第12話

 スポーツショップが入っていたデパートを後にする。向かう先は、道を渡った斜向かいにちょうどあった喫茶店。

 フルサービス式のカフェで、まずは対面式のソファ席へ案内されて腰掛ける。もちろんこちらサイドは僕一人。


「白石くん、なに飲む? もしお腹が空いているなら遠慮なく注文しちゃって。永瀬コーチのおごりだから」


 白魚のような指を優雅に動かし、如才なくメニューを差しだしてくれる神園美月。

 僕みたいなモブに優しくしてくれるなんて感動である。学校ではあまり男子と関わりがなく、どこか近寄りがたいオーラを纏う『高嶺の花』みたいなイメージの彼女だが、実際は性格もいいようだ。


「あんまり頼みすぎんなよ。俺は貧乏なんだぞ」


「ありがとうございます。でも、その……お腹は空いていないので、コーヒーだけいただきます」


 永瀬コーチに釘をさされたから遠慮したわけじゃない。

 僕は外食が苦手だ。やはり母の栄養管理を受けて育った影響で、健康オタクじみた体質へ成長してしまったことが原因だ。せっかくの奢りなのに、食べ物を残すようなハメになれば失礼にも程がある。


 その点、コーヒーなら好物なので安心。

 ややあって、水の入ったグラスとともに店員さんが注文を受けにきた。僕はメニューにあったコロンビア豆のストレートコーヒーをセレクトして頼む。


「それで、用件だが」


 オーダーを済ますや否や、さっそく永瀬コーチが話を切りだす。どうやら飲み物の到着を待つつもりはないらしい。

 僕は冷たいグラスに口をつける。何を言われるのか、緊張のあまり唇が急速に潤いを失っていく。


「ああ、その前に。今さらだけど美月も同席したままで構わないか? こいつは聞いたことを吹聴するようなやつじゃないから、その点は安心してくれ」


 できればご遠慮いただきたい、というのが本音である。

 僕の経験上、このように改まった場面ではネガティブな指摘をされるケースが多い。

 きっとセレクション合格者のくせに下手だ、もっと気合いれてやれや、みたいなことを言われるのだ……ごもっともなお叱りとはいえ、なにが悲しくて同級生にわざわざ恥をさらさなくてはいけないのか。

 けれども、今さら断りを入れる胆力など僕は持ちあわせておらず……。


「はい、かまいません……」


 自分のコミュ力の低さに絶望しかない。

 せめてもの救いは先ほどの指摘どおり、神園美月がよからぬ噂を流すような人物には思えないことだ。


「じゃあさっそくだが、これを見てくれ」


 永瀬コーチは持参していたトートバッグからタブレット端末を取りだし、画面を何度かタップした上でこちらへ手渡してきた。

 僕は予想とは異なる展開に戸惑いつつも、くるりと反転した画面をじっくりと眺める。記載された項目や数値をヒントに、知らない誰かの『走力』に関するデータではないかと当たりをつけた。


「これは、フィジカル測定の結果の一部だ」


 予想は正解。

 肝心の数値の方は、言っちゃ悪いがけっこう微妙な感じ。

 先頭は『YOYOテスト』の記録から始まり、最後の種目まで軒並みぼちぼちの範囲。

 ただし、『30メートル走』だけは例外。複数回トライしていて、ばらつきはあるものの全て『4秒』をきっている。驚異的だ……これは特筆に値する。


 だが、なぜひとつの種目のみ飛び抜けているのだろう。50メートル走なんて6秒半ばで、とても同じ人間のタイムとは思えない。うっかりコケたのか?

 いや、違う。測定では正確なデータを求められるので、転倒などはやり直しの対象となる。よってアクシデントの類は自然と除外され……ならば、導きだされる答えはひとつ。


「30メートル走以外の種目は手を抜いた」


「ほう……」


 永瀬コーチの反応を見るに核心をついたようだ。

 まったく、能力測定で手を抜くなど言語道断。おまけに一種目だけ本気でトライしてボロをだすなんてお粗末過ぎる。


 おそらく、どこぞの陸上部員がサボろうとでも考えたのだろう。キツイ練習に耐えかねての犯行に違いない。どうかな。いい線いっていると思うのだけど。

 ちょっとした探偵気分を味わえたのが楽しくて、僕は一言つけ加えるほど饒舌になった。 


「真実はいつもだいたい一つ……そう、この個人データは実力を誤魔化したものなのです」


「お前、やっぱり手を抜いていやがったのか」


「え、なんで急に僕!?」


 突如こちらへ向けられる矛先。

 冤罪も甚だしい。僕は常日頃、できる限り誠実であろうと努力している人間だぞ。慎み深く生きているのだ。にもかかわらず濡れ衣を着せられてはさすがに腹が立つ。

 そもそもの話、どの事柄に対しての手抜きを疑っているのだろうか。根拠も判然としない。


「兎和、一番下までスクロールしてみろ。なんて書いてある?」


「えっと、『プレーヤー・白石兎和』……あれ、これ僕の記録?」


 呆れたような表情の永瀬コーチに促され、タブレットの画面をスクロールすると下部に自分の名前があった……それに今思い返してみれば、二週間ほど前に部活で計測したデータと似ていなくもない。

 僕はCチームのベンチメンバーを目指す『意識低い系サッカー部員』なので、重要度の低い数字なんて薄っすらとしか記憶に残っていなかった。


「これまでフィジカル測定の記録をいい方へ改ざんする輩はいたが、まさか手抜きしたものを公式に提出するとは。まったく動機がわからん」


「あ、いえ……その、手抜きしたわけじゃなくて……」


「今さっき自白してたじゃねーか」


 違います、誤解なんです……たしかに全力を尽くしたかと問われれば、僕は否と答える。けれど、やむにやまれぬ事情がありまして。

 しかしどのように弁解したらいいのか分からず、「あうあう」と言葉に詰まって余計に不信を煽る始末。永瀬コーチの眉間にシワが事態の深刻さを物語っているようだ。探偵気分が一転して犯人気分である。


「失礼いたします。ご注文の品をお持ちしました」


 僕が考えあぐねていると、店員さんがやってきて頼んだドリンクをテーブルへ並べていく。

 願ってもないタイミング。おかげで話は途切れ、束の間ブレイクタイムが生まれた。この間にどうにか心を落ちつかせないと。

 僕はひとまず「いただきます」と言って、湯気を立てるコーヒーカップに口をつけた。


 ああ、美味しい……そういえば、コーヒーの香りにはリラックス効果があると聞く。ならば、怒りを沈静化させることも可能なのでは? 

 神園美月はホットミルクティーを頼んだが、永瀬コーチの前には都合よく同じホットコーヒーが置かれている。いわゆるアンガーマネジメント的な効果を期待しよう。

 僕は手のひらで示しつつ言う。


「永瀬コーチ、まずはコーヒーをどうぞ」


「俺の奢りだろーが。言われなくても飲むっての」


 なるほど。コーヒー程度でおさまる怒りではないということか……まずいな、もう他に打つ手なしだ。

 状況はもはや撤退戦さながら。こうなれば可能なかぎり相手を怒らせない言葉選びをして、被害を最小限に抑えつつこの場を切り抜けるしかあるまい。


「それで、手を抜いた理由は?」

 

「えっと、一応は自分なりにできる範囲で可能なかぎり頑張ったつもりのはずだったのですが……」


「あァ?」


 ヤバっ、火に油を注いでしまったみたいだ。日本語って本当に難しい。反応を鑑みるに、言い訳をこねくり回すのではなくシンプルに回答すべきだった。


「あの、30メートル走の測定だけ一人だったから……それに、測定係も神園さんだったし」


「なんで一人だとタイムが良くなるんだ? 意味がわからん。聞いてやるから説明してみろ」


 永瀬コーチに続きを促されたので、どうにか最小限のお怒りで済むよう、僕は必死に頭の中で言葉を整理する。


 たしかあの日は、ほとんどの種目で白石(鷹昌)くんとペアを組まされていた。そしてフライングだのズルだのと怒られたら嫌だから、一緒に行う種目はすべて彼が動くのを目視した後にスタートを切っていたのである。


 ところが、30メートル走の測定だけは一人ずつ実施された。そのうえ偶然にも機材トラブルの対応で永瀬コーチがその場を離れ、代わりに神園美月が計測係をつとめることになった――なにより重要なのは、神園美月の視線は僕の『トラウマ』を刺激しなかったこと。

 記憶する限り、僕が人前で全力疾走したのは小学生の頃以来である。


「なるほどわからん。どうしてお前が、鷹昌に気を使わねばならんのだ」


「それは、別に白石くんだからというわけではなく……」


 問題の根っこは、ジュニアユース時代に刻まれたトラウマ。

 当時所属していたチームでもフィジカル測定を度々実施しており、かつては僕も全力で取り組んでいた。しかし一緒に走ったチームメンバーなどから、『ズルぼっち』だの『不正モブ』だの『ウソつきポンコツ』だのとバチボコに叩かれた。


 もちろん僕はズルなんてしていない。だが、同様の『イジり』は執拗に繰り返され……以来、人の視線があると萎縮して全力がだせなくなった。周りの反応が怖くて、鎖で締め付けられたみたいに体の動きが鈍るのだ。

 加えて二度とあんな悲惨な目にあいたくはないので、記録測定の類では必ず遅れてスタートするようにしている。


「よくわからんが、メンタルの問題ってわけか?」


 トラウマに関しては両親にすら打ち明けていないので、可能なかぎりボカして伝えてみた。そのせいか、永瀬コーチは納得のいかなそうな表情を浮かべている。


「やっぱり計測ミスじゃなかったのね」


 ここで、始めて神園美月が口を挟んできた。何やら得心したように笑みを浮かべている。

 うっかり見惚れそうになるが、今はそんな場合ではない。僕はきゅっと唇を噛むとともに気を引き締めなおす。


「俺は機械の誤作動かだと思っていたんだけどな。美月のお手柄だ」


 永瀬コーチ曰く、タイムに疑いを持ったのは神園美月だったそうだ。

 どうして部外者がサッカー部の個人情報を閲覧可能だったのか、という問いに対しては本人自ら弁明を行った。


「私の祖父って、サッカーが大好きなの。贔屓チームのシーズンチケットを毎年かかさず購入するほどでね、今でも家族をつれて頻繁にスタジアムへ足を運んでいるわ」


「あ、うん……うちの部のメインスポンサーになるくらいだから、かなり好きなんだろうね」


「そうなの。でね、実は祖父の影響で私もサッカーが好きになったのよ。だから、栄成サッカー部のフィジカル測定の結果にとても興味があって」


 本人もサッカー好きのうえわりと詳しく、自身の通う高校のサッカー部の、それも同級生の身体能力を知りたくなったそうだ。そこでPC操作が苦手な永瀬コーチに対し、データ整理のお手伝いを志願したらしい。


 そういえば彼女、フィジカル測定の際もあっさりと測定係を任されていたっけ。謎の信頼関係を訝しく思ったが、親戚だと聞いて納得である。メインスポンサー孫娘でコーチの血縁ともなれば、まったくの部外者とはいい切れないだろう。


 それにしても、サッカー好きの女子高生とは珍しい。僕個人としては、もっと同年代の女性サポーターが増えてほしいと切に願っている。その方が青春イベントの発生確率もあがりそうだし。

 けれども今は、神園美月がサッカーに詳しかったばっかりに、とか思わないでもない。


「それで本題だが……兎和、お前はクビだ!」


「そ、そんなっ!?」


 お叱りをすっ飛ばしていきなりの退部勧告。

 あまりの厳しい処罰に、僕は思わずコーヒーカップをひっくり返しそうになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る