第6話 あなたと同じ煙草を吸いたい





「あけましておめでとうございます」

 年が明けて会うと、持留は厳かに年始挨拶を述べた。俺は手を振って躱した。なんか恥ずかしくない? こういう言い慣れない長い言葉言うの。

 待ち合わせ場所は数原のバー。

 持留は言いつけ通り、ちゃんと保湿を心がけているようで、唇はふっくらしていた。よしよし。

「随分寒いですね」

 マフラーとコートを取り去り、椅子にかけてから持留は座った。

 数原とも挨拶を交わして、ジンジャエールを頼んでいる。俺はマティーニ。

「今日はラブホな。家ばっかだと飽きるし」

「はい」

 折り目正しく返事をして、ドリンクを受け取った後、ボーッとしていた。あまり元気がないように見受けられる。

「なんかあったのか」

「えっ」

「アホ面に磨きがかかってるから」

「そうですか?」

 頬に手を添えて、困惑してみせた。

「もちちゃんが元気ないから心配なんだって」

 数原がにやにや口を挟んでくる。なんで分かるんだ、こいつ。

「あ、すみません。その……ちょっと」

「ちょっと?」

「アルバイト先の本屋さんが閉店するらしくて、解雇されることになりまして」

「えー、まじ? 正月早々不景気ね」

 持留は悲しそうな顔で、深く頷いた。

「無職じゃん」

「はい……仕事も探さなきゃだし。優しい店長さんも元気なくて、いいお店だったから残念で」

 二月末で解雇らしい。

「ここで雇ってやったら?」

 数原に聞くと、苦虫を噛み潰したようにして首を振った。

「人雇えるほどの儲けないのよーごめんね。賃料払うので精一杯」

「いやいや、そんな僕なんかに勤まりませんよ。口下手だし」

「もちちゃんならにこにこしてるだけでいいでしょ」

 ねぇ、と俺に同意を求めてくるので無視した。

 数原は気にしていないようで、うーん、と人差し指を唇に当てて悩んでみせた。

「アルバイトねぇ……キャバクラのボーイとかいいんじゃない? 時給良さそうだし」

「いや、ああいうの気配り大事だから鈍感なこいつには無理だろ」

「ラウンジのボーイは?」

「いや同じだろ」

 なんで確実に向いていないところを勧めるのか不可解だった。こいつ弱そうだから、変な客やらキャストやらに絡まれて、嫌な思いしそうだ。行ったことないから知らんけど。

「えーでももちちゃん黒服似合いそうだし」

 持留はスマートフォンで、ボーイだとか送りドライバーだとか水商売に関わる求人を出しているサイトを見ていた。

「すごい。本当にボーイって時給高いんですね」

 意外と乗り気らしく、真剣な顔で画面をスクロールしている。

「絶対やめとけって」

「うーん……やっぱ陽キャじゃないとこういうの駄目なんですかね」

「そうだよ、お前みたいなクソ暗いやつには無理」

「武仁言い方ひどい。そういうとこで働いたこともないくせに」

「あ、これならイケるかも」

 持留が、微笑んで顔を上げた。画面を、俺と数原に見せた。

「受付業務、口下手でも大丈夫って。時給二五〇〇円って破格ですよね」

 初心者歓迎、の文字が見える。

「……いや、エロマッサージの店じゃん」

「あ、これ、そういう……?」

 数原が腹を抱えて笑っていた。

 たしかに一見風俗と分かりづらく、普通のマッサージを売りにしている店のように見えるが、メンズエステの類だ。しかし、受付業務でそんなに高時給って何させられるんだ。

 こいつ、心配。まじで。

「何、お前。エロ系の店で働きたいの?」

「いや、そういうつもりじゃないんですけど。でも時給いいのは魅力的ですよね」

「時給高いのはそんだけきついからだ。やめとけって」

「うーん、石田さんがそう言うなら」

 スマートフォンの画面を消して、持留は俺の目を見た。邪気のない顔はいかにもそういう夜の店に向かなさそうだった。

「あ、そうだ。ちょい待ち」

 そう言って、今度は数原がスマートフォンを取り出して、何かを打ち込み始める。俺と持留は手持ち無沙汰にグラスに口をつける。

 ややしばらくして、数原が笑顔を見せた。

「もちちゃん、私の知り合いの居酒屋で働かない?」

「えっ、紹介してくださるんですか」

 持留の顔も輝く。俺は胡乱な目を向けた。

「どこの居酒屋だよ」

「保護者みたいに口突っ込んでくるじゃん」

「あ? 気になっただけだし。いいからどこ」

「修一のとこよ、香坂修一。知ってるでしょ?」

「あー、香坂さんのとこか」

 俺も会ったことがある、この店の常連客だった。優しくて虫も殺せないような人で、長く付き合っている男の恋人がいる。一度お邪魔したことがある彼の居酒屋は、下町風情漂う街にある、飲み屋にしては穏やかな雰囲気の店だった。

「安心した? 保護者の方」

 嫌味を言われて、舌打ちを返す。

 俺と数原の会話を追って、交互に視線をやっていた持留はくすくす笑った。

「じゃあちょっと電話してくるから待っててね」

 手を振って、数原は厨房にこもった。

 俺は煙草を取り出して、火をつけた。たしかに数原の言う通り、心配しているかの如く口を挟んでしまったのが恥ずかしくて、気まずかった。

 持留がこちらをじっと見ている。

「何」

「煙草、いいですね。手持ち無沙汰の時吸えるし。格好いいし」

「ああ。吸う?」

「ん、いや、いつか……二十歳になったら石田さんと同じ煙草、吸ってみたい」

 眩しそうに目を細めて、花が綻ぶように笑った。憧れがありありと浮かんでいる。

 俺はそれを見つめてたまらない気持ちになった。

 嫌がらせのように、その顔に煙を吹きかけた。




 香坂と面接した結果、持留は無事に採用されて三月から働くことになった。

 持留は居酒屋のシフトも、決まった途端、俺に仔細を送ってきた。春休みに入って余程暇らしい。大学生ってのは羨ましい。

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