第13話

 フィジカル測定で手抜きしたら部活をクビになりました……なんて両親に説明できるわけがない。どんな事情であれ、きっとすごく悲しませてしまう。


 しかも僕はサッカーを通して進学している身の上なので、学校生活じたいにも支障をきたす可能性大である。この先、校舎の片隅で小さくなって過ごすことを余儀なくされるのだ。

 ああ、露と消えにし青春スクールライフ……絶望の高校三年間の幕開けだ。


「もう、イジワルな言い方しないで。白石くん、びっくりして声も出なくなってるじゃない」


「わはは、手抜きしたバツだ。焦ったか? 実はポジションのコンバートを検討している。だからクビになるのは、サッカー部じゃなくて『SB(サイドバック)』の方な」


 悲惨な学校生活の走馬灯を打ちやぶったのは、神園美月の声。

 永瀬コーチは、してやったりといった表情で大変うれしそう……お願いだから、心臓に悪い冗談はやめてほしい。

 さておき、本題は部活関連、それも『ポジションの転向』について。


 現在、僕は『SB』を主戦場にしている。

 自由にプレーするスペースの少ない現代サッカーにおいて、近年急速に存在感が高まってきているポジションである。


 ディフェンスラインの両サイドに位置し、守備面での貢献に加え、前線と連携しての攻撃参加なども求められる。

 その役割は多岐に渡り、勝敗の鍵を握ることも珍しくない。攻守ともにサイドを動き回るので豊富なスタミナを必要とする。

 そんなSBからのコンバート……要するに、これは『戦力外通告』に他ならない。


「やっぱり、僕のプレーに不満があったんですね……」


 どうりでここ最近、永瀬コーチからの謎視線を頻繁に感じたわけだ。あれは、お前に不満を抱いているぞ、というメッセージだったのである。

 緩慢な動作でコーヒーを口に含む。舌のうえにじんわり苦みが広がる。

 僕はこの味を知っている……挫折の味だ。何度味わっても新鮮に感じるから嫌になる。


「……実力不足ならやむを得ないですね。次のポジションは『CB(センターバック)』とかですか?」


 前から後ろへのコンバート、サッカー育成年代あるあるのひとつ。

 人気の高い『FW(フォワード)』や『MF(ミッドフィルダー)』は希望者も多く、熾烈なレギュラー争いが勃発する。そして敗北者は、不人気のディフェンスへと回されていく。場合によってはGKを任されたりもする。


 断っておくが、ディフェンダーはとても偉大だ。

 無失点におさえて当然、もし得点を許して負ければ守備陣の責任。攻撃陣はちょっとミスしても大目に見られるが、CBのミスには叱責がとぶ。

 勝敗に直結するため責任は重く、評価は辛口。強靭なメンタルがなければとても務まらない。


 もちろん素質を買われ、率先してディフェンダーを目指す選手もいる。が、極めて重要かつシビアなポジションのため絶対数は少ない。そこで人の余りがちな前線の選手が穴を埋めるように、後ろへ転向させられていくのである。


 つまりポジションコンバートには、劣等感を刺激する針が多量に含まれているのだ。

 そのうえ求められる資質やプレーに大きな違いが生じるため、順応できずに心折れてドロップアウトしてしまう選手だっている。無論、才能が開花するケースもなくはないが。


 かくいう僕も、最初はFWでプレーしていたクチだ。けれどジュニアユース時代にずるずる後ろさげられ、今のSBを最後の牙城と位置づけてやってきた。

 そしてこれより後ろとなればCBしか残っておらず、少し気弱な僕に務まるとは思えない。SBも最終ラインに属するポジションだが、CBでのプレーとなれば根本から話が変わってくる。


 残すは『GKゴールキーパー』くらいのもの。しかし栄成サッカー部では高身長にのみ許されたエリートポジションなので、はじめから選択肢にない。


 そんなわけで、コーチの提案は遠回しの『戦力外通告』という結論に至るのだ。

 胸が苦しい……僕はサッカーを諦めた人間なのだから傷つくのはお門違いかもしれない。それでも、自分を否定されたようで耐え難い心地になる。


「いや、なんでCB? 兎和には前線を任せようと思ってるんだけど。基本は『SH(サイドハーフ)』、場合によっては『WG(ウイング)』も兼ねてもらう」


「……え?」


 暗い予想が外れ、僕は顔を跳ねあげた。

 永瀬コーチが提示したSHは、人気の高い攻撃的なポジションだ。一口にMFといっても配置で役割が異なり、それぞれ特徴にあわせた名称で区別されている。

 他にも『サイドアタッカー』などと呼ばれ、現代サッカーにおいて攻撃の中核を担うことも珍しくない。同ポジションを主戦場とする世界的プレーヤーも多い。


「そもそもお前、ディフェンスに向いてないよ。声出して仲間とコミュニケーションとらないし、守備で大事なコーチングも下手だし。何より気の利いたプレーをしないだろ」


 さんざんな評価だ……はっきり言ってディフェンダー失格である。

 自分では無難にプレーにしてきたつもりだったけれど、これでよくセレクションに合格できたものである。


「ああ、それな。豊原監督と、レッドスターのスタッフさんが長い付き合いなんだよ。それでどどうしてもってな」

 

 レッドスターは、僕が中学卒業まで所属していたジュニアユースチームだ。そこのスタッフの一人が、栄成サッカー部の監督と旧知の仲らしい。

 つまり、僕は完全無欠のコネ合格者だったようだ……あまり知りたくなかった事実である。

 そこで永瀬コーチは一度コーヒーに口をつけ、話を本題へ戻す。


「サッカーは『流れ』のスポーツだ。点を決めるべきときに決めなければ負ける。そしてずば抜けたアジリティは、試合を決定づける切り札たりうる。でもSBの位置では、せっかく巡って来たチャンスに絡める確率は低い。だからその才能はもっと前で、よりゴールに近い位置で発揮されるべきだと俺は判断した」


 言葉が出てこない……かわりに涙が出てきそうだった。

 両親以外で、こんな僕に高評価をくれた人は今までいなかった。この耳に届くのはいつだってネガティブな言葉と決まっていて、段々と体から自由が奪われていく様を黙って見ていることしかできないでいた。


「ちなみに、コンバートしようと言いだしたのも美月だ。理由を聞いて俺もすぐに賛同したけどな」


「神園さんが……?」


「白石くんが走るところを見て、私すっごく興奮したの! もしかしたら、未来のJリーガーを発見したかもって。サムライブルーのユニフォームを着ている姿まで想像したわ」


 青い瞳を輝かせて力説する神園美月の姿は、いつかの両親を彷彿させる。

 僕が日本代表のユニフォームを着用するとしたら、あいにく一人のサポーターとして以外ありえない。過大評価しすぎだ。どうやら彼女、思い込みが激しいタチらしい。


「でも、データ整理を請けおってみれば記録はチグハグ。どう考えてもおかしいでしょ? この目で見た30メートル走は納得だけれど、他種目は軒並み平凡なんて。しかも永瀬コーチに聞けば『影の薄いSB』とか言うじゃない」


 好奇心を満たすべくデータ整理を手伝ってみれば、自身の印象と数字が噛み合わない。一瞬で看破したそうだ、記録の方こそ疑うべきであると。


「何か理由があって実力を隠しているのかな、とも考えた。けれど、このアジリティを腐らすなんて絶対に許せない。前線へ配置すれば最高の武器になる。そう思って提案してみたの」


 まさかこんな美少女の思考に、僕という存在が登場する日が来るなんて感無量である。願わくば、サッカーと無縁のところで関わりたかったけれども。


「まあ、俺も今すぐ決断を迫るつもりはない。コンバートは、改めてプレーを確認したうえで正式に決める予定だから。とはいえ、できるだけ前向きに考えてほしい」


 担当するDチームに関しては一定の裁量権を与えられている、と永瀬コーチは付言する。

 栄成サッカー部は大所帯ゆえに4チーム編成となっており、豊原監督が直接指導するのはAチームのみ。他は担当コーチが指揮官も兼任するシステムである。


 当然ながら永瀬コーチも試合で采配を振るう。その際、戦術上のキープレーヤーとして僕の起用を考えてくれているようだった。


「わかりました。どうするか、しっかり考えてみます」


 本来なら二つ返事で承諾する場面だろう。だがこの身は、青春の求道者として歩み始めてしまっている。なにより『トラウマ』が足を引っ張るのは確実……期待に答えられるか否か、しっかり検討しなくては。

 それでも人から評価される喜びを抑えることができなくて、ぬるくなったコーヒーを飲むことで持ち上がる広角を必死に隠す。


「ああ、そうだ。言い忘れていたけど、お前はフィジカル測定やり直しだから。今度は手抜きすんじゃねーぞ」


「あ、はい……」


 僕はすんと真顔になって返事する。

 その後、ほどなくしてこの場はお開きとなった。

 自転車での帰り道、コンバートの件が頭から離れなかった。高校に入って初の完全部活オフの放課後は、違った意味で『メモリアルデー』して記憶に刻まれたのだった。

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