第36話 パーティー前のひととき

「――エディ、忘れ物は大丈夫そう?」


「あぁ。もともと荷物が少ないから大丈夫だ」


 ジルコからもらったブレスレットを腕に巻き、鉱石がはめられたネックレスと耳飾りを付け、購入した大きめの鞄状の魔道具に必要なものが入っているかを確認して閉じる。

 仮に忘れ物をしたとしてもしばらくはエイミィとレイゼ、そしてアベリンとベリンデが部屋を借りるそうなので問題はなさそうだ。


「寝癖は直したし、制服もよし。完璧だ」


 ――世界標準歴1211年3月。


 長いようで短い準備期間を経て僕たちはついにグラシアへと旅立つのだった。

 今日の日のために少しばかり長くなった髪を清潔感が出るように整えた。その他の面々も、晴れ舞台のために髪留めやネックレスなど、制服を着ていたが少しばかりのおしゃれをしていた。


「この部屋もお前たちがいなくなって寂しくなると思ったけど、アベリンとベリンデがここを拠点としてくれると言ってくれてよかった」


 レイゼはベッドの上に座りながらそう言った。


 他の宿と比較するとかなり上質な部屋を用意してくれたのだなと、アベリン達が寝泊まりしている宿を訪れた際にそう感じた。カイレンに出会わなければ、今頃僕は土の上で寝ていたかもしれない。


「レイゼ、しばらく僕がいなくても大丈夫か?」


「ふん、あまりうぬぼれないことね。お前よりもあの二人の方が断然暖かいし、可愛いのだから」


「はいはい。その様子なら大丈夫そうだな」


 赤龍と交わした約束もあったが、今のレイゼは僕がいなくとも大丈夫そうだったので安心してここを離れることができる。


「エイミィも、準備はできたか?」


 部屋の扉の奥から出てきたエイミィに声をかけた。

 エイミィもグラシアの一件の関係者としてパーティーに招待されている。当然のことながらクレウルムやアレザ、そしてアベリンとベリンデも呼ばれている。


「うん。いつでもいけるよ。後はアベリンとベリンデが......あ、噂をすれば」


 部屋の奥の階段からぱたぱたと、勢いのいい足音が聞こえてきた。

 するとすぐに扉を叩く音がした。


「開けるよ?」


「どうぞ」


 エイミィがそう言うと扉が開いた。

 すると左右に顔だけ覗かせたアベリンとベリンデの姿があった。


「すみません。準備をしていたら遅れてしまいました」


「ごめんねー。今日のためにおしゃれしてたんだ。じゃーん!どうかな?」


 そう言って二人は扉の奥から部屋に入った。


「わぁ、二人とも可愛いよ!お人形さんみたい」


「えへへ、エイミィもそう思う?」


 アベリンとベリンデはいつもの軽装の対極であるワンピースのような丈の長い服を身に着けていた。


「あたしが黒で、お姉ちゃんが白にしたんです。あたしたちは初対面の人によく間違われてしますので、バンダナの代わりにこのようにしてみました」


 確かに首にはいつもつけていたバンダナがなく、代わりにそれぞれのイメージカラーのチョーカーが巻かれていた。


「なるほどね。それにしても、エイミィとカイレンが選んだだけあって二人ともよく似合ってるね」


「えへへ......ありがとうございます、エディさん。冒険者であるあたしたちにはもったいないくらいの服を見繕っていただいて、本当にありがたい限りです」


 照れた様子でベリンデは尻尾を揺らした。


「......はぁ。なんて可愛いの」


「うわ、いつの間にそこにいたのか」


 先ほどからレイゼがやけに静かだと思ったら、ベッドの上を離れていつの間にか二人の背後に回ってじーっと眺めていた。


「私も会場までついていきたいところだけれど、招待されていないから仕方ないね。後で二人がここに帰ってきたときにじっくり堪能しよう」


「そ、そうですか。あはは......」


 不気味な笑みを浮かべるレイゼにベリンデは思わず苦笑いをしていた。

 本当に、二人からは女性を惹きつける何かしらのオーラがでているのではなかろうか。


「それよりもだ。――カイレン、アベリンとベリンデが来たぞ!部屋の奥で何してる」


 先ほどから何故かカイレンが自分の寝ていたベッドの辺りをガサゴソと漁っていた。


「お構いなくー!あっ、アベリンとベリンデ、後でいっぱい可愛がってあげるからねー!」


「はーい!」


 アベリンはカイレンの言葉に元気よく返事をした。


「......何なんだあいつ。まぁいい、出発の時間も近づいているし行こうか」


「私のことはお構いなくー!」


 部屋の奥から再びカイレンの声がした。

 僕らはカイレンを後に宿を出ていった。




――――――




 城門の前までは歩いていった。

 終始アベリンとベリンデが履いているローファーが滑ったりかなりの厚底で歩きずらいと困った様子でいたのが印象的だった。


「こうして歩くと色んな思い出が込み上げてくるもんだ」


「そうだね。エディにとっては始まりの街みたいな場所だからね」


 隣を歩くエイミィは空を見上げながらそう言った。

 今日は雲一つない晴天。風も穏やかで日の光が暖かい。


「ああ。出会いもあった」


 ふと、後ろを振り向いてみる。

 数こそ多くはないが、それでも親密な関係を築けた仲間たちがいた。

 右も左もわからない僕を導いてくれたのはいつだって人の優しさだった。それに触れられ続けることができたのも、魔願術師協会に所属できたおかげなのかもしれない。


「荒くれものや盗賊に拾われてたら、今頃僕は何をしていたのやら」


「ふふっ、もしそうだとしたら今頃エディは世界を敵に回した大悪党として歴史に名を残しているかもよ」


「はは......。そうなのかなぁ」


 そんな度胸が果たして僕にあるのだろうか。対人関連の事件を担当するのは騎士団の役割だ。もしかしたら、ジルコと本気で戦闘をすることになっていたかもしれない。


「お、何だか人だかりが」


 城門へと続く大通りは次第に人気が増してきた。

 群衆の視線が僕らに集まっているのを嫌でも感じられるようになった。


「――じゃあみんな、私はここでお別れだね」


 後方からレイゼの声がした。


「あれ、もう別れるのか?」


「さすがにここからは招待されている人だけでいくべき。私は人ごみに紛れて見てることにするよ」


 城門前にはグラシア行きの馬車が用意されているとのことだ。僕たちはそれに乗ってグラシアに向かうが、当然のことながら乗車するメンバーにレイゼは含まれていなかった。

 きっと、一目のことも気にしてそう言ったのだろう。


「そっか。それじゃあ、また後でな」


「うん、グラシアで待ってて。すぐに追いついてみせるよ」


 短い別れの言葉を言うと、レイゼは後ろを見た。


「エディゼート以外はどうせ明日か明後日辺りにまた会うから別れの挨拶はなしかな」


「そうだね。私とアベリンとベリンデはすぐに帰ってくるからね」


 当のアベリンとベリンデは少し厚底のローファーが歩きずらいのか、後方をゆっくりと歩いていた。


「カイレンにもまた後でと伝えておいて」


「わかった。じゃあな」


「うん」


 そう言ってレイゼは僕らに背を向けて後方のアベリン達の方へと向かっていった。


 案外あっさりといくものだと思っていたが、僕らがグラシアに行くことは一か月以上前から決まっていたことだ。それにすぐ会えるのに歯切れの悪い別れ方は互いのためにならないと考えたのだろう。


「それにしてもカイレンのやつ、まだ探し物でもしてるんか?」


 ふとそう思って後方を見るが、依然としてカイレンの姿は見えなかった。


「あはは......。多分、回収し忘れたお宝を探してるんだと......」


「お宝?」


「あっ、いや。何でもないよ。何でもない」


「ん?」


 何かをはぐらかすようにそっぽを向くエイミィが怪しく見えた。が、どうせカイレンのことだ。気にしたところで時間の無駄だろう。


「お、レイゼはもう二人と別れたみたいだな」


「本当だ。おーい、アベリン、ベリンデ。大丈夫?」


 一歩一歩踏みしめるように小股で歩く二人に声をかけるエイミィ。


「うん!だいぶ慣れたけど、石畳だと変な感じがする」


「お姉ちゃんはいつも通り歩こうとしているから歩きずらいんでしょ?せっかくおしゃれをしたんだから、もっと品のあるように歩かないと」


 などと、二人は言い合いながら向かってきた。


「でも城門までもうすぐだ。そうすれば馬車に乗れるから」


「うん。それにしても、思ったよりも人が大勢集まってきてるね。みんなあたしたちのお見送りかな?」


 特に出発を大々的に告知していたわけではないが、かなりの人だかりが大通り際の店前にできていた。


「見た感じ、そうとしか言えないな。はは、あんまりこうやって目立つのは慣れないや」


「そうなの?エディは『見願』だからそういうのは慣れっこかと思ってた」


「まぁ、そのはずなんだけれどね」


 協会が僕の存在を公表してからというもの、明らかに僕に対する人々の目が集まるようになっていた。隣にカイレンやエイミィなどの世界的な有名人がいるのもその原因の一つなのだが。可能な限り、群衆から遠ざかるようにしてはいたが今日ばかりはどうにも逃げられそうにない。旅立つ前のお世話になったお礼として堂々と振舞おう。


 すると小さいことその母親だろうか。手を振ってきてくれたので振り返す。


「はは、これはここに馴染んできた証、ってことでいいのかな」


「もちろんですよ。だってエディさんは紛れもない英雄ですもの」


「そうそう。あたしたちと一緒。グラシアとその近くの村を救ったんだから」


 なんともありがたい言葉を二人に掛けてもらった。


 ――そういえば、今ではグラシアの英雄譚にようやく僕の名前が浸透してきたところだっけ


 酒場や路上の吟遊詩人は何事もなかったように話の内容を挿げ替えて僕らの功績を歌い上げていた。こっちの方が世間での僕の評判が良くなるため都合がいい。


「あまりここに長くいたわけじゃないのに暖かく見送ってくれるだなんて、ここに来たばかりの時じゃ想像もできなかった」


「本当に、今思い返すとエディがここに来てからグラシアの地脈異常を鎮圧するまで十日も経ってないだなんて驚きだよ」


「ははっ。全く、エイミィの言う通りだ。いきなり所属が決まって、任務が与えられて。その前に二人と一緒にクエストに出かけて、レイゼに出会って」


 あの時は何もかもが手探りで落ち着く暇もなかった。

 でも、原因は不明だが魔法に関する記憶だけ残っていてよかったとつくづく思う。

 それに加えて戦闘の感覚がなければこうして協会に所属することもできなかったし、それ以前に何もわからないままカイレンに殺されていたかもしれない。


 ――僕をこの世界に送り込んだ人の、ささやかな贈り物なのかな


 おかげで今日も生き延びている。


「これからエディとカイレンはもっと忙しくなるだろうね」


「そうだな。でも、僕はやることがある方が返って気が楽でいいかもしれない」


「ふふっ、そっか。働き者だね、エディは」


「あはは、僕はそんな真面目な人間じゃない。ただ、もしかしたら自分のやっていることが自分自身の正体の手がかりになるかもしれないって思うと、動かずにはいられなくなるだけだ」


 今はこうしてカイレンと交わした約束を第一に行動しているが、依然として僕は自身の正体を突き止めることを諦めているわけではなかった。

 しかし、現状あまりにも手がかりが少ないため手探り状態だ。一応ガネットに僕に関して有益そうな情報が入れば伝えてほしいと言ってはいるものの、僕自身の存在がこの世界ではあまりにも異質であるため一向に情報が来ることはなかった。


 ――そんなこんなで話していると、気づけば城門の目の前まで近づいていた。


「うわ、すげぇな。騎士団まで来ているだなんて」


「きっと、ジルコさんの私兵だろうね」


 城門の前では騎士団が道を整備するように両脇を鎧を着た歩兵が固めており、その中央には大きめの馬車が停止させられていた。


「なにもここまで大袈裟にする必要もないのにって思ったけど、ジルコさんにとってカイレンは娘も同然の存在だから当然のことか」


「せっかくのカイレンの門出だもの。盛大にやりたかったんだろうね」


 そういえば二人の姿が見えないなと後ろを振り返ると、アベリンとベリンデは冒険者らしき人たちのもとに挨拶をしに行っていた。

 くるりとおしゃれした様子を見せるようにポーズを決めていた。


「――止まれ」


「ん?おっと、危ない」


 ――いけない。よそ見をして......って、この声は


 そう思い前を向く。


「ふん。群衆に気をとられてふらついているとはな、エディゼート」


「はは、こういったことには慣れていないもので」


 騎士たちの列の最前。ジルコは鎧を着こんで道の中央にいつの間にか立っていた。


「もっと堂々と胸を張れ。その方がカイレンのためにもなる」


「そうですね。いてっ」


 ジルコに思い切り背中を叩かれた。毎度のごとく、息が一瞬できなくなるほどの強さだった。


「さて、馬車に乗る人員は全員集まったようだな」


「えっ、カイレンがまだだと――」


「後ろを見てみろ」


 ジルコが指さす方に目を向ける。

 するとそこには飛翔魔法によって高速で大通りを駆け抜けていくカイレンの姿が見えた。


「......はぁ、カイレンったら。あれじゃあせっかく梳かした髪がぼさぼさになっちゃうじゃん」


 エイミィはため息を吐いて呆れるようにそう言った。


「――ごめーん!お待たせ」


 カイレンは僕と同じ大きな鞄を提げてやってきた。


「やっと来たか。それで、探し物は見つかったのか?」


「えっ?あっ、うん!見つかったよ。無事見つかった」


「......」


 何か別の理由があるに違いない反応を示していたが、何も言わず流すことにした。

 すると挨拶を済ませたアベリン達もカイレンの到着を見てこちらに集まってきた。


「全員揃ったな。では、私が盛大に皆を送り出そう。皆、横に並んでくれ」


「おお、盛大に送ってくれるんだ。わかったよおじいちゃん」


 そう言ってカイレンはすぐに位置を決めて群衆の方を向いた。

 ジルコに言われるまま、僕らも道の中央で横一列に並んだ。

 門を背にして振り向くと、集まった人々の列はとても長いものだったとわかった。


「さて、手短に済ませるとしようか」


 するとジルコは息を大きく吸い込んだ。


「――聞け!皆の者!」



 ジルコの咆哮に、群衆の視線は一気に釘付けとなった。



「ここに集うは我らがディザトリーの英雄、カイレン・ゾーザナイト、エイミィ・サフィリア、アベリン、ベリンデ、そしてエディゼートだ。これよりカイレンとエディゼートは未開の地グラシアの開拓に向けてこの地を旅立つ。極地とされてきたグラシアの開拓は困難を極めることとなるだろう。だがしかし、グラシアを鎮めた我らが英雄達であれば、必ずやグラシア開拓を成し遂げることだろう。さぁ、今一度二人の門出を盛大に祝そうではないか!」


 勇ましい男の声が門前に響き渡る。



 ――ジルコの言葉に反応するように、群衆から盛大な拍手と歓喜の声が響き渡った。



 その様は今まで経験したことのないものだった。

 四方から浴びせられる祝福と応援の声。鳴り止むことのない拍手。

 不思議と、嬉しさと元気が湧いてくるようだった。


「えへへ、おじいちゃんの言葉通り盛大に祝われているね、私たち」


「そりゃあ、この私が皆にそうしてくれと言ったんだ。旅立ちの時くらい、こうでもしないとな」


 そう言ってジルコはカイレンの肩に優しく手をポンっと添えた。


「ふふん、皆があたしたちを称える声がする」


「お姉ちゃん、そのほとんどがカイレン様とエディさんに向けたものだからね」


 歓声を浴びてアベリンはご機嫌そうに鼻を鳴らしていた。

 ちらほら、僕たちの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。それにしてもさすがこの街の顔だけあってカイレンの名を呼ぶ声は多かった。特に男性の声が。六十回求婚されただけはある。


「さて、そろそろ出発するとしようか」


「そうだね、おじいちゃん。お別れの挨拶は前にしたから、ここでは行ってきますって胸を張って言わないと」


「はははっ!そうだな、カイレンの言う通りだ」


 カイレンはそう言って馬車の方へと向かっていった。


「ほら、みんな早く来て!」


「ったく。――わかったよ」


 一人先駆けて馬車に足を掛けたカイレンに催促されるまま、僕らは馬車へと向かった。


「ジルコさん」


「ん、なんだエディゼート」


「このブレスレットを頂いたからには全身全霊でカイレンを守るので、安心してください」


 去り際に、ジルコにそう語り掛けた。


「ふっ、そうだな。その言葉を聞けて今日は少しだけぐっすり眠れそうだ」


「はは、そうですか」


「ああ。カイレンを、頼んだぞ」


「はい、任せてください。では」


「達者でな」


 ジルコの言葉を最後に、僕は馬車に乗り込んだ。

 既に僕以外の全員は車室に入っていて、中から外の様子を眺めていた。


「エディ、おじいちゃんと何か話していたの?」


「ああ。カイレンのことは任せろって言ってきた」


 すると意外そうな表情をカイレンは見せた。


「へぇ。ふふっ、案外かっこいいこともできるじゃん」


「......うるさい。これでも僕はジルコさんからカイレンを頼むと何度も言われてきたんだぞ。男の約束を果たすって姿勢を見せないと、ジルコさんのところのメイドたちが心配することになるだろうし」


「相変わらず、素直じゃないなぁ」


「......」


 そう言ってカイレンは僕の頬をつんつんと小突いた。


「あたしも、グラシアの開拓に出発するときにみんなに『グラシアの開拓はあたしに任せな!』って言って、かっこよくこの街を去ってみたいなぁ」


「お姉ちゃんがそう言うとみんな不安がっちゃうよ......」


「......えっ、あたしってそんなキャラだったの?ねぇ?」


 一同に笑いが生まれる。


「――さて、そろそろ出発致しますが皆様準備の程はよろしいでしょうか?」


 初老の男性御者が車室の窓から尋ねてきた。


「うん、みんな準備はできてるみたいだからお願いね」


「かしこまりました」


 カイレンの言葉に御者は頷いて前方に向かっていった。


 ――いよいよ、僕らの新たな生活が始まる......


 期待と不安と大きな鞄を抱えて僕は大きく呼吸をした。


「それでは発車いたします」


 御者がそう言って手綱を引くと馬車はゆっくりと動き出した。

 窓の外にはたくさんの街の人々が手を振っていた。


「ちょっと窓開けるね」


 カイレンはそう言って車室の両脇に取り付けられた窓を開き身を乗り出した。


「おじいちゃーん!!行ってきまーす!」


 カイレンは大きく手を振って後方にいるジルコに声を届けた。


「あぁ!頑張ってこいカイレン!それと、エディゼート!」


 すると僕の名を呼ぶ声が聞こえた。


「ほらエディ。おじいちゃんが呼んでるよ」


「あぁ、わかった」


 カイレンの隣から身を乗り出すように顔を出す。

 遠ざかるジルコと目が合った。


「カイレンを!世界一の幸せ者にしてやってくれ!」


「なっ!?......はぁ。――言われなくてもわかっていますよー!」


 命一杯の声を張り上げる。


「ならいい!行ってこい!」


「はい!行ってきます!」


 予想外の言葉をジルコから言いかけられた。群衆もそれを煽るように囃し立てたが、ぐっとこらえて返事をした。

 案の定、隣にいるカイレンが無言でニマニマと不気味な表情を浮かべて僕を見ていた。


「私を世界一幸せにしてくれるんだ、楽しみだなぁ」


「......危ないからもう座れ」


「はいはい。いつも通りのエディだ」


 そう言い合いながら僕たちは席に着いた。


「このペースで陸路を走るとなると、グラシアに着くころにはもう夜になるのかな」


「そうだねエイミィ。この前は私たちみんな空を飛んでいたおかげで地形を無視して進めたからね」


 あの時は雪と冷たい風が吹き荒れる寸前のところを魔道具を頼りに飛んで進んでいた。だが今日は晴天に加えて馬車に乗っているだけでいい。気が楽だ。

 協会側は相当いい馬車を用意してくれたのか、クエストに出かけた時に乗った馬車よりも揺れが少なく席の座り心地も良かった。


「うぅ。あたし、御者席に座っていないと酔ってきちゃうんだよなぁ」


 ベリンデは馬車が走り始めて間もないのにも関わらず、少しだけぐったりとしていた。


「それだったらベリンデ、あたしと一緒に車室の上の荷台に乗ろうよ」


「さすがにそれはこんな恰好じゃはしたないよお姉ちゃん......」


「......そっか、汚しちゃうもんね」


 そう言ってアベリンはピンと背筋を張って姿勢よく座った。


「まぁ、もし気分が悪くなったら僕に伝えてくれ」


「えっ、もしかして、酔い止めの魔法があるのですか?」


 目を輝かせるようにベリンデは口を開いた。


「いいや、さすがにそんな魔法はないかな。けど、空を飛べば少しは気分もよくなるはずだろう?」


「......ってことは、つまり」


「あぁ、あの時みたいに一緒に飛ぼうか」


「はい!」


 ベリンデの目の輝きが一層増したような気がした。

 空を自由に飛びたいベリンデにとってこの提案はさぞかし嬉しいものだったのだろう。


「もちろん、あたしも一緒だよね?」


「うんうん。当然私も一緒だよね、エディ?」


 アベリンもカイレンも、二人して僕の顔を覗いてきた。


「アベリンはともかくカイレン、お前は自分で飛べるだろ」


「いいじゃん。出会ったときみたいにさ、私をこうやって抱きかかえて......いてっ」


 カイレンが変なことを言い切る前に優しく脳天にチョップを加えた。


「はぁ。エイミィはどうする?」


「えっ?あぁ、私は大丈夫だよ」


 エイミィは何を思ったのか慌てた様子で手を振っていた。


「......別に抱いて飛んだりはしないぞ?これはカイレンの冗談だ」


「そ、そうなんだ。じゃあ、私もお願いしてみようかな」


 抱いて飛ぶということで、アレザの大きな翼に包まれながら飛ぶアベリンとベリンデの様子を思い出した。本来飛ぶための器官としてあるはずの翼を布団のように二人を巻いて固定して飛んでいる姿は何ともシュールだった。


 ――そういえば、今日はクレウルムとアレザにも会えるのか


 久しぶりの再会を前に、少し気分が高揚しているのを覚えた。




――――――




「――そろそろ見えてきたな」


 エイミィが予想した通り、ニグルス村が見えたのは日が暮れた頃だった。


「ほらみんな、そろそろ着くから起きて」


 エイミィは寝ているカイレンとアベリンそしてベリンデに声をかけた。


「......んぅ。あれ、もうそんなところまで来てたんだ」


 カイレンは寝ぼけ眼を擦ってそう言った。


「......あれ、もう朝......じゃなくて夜か」


「あはは......何だかぐっすり寝ちゃったね」


 続けざまに二人も起き出した。


 道中三分の一ほどの時間を空中にいたのはさておき、馬車の中では皆夜に開かれるパーティーのために睡眠をとっていた。

 高速で空を駆け抜けたり、あり得ない挙動で旋回してスリルを味わったりと、僕も僕で疲れるようなことをしたがそれ以上に皆はしゃいでいた。


「ほら、みんな髪の毛が少しぼさぼさになってるからこっちに来て」


 夜でも目の利くエイミィは鞄から櫛を取り出して一人ずつ髪を梳いていった。


 今更ながらこんなに忙しいスケジュールでパーティーを開催しないで次の日の明るい昼頃にすればいいのにと思っていたが、夜の方が魔願樹が鮮やかに見えていいという理由でカイレンは時間設定をしたらしい。何と言うか、実にカイレンらしい。


「ふあぁ......お腹空いたなぁ」


 パーティーでは立食形式で食事が用意されているとのことだが、既にアベリンは腹が空いて仕方がない様子だった。


 以前村で作戦会議をしていた時には謎の高地に阻まれて見ることができなかった魔願樹も、成長した今では頭の部分を覗かせていた。

 周囲はすっかり暗くなっていたが、村には今日のパーティーのためか様々な電燈が至る所に施されていたため明るかった。


「......あれ?こう言っちゃなんだけど、ニグルス村ってこんなに大きな建物とかあったっけ?僕たちが来た時よりも村全体が発展しているというか......」


 ディザトリーほどの高い防壁はないものの明らかに建物の数は増えており、人の数も遠目からではあるが多くなっていた。

 それどころか道もかなり整備されていた。土が平らにされたような道も今では石材がふんだんに敷き詰められていた。


「噂通りだね。村が活気で溢れている」


「確かにそのことは聞いていたけどまさかここまでとは......」


 カイレンは窓から顔を覗かせていた。


「こうして村が活気づいているのを見るとなんだかワクワクしてくるね」


「そうだな」


 僕らは静かに村を眺めているとそんなこんなで馬車は目的地のニグルス村の入り口に差し掛かっていた。

 馬車は一度村の入り口前で停車し、近づいてきた鎧を着た二人組の兵士に御者は紙を一枚取り出して見せ、再び走り出した。


 ――僕らはついに村の中へと入っていった。


「おぉ、すげぇ......」


 遠くから見ていたが、間近で見るその圧倒的な光景に思わず息をのんだ。

 入り口から村は黄色と橙色の灯りで色づき多くの人々が往来していた。

 皆今日のパーティーの開催を祝してか、景気のよさそうな表情を浮かべていた。


「きれい......」


「本当に、綺麗だね」


 カイレンだけでなくエイミィも窓から顔を出してそう呟いた。


 建てられて間もない建造物が道の両脇に敷き詰められるように立ち並び、その隙間を縫うように明かりが張り巡らされていた。

 ニグルス村は、三か月という非常に短い期間で尋常じゃない速度で変化していた。


「......ん、この匂いは」


「焼き串の匂いだね」


 すんすんと、鼻を動かすアベリン。

 ベリンデの言う通り道の脇には屋台が立ち並び、思わず腹が鳴ってしまいそうないい匂いが立ち込めていた。


「皆様、この道を真っすぐ行った先に目的地の広場がございます。長きにわたるご乗車、大変ご苦労様でした」


 御者の言葉通り、道の先には見慣れた広場があった。

 以前の任務時では天幕で埋め尽くされていた広場も今ではすっかり人で埋まり賑やかになっていた。


 すると御者はこれ以上進むのは無理だと判断したのか、人気の少ない場所を見つけるとそこに馬車を停車させた。


 一同御者に礼を言って降り立つ。

 皆長いこと座っていたため一斉に伸びをした。


「さて、パーティーの時間まではまだ少しあるけど会場に行こっか」


 上機嫌そうにカイレンは一人前に進んでいった。


「待ってカイレン~」


 ベリンデは小股ですたすたと歩いていった。

 二人に従うように、僕らも一緒に歩き始める。


 ――さて、クレウルムやアレザはもういるだろうか


 そんなことを考えながら人の往来に紛れるように道に入って広場を目指していった。

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