げた、眼鏡をかけた女性がお辞儀をする。それを合図に後ろにいた他の使用人たちが同じようにお辞儀をした。


「出迎えありがとうございます、リィヴァ。街でトラブルがあってそれで帰りが遅くなってしまいました」

 エヴァルトは馬車から降りて、リィヴァと呼ばれた眼鏡をかけた女性に言う。


「お嬢様はお疲れです。温かい食事を用意してください。そしてこの子にも温かい食事と、あと空いている部屋を一つ貸してください」

 リィヴァはこの屋敷に似付かわしくないほどにみすぼらしい格好をした少年に目を向ける。


「エヴァルトさん、その方は一体?」

「街で拾いました。明日からこの屋敷で働く者です。彼の名はレオン。仲良くしてやってください」

「そうですか、まあこの屋敷ではよくある話ですね」


 意外なほど円滑に話が進んだことにレオンは疑問符を浮かべる。彼はエヴァルトの隣から一歩前に出る。


「俺はレオン、明日からよろしく頼む」

 その挨拶に「はあ」とリィヴァは頭を押さえる。レオンはそんな彼女の行動に少し苛立ちを覚えた。


「これはまた教育しがいのある子どもが来たようですね」

「はっはっは! 私は君の教育法に期待しているのですよ、レオンを頼みます」


「そろそろ、馬車から降りたいのだけど」

 馬車から聞こえた声にエヴァルトとリィヴァが同時にかしこまる。


「申し訳ありません、お嬢様」

 エヴァルトは馬車の客席の扉を開け、主の手をとる。


「まったく私を待たせて、どういう了見かしら」


 馬車から屋敷の明りに照らされた白い脚が先に出る。次に御伽噺から出てきたかのような艶やかな黒髪が見えた。


 レオンは思わず息を呑んだ。


 雪のように白い肌、それとは対照的な漆黒の髪。口元に寄せた微笑も美しさに拍車をかける。


「初めましてね、レオン」

 馬車の中から聞いたであろう少年の名前を少女は唇に乗せる。


「私はエリザベート・フォン・レイヴンローズ。レイヴンローズ領の主の娘よ」


 レオンの目の前に彼が最も嫌悪する貴族がそこにはいた


◆◇◆◇◆


 レオンはリィヴァによって屋敷の中の一つの小部屋へと案内された。机と椅子、窓がありそしてベッドがあるだけの簡素な部屋である。


「食事を持ってきます、ここで待っていて下さい」

 メイドであるリヴァがそう言って部屋から出ていったのを確認し、レオンは椅子に腰かけた。


「ベッドなんて初めてだ……」

 街の地面や木の陰で寝泊まりを繰り返してきたレオンにとって、このような衛生的な寝床は初めてであった。


 レオンはベッドに恐る恐る触れる。簡素ながらも柔らかな弾力が彼の手を押し返した。


「本当に明日から俺はここで働くのか?」

 先ほどかわした老執事との約束に疑問を持つ。物を盗んで生きてきた人間が、このような館で仕事をもらえるのはどれくらいの幸運なのだろうか。


 コンコンとドアが軽く叩かれた後、リィヴァが部屋に入ってきた。


「お食事をお持ちしました」

 リィヴァの両手の中には皿に盛られたパンとチーズが一切れ、白い湯気が出ているスープがあった。それらを常に飢えと戦っているレオンの前に差し出す。


「……本当にこれを俺が食べていいのか?」

「これはあなたのために用意したものです。食べてもらわなければ廃棄処分となります」


 レオンは夢中でパンに齧りついた。さらにチーズを直接手で取り、パンとともに放り込む。供えられたスプーンには目もくれず、皿に口をつけすする。


「熱っ!」


「当たり前です。スプーンを使って下さ……聞いてませんね」

 レオンはスープに息を吹きかけ冷まして飲む。そしてパンをスープにつけ、あますことなく平らげた。


「品のない食べ方ですね。それにそのみすぼらしい恰好、あなたはどんな教育を受けてきたのですか」

 リィヴァは眼鏡の位置を直し冷たく言い放つ。対しレオンは下を向いたままだった。


「ちょっと、聞いているのですか?」

 返事はない。代わりに静かな寝息が部屋にこだました。


「座ったままで寝るなんて器用な真似をしますね、まったく。明日からしっかりと教育しないと」


 溜息をつき、リィヴァはレオンの身体を抱きかかえる。そのままベッドに彼を横にし毛布を掛け、彼女は中身のなくなった食器を持って部屋を出た。



[後書き]

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