第55話 料理番の緊急クエスト
食堂の席に着くも、周囲には大勢の人による熱の籠った視線と僕らの会話を聞きたそうに騒めく声に囲まれて会話どころの状況ではなかった。だが、そんなことにも僕以外は慣れた様子で自分らに集まった人だかりに笑いかけていた。――あのレイゼもだ。
「あっ、あの冷徹嬢が笑ったぞ!」
「今日はいいことありそうだぜ!フォーゥ!」
「きっと俺のために笑ってくれたに違いねぇぜ!」
僕たちの一挙手一投足で場が沸き立つ、慣れてしまえば癖になりそうな感覚だ。レイゼもすっかり馴染んだ様子でこの状況を楽しんでいた。
「なんだかレイゼ変わったね」
カイレンも僕と思うことは同じらしく、普段にもなく愛想振りまくレイゼの様子に口を開いた。
「そうかな?でも、この場ではこうするのが一番なんだ。皆力に憧れている人ばかり、ちょっとサービスするだけでほら」
レイゼがそう言って大勢に向けて手を控えめに振るとまるで祭りの最高潮のような盛り上がりを人々は見せた。その異様な様子は冒険者ギルドの協会職員らが何事かと揃って身に来るほどのものだった。それもそのはず、グラシアの英雄三人とディザトリーの冒険者ギルドの有名人が勢ぞろいすればこうなるのも仕方のないことだ。
「すっかり馴染んだ様子だけど、レイゼは冒険者を続けなくていいのか?」
「ん?私は早くガネットに迷惑を掛けたいだけだよ。冒険者っていうのはそのために必要な過程に過ぎない。だからさっさとグラシアで楽しいことをしましょう」
ガネット何の因縁があるかはわからないが、とにかく冒険者にはならないということだけはわかった。
「まぁ、僕としてもレイゼがグラシア支部に加わってくれるのならありがたい。何せ、グラシアで生じる地脈異常の脅威度は他の地域とはかなり違うからな」
グラシアに生息する魔物の種類はここら一帯の地域とそこまで差はないが、同種にあるにしろ極地を生き抜いてきたのだ。当然、それらが暴走して襲い掛かってきたら厄介だ。そういった点でカイレンは極地向きの願力特性であるため十分な活躍をしているが、僕に関してはそうもいかないことの方が多くなりそうだ。そのためレイゼが戦力として加わってくれるのなら本望だ。
「正直カイレンがいるなら戦力に関して問題はなさそうだけれど、あっちの方が楽しいに違いない。ここは少し静かで古臭いからね」
「意外だな。てっきりレイゼはこういうところが好きなのかと思っていた」
「まぁ、静かで古臭いっていうのは直接的な意味じゃないよ。面白そうなことが特に起きずに、昔の思い出だけがそこにあるだけってこと」
まるで詩の言葉のような表現だ。確かにディザトリーは歴史のある街であるため、今でも昔の様式を残した建造物がいくつもある。聞く話によると、この街は世界中で最も技術が発達している国と比較して百年ほど文明が遅れているそうだ。その要因として、伝統を重んじる人々の声が大きいことや、歴史的な街として景観を保全していこうという動きがあることが挙げられる。まだ僕は世界を旅したことがないため、どんな先端技術があるのか知らないままだ。
「それで、この人だかりの中で私たちの水龍撃退の話をすればいいの?」
「――待って、カイレン師匠。ふふ、あたしにいい考えがある」
相向かいのアベリンはそう言って身を乗り出して手を挙げた。
「おっ。――もしかして、宴だったり?」
「ふふっ、さすがカイレンだね。――正解だよ」
カイレンとアベリンはにやりと意味ありげな笑みを浮かべて目で合図を送りあっていた。するとその言葉の意味に気づいたように、僕以外の一同も「おおっ」と声を上げて反応を示していた。
「宴?」
「そうだよエディ。せっかくカイレンとエディの水龍退治の話をするんだったら、大勢の人を集めて盛大にやんなくちゃ!」
するとアベリンはそう言って席を立った。何をするのかと眺めていると、吹き抜けのロビーの二階へと階段を駆け上がって一階を一望できる場所へと移動していった。
「あぁ、またお金がなくなっちゃう......」
「ふふ、また私と稼ぎに行けばいいんだよ」
何故か青ざめたような顔をしたベリンデをレイゼは
「よし。――おーい!みんなー!」
その小柄な体からは想像もできないほどの声量がロビー中に響き渡り、一同の視線と意識は二階に立つ少女へと完全に釘付けになった。騒がしかった建物内は、まるで劇が始まる数秒前のように静まり返った。
「今日は運がいいねー!なんと!グラシアの英雄の、カイレンとエディゼートが水龍退治の話をしてくれるんだって!そういうわけだから、今日はあたしら主催の宴をするよー!」
アベリンの一声で、周囲に一瞬訪れた静寂は裏返ったように爆発的な熱気へと変化し、沸き立つように人々は歓喜の声を上げた。このディザトリーでは恒例行事なのか、人々は待ってましたと言わんばかりの様子でアベリンに盛大な歓声を送った。
「ってことで、食堂の料理番の人たち頑張ってねー!時間は大体七時過ぎを予定してるから、準備よろしくー!」
ふと食堂の方に目をやると、騒ぎを聞きつけ出てきた料理番らしき人々が何故か冷汗を垂らしながらも覚悟を決めたような面持ちでアベリンを見ていた。既に準備を始めているのか、厨房では慌ただしく食材の準備を始める人々の姿が見えた。なんと手際のいいことなのだろう。
「あっ、いつものように参加費として一人五百ネールを孤児院への募金箱に入れてねー!そしたら机の上の料理を食べてもいいよー!ってことで、待ってるよー!」
するとアベリンは腰に取り付けられたポーチから袋を取り出して屈強な料理番の一人へと投げつけた。料理番はそれをしっかりと受け取ると中身を確認しだした。ここからでも金貨数枚を取り出している様子が確認されたので、相当な額を渡していることがわかった。
「おい嬢ちゃん!いつもより多いけどいいんか?」
「大丈夫だよ!それよりも準備頑張ってねー!いつもありがとー!」
そう言って料理番は手を振るアベリンと話を終えるとすぐさま他の料理番に目で合図を送って厨房の方へと早足に向かっていった。
「随分と手際がいいんだな」
「ふふっ。エディ、これが冒険者名物の一つ、『料理番の緊急クエスト』だよ。みんな宴って言ってるけど」
「なるほどな」
カイレンの言う通り、確かに料理番達にとっては緊急クエストのようなものだ。事前の予告もなしに冒険者がその場の雰囲気だけで突発的に行うのだから。それにしても、ただ宴を開くだけでなく孤児院への募金活動まで同時にやってしまうとは。まるで富の再分配をしているような構図だ。これなら荒くれものが多い冒険者社会でも文句を言ってくるような連中が少なくなりそうだ。
「そういえば、カイレンが最後にアベリンたちの宴に参加したのっていつだっけ?」
「んー。ここを一人で出て行く前だから一年振りくらいかな?ふふっ、そう考えると久しぶりだ。この前の宴はみんな予定が合わなくて行けなかったからなぁ」
カイレンは隣に座るエイミィの問いかけに懐かしむように答えた。
この前の宴というのはグラシアの一件の報奨金が配布されたときに開催されたものを指しているのだろう。その晩は魔願術師協会の重役らによる懇談会のような集まりがあった。カイレンが少し残念そうにしていたのがわずかに印象に残っていた。
「まぁ、今日は賑やかな夜になりそうだな。なんだかんだ、こうして皆で集まって騒ぐのも初めてだし」
「確かに!今まで誰かしらがいなくて全員揃うことがなかったもんね」
事情があったとはいえ、赤龍の一件後の打ち上げやグラシアでのパーティーにレイゼは参加していなかった。
「まぁ、今日は私の飲みっぷりを皆に見せてあげるね」
「おぉ、なんだかレイゼってお酒に強そう。それじゃあ私と勝負してみる?」
「いいよ。くれぐれもエディの回復魔法のお世話にならないでね」
カイレンとレイゼの視線上に火花が散っているように見えた。
正直、酒というのは厄介ごとの種になりがちであるため毛嫌いしていたが、今日ばかりは仕方ないだろう。レイゼの飲みっぷりが気にならないかと言われると嘘になるからだ。
「みんなただいまー」
すると宴の開催を宣言してきたアベリンがひょっこりとベリンデの隣に座ってきた。満足げな表情をしているアベリンに対してベリンデはやれやれと言わんばかりにため息を吐いていた。
「お姉ちゃん、当分おやつが買えなくなるけどよかったの?」
「うーん、そう言われるとちょっと考えちゃうから言わないで」
そう言ってアベリンは頭上に生えた耳をぺたりと下げてベリンデの言葉が聞こえないようにした。とはいえ、人間同様に顔の横にも耳は付いているのだが。
「まぁまぁ、せっかくアベリンがこうして私たちの話を盛大に盛り上げようとしてくれたんだからさ」
「とは言ってもカイレン、僕たちの水龍撃退の話ってグラシアの一件の時と比べるとあっさりしたものになるけどいいのか?」
僕はともかくカイレンは水龍を遊び相手に戯れていただけなので、これといった大いに盛り上がるような展開はなかった。――だがその考えは甘かったらしく、カイレンは指を横に振って否定した。
「いい?エディ。こういうのは話し手の技量によって伝わり方が全然違うんだよ。私にとってはなんて事のない戦いも、みんなにとってはおとぎ話みたいなことかもしれない」
「......そっか。確かにそうだな」
納得せざるを得なかった。今思えば、僕たちの英雄譚も着色されたものばかりで実際の出来事を事細かに口にする者は誰一人としていなかった。皆、本質ではなく心躍らせる概念の方を好んで選んでいた。大事なのは、その場にいるような臨場感とそれを感じさせる話し手の技量。僕にはとても難しそうに聞こえた。
「まぁ、宴まではまだまだ時間があるんだし、何をどう話すか今のうちに決めようよ」
「そうだな」
気づけば先ほどまで周囲にいた人だかりはすっかり消えて、皆宴の開催を周知させるようにどこかに行ってしまった。そうなれば事前の打ち合わせをしても問題はなさそうだ。
「ねぇねぇ!それじゃああたしたちに先に聞かせてよ!そしたらあたしたちも話の組み立てが手伝えるからさ」
「おっ、いい考えだねアベリン。よーし、それじゃあ私から話しちゃおうっかな」
「やったー!」
――こうして、僕らは宴が開催される午後七時頃まで人々の前で披露する話の構成を考える話し合いを始めた。やはりカイレンは話し方や伝え方の表現がとても上手で、何気ない行動に思えるひとつひとつがその話の奥行きを広げているように感じられた。
――――――
眼前に広がるは人の群れ。冒険者だけでなく、吟遊詩人らしき装いの者がずらりと顔を並べている。各々料理や酒を手にし、今か今かと僕らの開口を心待ちにしていた。今は宴が始まり少し経過した頃。水龍撃退の立役者たちのために用意された簡素な木製の椅子が二つ。その席に僕とカイレンは腰を掛けていた。
「ではではみんなお待ちかね。カイレンによる小話に少々お付き合いくださいな」
風変わりな口調でカイレンがそう言うと人々から歓声と拍手が鳴り響いた。場の雰囲気は上々、二人して酒を少し多めに飲んでいたので気分的にも仕上がっていた。
「では揃いも揃ったということで、早速」
そう言って珍しく顔を酒で赤くしたカイレンが自身に注意が向くように姿勢を直すように座りなおした。
「こほん。――えー、時はグラシアの魔願樹誕生から
カイレンがそう言い切ったときには誰一人として言葉を発していなかった。身振りや手振り、更に言葉と言葉の間合いなどを巧みに使ってまるでその場にいるようにカイレンは話しを進めていた。話の内容はかなり着色されていたが、それでも僕と水龍の戦いに焦点を当てた物語は臨場感あふれる仕上がりになっていた。
「ってことで、以上。カイレン小話でした!」
普段の調子に戻ったカイレンの声を聞くと、人々は思い出したかのように騒めきだした。それぞれ反応は違えど、皆目を輝かせていた。この場には冒険者だけでなく子供の姿も多くあったため、年少者は大盛り上がり。その熱気は凄まじいもので、カイレンが話を終えた時点で僕らの前には大勢の子供たちが押し寄せていた。
「ねぇねぇエディゼート様!水龍と話したって本当か!?」
「そうだよ。実は水龍って賢いから話をすることができるんだ」
「えぇー!?じゃあ俺もできるのかな?」
「はは。できるかもしれないけど、その前に龍に勝たないといけないからね」
いくら念話ができるからと言って、相手側に敵意が残ったままであるとそれすらできない状態となってしまう。大事なのは念話ができる状況作りだ。これが一番難しいのだが。
――その後しばらく僕らは人々からの質問攻めをくらうことになった。願力がどう見えているのか、どういった魔法のイメージをして発現しているのか、本当に魔力を吸収する魔法があるのか。事前にこうなることは予測していたため、なんとか誤魔化すことができた。カイレンの周囲には特に吟遊詩人らが大勢集まって、話の内容を事細かに聞き出していた。何せ当人の口から語られる話など吟遊詩人にとっては宝のようなこの上ないものだ。紙と筆を握りしめる者や、カイレンの話を聞けなかった人々に対して早速歌として語りだす者など、様々だった。
そんなこんなで食堂は大盛り上がり。既に宴の開始から一時間が経過していたが、人々の熱気が絶えることはなかった。やっとのことで質問攻めから解放されたカイレンはレイゼのもとへと向かって約束していた酒の飲みっぷり対決を始めていた。両者とも小柄ながらもその飲みっぷりはすさまじく、飲めど飲めども勢いは止まらなかった。だが、その勝負に決着がつくことはなかった。少量でもかなり強い酒を飲み進めていると厨房からこれ以上の提供はできないとストップがかかってしまったのだ。どうやら飲み過ぎた冒険者が暴れることを防ぐための規則があったらしく、カイレンとレイゼは残念そうに顔を突き合わせていた。試しに僕もカイレン達が飲んでいた酒と同じものを飲んでみたが、とてもじゃないが飲めるものではなかった。少なくとも、何かの着火剤として使えるほどの強さだった。それをあの量飲んでも問題がないとは、願力というものは不思議な力だ。
宴が中盤に差し掛かると、食堂からは子供たちの姿はなくなり、仕上がった冒険者たちが景気のよさそうに酒を煽っていた。
「よーし!あたしと腕相撲で勝負だ!カイレン!」
「ふふん、いいよ!」
酒は飲んでいないが調子よさげなアベリンはカイレンと相向かいになってテーブルに肘を置いた。両者右腕を組み合うと凄まじい願力の光を纏いだした。アベリンはゆらゆらと願力を体から滲ませているが、一方でカイレンは揺らぎを見せることなく身に纏わり付かせるように願力を張り巡らせていた。
「ベリンデ、合図よろしく!」
「わかったよお姉ちゃん。――じゃあいくよ。よーい、始め!」
ベリンデの合図とともに、テーブルから何かが激しく打ち付けられた衝撃音が鳴り響いた。何事かと思って見てみると、それは勝負が一瞬で付けられたことを示す音であることがわかった。――アベリンは腕だけでなく体ごと横に大きく薙ぎ倒されていた。
「はいざんねーん。これで私の六十三連勝~」
「いてててて......。今日は勝てると思ったんだけれどなぁ」
「ふふふっ、私に勝てる人はそうそういないよ。まだまだ鍛錬が必要だね」
「くぅー!悔しい!......あれ、腕に力が入らない」
見て見るとアベリンの腕は力なくたらりと垂れていた。関節が外れてしまっていたのだ。
「......ちょっと手を貸して。――『
あまりにも痛々しい様子だったのですぐさまアベリンに回復魔法を施した。すると淡い光の消失と共に腕は感覚を取り戻したように動き始めた。
「......おぉ、動く。ありがとうエディ!」
満面の笑みが向けられた。
「はぁ、二人とも気を付けろよ。特にカイレン、お前が本気を出したら危ないだろ」
「これくらい大丈夫だって。それに勝負は本気でやらないと相手にも失礼だよ?」
悪びれる様子もなくカイレンはそう言い放ったが、アベリンもそれに同意しているのか首を縦に振って大きく頷いていた。
「まぁ、互いにそれでいいなら別にいいんだが......あれ、何か忘れているような......」
ふと、何かを忘れてしまっていることを思い出した。本来僕らはこの時間には宿に戻っているはずだった。だが、こうして今もここにいるということは――。
「あっ、アズラートにここにいることを伝えてなかった」
「あっ」
カイレンも思い出したようにポカンと口を開けた。アズラートは宿にいるはずだが、一応僕らがここにいることを伝えなくては心配してしまうだろう。そう思った時には既に建物の出入り口を目指していた。
「今からちょっと宿の方に行ってくる!」
「うん、わかった!お願いねー!」
一瞬の出来事だったためカイレン以外が返事をすることはなく、突然走り去っていく僕を見ているだけだった。
すぐさま願力を魔力へと変換。飛行魔法を展開し僕は宿の方へと目指していった。
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