第2話
僕の通う栄成高校は、東京都三鷹市に所在する私学である。
最寄りの三鷹駅から徒歩10分の距離にあり、同じほどの時間をかければ青春物語の背景としてぴったりのおしゃれタウン『吉祥寺』へたどり着く。
創立15年とまだ新しい学校で、明るく開放的な教室や廊下にオープンスペース、果てはホテルのように清潔感のあるトイレなど、商業施設を思わせるモダンでスタイリッシュな校舎が自慢だ。
特にメニュー豊富な学食とカフェテリアは、『スクールライフのクオリティー爆アゲ間違いなし』と多くの生徒から大絶賛されている。
また学習環境の充実ぶりには目をみはるものがある。
電子黒板などのデジタルガジェットを積極的にとり入れ、生徒もタブレット端末の所持を義務づけられるなど、日頃から『ICT』を活用した指導が行われている。
その甲斐あって受業は『わかりやすくレベルが高い』と評判だ。良質な教員がそろっていることは言うまでもない。
偏差値もけっこう高めで、2年時から選択できる特進・文理進学コースの難関大合格率は都内トップクラスを誇る。
全校生徒数は、約1000人。
各学年12クラス編成で、ひとクラスの定員は30人前後。
当然ながら、大規模な人員を収容するだけのキャパシティを備え持つ
授業や運動部が使うグラウンドの他にも、サッカー部専用の人工芝グラウンドが整備されており、体育館や大講堂のような大型施設も併設されている。
ただし、すべてが同区画に内包されているわけではない。三鷹市は都心へのアクセス抜群なベッドタウンのため、開けた土地の確保が容易ではない。
そこで栄成高校は、道路をはさんだ隣地に必要施設を建設して本校舎と渡り廊下でつなぐ、などの工夫によって十分な広さの学校用地を確保している。
そんな数ある渡り廊下のうちの一つを、僕はしぶしぶ歩く。
ハードな6限までの授業を終え、部活用品のつまったリュックを肩から下げて向かう先は、当然ながらサッカー部専用グラウンド。
大所帯の栄成サッカー部は入学初日にガイダンスを済ませており、本格始動となる今日は『フィジカル測定』の予定だ。
市道の上をこえて階段をくだると、緑鮮やかな2面のピッチが視界に広がった。西日を浴びる防球ネットとポールの影がコントラストを生む。
校舎側のネット沿いに設置されている横長の建物は部室棟。白を基調にした2階建てのプレハブハウスで、スタッフルーム(監督室)と備品倉庫が同居する。
隣接するもう一つの棟にはアウェイチームの更衣室や、ピッチが見える関係者室を設けるなど、あまりの充実ぶりに驚く来賓も少なくないのだとか。
「うっすー」
「ちわっす」
すれ違う先輩から体育会系ならではのユニークな挨拶が飛んできたので、こちらも会釈を返す。
ついでに視線を向けたピッチサイドでは、指定のトレーニングウェアを着用する部員の姿が見られた。すでにけっこうな人数が出てきており、各々ストレッチしたり、体を軽くうごかしたり、やる気満々といった様子。
まだ開始まで時間はある。だが、少し気の弱い僕は遅刻したような感覚に襲われ、自然と早足になる。
一年生の部室はプレハブ2階部。階段をのぼり、ドアから中へ。
少し埃っぽい室内には各自のネームプレート付きダイヤル式ロッカーが並び、空いたスペースを埋めるような形でベンチが設置してある。ガイダンスの折に説明を受けたのでスムーズに利用可能だ。
「失礼しゃーす」
「おっつー」
上履き(スクールシューズ)を脱ぎつつ、先に着替えていた顔見知りの部員たちと挨拶をかわす。その脇を通り、自身のロッカーの前でリュックを下ろした。
「もう先輩たちみんな外でてるって。お前も急げよ」
「りょーかい。ありがと」
ダラダラしているヒマはないようだ。
部室をでる面々に礼を告げ、僕も手早く準備にとりかかる。制服からトレーニングウェアへ着替え、スパイクを取りだす。反対にカバンと上履きはロッカーへ。
それから今日は使うかもわからないレガース(すね当て)を手にしたところで、へたりとベンチにくずおれる。
いきたくねえ……いよいよ始まってしまう。
高校では青春を優先すると決めたくせに、はやくもサッカーのお時間だ。
うっかり行き先のちがう特急列車に乗ってしまったみたいに気持ちが落ち着かず、至急ひき返したくて仕方がない……なのにどうして踏みとどまるのかといえば、曲がりなりにもセレクション合格者だから。
そもそも僕はサッカー推薦で入学した立場のため、部活にでないと学校生活全般に差し障りがある。正当な理由もなくサボれば居場所を失い、青春がより遠のく。
「まあ、予定どおりボチボチやるか……」
当然の帰結として、本気でサッカーに取り組むつもりなんてあるはずもなく。
栄成サッカー部は、全学年あわせて『130人』ほどの部員が所属している都合上、各自の実力にマッチする『A・B・C・D』のいずれかのチームへ振り分けられる。とうぜんAが最上位。
そこでこれからの三年間、僕は『Cチーム』のベンチメンバーあたりを目指す。もちろん本気で頑張ってもっと下という結果もなくはないが。
ともあれ、下位チームは試合数が少なくなる変わりに休みが増え、日頃の練習強度だって低くなる。ひいては青春に費やす時間を確保しやすくなる……はず!
ついでに期待してくれる両親へも、頑張ったけどダメだった、と言い訳できる。
「よし、頑張るぞ」
どう頑張るか未知数だが、とにかく僕は気持ちを切り替えてグラウンドへ出る。
部活棟前の指定スペースでスパイクを履き、ピッチサイドの空きスペースでストレッチをしながら開始時刻を待つ。
こんなときに会話を楽しむような間柄の部活メンバーはまだいない。叶うなら、同じCチームに滞在予定の友人がほしいものだ。
***
とうとう部活開始の定刻を迎え、スタッフルームから監督とコーチ陣が姿を現した。
すかさず上級生の口から「集合」の掛け声が発せられ、栄成サッカー部の全メンバーが部活棟の前で半円形に整列する。
事前情報によれば、プレーヤーは総勢132名とのこと。女子マネージャーさんも10名をこえる。
「みんな揃ってるか? 誰かいないなら後で報告してくれ」
中央でどっしり構えてこちらを見渡す人物こそは、我らが栄成サッカー部のトップを務める『豊原(とよはら)監督』。
日に焼けた肌に短髪のいかにもスポーツ然とした風貌の男性だ。スリーストライプスが特徴的なジャージを着用し、ホイッスルを首から下げている。
年齢は45歳で、『JFL(日本サッカー界アマチュアトップリーグ)』でのプレー経験を持つ優れた指導者だ……と、僕はジュニアユースの関係者から聞かされている。
そんな監督の背後には『8人ものコーチ陣』が控えており、そちらは部員と似たようなトレーニングウェアを着用していた。おそらく練習にまざって指導するためだろう。
「よし、では始める。こんにちは」
『こんにちは!!』
監督からの挨拶を受け、すかさず半円をつくる部員たちが唱和した。
モブらしく外周に立っていた僕の耳が少し痛くなるほどの大音声。皆の気合の入りようがうかがえる。
続けて監督が「ゴホン」と咳払いし、なにやら真剣な話が始まりそうな気配を察知したので怒られないようにじっと視線を固定した。
「本年度の初日ということで、まずは俺の考えを伝えておく」
どうやら訓示をいただけるようだ。場の空気も一層ひきしまり、自然と腕を後ろに組んで聞き逃すまいと耳を傾けていた。
「サッカーには常に競争がつきまとう。それは、皆も理解していると思う。まして高校年代の争いはこれまで以上に激しく、挫折を味わう機会は格段にふえる。上級生の中には、『どれだけ努力しても望む成果を得られない』といった苦難に直面した者もいるはずだ」
サッカーと競争は密接不可分な関係にある。自分との戦い、仲間との戦い、相手との戦い、記録との戦い、と試練は連続するスパイラルのごとく巡る。
なによりも辛いのは、ほんの一握りの人間だけしか勝利の栄光を手にできないこと。大半が苦杯をなめさせられ、暗く冷たい自己嫌悪の沼に沈む。
最悪は僕みたいに負け慣れ、闘志すらも枯れ果てる。
「――だが、腐らずにサッカーを続けてほしい。へこたれずやり抜く力は、人生で壁に直面したとき唯一無二の武器となる。たとえ報われなくても、必ず指導陣は見ている。横には頼もしい仲間がいる。高校生活が終わったとき、実りある三年間だったと笑えるよう頑張っていきましょう」
『はいっ!』
示し合わせたわけでもないのに声が揃うのは、サッカーを通して身につけた習性を全員が共有しているからだ。
それにしても、素晴らしい演説だった。部活を頑張って笑顔で卒業を迎える、きっと誰もが『そうあれかし』と願っているに違いない。少なくともこの場にいる部員はこぞって奮起したはず……ただ一人、この僕を除いて。
しつこいようだが、僕はサッカーに……というよりは己の才能に見切りをつけている。なので、サッカー三昧だった中学時代の二の舞いを演じるなんてお断り。
監督には申し訳ないが、笑顔で高校を卒業するため真に必要なのは『恋と友情の青春』だ。
叶うなら、恋愛マンガみたいな学園生活を送ってみたい。だけど僕、モブ顔だからなあ……どう考えても脇役か引きたて役にしかならない。
「話は以上。次は、マネージャー以外の新入部員に自己紹介をしてもらう。初めて顔をみる者もたくさんいるからな。一年はそっちに移動して、A組から順に並べ。クラス、名前、出身クラブ、ポジション、を述べるように。制限時間はひとり10秒。ちゃっちゃといくぞ」
続いては自己紹介タイム。
ガイダンスに出席したのは一年生と監督とコーチ陣、加えてお手伝いの上級生のみ。ゆえに大半が初見である。
監督の指示に従い、A組からL組までの新入生が半円から離れて一列にズラッと並ぶ。顔をだしてちらっとうかがってみれば、ざっと50人ほどはいるだろうか。
「じゃあ、端っこのキミからスタートして」
「はい! 1年A組、石村直樹といいます。レガウSC出身、ポジションはDH(ディフェンシブハーフ)です」
元気よくスタートが切られ、「前の人が終わったらどんどん続いて」という監督の指示のもと流れるように進行していく。聞いていると、中体連(中学部活)よりもジュニアユース(クラブチーム)出身者の方がすこし多い印象だ。
両者を比較した場合、練習環境の差からジュニアユースが実力で勝る傾向にある。試合時間も微妙に違ったりと、所属連盟によってそれぞれ特色があるのだ。
他にも確か……と、僕は頭をひねろうとして気づく。いつの間にか順番はC組の後方へ突入していた。
「1年C組、山田ペドロ玲音(やまだ・ぺどろれおん)です。出身は調布五中、ポジションはSB(サイドバック)」
褐色の肌と長い手足が特徴的な彼は、南米にルーツを持つ少年だ。
近年の日本スポーツ界では、若きハーフアスリートたちの活躍が目立つ。それはサッカーも同様で、Jリーグや日本代表でプレーするハーフ選手は今や珍しい存在ではない。
当然その流れは下位カテゴリにも波及しており、急成長をとげる育成年代のさらなる質向上に一役買っている。
さておき、その直後には僕の出番がやってくる。
「1年D組、白石兎和です。ブルースターJYFC(ジュニアユースフットボールクラブ)出身、ポジションはSBです」
少し緊張したものの、噛むことなく終えられた。
順番はすぐ隣のクラスのメンバーへ移る。運が良いのか悪いのか、D組のサッカー部員は僕一人だけなのだ。ちょっと偏りがひどい。
そして、さらに待つこと少し。
いよいよ皆さんお待ちかね、期待のヤングスターのご登場。
「白石鷹昌、1年F組。出身は『東京FCむさし・U15』、元Aチーム所属! ポジションはOMF――てゆーか『トップ下』希望しますっ!」
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