第44話 第一次グラシア開拓作戦 1

 先陣を行く者が十一名。木々の隙間を縫うように歩いていった。


 第一拠点付近ではイアゼルの影響もあってか魔物の姿は確認されなかった。しかし、今まで手付かずだったためか思いのほか動物の動く気配を感じた。魔物の接近と勘違いしてしまうため、非常に厄介だ。


「この先を行けば湖が確認された地点に出るはずよ」


 魔願術師協会ノレアス王国支部所属の上級戦闘員が一人、長耳族の「イリス」は手にした地図を眺めながら前方を指さした。

 黄色い瞳につり目。長耳族の女性にしては小柄で、肩のあたりまでの長さの薄緑色の髪を後ろで一つ結びにしていた。

 彼女は今作戦における位置情報の通達係として第一部隊に参加していた。

 長耳族や有翼人の一部には、方位を正確に感知することができる能力を持っている者もいる。イリスはそれに該当するため戦力兼情報役として部隊全体の案内をしていた。


「――私たちの愛の巣、私たちの愛の巣」


 カイレンは周囲を警戒しつつも楽し気にそう呟きながら歩いていた。

 距離としては第一次作戦では十五キロメートル程度の距離しか進行しないため、飛行魔法が使えない者がいることもあってしばらくは歩いて行動することとなっていた。


「そろそろ森を抜けるころよ」


 イリスがそう言うように、少しずつ木々の数が少なくなってきた。

 すると正面、他より少し低くなった地形に水辺が現れた。

 その様子は、湖と表現するよりも沼として表現した方が正しいようにも思えるものだった。


「うわぁ、思ったよりも濁ってる」


「あぁ。何だか思っていたのと違うな」


 カイレンは何とも言えないような声の調子で湖の様子を嘆いた。

 水面にはこの地域にしては珍しい水草だろうか、そういったものが水中から顔を出すように伸びていた。


「――ふむ、動物か魔物が水を飲みに来た痕跡があるな」


 そう言って二人目の魔願術師協会上級戦闘員、「バーゼン」は眼鏡に手を当てながら水辺を見渡した。


 背は平均的だが体格が良く、茶髪を後ろにかき上げているため一見戦闘要員にしか見えない。しかし見た目に反してその役割は環境に残された痕跡から魔物の種類や行動などを推測し情報を共有することであった。

 彼はミリカナ帝国支部所属であり、クレウルムと同期であった。そのためパーティー会場ではクレウルムと話している姿を見かけていた。


「足跡の形状からして、この地に生息する地龍のものとみて間違いないだろう。ここら一帯には同じ足跡しかないことから、おそらくこの周辺地帯は奴らが縄張りを敷いているとみていいはずだ」


 地龍はこの世界において多様な地域に生息している魔物として有名だ。環境に適応する能力が非常に高いため、かつてのグラシアのような極地でも生息していた。


 攻撃手段として願力によって刃のような形状をした爪を食い込ませるように振りかざしてくるが、跳躍可能距離よりも高所から魔法で攻撃すれば楽に倒せる魔物だ。だがしかし、毛皮とは違って体表は願力によって強化された鱗で覆われているため、剣などの物理攻撃は効きにくい。そのため魔法での攻撃以外では撃破が困難となる。


 無論、極地を生きた地龍たちが魔力を得た今、その凶暴性と耐久性は凄まじいことになっている。カイレンの『破願』やクレウルムの『錬願』、アベリンやベリンデのような『削願』などの願力特性が無ければ、平常通りの戦い方では傷一つ付けられないこともあるだろう。


「しかし、妙だな」


「ん?どうしたんだバーゼン」


 三人目の魔願術師協会上級戦闘員、「ゲテル」は訝しむ表情を浮かべたバーゼンに対して声をかけた。


 少しひょろ長い体格に金髪の癖毛に緑色の瞳。今回の作戦で参加する魔願術師の中では彼が最年長だった。

 彼もバーゼンと同じミリカナ帝国所属であったため、道中二人で話をしている様子が見られた。


「いや、確かに痕跡があるのだが、そのどれもがかなり前のものだ」


「そーなんか?俺にはわかんねぇや」


 確かに、イアゼルの影響範囲から歩いて一時間弱程の距離の場所だが周囲にはあまりにも魔物の気配がなかった。まるですべての魔物がこの地から去っていったような静けさがあった。


「――なぁ、レイガン。以前の森には魔物がいたんだよな?」


 僕の後方で様子を見ていたレイガンに声をかける。


「あぁ、けどいくら地脈異常の時に大量に倒したからっていくらなんでもいなさすぎる。魔物に限っては年中繁殖期みたいなもんだ。だから狩り過ぎることなんてなかったが......」


 奇妙に思うのはレイガンも同じだったようだ。


「あの地龍を食らうやつってなるともしかしたら......」


「もしかしたら、水龍かもしれないな」


 するといつの間にか僕たちのそばに来ていたバーゼンはレイガンの言葉に合わせるようにそう言った。


「水龍?でも魔願術師の兄ちゃん」


「俺の名前はバーゼンだ。それでこっちがゲテル、あっちにいる奴がイリスだ」


 するとバーゼンは近くにいた魔願術師の名前を言いあげた。


「よろしくー」


 ゲテルはそう言ってレイガンに手を振った。


「おう、よろしくな。えーと、それでバーゼン。さっきの続きなんだが、水龍ともなるともっと奥地にいるはずだぜ」


「そうだな。だが可能性として、環境の変化に伴い活動範囲も移っていると考えられる」


 環境の変化というのは主に魔力濃度が高くなったことを指しているのだろう。

 今思い返すと、レイガンが単騎で長時間魔物と戦闘を繰り広げられたのはあの時は普段よりも魔力濃度が高かったからだと考えられる。


「つまり、ここまで水龍が来ることがあるって言いたいのか?」


「あぁ、十分あり得ることだろう」


「――確かに、前に水龍を倒した時にも似たような状況だったぜ」


 後方に立つ金髪を後ろに一つ結びにした男、ジニーはバーゼンの考えを助長するように会話に入ってきた。

 ふと思い出すと、酔ったクレウルムの自慢話の中に水龍討伐の話があった。ジニーはクレウルムと同じ冒険者パーティーに所属しているため、水龍を討伐した経験があるのだろう。


「やつが腹を空かせると水辺の動物も魔物も全部食っちまうもんだからなぁ。本当に、静かすぎて気味が悪かったぜ」


「そうか。ならば更に警戒する必要があるな」


 そう言って、バーゼンは後ろを振り返った。

 後方には、大勢の冒険者が待機していた。皆、移動ばかりで退屈しているのか談笑している者がほとんどだった。


「今この状況において、餌として認識されているのは俺らだろう。少し危険ではあるがおびき寄せる方法で水龍を討伐するのもありだ」


「じゃあここに待機命令でも出しておく?」


 部隊全体の指揮権をもつカイレンはバーゼンにそう尋ねた。


「いや、少し待って下さいカイレン様。水龍でない他の魔獣による可能性もあります。原因がより奥地にある場合、ここで足踏みするのは時間の無駄ですので」


「確かにそうだね。今は痕跡集めしないといけないか」


「ええ。ですので、一度この湖の周囲を手分けして調査してみたいと思います。指揮内容につきましては全部隊を二手に分け、湖の周囲をそれぞれ一周するようお願いします」


「うん、わかった。――おーい!みんなー!」


 そう言って、カイレンは後方にいる冒険者たちに事情と行動内容を指示し始めた。

 カイレンが指示を出すと、ようやく出番を与えられたからか乗り気で冒険者たちは動き出していった。


「ひゅー!まさかお前がカイレン様にご助言とは」


「うるさいゲテル。ほら、お前もふらふらしてないで手伝え」


「へいへい」


 こうして僕らは一時間弱ほどかけて湖の周囲を調査していった。




――――――




「えー、まず。結論から言うと、これは水龍の仕業で間違いないだろう」


 部隊を一度集合させると、バーゼンはそう口にした。


「俺も、そう思うぜ。でけぇ足跡に青い鱗、それも古龍種ときた。ひぃ、思い出すだけでおっかねぇ」


 ジニーがそう言うように、探索の最中にいくつか水龍のものとみられる痕跡が確認された。

 噛み千切られた地龍とみられる魔物の一部や、特徴的な長い尾を引きずった跡など、様々だった。


「でも、そいつのおかげでもしかしたらここら辺の魔物は全部逃げたか食い殺されたんだろ?」


「ゲテルの言った通り、その可能性が極めて高いだろう。この先を開拓していく俺たちにとっては都合が良くも悪い」


 確かにバーゼンの言う通りだ。魔物がほとんどいないとなると殲滅が楽になるが、一方で水龍を討伐しなければこの地域の安全を保障することができないということになる。

 何とももどかしい状況だ。


「まぁ、とりあえず先に進まない?ずっとここにいるのも飽きてくるし」


 ゲテルだけでなく他の冒険者たちも皆同じような様子だった。


「そうだな。だが数名ここに人を残しておきたい。万が一水龍がこの湖に飛来した時にすぐ駆け付けられるようにしたいからな」


「ってことで、カイレン様よろしくー」


「はーい」


 こうして後続の第二部隊の中から十名ほど、拡声魔法や飛行魔法などを扱える通達に適した人員がこの湖に残ることとなった。




――――――




 ――イリスを先頭に、総勢九十名ほどとなった部隊は湖の更に北側に存在が確認されている川に向かって進行していた。

 道中、蜘蛛型の魔獣の巣窟を発見することとなったが、後続部隊が出る間もなくあっさりと殲滅が完了した。


「悪いねぇみんな、出番を奪っちまったようで。ハハハ!」


 声高らかに豪快な笑いを見せるのは、第一部隊の上級冒険者の一人、「ラーカ」であった。

 黄色い瞳に癖のある赤毛の短髪、男性にも引けを取らない屈強な体つき、戦士を体現するように彼女は『顕願ヴァラディア』によって生成した大剣を木の幹ごと叩き割るように豪快に振り回して戦闘を行っていた。


「はぁ。また危うくラーカに切り殺されるところだった」


 そうため息を吐いたのは同じく第一部隊の上級冒険者である「バルトレッド」だった。

 小柄で見た目は年若いが、それは彼の種族が故である。獣人族の中でも珍しいとされている黄猫種のバルトレッドは、黄色い毛並みの猫のような細長い尻尾に特徴的な白い縞模様があった。

 その戦闘スタイルはアベリンに似て魔法の双剣を用いて素早さと手数で圧倒するものだった。ラーカと同じ冒険者パーティー『玉砕命令』の一員であるため、戦闘中は彼女の攻撃に合わせるように立ち回っていた。


「相変わらず、二人は仲良しだねぇ」


 そして第一部隊最後の上級冒険者が一人、同じく黄猫種の「セントレッタ」が茶々を入れるように呟いた。無論、彼女もまたラーカやバルトレッドと同じ冒険者パーティーの一員でバルトレッドの姉に当たる存在だ。

 黄猫種は男性よりも女性の方が一般的に背丈が高く、セントレッタも例外ではなかった。

 セントレッタは黄色い瞳を宿した目を細めるようにしてバルトレッドを見ていた。


「誰がこんなデカ女と仲がいいって言うんだ」


「ふんっ。こんなちびっ子、視界に視界すら入らなかったね」


 二人は仲がいいのか悪いのか、それでも戦闘での相性はとてもよさげに見えた。

 接近してきた魔物をラーカが薙ぎ払い、細かな隙をバルトレッドが手数で埋め、セントレッタが遠距離から攻撃をしようとしてきた魔物を魔法で打ち抜く。上級冒険者パーティーというだけあってその連携力はやはり桁違いのものだった。


「いやぁ、それにしてもミリカナ帝国の最強パーティー二つの実力、凄まじいねぇ」


 セントレッタはそう言ってもう一つの上級冒険者パーティー『最強男児』の方に目を向けた。

 当然、ジニーたちもその圧倒的な戦闘力によって魔物の群れを殲滅していた。


 ジニーは『瞬動』を連続で使用することで魔物の判断を鈍らせ隙を作り、その隙を逃さぬようにのローレルが柄の長い大槌を叩き込み、後方からバレッタが魔法による援護射撃をしていた。


 意外にも予想と違い、ローレルとバレッタの立ち位置が逆であった。

 ローレルは願力による身体強化を得意とする願力特性『活願』を有しており、その体格からは想像できない破壊力を生み出していた。『活願』という願力特性は正確には願力だけの特質だけでなく、自身の特異体質によるものでもある。


 カイレンや血液を吸収した強化状態のエイミィも、この『活願』に当たる性質を持ち合わせているという。実を言うと、情けないことに本気を出したカイレンに対して通常時の僕はあっさりと力負けしてしまうのだ。『破願』に『活願』体質であるカイレンは、文字通り人類最強である他何者でもなかった。


「ははっ、まさかこうしてまた共闘する日が来ようとはな!」


 バレッタは鋭い目つきをにやりと歪ませて豪快に笑って見せた。


「本当に、緊急クエスト以来ですね」


 ローレルも、何体もの魔物を叩き潰したとは思えないほどの爽やかな笑顔でそう答えた。

 両者は面識があるようで、互いの戦闘範囲を侵害しないように立ち回りを意識しているように見えた。


「今のところ、私たちが出るまでもなさそうだね」


「あぁ、そうだな」


 カイレンと僕は冒険者たちのやり取りを眺めていた。

 魔願術師の大半は魔法による中距離からの飽和攻撃を主力として立ち回る。そのため近接で戦闘を行う冒険者たちに攻撃を当てかねないため、このような場での戦闘に慣れている彼らに殲滅を任せることにした。


「――はは、それにしてもすごいわね。今のところ、私は案内しかしてないわ」


 イリスは上級冒険者たちの活躍を目の当たりにしてそう呟いた。


「大丈夫だよ、イリスちゃん。君のおかげで私たちは何も考えずにいられるんだから」


「......イリス、ちゃん?はは、そうですか。そう言っていただいてありがとうございますカイレン様」


 カイレンは第一部隊唯一の同性であるイリスに親し気に接していた。


「もう、そんな堅苦しくならなくていいよ。私のことは魔願帝じゃなくて、ただのカイレンとしてお話してほしいな」


「そうなの?......わかったわ。じゃあ、えーと、カイレン......ちゃん?」


「うん!えへへ、イリスちゃん可愛い」


 そう言ってカイレンはイリスを抱きしめた。

 相変わらず、カイレンは人との距離の詰め方が早く上手だ。少しばかりそのスキルを教授してほしい、いや、僕には無理だし似合わないだろう。あれはカイレンだからできることだ。


「ということで、バーゼンとゲテルも私とは立場関係なしに話すこと。いいね?」


「――わかった。その方が俺も気が楽で助かる」


「お、まじか!カイレン様、いや、カイレンちゃん最高!」


 二人は穏やかな表情を浮かべた。

 こうしてちょっとした戦闘を挟んだおかげで、僕たち第一部隊の仲は少しだけ縮まったような気がした。


「じゃあとりあえず、この森の先を出ると川に出るからその前に行動会議でもしましょう」


「そうだね。この森の中にはまだ魔物がいそうだし、それを倒した方がいいかも」


 イリスの言葉に続けるようにカイレンはそう言って周囲を見渡した。

 事前に配布された簡易地図には川と湖の間に広大な森が東西に延びていた。


「森の中では水龍に遭遇したとしても逃げ延びやすいだろう。ならば一度この森の魔物を殲滅するのは大いにありだ。第二部隊の連中も、その方が気分がいいだろう」


 バーゼンはそう言って後方に続く大勢の冒険者を見た。

 今のところ、朝から歩いてばかりで退屈なことばかりだった。ここで少し気を紛らせた方が士気も下がらないだろう。


「よし、それじゃあ私の出番だ。みんなにそのことを伝えに行ってくるね」


「あぁ。日没までに、湖に集合するとだけ伝えてくれ」


「わかった!」


 そう言ってカイレンは冒険者たちを焚き付ける言葉と共に指示を出していった。

 第二部隊からは威勢のいい声が上がり、北部森林地帯の魔物殲滅作戦が始まった。


 ――時間にして昼時で少しばかり空腹を覚える頃合いであったが、腰に取り付けたウエストポーチに忍ばせた携帯補給食と魔法で創り出した水を腹に詰め込んで誤魔化した。

 すると水を創り出せる僕の前には喉を乾かした冒険者が何人も羨ましそうな顔を向けて立っていたので、一時的な給水係として魔物の駆除をしながら人々に水を与え森中を駆け回ることとなった。


 いつの間にか、僕には救世主ならぬ『給水主』というあだ名が冒険者の間で定着していた。






――――――






 日は次第に落ちていき、もうすぐ日没に差し掛かろうとしていた。空にはうっすらと星々の明かりが見え始めていた。


 第一次グラシア開拓作戦一日目は、順調に進行することができたと言えよう。想定していたよりも魔物の数は少なく個々の強さは一般的なものと比較して格段に強かったが、暇を持て余した百名弱の冒険者の前ではなすすべもなく殲滅された。


「――どこか怪我したやつはいないかー?いたら回復魔法で治療するからこっちに来てくれー」


 湖周辺の拠点に集まった冒険者に対して、僕は給水役から救護役として声をかけて回っていた。

 一般的に魔法を使える人は願力を大量に消費することで自己再生することができるが、その効果は人それぞれであるうえ連日の作戦を前に少しでも力を温存するべきだと考えたのでこうすることにした。


「すまねぇ、頼んでもいいか?」


 冒険者の一人から声を掛けられた。見てみると、右頬の辺りを深く切り裂かれ体のいたるところから出血をしていた。


「あぁ。それにしてもひどい怪我だな」


「へへ。少し油断しちまってな」


 見ているだけでも痛々しい様子だったので、すぐさま回復魔法をかけてやった。


「ほら、かけてやったぞ。これで痛みもなくなるはずだ」


「えっ本当だ、すげぇ!嘘かと思ってたが噂通りの効き目だ!」


 傷が完治すると男は体を見回した。


「よかったな。でも、傷が治ったからって無茶はするなよ?さすがに体の一部が吹っ飛んだりでもしたら治せないからな」


「あぁ、わかった。ありがとよ、エディゼート!」


 こうして湖の周りを一周して人々の傷を癒していった。

 気づけば僕のあだ名は「給水主」から「奇跡の給水主」へと昇格したのであった。


「ありがとうございます、エディゼート様」


「ん?」


 拠点の救護班の天幕の前を横切ると、冒険者協会の制服を着た職員の女性から声を掛けられた。


「皆さんを治療していただいて、本当に助かります」


「いえいえ。今日は特に何もすることがなかったので、少しばかり役に立ちたかっただけです」


 本心がそのまま言葉に出てしまった。

 正直、今日は本当に暇だった。やったことと言えば給水とちょっとした火力支援だけだ。


「そうでしたか。ですが今回の作戦のために回復薬を大量に持ってきましたので、お疲れでしたらお休みください」


「はい。その時はお願いします」


 そう言って僕は天幕を後にしていった。


 ――この世界には、回復薬と呼ばれるアイテムが存在する。


 名前からして摂取すると傷が癒えるアイテムのように聞こえるが、実際は魔願変換効率を一時的に底上げする増強薬だ。その効果で自己再生能力は飛躍的に向上するが、身体への負担はその分大きいものとなる。摂取しすぎると毒にもなるが、適量であれば薬にもなる便利なアイテムだ。

 だが残念ながら、体が魔願変換できるように設計されていない僕にとって回復薬はただの苦い水同然だ。飲んだことはあるが全くと言っていいほど体調に変化はなかった。


 ――まぁ、回復薬はとても高価だから必要なくてよかった


 そんなことを考えながら、僕らは第一部隊用に建てられた天幕へと向かっていった。




――――――




 明かりが点けられた天幕の中には、魔願術師協会の面々が集まっていた。

 どうやら冒険者は冒険者同士で野営するらしい。


「おっ、噂をすれば奇跡の給水主様じゃないか!」


 僕の登場早々、ゲテルは調子よさげにそう言ってきた。


「はぁ。もし今度その名で僕のことを呼んだら水浸しにするぞ?」


「ひいぃ!おっかねぇや。えっ、てか冗談だよ冗談!だからその指先に浮かべた水を俺に向けないでくれないか!?」


 ゲテルはそう言って慌てふためいた。


「はは。冗談だよ、冗談。それにしても立派な造りの天幕だな」


 天幕は人十人ほどであれば余裕で寝泊まりできるほどの広さで地面には座っても痛くないようにシートがかかっており、中央で焚火ができるような構造となっていた。


「俺もこんないいものは初めてだ。もうミリカナ支部じゃなくてここに籍を置きたいくらいだ」


 バーゼンはそう言ってくつろいだ様子で腰を掛けていた。


「でも俺たちがミリカナから出て行ったらクレウルムのやつが寂しがるだろうぜ?」


「ははっ、そうかもな。今頃あいつは、何をしているのやら」


 さすがに主戦力がごっそりといなくなることはよくないためか、クレウルムはミリカナ帝国で待機することとなっていた。


「ま、そんなことより俺は腹が減った」


 ゲテルは脱力するように天幕を仰ぎ見た。


「それだったら今支給班が夕食を調理している最中だから待つんだな」


「うへー」


 僕の言葉にゲテルは間抜けそうな声で返事をした。

 贅沢なことに、今回の作戦では夕食だけだが調理をしてくれる支給班が編成に組み込まれていた。


「それでエディ、メニューは何だった?」


「多分、あの匂いならトマト煮込みのはずだ」


「やったぁ!」


 カイレンは心底嬉しそうに笑ってみせた。トマト煮込みはカイレンの大好物だった。


「ふむ、エディか。なぁ、エディゼート様。俺もエディって呼んでいいか?」


 するとゲテルはそう言って僕の方に体を向けた。


「いいよ。僕もカイレンと同じ、堅苦しい態度をとられるよりも普通に接してくれた方が気が楽だからな」


「やったぜ。――よし!これで俺は魔願帝序列第一位と『見願』の英雄様と仲良くなったぞ!へへへ」


 まるで名誉ある称号を手に入れたようにゲテルは笑ってみせた。

 このゲテルという男、本当に不思議で面白い奴だ。


「それじゃあ俺もエディと呼ばせてもらおうか」


 バーゼンは髪をかき上げながらそう言った。


「あぁ。イリスも、よければそう呼んでくれ」


 全員と少しでも仲良くなれるチャンスだ。逃さぬよう声を掛けなくては。


「わかったわ。ふふっ、でも意外。エディって思っていたよりも気さくな人だったんだ」


 イリスの言葉の裏には、レイガンやトーナの時のような良からぬ噂による誤解が含まれているように思えた。


「はは。どうやら世間では僕について変な噂が流れているらしいからな」


「あっ、いや、別に変な人だなんて思っていたわけじゃないわ。ただ、あまり世間への露出が少なかったからどんな人なのかわからなかったって言うか......」


「そ、そうなんだ......ははは」


 何も言うことができなかった。

 だが、心の中には確かに何とも言い難い感情が存在していた。


「まぁ、これからみんなはエディの魅力を嫌でも知っていくことになるから期待しておいてね」


「カイレン......お前」


 余計なことを言いやがってと思ったが、何とも言えない空気をきれいさっぱり流してくれた。


「あはは!そっか、カイレンとエディゼートって婚約者同士だもんな。旦那のいいところは広めていかないと!」


「お、わかってるじゃんゲテル。そうだよ、エディの魅力はもっとみんなに知ってもらうべきだ」


 すっかり意気投合したのか、カイレンとゲテルは頷きながら仲良さげに話していた。

 ――そんな傍ら、事情を知らない人が一名。目を丸くして僕とカイレンを見ている者がいた。


「......えっ、二人ともそうだったの!?」


 パーティー会場にいなかったイリスは、口元に手を添えながら少し頬を赤らめて驚きの声を上げた。


「うん!そうだよ。開拓が終わったら、結婚式を挙げて、この場所に二人だけの愛の巣を作るんだ~。でも思っていたよりもきれいな湖じゃなかったなぁ。後で綺麗にするか」


「へ、へえぇ~」


 気が抜けたような声で返事をするイリス。

 気の強い方だと思っていたが、意外にもイリスは乙女な一面もあった。


「それじゃあ悪いな、俺たちのせいで二人だけの時間を邪魔してしまって」


「いいや、全然気にする必要はないさ。今は作戦中だろ?それに僕とカイレンは一緒にいられるだけでも十分だ」


「はは、そうか。それならよかった」


 これまた意外にもバーゼンは僕らのことを気に掛けるようにそう言ってきた。


「お前はミリカナの方に奥さんが待ってるもんなぁ。だからって羨ましがるなって」


「はぁ。ゲテル、余計なことはよしてくれ」


 そう言ってバーゼンはゲテルに鋭い眼差しを向けた。


 なんと、バーゼンは既婚者だった。

 しかし何となくそれも頷けるような雰囲気はあった。大人としての責任感だろうか、バーゼンには男として信頼できる何かしらがあった。


「へへ、怒るなって。あ、そうだエディ。水をくれないか?話してたら喉が渇いた」


 催促するようにゲテルは口を指さしてそう言った。


「あいよ。ほら、口を開けてろ」


 そう言って僕は一口分の水を空中に生成してゲテルの口元に近づけた。


「こりゃどうも。ん、普通の水だ。あぁ、酒が飲めればなぁ。あ、もしかして......!」


「そんな魔法はないよ。飲みたきゃあと六日は我慢するんだな」


「ふぇ~」


 勘違いされやすいが、『見願』といってもその実ただの属性魔法を発現しているにすぎないため、属性にちなんだもの以外は創り出すことができない。そういう点ではまだこっちの世界の魔法の方が可能性も自由度も高い。


「――夕食の準備が整いました!希望する方は取りに来てください!」


 すると天幕の外から嬉しい言葉が聞こえてきた。

 その声に合わせるように周囲から歓喜の声が上がった。

 ――待ちに待った、夕食の時間だ。


「よっし、ってことで俺が一番乗りで行くからな。じゃあねー!」


 声を聞いたゲテルは颯爽と天幕を後にしていった。


「おい、待て。はぁ、あいつ支給された深皿も持たずに行きやがって。じゃあ俺たちも行くか」


「そうだな」






 ――こうして、僕たちは暖かい夕食にありついて一日目を終えることとなった。


 想定していたよりも順調であることが返って不安に思うようなこともあったが、とりあえず無事に過ごせたことをよく思うばかりだ。

 見張りは他の人に任せ、僕らは明日に備えて早めに寝ることにしたのだった。

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