第51話 予想外の報せ

 第一次グラシア開拓作戦は僕らが早期帰還した五日目から早いこと二日が経過し、全部隊が今日この日をもって帰還することとなった。


 魔物がこれ以上侵入することがないように魔除けとなる魔道具を開拓領域内に設置し、調査隊によって得られた調査結果をもとに環境部門の土木課の職員が土地整備の計画を立てるとのことだ。


 グラシア特別区の街中は今でも建設工事の音が至る所から聞こえていた。すぐに街ができていくわけではないが、心なしか日に日に見かける人の数が増えているような気がした。それもそのはずだ。イアゼルによって魔願樹より半径三キロメートル程度の地域は平らに整備されたが、それ以降は人の手によって整地を行っていかなくてはならない。それがそれほどの労力を要するかは想像に難くないだろう。


 嬉しい話も合った。それは僕が有識者らに丸投げしていた『グラシア・アカデミア』についてのことだ。どうやら僕が開拓作戦で留守にしている間に会議が毎日のように行われており、その中で設立運営のための資金が世界中の関連機関から提供してもらえることになっていた。一応代表者である僕の許可なしに話は進んでいないが、総合会館の広間で会議をしていた有識者たちはまだかまだかと僕をせかすような眼差しで見ていた。

 資金を提供する代わりにグラシア特別区での居住権や実験室の提供を要求されたが、それは想定内のことだった。むしろ、人口が増えてくれるだけありがたい話だ。現在全世界共通貨幣であるネールを他国から借金という形で借りたものを資金としているが、しばらくは仕方がない。今現在こちら側が差し出せるのは交易による利益のみだ。意外ではないが、やはりグラシアの樹海で狩れる魔物の素材は同種のそれよりも遥かに上質で売値が凄まじい額になっていた。特に遭遇率の高い地龍の素材が高価で取引されているらしく、一頭あたり二万から三万ネールで売却されるという。


 そんな夢と希望が詰まったこの街は次第に訪れてくる冒険者たちの数が多くなっていた。開拓作戦が終了したこともあり、明日から整地予定地域よりも外側の進行が解禁されるとのことだ。それを聞きつけた冒険者たちはこの街を観光がてら興奮した様子で練り歩いていた。


 ――そんな冒険者たちの様子を総合会館の一室から羨ましそうに眺める一人の少女の姿を模した存在がいた。この場所を王国とし、そしてその王となるため絶賛勉学中の願人、イアゼルだ。


「はぁ、いいなぁ」


「ほら、イアゼル様。先程からよそ見をしてばかりですよ」


 外交関係の知識を指南する講師の言葉にイアゼルは視線を専門書に戻した。しかしあまり興味のないことは頭に入ってこないのか、難解な文字の羅列が目に映るだけだった。


「では続きです。このように、一見両国との関係だけに見えるこの条約も――」


「――ん?この声は......」


 すると突如としてイアゼルを呼び出す声が脳内に響いてきた。意外にも、その念話の送り主は一度も会ったことのない吸血族の少女――レイゼだった。その驚きのあまり、講師の声など一切聞こえていなかった。


 ――やぁ、こうしてレイゼと話すのは初めてだね


「――『そうだね。でもよかった。二人の記憶を受け継いでいるおかげですぐわかったよ』」


 イアゼルは直接レイゼと会ったことはないが、カイレンとエイミィの記憶を受け継いでいるためレイゼのことについては知り合いのような感覚でいた。


 ――それで、何か私に用があるんでしょ?


「――『うん、話が早くて助かるよ。実はカイレンとエディに急いで伝えたいことがあって来たんだ。それで、二人は今どこに?』」


 レイゼの要求に、イアゼルは感覚を研ぎ澄ませた。魔願樹の能力を最大限まで引き出して、通常時の影響範囲外にまでエディゼートから溢れ出る願力を探知しようと試みる。


 ――ん、見つけた


「――『それで、今どこにいるの?』」


 急かす様にレイゼは聞いてきた。しかしその場所はグラシア特別区の建設予定地であったため、場所を伝えるには少しばかり困難だった。


 ――場所はこのグラシア特別区の建設地なんだけど、場所が伝えずらいから私が言伝でもしようかな


「――『わかったよ。それじゃあ、二人にこう伝えて。実は――』」


 ――えっ?


 レイゼの言葉にイアゼルはそれ以上の言葉を失ったように一言だけ発した。その事実は何とも受け入れ難く、驚きが先行するばかりだった。だが事の重大性は非常に高く、今すぐにでも二人に伝えに行かなくてはと体が疼いた。


「――『まぁ、とにかくそういうことだから、二人に来れそうだったらすぐディザトリーに来て言ってくれるかな?』」


 ――わかった。すぐに伝えるよ。それでレイゼは今どこに......あ、いた


 意識を傾けると、レイゼらしき反応を魔願樹の頂上付近で発見した。こんな場所に来るのは誰一人としていないためすぐに見つけ出すことができた。


「――『まぁ、私は下に降りていくから、よくわからない一番大きな建物の前にいるって伝えておいて』」


 ――わかったよ


 この場所で一番大きな建物といえばこの総合会館のことだろう。あとは理由をつけてここを一瞬抜け出すだけだ。そう思って、イアゼルは一瞬頭を巡らせて最適な理由を見つけ出した。


「ごめん講師のお姉さん、ちょっといいかな?」


「どうなさいました?」


 すると講師は専門書に落としていた視線をイアゼルに向け本を閉じた。


「開拓範囲内で魔物に襲われている人がいるから助けに行ってくるね!すぐ戻る」


 イアゼルは返事を聞く間もなく瞬間移動を駆使してエディゼートとカイレンのもとへと向かっていった。出現先は違うことなく道を並んで歩く二人のすぐ背後だった。


「ねぇ、二人とも!」


「うわっ、びっくりした」


 カイレンは突然現れたイアゼルに驚きの声を上げた。


 ――隣にいた僕も、思わず飛び跳ねてしまうところだった。

 それにしても珍しい。イアゼルが切羽詰まった様子で僕たちに声をかけるだなんて。


「どうしたんだ?そんなに慌てて」


「今さっき、レイゼと念話をしたんだよ」


「え、レイゼと?」


 イアゼルが口に出した名前はディザトリーにいるはずのレイゼだった。そんなレイゼがわざわざここまで出向いてまで伝えたいこととは一体何か、皆目見当もつかなかった。だが、こうしてイアゼルまで慌てた様子でいると少しばかり不安になってきた。


「それで、二人は何を話したの?」


「聞いてよカイレン、エディ。実は......」


「「実は?」」


 イアゼルは一瞬口を止めて僕らの興味を仰ぐ様に一呼吸置いた。




「実は――もう一人の『見願』が現れたんだっ!」




「「......もう一人の、『見願』??」」


 一瞬、その言葉を理解できずに僕とカイレンは顔を見合わせた。

 『見願』。文字通り、願力を視認できる願力特性を指す言葉だ。特性という表現よりも、実際は身体の願力融和率が非常に高い体質のことを指す。


 ――そんな『見願』が、僕以外にも?


 ようやく、言葉の意味を飲み込んで理解することができた。理解することができたので、その事実にただ驚くばかりだった。


「えっ、そいつは誰なんだ?」


「詳しい話は総合会館前のレイゼに聞いて。私は講義に戻らなくちゃ。それじゃあまたね!」


「おい!って、消えちまったか」


 そう言ってイアゼルは姿を消してしまった。

 嵐のような一瞬の出来事だったためか、僕とカイレンはしばらくほったらかしにされるようにその場で立ち尽くしていた。

 グラシアに吹く風の音と道行く冒険者たちの笑い声だけがその場から聞こえていた。


「と、とりあえず行こうかエディ」


「あぁ、そうだな。レイゼのもとに急ごう」


 僕らは思い出したかのように動き出すと、総合会館を目指して飛行魔法で移動していった。当然、カイレンの分も発現させてだ。

 向かいの通りにある総合会館まではそう遠くまではなかった。


「おーい!」


「――ん、来たみたいだね」


 ものの数秒で到着すると、そこにはディザトリーを出発したときぶりに見かけるレイゼの姿があった。ほんの数週間しか会っていないため特に変わった様子もなく、どこかの貴族の令嬢のような黒いドレス風の衣装に身を包んでいた。


「久しぶりだね、レイゼ」


「カイレンも、エディも久しぶり。元気そうで何より。とは言っても数週間ぶりだけどね」


 レイゼはカイレンと僕に小さく手を振って挨拶を済ませた。


「それで、『見願』が現れたっていうのはどういうことなんだ?」


「それはディザトリーに向かいながら話そう。別に急を要するってわけではないけど、話は早くつけた方がいいかなって思っただけだよ」


 レイゼの口ぶりから、深刻な状況でないことが窺えた。ほんの少しばかりの安堵に肩の力が緩んだ気がした。カイレンも同じようにほっと一息ついて胸を撫で下ろしていた。


「わかった。まぁとにかく――『飛翔いくぞ』!」


 こうして僕は全員分の飛行魔法を発現させて、ディザトリーに向かって南西へと進んでいった。




――――――




「それで、『見願』の人は今どこにいるの?」


 カイレンは気になった様子でレイゼに真っ先に尋ねた。


「とりあえず今は私たちの宿の部屋にいさせているよ。でも、エディの時と同じみたいで記憶を失っているらしい」


 あまりにも身に覚えのある状況がレイゼの口から伝えられた。


 忘れることのない、目覚めの瞬間。まさか自身の記憶がないだなんてすぐに気づけて受け入れられるはずがない。僕の場合はすぐそばにカイレンがいてくれたおかげでそこまで取り乱すことがなかったが、もし一人知らない場所で目覚めたら不安と恐怖で慌てふためいてしまうことだろう。


「そいつは男か?」


「うん。エディと似たようなローブを着ていたよ。間違いなく、エディとカイレンに関係していると思う」


 今はあまり着ることのない赤の刺繍が入った黒地のローブ。これと耳飾り、そして鉱石がはめられたネックレスだけが僕がこの世界に持ち込んだ唯一のものだ。そのうちの一つであるローブが僕のものと似ているとなると、いよいよその男との関係性が無視できないものとなる。


「名前は、記憶がないから当然知らないよね?」


「うん。でも話す言語は同じだったから会話はできたよ。ただ、どうやらエディとは違って魔力から直接魔法を発現することはできないみたいなんだ」


「......なるほどね」


 レイゼの言葉に何かを考えるようにカイレンは下唇に手を当てて下を向いた。


 レイゼの話が本当なら、僕と違って男の体はこの世界の理に準ずるように設計されていることになる。だが、何故僕は理から外れ、男はそうでないのか。この違いがわからない。しかし男の存在は僕がこの世界に来た原因や僕の正体についての手掛かりになるかもしれない。手掛かりが一切ない状況から一歩前進できる。


「なぁ、どこでそいつと出会ったんだ?」


「それは話すと少し長くなるね。――あれは一昨日の夜だったかな。私とアベリンとベリンデの三人ではぐれ石龍の討伐クエストをしに、ディザトリーから北部にある採石場近くの森に来ていたんだ。クエストの初日の夜に、急にアベリンが北の空に流れ星が落ちていると言っていたからよく見ると、人のような姿が見えたから落ちていった場所に向かってみたんだ。するとびっくり、その男は意識を失った状態で森の中で倒れていた。最初は驚くばかりだったけど、思い出すとエディの時とそっくりだから起きるまで待ってみたんだ。そして目が覚めたところで質問をすると、って感じだね」


「なるほど」


 状況はなんとなくわかった。アベリンとベリンデは僕が記憶のない状態で目覚めたことを知らないので、心底驚いたことだろう。何せ流れ星かと思ったら、男が空から落ちてくるだなんて。このような登場をした僕ですら信じられないことだ。


「まぁ、とりあえず今は落ち着いているから大丈夫なはずだよ。エイミィとアベリン達が見守ってるしね」


「そうか、それならよかった」


 とはいえこの後どうするのか、どのような行動をとれば男のためになるのか。当然、わからないわけではなかった。そう、こういう時は千年を生きた頼れる味方――ガネットを訪ねればいい。

 厄介ごとを押し付けているようにも思えるが、新たに戦闘員の研修生として加わった人にも会ってみたかったところだ。ついでというのもなんだが、魔願術師協会に男を連れて尋ねてみよう。きっとガネットなら最善策を導き出してくれるはずだ。どうやらそう思っているのはカイレンも同じだったらしい。


「とりあえず、宿に立ち寄ったらガネット会長を訪ねようか」


「僕もそう思っていたところだ」


 ――こうして僕らはグラシアの上空を突き抜けるような速度で駆け抜けてディザトリーの宿を目指していった。

 その間、名前の候補を考えてみたものの特にいい案が思いつかなかったので名づけは保留となった。





――――――





 二週間ぶりのディザトリーに到着。行儀よく門を潜り抜けて宿へと向かって行った。当然、街の様子は変わりなくいつもの馴染みのある風景が広がっていた。道中僕らを見かけた人々が手を振ったり声をかけてきたが、急を要していたため軽く会釈するだけに留めておいた。


「着いたな」


 この街でも比較的立派な外装に包まれた宿に到着した。

 早速扉を開けて中へと入り、階段を目指して四階へと上がっていった。


「どんな人なんだろうね」


 足取り軽やかにカイレンはワクワクとした様子で早足に廊下を歩いていた。


「男なら、気が合うといいんだがな」


 ようやく知り合いの男女比がいい感じのバランスになってきたところだ。仲良くできるなら、是非とも話がしたい。同じ記憶無し『見願』仲間として。

 期待に胸を躍らせながら、僕とカイレンはかつて寝泊まりしていた部屋の扉に手をかけた。


「お待たせ、カイレンただいま到着しましたー!ってことで入るよー」


 中から返事がなかった、いや、返事をさせる間もなく何の躊躇いもなしにカイレンはそう言って扉を開けた。

 扉の奥には一体どのような男がいるのか。すると扉が完全に開き切り中の様子が見えるようになった。部屋の奥、窓辺のベッドのそばに立っていたのは――


「......えっ、あらまぁ。これはこれはとんでもない頃合いに......」


「ん?――誰って、ああっ!?」


――まさしく着替えの最中だった、上半身裸の男が慌てた様子で一人突然の訪問にたじろいでいた。男は左右に視線を動かして僕とカイレンを何度も見比べていた。


「......ごめん、見なかったことにするね」


「もう遅いだろ」


 カイレンは目を両手で塞いで後ろを向いたが時すでに遅し。男は自身のあられもない姿を見ず知らずの少女に見られてしまったという事実に赤面するばかりだった。


「――はぁ、お前たち階段を上るのが早すぎるんだよ。もう少しゆっくりでも......あっ」


「あっ、まずい......」


 すると後から遅れて到着したレイゼも上半身裸の男の姿を目に収めてしまった。男は唖然とした様子で固まってしまい、気まずい空気が部屋中を満たしていた。誰が何を先に言うか、そんな探り合いが起きていた気がした。


「はは。......えーと、初めまして、だな。それで、まずは服を着たらどうだ?」


 とりあえず、今男に対して言えることを先んじて口で伝えた。


「そ、そうだな。とりあえず、服を着て......よし」


 そう言って男はベッドの上に置かれた長袖の黒い肌着をすぐさま身に着けた。


「はぁ。びっくりした......」


 男はカイレンよりも長い黒寄りの細長い青髪を白い紐状の髪留めで一つ縛りにしていた。長いまつ毛につり目、細くもしなやかな体つきからは美形と呼ぶに相応しい風貌だった。背も高く、何も履いていない状態で僕より少し低いくらいの身長だった。


「それにしても、エディと髪色が似ている......。もしかして、兄弟?いや、でも瞳の色が違うなぁ」


 カイレンの言う通り、男と僕の髪色は似ていたが若干僕の方が暗めの色をしていた。そして決定的に違うのは、瞳の色が白にも近しい水色ということだ。僕の瞳は橙色であるため、見て明らかだった。


「試しに二人並んでみたら?ほら」


「え、ちょっと」


 レイゼに背を押されるまま僕は男の隣に向かった。横に立ってみると、顔立ちや雰囲気は違えどどこか馴染みのあるようなないような不思議な感覚がした。こうしてみると、まるで生き別れの兄弟の再開のような構図にも見える。


「......お前、やっぱり僕と少し似てるな」


「っていうかお前を見ていると、なんか思い出せるような気が......。それに、そこにいる確か......カイレンってやつもそうだ。明確じゃないけど、そっちにも覚えがある」


 男は僕らを見比べながらそう言った。声は違うが、心なしか話し方が僕にそっくりだ。まるで自分と対話しているようで不思議な感覚がした。


 ――だが、どうやらこの感覚を共有しているのは僕と男だけのようだったらしい。


「えっ、ごめんだけど、私は君のことを見ても見覚えがないというか、エディと似てるなってくらいしか感想が出てこないというか......」


「「......えっ?」」


 カイレンの突然の発言に、一同から疑問の声がこぼれた。繰り返すと、カイレンは男に見覚えがないと苦笑いしながらそう言っていた。当然、カイレンも見覚えのあるものだと思い込んでいた僕らはしばらく立ち尽くしたまま何とも言えない空気に包まれていた。


「本当に、ないのか?」


「うん、ごめんだけど、エディの時とは違ってピンとこなかった......」


 その言葉に男も困惑するばかりだった。その何とも言えない状況を前に僕と男は目を見合わせた。


「......だってさ」


「......まぁ、見覚えがある方がおかしいんだ。だって俺は記憶がないんだし......」


 男の一人称は「俺」だった。てっきり僕かと思っていたがどうやら違うらしい。だが一人称が「俺」の方が男には似合っていると思った。


「で、どうするか。名前とか、今のうちに決めておく?」


「名前か。確かに俺もわからなくて困っていたところだった。装備品にも手掛かりがないし」


 その点に関しても僕と同じだった。僕も目覚めたての頃は微かな希望にかけて全身をくまなく探してみたものの、何一つとして手掛かりとなるようなものは見つからなかった。


「カイレン、お前の出番だ」


「えっ、私か......。まぁ、エディの名前を考えたのも私だし。そうだなぁ、何か特徴があれば......」


 そう言ってカイレンは男の近くまでずいと距離を縮めてまじまじと見まわした。


「うーん......」


「あの、カイレン?俺を見たって名前は出てこないんじゃないのか?」


 男は無言で目を細めながら自身の周囲をぐるぐると見まわすカイレンに困惑の声を上げていた。当然、会ったばかりの見ず知らずの少女にそうされては僕だって同じ反応をしてしまうだろう。


「何か、使える魔法とかってあるの?」


「魔法?あぁ、そのことなんだが......」


 ――男は何かを言いよどむようにカイレンから視線をそらしてこう続けた。


「――実は俺、まったく魔法が使えないんだ。ははは......」


「......えっ、そうなの!?」


 驚愕の表情と共に、僕の心の内をカイレンが代弁してくれた。


 考えてみれば、わかりきっていたようなことでもあった。記憶がないのであれば、当然魔法に関する記憶もなくて当然だ。空から降ってきたというレイゼの供述から、もしかしたら『対界』からこの世界に渡ってきたのかもしれない。そうであるならば、願力による魔法の発現方法を知らなくて当然だ。


「願力と魔力についてはわかる?」


「あぁ。体内の願力を魔力に変換して魔法は発現される。でも俺の体は言うことを聞いてくれないんだ」


 すると僕の目には男の周囲に願力の青白い光が見えた。その様子からどうやら男の体のデザインはこの世界のものであることがはっきりとわかった。


 ――でも、どうして対界から来たはずの男は僕と違うのだろうか


 そのことばかりが頭の中を埋め尽くしていた。


「うーん。君は願魔導師じゃなくて魔願術師ってことになるのか」


 一般的に魔法を操れる人で魔願術師協会に所属していない者を総じて魔法使いと呼ぶ。だがカイレンは男を魔願術師として当てはめて、考え込むように腕を組んだ。


「願魔導師?それに魔願術師って何だ?」


「願魔導師はお前に残っている記憶のように、魔力から魔法を発現できる魔法使い。魔願術師、通称『ディザイアド』はその逆の手順で魔法を発現させる魔法使いのことだ。正確には違う要素があるが、今はそんな風に思っておいてくれ」


 僕がカイレンにしてもらったように、事情を把握していない男に対して説明をした。一応僕が願魔導師であることは伏せておいた。万が一途中でアベリンとベリンデが来てしまっては大変なことになりかねない。

 すると男は理解を示す様に頷いた。


「なるほど......」


「ちなみに、この世界では後者の魔願術師ディザイアドが一般的、というよりそれ以外の方法で魔法を発現できる者は総じて異端者だ」


 自分でこう言っておいて何なのだが。するとカイレンとレイゼは僕の言葉に笑いそうになってか口元を手で押さえていた。異端者である僕が自分自身に対して名指しで言うように説明したことが相当面白かったのだろう。


「でも安心しろ。お前は大丈夫だ、多分。『見願』であることが周知されなければ、静かに暮らしていけるはずだ。『見願』とばれなければ、世界最強の少女に一生を誓わなければ。な」


 念を押す様に、男の肩に手をかけながらまっすぐ見つめてそう言った。

 心当たりのある少女に僕が視線を向けると、少女は気をそらす様にそっぽを向いた。だが、自身が『見願』であることが周知されてしまったのは僕自身の失態のせいだった。これは単なる男に対する念押しみたいな言葉に過ぎないのだ。


「あ、ああ。まぁ、とにかく、大丈夫ってことはわかった。けど、起きた時から見願見願って、願力って見えるもんなんだな。そこにいるレイゼってやつを見て驚いた」


 すると男に名指しされたレイゼは顔を上げて男を見た。


「はぁ。何度も言っているけど、お前のその体質はこの世界では極めて異質なものだから、くれぐれも私たち以外には言わないように。もし周知でもされたりしたら.......」


「......されたりでもしたら?」 


「――お前は、無能の『見願』として世界中から晒し者にされるだろうね」


「......」


 レイゼにしては低く脅かすような口ぶりに、男は唖然とした様子で立ち尽くすばかりだった。だが、言い得て妙だ。『見願』というのは、特異なる魔法の才を持ち合わせているのが当たり前とされていた。だが、この男はその才どころか魔法が扱えないときた。そうなれば、世間の期待を裏切るようなことになって最悪非難を浴びることになるだろう。


「ま、まぁ。とにかくガネット会長のところに行ってみるか」


 カイレンは一瞬冷え切ったような空気を押し流す様に手を一度叩いて口を開いた。


「そうだな。とりあえず、名付けは後だ。アベリンとベリンデがいない今のうちに行くとするか」


「じゃあ私はここに書置きを残しておくよ」


 微妙な空気を部屋中に満たした張本人は気に留めることなく出発の準備をてきぱきと整えた。


「困惑しているところ悪いが、ついてきてくれ」


「ああ」


 男が頷くと、僕らは部屋を後にした。


 こうしてカイレンの提案に従うように、留守の知らせを机の上に置いて僕たちは宿の外に向かって行った。レイゼの一言が余程気になってしまっているのか、男は終始黙り込んでしまっていた。

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