第14話

 その日、僕はいつもより20分も遅く目を覚ました。

 昨夜の夜更かしのせいだ。『永瀬コーチ』と『神園美月』に提案されたコンバートの件が頭をループして、ぜんぜん寝付けなかったのである。


 それでも今日が始まってしまった以上、行動しないと。

 いつもよりだいぶローテンションで朝食やらを済ませたら、僕は重い体を引きずって家を出る。妹の戯れ言につきあう気力もなかったので、逃げるように学校へ向かう。

 自転車で10分ほどの通学路を走破。昇降口でスクールシューズに履き替え、1年D組の教室へ。


「おっす、兎和。なんかやけに眠たそうだな」


「おはよう、慎。ちょっと寝不足でさ」

 

 窓際の一番うしろにある自分の席へ荷物をおいていると、さっそく仲良しの慎が話しかけに来てくれた。

 まだ昨日の件を打ち明けるつもりがなかった僕は、ありきたりな言葉を返す。神園美月が関わっていると知れば、要らぬ誤解を招くおそれがある。


「そうか。まあ、なんか困ってんならいつでも言えよ。話くらいは聞くから」


 ローテンションのせいで勘違いされたっぽい。ただの寝不足なのに申し訳ない。同時に、慎の優しさが五臓六腑にしみわたる。

 そんな日常のヒトコマを挟みつつ、教師の訪れにあわせて受業開始。

 午前中は教室移動のない教科で占められていた。おかげでほぼ寝たような状態でやり過ごすことが叶い、僕の頭も次第にしゃっきりしていく。


「やっほ、兎和くん」


「あ、三浦さん。やっほー」


 昼をしらせるチャイムが鳴れば、待っていましたとばかりに教室が騒がしくなる。

 クラスメイトの楽しそうな声を聞きつつ、僕はカバンから弁当箱をとりだした。すると程なく、いつものように慎&三浦さんカップルがやってくる。


「兎和、今日は中庭でメシ食べようぜ」


「あ、うん。いいけど、なんか珍しいね」


 慎の提案により、唐突に異なった日常への分岐が生じる。

 栄成高校の中庭は日当たりもよく、絶好のランチスポットである。そのぶん混雑しているのでスペース確保が大変だと聞いた記憶がある。

 僕が首をかしげていると、三浦さんが事情を説明してくれた。


「ほら、ゴールデンウィークにカラオケ行く約束したでしょ? それでわたしの友達も誘う予定なんだけど、先に紹介しといた方がいいかなって。もちろん女の子だよ」


「それって、一緒にお弁当食べるってこと……?」


「うん。ダメ?」


「全然ダメじゃない!」


 中庭にあつまり、男女混合グループでお昼ごはん……なんだその合コン!?

 この素晴らしい青春イベントは、一生の思い出として僕の記憶で燦然と輝き続けるだろう。いきなり盛り上がってきやがった。

 さあ、楽しいランチタイムの始まりだ!


「ちょっといいかしら? 白石兎和くん、一緒にお昼ご飯をたべましょう」

 

 急転直下、絶好調のところでガッツリ出端をくじかれる。

 声の主は、別のクラスにいるはずの神園美月だった。おしとやかに歩み寄ってくるや、思いもよらぬお誘いの言葉を発したのだ。


 濡羽色の長い髪と青い瞳を持つ、超絶美少女のご登場。本日は鮮やかなインディゴブルーのカーディガンと黒タイツを制服に合わせており、手にはランチバックを下げている。

 驚きのあまり、僕はフリーズする。慎や三浦さんも同様……それどころか、教室中のクラスメイトも静まり返っていた。おかげで注目のマトである。


「聞こえなかったかな? 白石くん、ぜひ一緒にランチを――」


「き、聞こえたっ! でも、ちょっと待ってくれ!」


 いち早く復旧した僕はかぶせ気味に口を開く。これ以上余計な発言をされてはたまらない。昨日の対面により免疫を獲得できていて助かった。

 というか、自分の影響を理解していないのか?

 

 学校のアイドル様が、『じゃない方の白石くん』と蔑まれるモブをわざわざ昼食に誘う……これはちょっとした事件だ。一年生にとっては高校へ入学して初のハプニングでもあるし、ゴシップネタとしてムダに尾を引きそうである。

 最低でも、一軍の陽キャ連中を刺激することは確実。それも悪い方向で。

 

「……あっ、そういうことか。なんだよ兎和、約束あるなら教えとけっての!」


「そうだよ! 先に伝えてくれたらよかったのに!」


 次いで復旧したのは、そばにいた慎と三浦さんカップル。しかも揃って謎解釈を発動し、「ごゆっくり」なんて言葉を残して足早に去っていく。

 待って、置いて行かないで……さておき、僕と神園美月がごはん? どこで? ここで? どう答えるのが正解?


 何より気になるのは、どんな風の吹き回しで誘いに来たのか、という点。心当たりは昨日の件……むしろ確定じゃないか?


「……コンバートの話?」


「あら、ずいぶんとせっかちね。私が言いだしたことだから、何か力になれればと思ってお誘いにきたの」


 悪いが、キミの力に頼ったら余計な波風が立ちすぎる。

 しかし強い意思を宿すその青い瞳に見据えられては、お断りセリフも喉に張りついて離れなくなる。

 おまけに周囲の視線も痛い。『モブごときが神園美月に構われて死ね』、みたいなことを全員が思っているに違いない。

 イジメに合わないか心配になってきた。ここは、さっさと場所を変えるのが吉か。


「……わかった。でも違う場所で」


「それなら屋上なんてどう? 今日はいい天気だから、きっと気持ちよくすごせると思うわ」

 

 提案された場所は、中庭を凌ぐ人気のランチスポットだった。

 人の多いところからもっと人の多いところへ。事態は悪くなる一方。代案を提示できない自分が情けなくもある。

 対象的に、「さあ行きましょう」と微笑む神園美月は実にエスコート上手だ。


「紳士的だなあ」


「女の子なんですけど……?」


 うっかり余計なことを口走ってしまった。彼女は笑顔を作るも目がマジだった。怖いくらいに器用だ。

 ビビリな僕は弁当箱と水のボトルを抱え、大人しく後をついて歩く。すごい、廊下にいた生徒がさあっと左右にわかれていく。キミはモーゼなの? 偉大な預言者なの?


「皆が気を使って避けてくれるの。歩きやすくて助かるわ」


 どうやら心を読む能力者でもあるようだ。速度を落とし、笑顔で横を歩く神園美月に恐れおののく。

 ややあって開放されている屋上へ到着すると、予想以上の混雑具合が出迎えた。

 フロアへ足を踏みいれた途端、全身に好奇の視線が突き刺さる。美少女とモブの不釣り合いペアにみんな興味津々なのだ。


 僕は恐怖のあまり放心して立ち竦む。それでも数秒で意識をとり戻せたのは、隣にいる人が袖を引いてくれたから。


「あっちに場所をとってあるの。行きましょう」


 案内された屋上の片隅には、カラフルなレジャーシートが敷かれていた。白いうさぎのキャラクターがひと際目を引く。 

 神園美月は、場所の確保をあらかじめ友達に頼んでおいたそうだ。周囲のスペースを陣取る1年の女子軍団にお礼を告げていた。


 次いで座るよう促されたので、僕はそそくさとシートへ腰をおろす。うまく塔屋に隠れるような形になり、ちょっと気が楽になった。


「さあ、まずはお弁当を食べちゃいましょう。話はその後でね。いただきます」


 正面に座り、お行儀よく手を合わせてから弁当と水筒の蓋を開ける神園美月。

 陽光に満ちる屋上では、インディゴブルーのカーディガンが鮮やかに映える。風に揺れる長い黒髪も、光の加減によってよく似た色彩を帯びていた。

 青春の『青』だ……そのカーディガンはどこで買えるのだろう。密かに物欲を刺激されつつ、僕も手を合わせた後に箸をとる。


「すごいビッグサイズのお弁当箱ね。それも二段タイプ……主食は雑穀米で、おかずは高タンパク質と低脂質の食材中心。ビタミンやミネラルにもしっかり配慮している。成長期を考慮しているのか量も多い。これを作った人の愛情を感じるわ」


 こちらの弁当をのぞきこみ、神園美月は感心したような表情を浮かべる。 

 言われてハッとした。僕の体質は『健康食オタク』ばりに特殊なので、好き嫌いが激しい。なのに毎日飽きもせず食事ができているのは、母が苦労をいとわずあれこれ工夫してくれているおかげだ。

 今度あらためて感謝を伝えよう、と心に留める。


「……それにしても、ずいぶん詳しいな。神園さんは、何かフード系の資格でも持っているの?」


「ううん。ちょっとネットで調べたことがあるくらいよ。ほら、今って若い世代でもボディメイクへの関心が高いでしょ? その流れで、アスリートの食生活にも興味を引かれたの」


 ずいぶんと好奇心旺盛な性格らしい。特に行動力を伴っている点は尊敬に値する。手腕も見事だ。サッカー部のフィジカル測定の結果に興味があるからと、実際にデータ閲覧にまでこぎ着けている。


「お弁当は、お母さまの手作り?」


「うん……うちの母は、アスリートフード系の資格をいくつか持っているんだ。それで、子供の頃からずっと栄養管理してくれてる」


「それは素晴らしいわね。私も受講してみようかな。こう見えて、けっこう料理好きなのよ」


 これ、どう反応するのが正解だ?

 肯定したら、『料理なんてしなさそうな外見だ』と言ったも同然。逆の場合は『庶民的な外見だ』と取られ、ネガティブに解釈されかねない。

 どちらにしても、やや上から目線なのは問題だ。ならばここは、いっそ沈黙でやり過してみるか。


「なんで急に無視するの?」


「あ、ごめんなさい……」


 くそ、また選択を間違った。会話って本当に難しい。

 ともあれ、相手がリード上手なので意外と話題がつきない。こちらの様子をうかがってはきゃいきゃい騒ぐ1年女子軍団には困ったものだが、居心地そのものは案外悪くなかった。

 そんなこんなで、やや時間差をつけてお互いに弁当を完食。すると神園美月が、「それでね」とついに本題を切りだした。


「コンバートの件、考えてくれた? もちろん、白石くんが『承諾前提』なのは理解している。でも私は発案者だから、もし何か不安があったら相談してほしいのよ」

 

 余計なお世話だったらごめんね、と神園美月は笑う。

 自分たちの提案は素晴らしいものだ、と一点の曇りもなく信じている様子。

 そんな相手に対し、僕は一晩熟考して導いた結論を突きつける。


「えっと、僕なんかにはもったいないお誘いを頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。なにより高く評価してもらったことが本当に嬉しくて」


「ふふ、私も喜んでもらえて光栄よ。コンバートを思いついたとき、つい『ナイスアイデア』って自画自賛しちゃった」


「……だけど、今回は謹んで辞退させていただきます」


「うんうん――なんで!? 自分でもいい話だって分かっているのでしょう!? なにが不満なの!」


 まさか僕の人生において、実際に『だが断る』を決める日が来るなんて思いもしなかった。

 神園美月は目を剥き、信じられないと失望をあらわにする。どんなリアクションをとっても美貌を保てるあたりは流石の一言に尽きる。


「…………ねえ、理由は?」


「あ、うん。昨日も伝えたけど、僕は他人の視線があると体が満足に動かなくなる。だから、部活はほどほどにやっていくつもり」


 やや声をひそめ、再びトラウマについて語る。

 ジュニアユース時代にチームメイトから過度なイジりを受け、他人の視線や反応が怖くなったこと。そのせいで体が竦んで全力を出せなくなったこと。まるで鎖で締め付けられたままサッカーをしているように感じていること。


 この際だから、両親にすら内緒にしていた思いも打ち明けた。羞恥心や抵抗は抱かなかった。

 構図的には、人気アイドルの相談コーナーに近い。立場が違いすぎて逆に一番気楽なパターンだ。なにより彼女は吹聴したりしない、という妙な信頼感があった。

 そしてすべて白状したとき、思いもよらぬ反応を得る。


――――――――

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