第52話 男、会長室にて

「そういえば、エイミィたちはどこに行ったの?」


 魔願術師協会本部へと向かう道中、カイレンは不安げそうな表情を浮かべる男に対して尋ねた。


「えーと、俺の服を買い出しに出かけた後、一度宿まで服を届けてくれたんだ。その後は他にも買い出ししてくると言って出てってしまったさ」


「そっか。じゃあ君はあまり外に出ていないんだ。どう?この街は。綺麗で素敵な場所でしょ」


 カイレンはかつて僕に案内役として街を案内してくれたときのように、男はまるで初めてここに来たときの僕のように。男はカイレンの言葉を聞くと周囲を一度見まわしてみせた。


「あぁ、綺麗だ。切り立つ山々も、流れる川も、あの魔願樹ってやつも、俺には記憶はないけどここが素敵な場所だってことはわかる」


 男はすらすらとこの街の感想を述べてみせた。それ程この街の魅力を感じているのだろう。するとそれを聞いたカイレンは嬉しそうにはにかんだ。


「ふふっ、よかった。そう言ってもらえて」


「僕もお前と同じように目覚めてからすぐここに来たけど、あの時の感動は今でも覚えているさ」


 目覚めて、記憶がなくて、戦って、移動して、戦って。ディザトリーに入るまで気疲れする間もなく事が進んでいた。更にその約一週間後には英雄になった。本当に、あり得ない十日間だった。


「――ん?同じようって、お前ももしかして俺と同じなのか?」


「あぁ、まだ聞かされてなかったんだな。――なぁ、カイレンとレイゼ。こいつもどうせ僕と同じことなんだし、言ってもいいよな?」


 すると僕の問いかけに両者は顔を見合わせた。


「私はいいと思うよ。エディがそうしたいって言うのならそうするべき」


「私はそうだね......。まぁ、エディが同じと言った時点で明言したようなものだし、私には関係のないことだからいいと思うよ。お好きにどうぞ」


 確かに僕たちはまだこの男の内面を知らない。だが、かと言って僕らと関連の深いこの男にすべてを話さない訳にもいかない。ならば答えは僕の正体をありのまま伝える、この一択だけだ。


「じゃあ反対意見無しということで。――なぁ、お前」


 先ほどから自分そっちのけで会話を進行させてく僕たちに怪訝そうな表情を浮かべる男に声を掛ける。


「なんだ?さっきから話す話さないみたいなことを言い合って」


「これから話すことを、絶対に僕たち以外に話さないと誓えるか?」


 努めて冷淡に、声音を落として男の目を真っすぐ見た。男は目を逸らすことなく歩みを止めた。


「あぁ。誓えるが、そんな大事な話をこんな人のいる外で話していいのか?音を遮断する風魔法を使えたりはするんだが、如何せん今の状況じゃできないんだ」


「それって、これのことだろ?――『絶空ほら』」


 男の言葉に応えるように、音を遮断する風魔法の結界を僕と男を取り囲むように展開した。薄く青み掛かった半透明の面の集合が、僕らの上半身を取り囲むように直方体を成した。


「......えっ!?どういうことなんだ?」


 男は知ってはいるが使えなかった魔法を目の当たりにしてわかりやすく驚愕をその表情に浮かべた。すぐさま僕は結界を解除して外部と音のやり取りをできるようにした。


「まぁ、そういうことだ。僕はお前の知っている魔法を扱える、この世でたった一人の存在。――願魔導師なんだ」


「願魔、導師......」


 男からしてみればそれはただの魔法使いだが、この世界では異端も異端。何せ願魔獣以外は魔力から魔法を発現させることはできないからだ。男はここまで情報を与えられたためか、どこか納得したような表情を滲ませた。


「エディは君と同じ、『対界』から召喚された記憶のない魔法使いなんだ」


 カイレンは付け加えるように男にそう言ってみせた。すると男は何かを考え込むような仕草をとった。


「ということはもしかして......。お前って魔法が無限に使えるってことか!?」


「声が大きいぞ」


「あぁ、すまん。つい驚きのあまり......はは」


 幸い周囲近くに人がいなかったため会話は聞かれていなかった。だが男が驚くのも無理はない。この世界で魔力から魔法を発現できる僕の存在というのは、この男にとってこの上なく羨ましいものだろう。


「まぁ、かと言ってお前もわかる通り、魔力は無尽蔵にあるがそれを制御するのに願力が必要だ。だから一度に大規模な魔法を連続して発現させたらさすがにしんどい」


「なるほどな。だが、聞いた話によるとお前とカイレンは世界最強の魔法使いらしいじゃないか。特にお前は、晒し者にされてない『見願』らしいし」


 ふと僕らはレイゼの方を向いた。当人はいきなり視線を二つも向けられたからか面を食らったような反応を見せた。


「あぁ、あの時は脅すような真似をして悪かったよ。私はただ、お前に危機感をもってほしかっただけなんだ。世界から異端者として追放されないように」


「そっか。なんだかんだ言って優しいんだな、お前。ありがとな」


「......どうも」


 レイゼは直接的に感謝を伝えられることに慣れていない様子で男から目を逸らした。男もレイゼの言葉に悪意がないとわかると表情から以前までの不安げな印象がなくなった。


「僕もレイゼも、お前と同じ異端者に分類される存在だ。だから異端者同士仲良くしてくれ」


 僕は男に手を差し出した。


「あぁ。記憶は無いし、魔法も使えねぇ俺だけど仲良くしてくれると助かる。よろしくな、エディ」


「あぁ、こちらこそ」


 そう言って僕たちは握手を交わした。するとその様子を見たカイレンもひょっこりと隣に近づいてきた。


「そういえば、私もよろしくの挨拶がまだだったね。えーと、これからよろしくね。異端者くん」


「はは、しばらく俺の呼び名はそれになるのか。まぁいい、よろしくな、カイレン」


「うん!」


 僕に続くようにカイレンも男と握手を交わした。この世界というか、ここら周辺の地域一帯には初対面の人との挨拶として握手が用いられていた。僕と男はその文化がない世界にいたのか、この世界に来た時は無意識に手を差し出そうとはしなかった。だが僕はだいぶこの世界に馴染んだようで、気づけば初対面の人と握手を交わせるようになっていた。


「レイゼは俺と握手をしなくていいのか?二人はしてくれたが」


「お前......。私が謝ってから調子が良くなって」


「俺は切り替えが早いことが取柄なんだ」


 まるでカイレンがそう言ったように、男はにいっと笑ってみせた。


「おおっ、異端者くん、まるで私みたいなこと言うんだね」


「僕も一瞬カイレンっぽさを感じた」


 どうやら僕だけでなくカイレン本人も同じことを思っていたようだ。そう感じるほど、男の仕草の端々にカイレンを彷彿とさせるものがあった。


「......まぁ、仕方ないね。ほら」


 レイゼはそう言って普段人前では格納して出現させていなかったエイミィのような半透明の翼を片側だけ出し、その先端を男に突き出した。


「ん?あぁ、これが吸血族で言うところの握手って訳か。そんじゃ、少し遅くなったけどよろしくな。レイゼ」


「よろしく、異端者くん」


 男は翼の先端に人差し指を当ててレイゼとの挨拶を済ませた。意外に思ったのは、レイゼは男に自身の正体を明かしていることだった。僕の正体を男に明かすと言った時にレイゼは少し渋るような素振りを見せたが、どうやらそれとこれとはわけが違うらしい。


「いいなぁ、みんな異端者で。私も異端者になりたいなぁ」


 カイレンはおどけたような口ぶりでそう言ってみせた。この世界ではカイレンの『破願』もなかなかに異端な願力特性であることに変わりはないのだが。


「とか言って、お前の何だっけ、確か願力特性ってやつは他の魔法を打ち消すのだろう?」


 男は今まさに僕が考えていたことを代弁するように口にした。どうやら男は願力特性という存在を既に誰かから教わっていたらしい。


「あ、そこまで知ってるんだ」


「あぁ。この世界についての大体のことは皆から聞いた」


 確かにそうでなければ魔願樹という言葉も知らないはずだ。アベリンとベリンデ、そしてエイミィが乗り気で男にこの世界のことについてを説明する姿が容易に想像できた。


「じゃあ私たちで冒険者パーティー『異端者共イレギュラーズ』を結成しよう!」


 本業を忘れてカイレンは調子のいいことを言った。だが、その言葉で思い出したことがあった。


「――そうだ、レイゼ。冒険者の階級は今どこなんだ?」


 新たな『見願』が現れたことにすっかり気を取られてしまって今の今まで思い出すことすらできずにいた。カイレンも僕の言葉で思い出したかのように「そういえば」と口にした。


「ん?それなら安心して。私は今や『白牙』の主戦力として、いや、ディザトリーの冒険者ギルド随一の実力者として、上級の三段。つまり上級の上から三番目の階級に属しているよ。アベリンとベリンデもね」


 なんと、驚いたと言うべきかか当然と言うべきか、レイゼはわずか一か月程で上級冒険者まで上り詰めていた。アベリンとベリンデも以前は上級の二段にいたので昇格していることが窺えた。


「はは、さすがだな。まさか本当にやってのけるとは」


「まぁ、邪魔がなければもっと早く上級にはなれたけど、ひと月以内で下級から上級まで昇級できたのは歴史上でも十数人しかいない快挙らしいんだ。だから今では皆私たちに喧嘩を売ることはないんだ。ふふん」


 珍しくレイゼは自身の功績を誇るように鼻を鳴らして得意げな表情をしてみせた。小さな子供であれば頭を撫でていたところだが、何せ千年を赤龍として生きた吸血族の生き残りだ。そうしたら怒ってしまうだろう。


 ――話をしていると気づけば魔願術師協会の本部の近くまで来ていた。相変わらず、様々な装備の冒険者や魔願術師協会・冒険者協会の関係者らが門を忙しなく往来していた。魔物の素材を積んだ荷車がはずれの査定所の前に停車されていたり、冒険者たちの威勢のいい笑い声が聞こえたりと、あまり長いことここにいないうえに離れていないが懐かしさを覚えた。いつか、グラシア特別区もこのような活気あふれる街になっていくのだろう。


「さて、ガネット会長は取り込み中じゃないかな」


 カイレンの言葉と共に、僕らは門を潜り抜けた。




――――――




 数週間ぶりに訪れるディザトリーの協会本部の廊下は、僕らがグラシアに向けて出発する前と比較して職員の往来が少なく静かな雰囲気だった。が、僕やカイレンの突然の訪問を職員が知るや否や少しだけ事務室の内部が騒がしくなった。すれ違う職員らは驚いたように僕らに声を掛けてきた。


 そんなこんなで件の会長室へ。僕らは辿り着くと扉の前で立ち止まった。


「さて、そろそろだね」


「あぁ、そろそろだな」


「そうだね、そろそろ」


「ん?」


 僕とカイレン、そしてレイゼは顔を見合わせたが、男は何をしているんだと言わんばかりの表情を浮かべて僕らを見ていた。すると、すぐにそれは背後に音も気配もなく突如として現れた。


「――久しいな。カイレン、そしてエディゼート」


「うわぁっ!?」


 そう、突然背後に現れた異質な存在――願人ガネットは何事もなかったかのように僕らに声を掛けた。


 後ろに束ねられた透き通るような銀髪、鋭い眼光。低い声音と僕よりも高い背丈。初対面としては接しずらい印象を受けるがその実人に茶を振舞うのが趣味な一面もある、とても頼りになる心強い存在だ。


 男は願人であるガネットの瞬間移動を初めて見たからか、とても驚いた様子でその場で小さく飛び跳ねていた。


「びっくりした......。な、なんだ?いきなり来たこの人は?」


「僕から紹介する。彼はこの魔願術師協会の会長を務める願人、ガネット会長だ」


「願人......?」


 男は願人という存在を知らないのか、首をかしげてガネットを見た。


「驚かせてすまない。エディゼートに紹介してもらった通り、私は魔願術師協会の会長を務めているガネットだ。よろしく」


「あ、ああ。よろしく、お願いします」


 男はガネットから差し出された手に応じるように手を差し出して握手を交わした。男の表情はよく状況を理解できていないときのそれだった。


「それで、カイレンとエディゼート、そしてレイゼの三人が揃いも揃って私に用があるのだな。まぁ、おそらくこの青年についてのことなのだろうが」


 聞き馴染のある言葉と共に僕とカイレンは苦笑いをした。これまで何度、これから何度この言葉をガネットに言わせるのだろうと思うと少々申し訳なさが出てきた。


「会長、実は相談したいことがあるんですよ。でもここだと話すには少しあれなんで」


「わかった。立ち話をするのはここまでだ。さぁ、中へと入ってくれ。すぐに茶を淹れてくる」


 さすがガネットだ。話が早いだけでなく茶の準備に取り掛かるのも早い。ガネットはそう言うと会長室の扉を開いて僕らを中へと招いた。相変わらず、扉を開けるとハーブティーか何かのいい香りが鼻の奥をくすぐった。僕らはガネットに促されるまま席に着いた。そのままガネットを除いた僕ら四人、腰を掛けると男の質疑応答へと移行していった。


「それでさっきの願人って言うのは何なんだ?」


「じゃあ異端者くん、ガネット会長があの魔願樹から生まれたって言ったらどう思う?」


 カイレンの言葉を聞いた男は僕と同様の反応を見せた。言葉の意味は理解できるが、それを呑み込めていない。言葉を失った男は魔願樹とカイレンを見比べた。


「......えっ?あの樹から生まれたのが、あの人ってことなのか?」


「そうだ。僕も最初そう聞かされた時に驚いたさ。でも、それは本当だ」


「......そうなのか」


 僕の言葉を聞いて男はようやく事実としてガネットの存在を半ば無理やり吞み込んだ。だが依然として疑問が尽きないような表情を浮かべたままだった。


「さっき瞬間移動してきたのは願人の能力なんだ。体が願力でできているからね」


「なるほど、そういうことだったのか。よかった、この世界では人が当たり前のように瞬間移動してくるのかと思った」


 そんな世界だとさすがに嫌だな、と男に同情した。もしそうだとすると魔法を扱える人とそうでない人でかなりの格差が生じてしまいそうだ。


「まぁ、実は私たちは願人の誕生の瞬間に立ち会っていてね――」


 カイレンの言葉を皮切りに、僕らは男にこれまでのことを洗いざらい全て話した。レイゼとの出会いや、グラシアでの一件のこと、そして今僕らがやっていることや、これからの展望など。時間を忘れるように夢中になって話した。


「――ってことだ。だから僕はこれから忙しくなりそうだ」


「なるほどな。それにしてもすごいなお前。よく目覚めたてで世間から英雄と呼ばれるまでのことを成し遂げたな」


 本当に、我ながらそうだ。男は目覚めてから今日で三日目となると、その頃の僕はジルコとの決闘を済ませ魔願術師協会本部へと向かってエイミィと出会いガネットらに正体を明かした。そう考えると、次の日にはアベリンとベリンデ、更に次の日にはレイゼと出会っていた。何とも濃密な数日間だ。


「あぁ、あの時はひたすらに頑張ったさ。まぁ、お前がこの世界に来たことでグラシアの一件のようなことが起きなければいいんだがな」


「はは。そういうのは冗談でも言わない方がいいぞ?本当にそうなっても、俺は魔法が使えないから戦力になれない。お前と違って、英雄にはなれないさ」


 そう言う男の声音はどこか弱々しかった。それも無理はない、もし僕が男と同じ境遇だったら絶望しているはずだ。扱えたであろう力が扱えず、記憶もなく、居場所もない。そう考えると男の精神は強靭なものだ。おそらく、元いた世界では相当強い部類に属された魔法使いだったのだろう。


「まぁ、僕の場合は特殊だからな。でも、お前も僕と同じ『見願』なんだろ?だったら何かしらの特異なる魔法の才があるかもしれない」


「はは、そうだといいんだがな」


 すると部屋の奥の扉がゆっくりと開かれた。視線を向けるとガネットがティーセットを手にしてこちらに向かってきた。


「ガネット会長、随分と準備に時間を掛けていましたね」


「あぁ、君たちの楽し気な会話が聞こえてきたからな。水を差すのも悪いと思って待っていた」


 なんと気の利く願人なのだろうか。わざわざこうして僕らと男が話す機会を設けてくれたとは。底知れない優しさというものを感じざるを得なかった。


「何だか俺のために気を遣ってくれたみたいで申し訳ないな」


「いいんだ、私がそうしたまでのことだ。それと、盗み聞きをする形となってしまったが大方君の事情は把握できた。君も、エディゼートと同じ対界からの転移者であるのだな」


 ガネットはそう言ってポットからカップへと柑橘系の香りのするハーブティーを注いだ。これはエイミィが好きだと言っていたものだった。


「よくわからないが、多分そうだと思います。皆の話を聞いて、記憶がないはずなのに何だか納得してしまうことが沢山あるので」


 男は首を縦に振って続けた。


「それで、俺はこれからどうすればいいのでしょうか?」


「その前に、君の願力について調べてみようと思う。私の見立てだと、どうやら君の願力特性は『見願』だけではないような気もする」


 ガネットの言葉に、僕を含めた一同から驚きの声が上がった。そんな中、ガネットは一人平常を保って話を続けた。


「レイゼ、少し協力してくれないだろうか。君であればこの青年に魔願変換と願力操作の感覚を植え付けることができるはずだ」


「はぁ、仕方ないね。ほら、頭をこっちに向けて」


 男は隣に座るレイゼの指示に従うように頭を向けた。するとレイゼは男の頭に手をかざして願力を男の頭へと流し始めた。


「......なんだこの感覚は?」


 男はレイゼに願力を流し込まれると、目を瞑りながらそう呟いた。だが、しばらくするとレイゼの表情が次第に何かを感じ取ったように変化していった。それは、驚愕を示すものだった。


「ちょっと、これってまさか......」


「どうしたの、レイゼ?」


 カイレンがレイゼにそう尋ねると、レイゼは男の頭から手を離してカイレンの方を向いた。


「やっぱり、そうだったか」


 ガネットはその様子を見て意味あり気な言葉を呟いた。一体どういうことなのか、今の僕にはその一切がわからなかった。


「ねぇ、カイレン。願力領域を展開してくれないかな?」


「ん?いいよ。――『調界イノヴニス』」


 カイレンはレイゼの指示に従うように願力領域を展開し、この部屋中を自身の願力で満たした。


「ねぇ、異端者くん。試しに魔力を吸収するように意識を集中させてみて。今のお前なら、その流れで魔願変換ができるはず」


「魔力を吸収するんだな。わかった、やってみる」


 そう言って男は集中するように目を閉じた。カイレンの『破願』が付与された願力領域の中、次第に男から純白の願力特有の光が滲みだしてきた。――通常エイミィ以外ではあり得ない光景。一瞬眼前で起こる不可解な現象の違和感に気づくことができなかった。が、願力を視認できる僕はすぐさまその違和感の正体に感づくことができた。


「まさか、これって!?」



「――ああ、エディゼートも気づいたようだな。――この男の願力特性は『見願』、そしてカイレンと同じ、『破願』だ」



 ガネットから告げられた衝撃の事実。それにすぐさま反応を見せる者がいた。


「えぇーーーっ!?!?」


 カイレンは建物中に鳴り響くほど大きな驚愕の声を上げた。だが、それは一人だけではなかった。


「えっ、少し待ってくれ。俺が、『破願』!?一体どういうことなんだ!?」


 男も例外ではなく、容量の限界を迎えた感情をどう処理すればいいのかわからない様子で慌てふためいた。カイレンは願力領域を解除し、男は落ち着きのない様子で考え込み、レイゼも同様に何かを考え込むように手を顔に当てた。


「まぁ、そういうことだ。君は『破願』であり、『見願』、そして『活願』でもある。言うなれば、願力を視認することのできるカイレンだ」


「それって完全に私の上位互換じゃん!?」


 カイレンがそう言うように、将来性の観点からは男の能力は凄まじいものだった。現状ではまだ願力による魔法は使えなさそうだが、いずれ扱えるようになれば強力な戦力として起用することができそうだ。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ!本当に、俺はそうなのか?」


「あぁ、僕の目には確かにお前がカイレンの願力領域内で願力を纏っている姿が見えた。これは通常あり得ないことだ。よかったな、お前も英雄になれるかもしれない」


 とは言ってみたものの、男は依然としてその事実を受け入れられていない様子で口をパクパクとさせていた。それもそうだ、無能としてスタートしていくと思った矢先にこの事実が突き付けられたのだ。複数の感情が一度に大量に押し寄せてしまっているのだろう。


「......早く魔法が使えるようになりたい」


 男はぽつりと小さくそう呟いた。現状魔願変換ができるようになっているため、後は発声による願力操作と魔法の発現に必要なイメージを習得するだけだ。そうすればきっと世界に名を馳せる存在として大成するだろう。


 するとガネットは男の方を向いて目を見つめた。 


「では、私から君に問おう。君は魔願術師としてこの協会に所属するか、もしくは冒険者として生きていくか。他の道もあるかもしれないが、どうしていきたい」


「どうしていきたい、か。......そうだな、俺は異端者仲間の皆と共に生きていきたい。今のところ、この考えだけが確かだ。それが俺の望みでもある」


 男はそう言って僕らを一瞥いちべつした。


「――だから俺は、魔願術師として、この協会に所属したいです!」


 男はきっぱりと言い切った。その言葉の覚悟をくみ取ったのか、ガネットは珍しくほんの少しだけ口角を上げた。


「君の意思は聞き受けた。――わかった。では、君に一つ試練を与えよう」


 ガネットはおもむろに立ち上がって奥の机の方へと向かっていった。そしていつものように紙を一枚手にして戻ってきた。


「まずは冒険者として、その実力を私に証明してみせてくれ。酷なことを言うが、今の君の実力はこの協会に所属するに相応しくないものだ。だからその下積みとして、君は上級冒険者になるまで研鑽を積んでもらおう。話はそれからだ」


 ガネットはそう言ってレイゼの時と同じように、上級冒険者に与えられる魔願術師協会所属の特別試験の案内を机上に添えた。


「レイゼ、君はもうこの書面を私に提出してくれたな」


「もちろん。上級冒険者に昇格したその日に提出したからね」


 男は二人の会話を横目に紙を手にして書かれている内容に目を通した。年に二度行われる特別試験。その応募条件に、『上級以上の冒険者』と太字で書かれていた。


「上級、か。......わかりました。必ずや成し遂げて、この試験に挑んでみせます」


 真っすぐと、男はガネットを見つめながらそう言い切った。ガネットはその覚悟を受け取るように頷くと満足げな表情を浮かべた。


「その決意を胸に、鍛錬に励んでくれ。だが、くれぐれも慢心することのないように。魔物というのは力だけでは圧倒できない狡猾さを兼ね揃えているものもいる。命あってのことだ、そのことを努々ゆめゆめ忘れることのないように」


「はいっ!」


 男の返事を聞き遂げると、ガネットは再び立ち上がった。


「そうだ、カイレン、エディゼート。君たちに後輩なる新たな戦闘員がここに加わったことは聞いているな?」


「はい」


 カイレンは返事をし、僕は首肯した。


 その存在について僕らはディザトリーを発ってから知ってはいたが、会ってからの楽しみだというカイレンからの提案で事前情報は何も知らずにいた。そのこともあって名前はおろか性別すらもわからないままでいた。


「丁度今頃セノールの講義を受けているところだ。気が向いたら尋ねてみてくれ」


「わかりました。はぁ、久しぶりの後輩ちゃんだ。どんな人なんだろう」


 カイレンは胸を躍らするように手を合わせた。丁度僕も気になっていたところだ。ここに来た理由は後輩の姿を拝むためでもある。


「まぁ、カイレンはともかくエディゼートであれば気の合いそうな雰囲気だ。暖かく受け入れてやってくれ」


 カイレンとは微妙で僕と気が合うということは口数が少ないひとなのだろうか。別に僕は口数が少ない方ではないが、何となくそう考えた。


「おお、ということは物静かな人だったりして」


「お前、自分が賑やかな人間だって思ってるんだな。まぁ、実際そうだけれども」


「へへへ、それが私の取柄でもあるんだから」


 調子よさげに僕にもたれかかってカイレンはそう言った。


 確かにこの性格の人間が苦手だと思う人は少なからずいるだろう。僕も最初はうんざりするほどいろんなことに巻き込まれたが、そのすべてが僕のためにやっていることだと気づいてからはその優しさに惚れ込む一方だ。今ではかけがえのない存在になっている。


「では、話は以上でいいな?私はこれから客人の対応に当たらなくてはいけないのでね」


「ありがとうございます、ガネット会長。また忙しい中相談に乗っていただいて」


 すると優し気な表情でガネットは首を横に振った。


「いいんだ、これが私の仕事だ。相談したいことがあればまたここに来てくれ。可能な限りの提案はしてみる。では」


 瞬き一つにも満たない間に、ガネットはそう言って姿をその場から消した。部屋には香り高いハーブティーの芳香がふわりと満ちていた。


 僕らは少し冷めたハーブティーを口にして、飲み終えると立ち上がって部屋の外へと向かっていった。


「どんな人なんだろうね」


「ああ、楽しみだな」


 廊下を行く姿が四つ。期待と共に揃って僕らは一階の一室へと向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る