第31話

「兎和くん。昨日はどうしてメッセージを返してくれなかったのかな?」


「う、え……その、玲音と色々やりとしていて、疲れて寝ちゃって……そのまま忘れてた」


「まさかこの私が、既読無視をされる日が訪れるなんて思いもしなかったわ……」


 観戦エリアで対面し、返答を聞くなり白目を剥きかける美月。

 彼女には、僕と白石(鷹昌)くん派閥のトラブルについて何も伝えていない。ただでさえスタメン落ちの件で心配をかけていたから、これ以上余計な負担をかけたくはなかった。

 それに玲音への相談を優先していたので、うっかり忘れていたのだ。


 というか、ちょっと大袈裟だ。既読無視なんてよくあることだろう。僕なんて中学時代、女子で唯一LIMEのIDを交換していた『佐藤舞ちゃん』にずっと既読無視されていたぞ。返信は年に1回あるかないか。織姫と彦星より連絡が取れない関係だった。


 けれど慎たちの反応を見る限り、あながちオーバーな反応でもないようだ。バスケ部の面々は口々に「神園さんに既読無視……」と呟き、驚きの表情を浮かべている。


「そもそも兎和くんは、いつから神園さんと仲良しなの? 前にも一緒にランチしたり、ちょっと接点が謎だよね」


 ごもっともな疑問を口にしたのは、慎の恋人の三浦さん。

 学校のアイドル様と、『じゃない方』なんて蔑まれるモブ。普通なら道が交わることのない組み合わせなので、不思議に思うのも当然だ。


 僕たちの関係を一言で表すなら、マネジメント契約を結んだクライアントとマネージャーだ。が、そこへ至る経緯を説明するにも今は時間が足りない。

 なにより美月が絡んだ場合、あの男が黙っているはずもないのだ。


「あれあれ、神園も応援に来てくれたの? ゴールデンウィークなのにわざわざ悪いな。でも、おかげでめっちゃ気合いはいったよ。なあ、兎和」


 案の定、背後から忍び寄ってきて、馴れ馴れしく肩を組んでくる白石くん。今日はじめての声をかけられた。

 こうなると、さらにもう一人の参戦が確定する。今日は白石くんをほぼマンツーマンで見張っている男がいる。そう、頼れる相棒の玲音だ。


「おいシロタカ、今すぐその腕を離せ。兎和がゲロ吐きそうな顔しているぞ」


「ありがとう、玲音……うぷっ……ちょっと出たかも……」


「テメエ、この俺がわざわざ仲良くしてやって――きったねえ!?」

 

 僕が盛大にえずくと、白石くんは慌てて距離をとった。

 彼が近くにいるとストレスが急上昇して、たちまち気分が悪くなる。実際、たった今せり上がってきた一口分をどうにか胃へ押し戻すのに苦労した。


 口の中が気持ち悪い、水が欲しい……そんな気持ちが伝わったのか、視線が合うなり美月はカバンから水のペットボトルを取り出す。続いてちょいちょいと手招きし、みんなから距離を取った。涙目の僕もその指示に従い、これ幸いと場を離脱。


 背後からは、「ゲロ兎和、待て!」や「お前はお呼びじゃないんだよ」と争う声が聞こえてくる。ありがたいことに、玲音が白石くんを食い止めてくれていた。


「兎和くん、大丈夫? ほら、これ飲んで」


「あ、ありがとう……」


 改めてペットボトルを受け取り、僕はキャップを回して遠慮なく口をつける――同時に一連の行動を世間一般ではどう表現するかに思い至り、天啓に打たれたかのように震えた。

 こ、これは、少女マンガでは定番のアレだ!


「間接キッス……!」


「そのペットボトルは家で開封して、コップに注いで飲んだモノよ。私は直接口をつけてないわ……そんなことより、聞いて兎和くん。もしも試合に出場して、プレーに迷ったときは私を見るの。いい? 約束よ」


 いったい何の意味があるのか、その前に試合に出られないと思う、どうして涼香さんは女子高生のコスプレしているのか、などの疑問を返そうとした。

 しかし、その前にタイムアップ。長いホイッスルが響き、「集合」と声がかかった。


「お友達の皆さんには、私たちの関係についてきちんと説明しておくから心配しないでちょうだい。兎和くんは試合に集中すること。くれぐれも、さっき言った事を忘れないで。必ずよ? それじゃあいってらっしゃい、頑張ってね」 


「あ、うん、いってきます」


 情報過多で頭はちょっと混乱しているが、美月の迫力におされてその場を離れる。戻る際、慎たちへ手を振るのも忘れない。


 程なく、栄成サッカー部と実堂学園は、それぞれピッチの反面を使用してアップを開始した。

 時間にして約20分。終わり次第、水分補給と最終的なミーティングへ突入。

 僕たちは自軍ベンチへ集まり、しばし永瀬コーチの訓示に耳を傾ける。あわせてスタメンは指定のあった青のホームユニフォームに着替える。


 その後、審判団によるメンバーチェック(服装、すね当てなどの確認含む)を受ける。

 続いては、チーム写真の撮影。各チームのスタメンが二列に並び、ユニティリーグ東京のロゴの入った横断幕を持って行われた。


 ユニティリーグ運営は、積極的に外部への情報発信を実施している。先ほど撮影した写真や試合の様子などは、動画サイト及びリーグ公式HPなどで公開されるのだ。

 ちなみに同リーグでは、試合時間90分(45分ハーフ)でハーフタイムは原則として15分。加えて、『引き分けあり』というレギュレーションが採用されている。


 さておき、両チームの先発メンバーは整列して観客に一礼する。お次は両ゲームキャプテン(栄成は白石くん)と審判が中央へ集まり、コイントス。

 どうやら栄成高校が前半のキックオフを獲得し、実堂学園は右エンド(ベンチから見て)を選択したようだ。


 仕上げに、両チームともそれぞれ円陣を組み、威勢の良い掛け声を発すると会場のボルテージは最高潮へ達する。


 ここまでが、試合開始までの一般的なルーティン。

 各自スタートポジションにつくと、ちょうど午後1時の定刻になる。ほぼ同時に、腕時計をチェックしていた主審が長いホイッスルを吹く。


 ユニティリーグ東京U16、第一節。

 栄成高校(青)VS実堂学園(白)――新進の強豪と全国区の名門、それぞれの看板を背負う1年生同士の戦いがついにキックオフを迎えた。


 僕は自軍ベンチに腰掛け、試合の入りを見守る。

 まずはフォーメーションの確認。栄成は当然ながら『4-2-3-1』を採用しており、実堂はオーソドックスな『4-4-2』だ。


 そして青のユニフォームに身を包む栄成は、センターサークル内に立つ白石くんが自陣深くにボールを戻していつも通りのスタートを切る――やいなや、いきなり浮足立つ。


 白のユニフォームを着用する実堂のフィールドプレーヤーは、キックオフ直後から怒涛のハイプレス戦術を展開した。前線の選手のチェイシングをトリガーに、チーム全体が連動して激しくボールホルダーへ襲いかかる。


 オフェンスのセオリーに従えば、前線のFWをターゲットにロングパスを送るところ。だが、ボールホルダーである栄成CBの『酒井竜也くん』はプレスの勢いに負け、たまらず横パスを選択。


 パスを受けた右SBもすかさず激しいプレッシャーに晒され、苦し紛れに長いボールを蹴ることしかできない。もちろん意図のないプレーが通じるほど相手は甘くなく、易々とボールを拾われてあっさり攻守交代してしまう。


 事前情報として、永瀬コーチから伝えられてはいた……実堂のチームスタイルは、『ハードワークを徹底して貧欲に勝利を目指す』というもの。


 具体的には、高い位置からプレスを仕掛けて相手を封じ、素早くボールを回収する。また攻撃へ転じた際は、豊富な運動量を発揮して味方をダイナミックに追い越し、積極的にゴールへ迫るサッカーを実践している。


 要するに、実堂は伝統的にタフで『堅守速攻』を武器とするチームなのだ。

 よってこちらも、『勢いに慣れていない序盤は特に注意が必要』と皆で話し合っていた……とはいえ、いっさい様子見することなくエンジン全開のハイプレスなんて予想外だ。


 なにより驚きなのは、同じ1年生のはずなのにやたら練度が高いこと。

 まだ入学して一月ほどにもかかわらず、これだけの連携をよくも仕込めたものだ。さすが全国区の知名度を誇る名門サッカー部。


 ともあれ、ゲームのペースを実堂にガッツリ握られた。

 うちも別に弱いわけじゃないが、このままだと相当厳しい戦いになりそうだ……そんな僕の悪い予測は、あまり時間が経たぬうちに的中してしまう。


 立ち上がりから押され続ける栄成高校。けれどもディフェンスラインの頑張りにより、どうにか失点だけは免れていた。

 ところが、前半18分。ビルドアップのパスを受けたDMF(右)の『中岡弘斗くん』が、低い位置で潰されてボールを失う。


 彼は白石くん派閥の主要メンバーである。それが理由なのか、どんな状況でも真っ先にトップ下の白石くんを探すため判断がややモタつく――実堂はその悪癖を早い段階で看破し、『狩りどころ』と定めていたようだ。


 弘斗くんへパスが入った途端、相手のMF二名が迷いなく殺到してボール奪取に成功した。事前に準備していないと難しいプレーである。


 とにかく、栄成としては取り返しのつかない位置でのボールロストとなった。自陣ゴール近くのバイタルエリア内で、さらに中央寄り。

 実際、相手はたった一つのパスでこちらのペナルティエリアの内部へと侵入を果たし、ボールをトラップした実堂FWは冷静に右足一閃。


 栄成のエリート高身長(180センチ代半ば)GKも反応はしたが、惜しくも一歩届かず。抑えをきかせた巧みなシュートが、栄成ゴールの右下に深々と突き刺さる。


 わっと沸き立つ会場、喜びを分かち合う実堂イレブン。

 こうして僕たちはゲーム序盤から、名門の名門たる所以をまざまざと見せつけられるのであった。

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