第32話

 失点を喫した以降も、栄成高校は押しまくられる。

 前半の27分、今度は右SHの航平くんがプレスにハメられてボールロスト。すかさず実堂のショートカウンターが発動し、ミドルレンジからフリーでシュートを打たれる。が、ボールは僅かにポストの横へ逸れて難を逃れた。


 さらに前半39分。左SBの玲音が孤軍奮闘のディフェンスからボールを奪い、同サイドの前線へパスを繋ぐ。しかしこのボールをSHの松村くんがトラップミスし、再びカウンターに晒された。

 そのまま細かいパスワークによってペナルティ内まで攻め込まれ、実堂のFWに強烈なシュートを浴びる。けれど幸運にも、ボールはポストをかすめ枠の外へ飛んでいく。


 あわや追加点を奪われる寸前、といったシーンの連続。

 永瀬コーチも声を張り上げてチームに指示を出しているものの、栄成イレブンはうまく対応できていない様子だった。


 とても歯がゆい状況だ。実堂のハイプレスだって完璧ではなく、当然のように穴はある。だがそれは、ピッチ外から眺めていればこその発見だ。


 激しいプレッシングを受けていると、相手マーカーの対処に手一杯となって思考もロックされがちになる。そのうえ、フィールドプレーヤーの視点では見える範囲が限定されてしまう。


 そんな状況下で戦況を打開する術を模索するのは、並大抵のことじゃない。

 テレビのように『俯瞰』でピッチ全体を見渡せれば話は違うのだろうが、そんなモノは一部の天才にのみ許されたスキルだ。


 おまけに、ゲームキャプテンである白石くんが冷静でない点も絶望を深める。

 先程から延々と味方に怒鳴り散らしているが、実堂のディフェンダーによって完全に存在を消されている彼にも問題はあると思います……むしろポジション的に、責任の比重は大きかろう。


 栄成の『10番』様はゲーム開始から今に至るまで、ピッチをさまよう幽霊状態。ボールタッチもほぼゼロ。


「白石くん、さっきから全然ボール触れてないね……あ、兎和じゃなくて、もちろん鷹昌くんの方ね」

 

 不意に、僕の思考をトレースしたような発言が聞こえてくる。

 隣に座っていたサブメンバーの一人である『大桑優也(おおくわ・ゆうや)くん』が、たまらず口走ったのだ。

 

 彼は、身長180センチオーバーの大型FWである。肉体もかなり鍛えられているようで、外見はけっこうゴツい……が、穏やかで控えめな性格のため、サッカー部内では陰キャ扱いされている。


 今回のベンチメンバーは僕以外みんなD2所属なので、当然ながら大桑くんも同様だ。けれどもFWとしては二番手に位置する選手なので、後半のどこかで出番が回ってくるかもしれない。


「鷹昌くん、もうちょっとポジションチェンジしてボール受けに行ったらいいのに」


「そうだね。トップ(FW)とトップ下が揃って前線に張り付いていると、流石に中盤は苦しいよね」


 僕と大桑くんは、意見交換しながら試合を見守る。

 なんだか彼とはやたら会話のテンポが合う。お互い控えめな性格ゆえに相性がいいのかも。それに『陰キャ同盟』に参加してくれた心優しき同士でもあるので、今後もぜひ仲良くしていただきたい。


 肝心の試合の方は、いくらも経たないうちに長いホイッスルが響き渡り、栄成にとって苦難の前半が終了した。


 ベンチの面々は揃ってホッと息を吐く。正直、1失点で済んだのは奇跡に近い。少なくとも実堂には三度の決定機があり、ミスのおかげで命拾いしているような状況だ。

 こちらへ戻ってきたプレーヤーたちも明らかに消耗が大きく、どれだけ劣勢だったかを物語っていた。


「……おい、後ろでなにダラダラやってんだ! さっさと前線にパスつけろ! このチームは、俺がボール持たなきゃ始まらないだろーが。そのへん理解してやってる?」


 僕たちサブメンバーはスタメンに席を譲り、タオルで仰いで風を送る。体力回復のお手伝いだ。そんな中、大容量のドリンクボトルを傾けて水分補給をしていた白石くんが案の定吠えた。


「わかってるけどよお、実堂のプレスがやべえんだって」


「マジそれな。あいつら体力無限かよ」


「うん……ちょっとキツイかも。鷹昌もおりてきて、ビルドアップ参加してくれない? もしくはFWが下がってくれてもいいんだけど」


 反論したのは順に、CB(右)の竜也くん、SH(右)の航平くん、DMF(右)の弘斗くん。三人とも白石くん派閥の主要メンバーである。


 そうしてスタメン組は、わりと遠慮のないチームディスカッションへ突入。合間に松村くんや玲音なども意見するが、内容はあまり建設的とは言えない。

 原因は、最前線でプレーする二人にありそうだ。


「FWの仕事は点を取ることだから、ビルドアップには参加しない。ていうか、俺まで下がってどうする? オフェンス捨てる気かよ。シュートをぶち込んでやるから、どうにか最前線までボール持ってこい」


 中々にエゴイスティックな主張を押し出してきたのは、白石くん派閥のサブリーダー的な立場にある『小俣颯太(おまた・そうた)くん』だ。

 ポジションはFW。体格は標準的ながらスピードに優れ、裏抜け(ディフェンスラインの裏へ抜ける動き)が得意な選手である。


「いや、重要なのはその前だから。颯太が点を取るにしても、俺がラストパスださないと無理なワケよ。やっぱお前らが頑張って最前線までボール繋ぐしかないだろ。それくらい気合い入れてやれや」


 発言権は、一巡して白石くんに戻る。あわせて議論も堂々巡り。前線の二人と他メンバーの意見が食い違う。


 この認識の差は、実堂のハイプレスの餌食になったか否かだろう。トップとトップ下はほぼゲーム展開に寄与していないので、『プレッシャーがキツイ』という実感があまりないのだ。

 裏を返せば、白石くんと颯太くんは相手のマークによって存在をきっちり消されていたことになるので、かなり不甲斐ない結果になってしまうのだが。


「オーケー、だいたい問題は共有できたかな。では、対策と修正案を伝えるぞ」


 ハーフタイムも半ばを過ぎた頃、静観していた永瀬コーチが一つ手を打ち鳴らして注目を集める。続けて作戦ボードを使い、丁寧な説明を開始した。


「はじめに、うちがビルドアップに苦戦する要因を確認しておく。これは単純で、栄成のCB二枚に対し、実堂の2トップがマンツーであたってきているから。さらにその際、うまくパスコースも切られている。こうなると、こっちはもうSBにしかパスをだせない」


 栄成のビルドアップは、基本的には最終ラインがスタート位置となる。しかしそこへ実堂の最前線である2トップがプレスをかけてくるので、実質マンツーマンの状況が発生。さらに中央エリアへのパスコースを切れており、栄成のCBに残されたパスコースはSBかGKに限定されてしまう。


 もちろんそれが実堂の狙いなので、どちらにパスをだしても準備万端のプレスが襲いかかる。即座にセカンドディフェンダーまで寄ってきて、ダブルチームで包囲網を狭めていくのだ。

 中央へ縦パスをつけても同様。元より最警戒スペースなので、容易く挟み込まれて失点したときの二の舞いである。


「対処法はふた通りあるが、共通するのはDMFのポジションチェンジ――どちらかがCBの間まで降りてきて、一時的に最終ラインは3バックを形成する。これだけでフリーマンが発生するから、パス回しも楽になるぞ」


 栄成は前から数えて3列目に、DMFの2名配置している。そのどちらかが最終ラインに加わることで数的優位を形成し、常にフリーの味方を作りだす。対する実堂はターゲットを絞りづらくなり、ハイプレスの強度が低下する。


 補足として「最終ラインに加わるのはGKでも構わない」との解説もあったが、連携面とリスクを考慮して今回は除外された。


「で、第一案な。3バックを形成するのと同時に両SBが高い位置をとり、SHは中へしぼる。これで相手のライン間に立てるから、各自ボールを受けやすくなる」


 永瀬コーチの指示を実行した場合、フォーメーションは一時的に『3-1-5-1』のような形に変化する。


 この状態では、相手ライン間に栄成の選手が配置される。したがって縦パスが効果的に繋がるようになり、攻撃の組み立て(ビルドアップ)がスムーズになる。ただし中盤後方にスペースが生まれるため、ボールを失った後は素早いトランジションが不可欠だ。


「それが無理なら、思い切って中盤を省略しよう。DMFを加えて3バックを形成するのは変わらない。でも、フリーのやつが相手SB裏のスペースにロングボールを蹴る。それを鷹昌か颯太が拾う、あるいはセカンドボールを回収。連動して全体を押し上げ、敵陣深くに攻め込む」


 第二案は、放り込み戦術。

 実堂のハイプレスは、前掛かりのコンパクトな陣形を維持することで成立する。それゆえ、敵陣後方には広大なスペースが生じていた。


 そこでロングボールの出番だ。相手SBの裏を狙ってボールを放り込み、積極的にチャンスを創出する。あらかじめ利用するサイドを決めておけば、より攻撃精度を高めることができる。

 得点効率の高い中央エリアは警戒が厳しいので、サイドに活路を見出した戦術だ。


「いま提示できるのはこの二つだな。さて、お前たちはどんな選択肢を選ぶ?」


 永瀬コーチは事前に、『ユニティリーグでは選手の自主性を重んじる』と宣言していた。なので提案はするが、最終的な決定権を持つのは選手たちとなる。

 もっと言えば、派閥メンバーがチームの過半数を占めている以上、鍵を握るのはリーダーの白石くんだ。


 僕としては、放り込み戦術をオススメしたい。単純明快だし、FWの颯太くんは足がはやいので競り勝つ可能性も高い。そうなれば一気に得点機会へ繋がるかもしれない……と思っていたら、白石くんも同様の考えだったらしく同戦術が採択された。まさに鶴の一声だ。


 栄成サッカー部は、ガラリと戦術を変えて選手をピッチに送りだす。

 後半の開始を告げるホイッスルが鳴り響く。エンドを変え、実堂のキックオフでゲームスタート。

 その後、さっそく放り込み戦術が覿面の効果を発揮する。


 試合再開から約8分。打ち損じのミドルシュートを栄成GKが冷静にキャッチし、素早く味方CBへスローイング。同時にDMFが最終ラインに加わり、3バックを形成してパスを回す。

 すると目論見どおり、実堂のハイプレスは目に見えて勢いが落ちた。詰めてもあっさりかわされるので、出足が鈍ったのである。


 そしてタイミングを見計らい、フリーになっていた栄成DMFがロングボールを蹴った。

 晴天をバックに、白い軌跡が放物線を描く。落下地点は、ぽっかり空いた右サイド奥のスペース。狙いである『相手SBの裏』を的確に突く。


 連動すべくFWの颯太くんがスプリントを開始しており、バウンドしたボールをうまく足元に収める。

 実堂ディフェンダーの対応は遅れていた。間違いなく準備不足である。

 おかげで栄成は、敵陣深くのサイドレーンでボールキープに成功した。さらにチーム全体がギアを上げ、急激に前への推進力を高める。


 まずは右SHの航平くんが、相手ゴール方向へフリーランを開始。

 その奥からは、もう一人のDMFである弘斗くんが前線へ上がってきていた。

 逆サイド寄りの前線には、『10番』を背負う白石くんの姿も見える。彼が目指すのは、相手ディフェンダーが釣り出されてポッカリ空いたペナルティエリア前のスペース。


 この試合、はじめての効果的な攻撃をしかける栄成。

 ボールキープする颯太くんは味方の動きを見逃さない。間髪入れず航平くんにマイナス気味の鋭いパスを送り、受け手はこれをダイレクトで繋ぐ。

 続いてボールに触るのは、弘斗くん――かに思われたが、彼はなんとここで絶妙な『スルー』を発動。


 その代わりに、ペナルティエリアすれすれの位置で柔らかくボールを迎え入れたのは、やはりリーダーの白石くんだ。


 息のあったパスワークにより、実堂ディフェンスラインはきれいに崩される。それでもゴールだけは死守しようと、闘志むきだしのCBが体を投げ出してシュートコースを塞ごうとする。


 白石くんも負けじと、トラップからすかさずシュートモーションへ移行。そのまま右足を振り抜く――寸前でふっと力を抜き、足首でボールをコントロールして逆方向へ切り返す。


 誰も予測していなかったシュートフェイント。実堂ディフェンダーは翻弄され、完全に思惑を外される。


 続けざまに白石くんは、スルーパスを選択。このボールに合わせたのは、左サイドから切り込んできた松村くんだった。

 まさにドンピシャ、文句なしのタイミング。相手ペナルティエリア内の左ポケットで、栄成は絶好の得点機会を得た。


 ところが……松村くんの放ったダイレクトシュートは、大きくクロスバーの上を越えていく。ゴール数メートル手前の位置からだというのに、力んだせいか思いっきりふかしてしまったのだ。


「こんのクソザコ松村! ここで決めなきゃ勝てるもんも勝てねえだろうがッ!」


 緑が映える人工芝ピッチに、栄成のエースたる白石くんの絶叫が轟く。

 ベンチの面々も思わず天を仰いだけれど、流石にその暴言はライン越えだ。審判にも注意されていた。


 それ以降、試合はオープンな展開となる。

 実堂は依然として前線からプレスをかけてくるものの、放り込み戦術に対応すべく走行距離が増加。結果、スタミナを消耗してあからさまに運動量が落ちていく。

 

 対して、スタミナに余裕のある栄成は攻勢を強めた。ロングボールを織り交ぜつつ、相手の陣形が間延びして生じたスペースを積極的に突き、シュートチャンスを次々と作りだす。 


 だがしかし、あと一歩がたりない。実堂ディフェンダーの奮闘もあり、フィニッシュだけが上手く決まらないのだ。このままでは点を奪えず、時間的にも敗北が濃厚となってくる。

 僕はベンチに座りながら、ネガティブな見通しを抱く――その時。


「兎和、準備しとけ。ラスト15分を目処に松村と交代だ」


 後半の20分、永瀬コーチが驚きの判断を下す。そして、この僕にまさかの出番が巡ってこようとしていた。

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