第32話 エイミィのお兄ちゃん

 昼食を済ませた僕らは早速研究室のある別館へと向かった。


 僕の特殊仕様の可変制服を開発してくれた頼もしい存在だ。たとえどんな変わり者であろうとも、僕は受け入れられる心の準備はできていた。





 ――できていたはずだった。





「だから!僕はそんなつもりは全くない!」


「嘘つけ!俺は確信した!お前は、これから二度と妹のそばに近づくべきではない!」


「意味がわからねぇって!」


 物静かな研究棟の一室に、二人の男のやかましい声が響き渡る。


「あははっ、やっぱりこうなるのか!」


「あ、あの。お兄ちゃん!落ち着いてー!」





――――――





 ――さかのぼること少し前。


「ここら辺に来るのも、なんだかんだ初めてかもしれないな」


 研究棟は訓練棟に隣接して建てられていた。


 外見からではあまり大きく見えないが地下には広大な実験施設があるらしく、そこで様々な実験が行われているとのことだ。


「あまり関係者以外は立ち寄らないからね。協会本部の裏側だからなおさらね」


「私も、ここに来るのは一年ぶりくらいになるのかな」


 などと、穏やかな昼の日を浴びて歩いていた。


「さて、お兄ちゃんの実験室は二階にあるから行こう」


 エイミィの言葉に従って、僕らは建物内へと入っていく。

 内装は協会本部とさほど変わりなく、無機質で静けさが似合うような石造りの様相だった。


 階段を一つ上って、最上階の二階に辿り着いた。

 向かって右手。ひと際大きな部屋があることが確認できる。中から少し誰かの物音がしていた。


「へぇ。実験棟というからもっとごちゃごちゃしていると思ったら、案外すっきりとしているんだな」


「そうだね。塵とかが飛散していたり物が散乱していたりすると実験に悪影響が出かねないから、定期的に掃除をしているんだ」


 エイミィの言う通り、実験棟と言われなければわからないほど建物内部は綺麗な状態で保たれていた。むしろ魔願術師協会本部の方が物で溢れているといった印象だ。


 廊下を少し歩いて奥の扉に差し掛かろうとする。


「ねぇ、エイミィ。エディに何かしら言ってはいけない言葉とか教えておいた方がいいんじゃないかな?」


 突然、カイレンが不穏なことを言い出した。


「はは。私も最初はそう思ったけど、多分気を付けていてもだめだと思うなぁ」


「エイミィのお兄さんって、そんなに気難しい人なのか?」


 するとエイミィとカイレンは目を合わせてなんともいえない微妙な表情を浮かべた。


 以前から、二人は頑なにエイミィの兄がどのような人物なのかを語らずにいた。お預けみたいなことをされて、どうしようもなく気になっている。


「まぁ、第三者から言わせてもらうと、エイミィのお兄ちゃんはディザトリー一の妹愛好家な変人――」



「――誰が、変人だって?」



 ――突如、低い男の声が背後から聞こえてくる。



「うわぁっ?!びっくりした!......でたなぁ、メガネ変人!」


「誰がメガネ変人だ!このおてんばとんちき娘!」


「いてっ!?」


 驚いたカイレンは白を基調とした白衣のようなものを着た眼鏡の男に対して反射的に失礼な言葉を放ち、そのまま男が手にした分厚い紙束で頭を叩かれた。


「はぁ。丁度エイミィの姿が部屋の隅から見えたから出迎えようと思ったら......。はぁ」


 男は何度もため息を吐いた。


 一目で、目の前の男がエイミィの兄だとわかった。

 男は背丈こそ高いが、体つきは細く少し痩せこけているようにも思えた。そして、エイミィの本来の姿と同じ黒髪、赤い瞳に切れ目、背面には願力で形成された半透明の翼と尻尾のようなものが生えていた。


「まぁいい。このバカに構うのは後だ」


 男はそう言って視線を僕の方へと向けた。


「お前が、例の『見願』の魔願術師ディザイアドでいいんだな。わかっているとは思うが、一応名乗っておこう。俺の名前はエーディン・サフィリア。エイミィの兄だ」


「初めまして、だな。僕はエディゼート。よろしくな」


「ああ」


 僕がそう言うと、エーディンが手を差し出してきたので応じるように握手を交わした。


 ――なんだ、思っていたよりも全然普通そうな人じゃないか


 今のところ、ぶっきらぼうな印象を受ける以外普通だ。

 初対面の人に対しては、そうなだけなのだろうか。


「おお。嫌々だとしても、エーディンがこうして男の人と仲良くなろうとしているの、初めて見たかもしれない。いつも『エイミィは渡さんぞ!』って怒鳴って人をちぎり倒していたから......」


「......」


 エーディンはカイレンに過度に構うことなく、無言無表情で気だるそうにカイレンを睨んだ。


「はぁ。俺もいい加減この性格を直すべきだと思っているところなんだ。本当であれば、このエディゼートという男を今すぐにでもぶん殴ってやりたいところだ。でも、それはエイミィのためにはならん」


 そう言って、エーディンは腕を組んだ。


 ――なんだ、自分の性格の難儀なところを自覚しているんだ


 話せば話すほど、エーディンという男の印象は良い方向に向かう一方だ。

 名前が似ている者同士、是非とも仲良くしたいところだ。


 ――それにしても、なんで僕のことを殴りたいだなんて思っているんだろう


 おそらく、広い部屋の違うベッドとは言え同室で寝ていることが主な原因だと思うが。


「お兄ちゃん。いつまでもここにいるのもあれだから、エディたちを中に案内してあげて」


「そうだね。じゃあ行こうか。――ほら、早く来い」


 エーディンは、エイミィに対してだけ爽やかな表情と声で反応し、僕たちに対しては言うまでもなく軽くあしらうように言い放った。


 エーディンは扉を開け、僕らはそれに続くように部屋の中へと入っていく。


「おお。なるほど」


 中は頑丈そうな机とそれを二つに分断するように天井まで伸びた棚のようなものの一式がずらりと並んでいた。ほのかに薬品のような香りが鼻をくすぐった。


「本来はあまり部外者を招き入れたくないところだが、今日は特別だ。とは言え、あまりここには長居してほしくないから隣の別室で待っていてくれ。エイミィ、案内を頼めるか?」


「うん。わかったよ、お兄ちゃん」


 エイミィがそう言うと、エーディンはにこりと笑みを浮かべて部屋の奥の方へと向かっていった。


 僕らはエイミィの後に続いて隣の部屋へと入っていく。


 実験室に隣接した部屋は応接室のような間取りをしていたが、茶葉や乾燥させた果実を詰めた瓶や食器類が揃えられており休憩室のようになっていた。


「それにしても、あのエーディンがあそこまでおとなしくなっているとは。もしかしてエイミィ、事前に何か言っていたり?」


「あはは。......少しね。正直私の方はどうでもいいのだけれど、私のせいでお兄ちゃんがいつまでも変人って言われてしまうのはちょっと」


 エイミィはぎこちなく笑ってそう言った。


 妹思いなのはいいことだが、それが過度なものとなってしまうとそう思われてしまう。

 どんなことが要因でエーディンがそうなってしまったかはわからないが、本人も変わろうと思えているのならよかった。


 ――もしそうでなければ、僕はあの場で殴られていたらしいからな


「それにしても、今は隣の実験室に人はいないんだな」


「そうだね。お兄ちゃん以外は丁度今、開発した蓄願素材の実験と機能の計測をしに屋外に出ているところだからね。普段はもう少し賑やかなんだ」


「そうなんだ」


 しばらく部屋に置かれた物の物珍しさに見渡していると、扉の奥に人が来る気配を感じた。

 扉が開くと、僕が調整に出していた可変制服を持ったエーディンが出てきた。


「待たせたな。ほら、エディゼート」


「ああ、どうも」


 エーディンはそう言って僕に押し付けるように可変制服を渡してきた。

 僕の特別製の可変制服は調整を重ねるごとにその性能を改善させ、今では渡された時と比較して蓄願とその放出性能がかなり向上しているらしい。


「それにしても、魔願術師協会の会長からこの制服の作成を協力してほしいと言われた時は驚いた。まさか、これを欲しているのが『見願』を有するやつだとはな」


「本当に、これにはいつも助けてもらっている。ありがとうな、エーディン」


「はぁ。礼には及ばない。それにしても、これにカイレンの願力を吸わせて戦っているとは。その話を聞く限りやはり、何でもありなでたらめさは本物の証なのだろう」


 エーディンには僕の正体を伝えていない。やはり僕についての情報を知る人間は少ないに越したことはない。


 現状功績が少ない僕にとって、人類の敵でないことを証明することは困難なことだろう。


 一応僕は願人であるガネットによって、非人道的な潜在的悪意がないことを証明されている。どうやらこの検査のようなものは魔願帝全員が受けているらしく、これに引っかからない者だけが魔願帝になれるという仕組みらしい。実際、この検査を怠ると新たな魔願樹が誕生した際に、悪意を受け継いだ願人が何をしでかすかわからない危険性が生じる。


 ――そう考えると、魔願帝の皆はなんだかんだ優しかったなぁ


「そうだ。お前たち、茶でも飲んでいってくれ。あの会長からその制服の調整の度に気持ちばかりの研究支援金と共に茶葉が添えられてくるんだ。この研究室には茶を飲むやつがあまりいなくて、おかげでこのありさまだ」


 確かに、エーディンが言うように部屋の中は大量の茶葉が詰められた瓶が大量に置いてある。


「もう、エーディンったら。素直にくつろいでいってくれと言えばいいのに」


「はぁ。カイレン、俺はあくまで事実を言っているだけに過ぎない。それにエイミィが茶を飲むことが好きなことくらい、長い付き合いのお前ならわかるはずだろう」


 確かにそう考えると、エイミィはよく幸せそうな落ち着いた様子で茶を嗜んでいた。


「まぁ、そうだね。突っかかった私が悪かったよ。私、エイミィが淹れたお茶が好きなんだぁ」


 カイレンはそう言ってエイミィの方をちらちらと向いた。


「はいはい。カイレンはお茶を淹れるのが下手っぴだからね。お兄ちゃんもエディも飲むでしょ?」


「ああ。濃い目で頼む」


「僕も同じく」


 エイミィは僕らの言葉を聞くと席から立ちあがって手際よく茶淹れの準備を始めた。

 その様子を見届けながら、エーディンは僕とカイレンの正面側に座った。


「そう言えばこの部屋に入って思ったのだが、席は人数分あるのにも関わらず、どうしてお前らは一つの長椅子にそんなにくっついて座っているんだ?」


 部屋に置かれた机を囲うように、二人掛けできるほどの椅子が四方に置かれていた。確かにもう気にしてはいなかったが、カイレンはグラシアの一件以来僕との距離が近くなった気がする。


「うーん。まぁ、あまりこういうことは言うべきじゃないけど。――エーディン、理由は簡単だよ。私とエディは将来を誓い合った仲、つまりエディは私の婚約者なの!」


「......」


 ほんの一瞬。この場に沈黙が訪れた。


「......エディゼートが?なぁ、エイミィ。それは本当なのか?」


「そうだよ。今はまだ生活が落ち着かないから恋人みたいな関係でいるけどね」


 エイミィはくるりと振り返ってそう言った。


 てきぱきと、エイミィはそのままティーセットを机の上に並べて乾燥させた果実の盛り合わせを皿の上に出した。


「......ふむ、なるほどな」


「......」


 エーディンは何かを考え込むように下を向いた。


 何故か、カイレンはこれ以上何も言うことはなく、僕も口を開く気が起きないまま静かにエイミィが茶を淹れるのを待った。


 口を開けないのは、カイレンの言葉を聞いたエーディンから敵意ともとれる少量の赤い願力が瞳や翼から滲み出ているように見えたからだ。


 ――もしかして、今のカイレンが言ったことってマズいことだったのか?


 別に、エイミィに手を出しているわけじゃないから大丈夫なはずだ。

 そう自分に言い聞かせて、ただ待った。


 するとエイミィは魔道具らしきもので沸かした湯をポッドに注いで机の上へと運んで座った。


「カイレンは薄い方が好きでしょ?あと、砂糖とミルクはここにあるからね」


「うん。ありがと」


 そう言ってエイミィはカイレンのカップへと茶を注いだ。

 エイミィが注ぎ終わるとカイレンは早速砂糖とミルクの入った入れ物に手を出して、これでもかとカップに入れ出した。

 琥珀色の茶が注がれると、部屋中には気が落ち着くような香りが広がった。


 広がったはずなのに、なぜこうもいたたまれない気持ちなのだろう。


「お兄ちゃん、はい」


 エイミィはそう言ってエーディンのカップに茶を注いだ。


 先ほどよりも濃い赤みを帯びた茶の色は、まるでエーディンから滲み出ている願力の色のようだった。


「ありがとう、頂くよ。......はぁ、いい香りだ」


 エーディンは茶で満たされたカップを手にすると、香りを堪能するように嗅いで口をつけた。


「エディも、どうぞ」


「あ、ああ。ありがとう」


 カップを手にして、口元に近づける。

 恐る恐るエーディンの方に視線を向けると、エーディンは目を閉じながらエイミィが淹れた茶を嗜んでいた。

 その様子は至って穏やかだったが、願力の見える僕にはとてもそうには見えなかった。


 ――とりあえず、余計なことは言わないでおこう


 そう思って茶を口にする。

 冷まさずとも飲めるギリギリの熱さと程よい苦みと共に、濃いハーブと茶葉の香りが鼻を通り抜けた。


 乾燥された果実の盛り合わせにも手を出す。

 ねっとりと、濃縮された甘味が茶の香りを引き立てる。そんな気がした。


「私も、いただこうっと」


 そう言ってエイミィは自分のカップにも茶を注いだ。


「......はぁ。おいしい」


 幸せそうに、エイミィはため息を吐いて微笑んだ。


「やはり、エイミィが淹れてくれた茶は世界で一番おいしい」


「はいはい、大袈裟に。いつもありがとう」


 エイミィはそう言ってまた一口とカップに淹れた茶を飲んだ。


 表面上だけで言えばなんてことない穏やかな昼過ぎのひと時。仲の良い兄妹とその友達、そして僕。美味しく楽しい時間を過ごしているはずなのに――。


「......はぁ」


「......っ」


 カップの中を空にしたエーディンがため息を吐いた。


 ――何か、言われるっ!


 とても気が気じゃない。

 身構えてエーディンを見る。


「あ、せっかくのところ悪いけどお手洗いに行ってきてもいいかな?」


「おっ、丁度いいや。私も行きたいと思ってたんだ。行こう、エイミィ」


 すると何かを察するようにエイミィとカイレンはそろって部屋を後にしようとした。


 ――ちょっと待て!二人とも行くのか!?僕一人を残して!?


「じゃあ行ってくるねぇ~」


 僕が口を開く間もなく、二人は部屋を後にしていった。


「ちょっと、待って......」


 パタンと、扉は閉じられた。


「――なぁ、エディゼート」


「な、なんだ」


 エーディンは腕と足を組んで口を開いた。


「人の気持ちを考えたことは、あるか?」


「......人の気持ち?」


 ――なんだなんだ?!全くをもって意味が分からない。でも、ぴりついているのは確かだ


「はぁ。お前にもわかるように、話すとしよう。隣にいたカイレンは、現段階でお前の恋人に当たる。そうだな?」


「あ、ああ。それがなんだよ?別に、誰がどんな関係だろうがいいだろ......」


「はぁ。まだ話が見えていないか」


 深く、エーディンはため息を吐いた。


 ――いやいや!何が言いたいのかが全くわからない!


 何か僕に対して言いたいことがあるのはわかる。だが、何が原因でエーディンは機嫌を損ねているのかがわからない。


「いいだろう。お前は、婚約を交わしている存在がいるのにも関わらず、こうして今も俺の妹と寝食を共にしている。まぁ、これは百歩譲っていいだろう。同じパーティーメンバーであるからな。だが、問題はそこじゃない」


「......と、言うと?」


 一瞬、静寂が訪れる。


「......お前は」


「......」




「――お前は、目の前で一人にされるエイミィの気持ちを考えたことはあるのかっ!」




「......え?」


 威勢のいい声と共に告げられたのは、まさかのことだった。


「たとえ話をしようか。もしお前と俺、そしてエイミィがパーティーを組んで活動をしているとしよう。そんな中、俺とエイミィが付き合っていてその様子を見てお前はどう思う?」


「待て。なんでお前とエイミィの兄妹が付き合っていることになっているんだ?」


「今はそんなことどうでもいい。もしもの話だ。それで、お前はどう思う?」


 再度、鋭い視線を僕に向けながらエーディンは尋ねてきた。


 ――そりゃ自分がいないものとして扱われたら思うところがあるけどもよ......


 でも、これに関して僕はエイミィから大丈夫だと言われている。カイレンを安心して任せられる人が見つかってよかったと。


「確かに、この状況でいい気分になることはないとは思う。だけれども、僕はエイミィからカイレンとのことは気にしなくていいと言われているんだ。だから、お前が僕に対して何かを言いたげにしているが、それは言ったところで意味はない」


 ――どうだ?これでエーディンは何も言ってこないはず......


「......違う」


「......え?」


 一言、エーディンは呟いて立ち上がった。



「お前は妹を――エイミィのことを何もわかっちゃいない!」



 エーディンは腕を横に薙ぎ払ってそう言った。

 あまりの展開に、何も言い返せないまま目の前を見つめるだけだった。


「エイミィが......エイミィがお前に対してどんな思いを抱えているのか。それもわかっていないまま、お前は......お前ってやつは!」


「だから、どういうことなんだよ!?」


 いよいよ、僕も応じるように席を立った。


「エイミィがお前について話しているとき、いつもより楽し気に、誇らしげに今まで見せたことのない表情を見せるんだ」


「......それが、どうしたんだよ?」


「妹は......エイミィは、お前のことが好きなんだ!」


「......」


「......」









 ――は?









「今、なんて?」


「それにも関わらずお前は......。お前は妹の気も知らずにいる、わからずやだということだ!」


 激しい剣幕が、一方的にぶつけられる。

 応じることもできず、ただ唖然とするばかりだ。


「ちょっと待ってくれ!僕はエイミィから一度たりともそんな気を感じたことはない!それはお前の誤解だ!」


「いいや、そんなことはない!エイミィは自分でも気づけていないだけなんだ!......これは俺のせいでもあるが」


 ポツリと、何かを言っていたがそれどころかじゃなかった。


 本当に、エイミィからは普通の人間関係としての好意しか受け取ったことがない。

 それにエイミィは性格のおとなしさや多少の人見知りはあるものの、そこまで奥手ではないと思う。言いたいことがあれば、カイレンや僕になら言ってくれる。僕らはそういう関係だと断言できる。


「はぁ、『見願』という絶大な力を持ちながらここまでの下衆野郎だとは......」


「だから!僕はそんなつもりは全くない!」


「嘘つけ!俺は確信した!お前は、これから二度と妹のそばに近づくべきではない!」


「意味がわからねぇって!」


 物静かな研究棟の一室に、二人の男のやかましい声が響き渡る。

 今にも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気が部屋中に満ちていた。



 ――しかし、そうなることなく事態は一転することになった。



「――あははっ、やっぱりこうなるのか!」



 ――ガチャリと、部屋の扉が開いた。



 扉から出てきたのは、とても愉快そうに笑みを浮かべるカイレンと、どうしようもないくらいに顔を赤らめたエイミィだった。


「あ、あの。お兄ちゃん!落ち着いてー!」


「うわっ、なんだ?大丈夫だ、別にエディゼートに危害を加えるつもりはない」


 エイミィは声を命一杯張り上げて動きを封じるようにエーディンにしがみついた。


 嘘つけと、言葉を挟んでやりたいところだったが、事を荒立てないように口を結ぶ。


「......なぁ、カイレン」


「ん、どうしたの?下衆野郎さん」


「やっぱり、全部聞いていたんだな」


「へへへ。ごめんね、いきなり部屋を離れちゃって。二人してエーディンを試していたんだ」


 それを聞いて、エーディンは力を抜いた様子で構えた。


「え?......そうだった、のか」


 程なくして力なく、エーディンは席に着いた。

 自分が招いてしまった状況を理解したのだろうか、深くため息を吐いて下を向いた。


「はぁ。俺は......結局、何も変われていなかったのだな」


 僕らは席に着き、エイミィはエーディンの隣に座った。


「お兄ちゃん。そんなことよりまずはエディに謝って、ほら」


「いてっ」


 エイミィはそう言って、エーディンの額を指先で軽く小突いた。

 するとエーディンは面を上げて僕を見た。


「はぁ。......その、すまなかった、エディゼート。完全に、俺の早とちりだ。この場で謝罪しよう」


 そう言ってエーディンは立ち上がり、深く頭を下げた。


 ――本当に、お前の早とちりだよ。まったく


 危うくわからずや下衆野郎対重度の妹愛好家の無毛な争いが始まるところだった。

 でも自分の非を認めてこうして謝ってくれたのだ。男として、寛大に受け入れよう。


「僕は寛大な野郎だから、今までのことは全て水に流してやろう。でも、僕に謝ったなら次はエイミィにも謝れ。妹思いなのはいいことだが、度が過ぎると誤解を招くことになる。頭のいいお前ならわかってたことだろ?」


「......ああ。全く持って、その通りだ。――エイミィも、すまなかった。大切なパーティーメンバーに無礼な真似をしてしまった」


 するとエイミィはぷいとそっぽを向いてしまった。


「......エイミィ」


「お兄ちゃん。私、前に言ったはずだよね?私のためにしてくれていることで、誰かが嫌な思いをすることがあったら、私はお兄ちゃんの口を利かなくなるかもしれないって」


「......そうだったな」


 目に見えてしょぼくれるエーディン。

 でも、きっとこれくらいしないと直らないとエイミィは思ったのだろう。


「でも、私もエディと一緒で寛大だから、今回ばかりは許してあげなくもない、かもね」


「それは......どっちなんだ?」


「さぁ。それは、これからのお兄ちゃん次第だね」


「......はは、心に深く命じておくよ」


 相変わらず、そっぽを向きながらエイミィは言った。


 でもよかった。エーディンにぶん殴られずに済んで。カイレンたちがあのタイミングで来てくれなければ、本当に取っ組み合いになったいたかもしれない。


 二人が喧嘩することなく、この場は丸く収まりそうだ。そう、誰も、何も余計なことを口にさえしなければ――。




「ところで、エイミィはエディゼートのことをどう思っているんだ?」


「あっ――」





 ――この上ない爆弾が、エーディンによって投下された。





「――っ!おっ、お兄ちゃん!」


「えっ、なんだ?どうした?いててて痛い痛い。今のは、俺が悪いのか。なぁ?」


 ぽかぽかと、何もわからない様子でエイミィに叩かれるエーディン。


「......はぁ。一番妹のことをわかっていないのは、お前なのかもな」


「やっぱり、エーディンは変だよ」


 僕に続いて追撃を加えるカイレン。


「そ、そんなぁ......」


 エーディンは終始理解できない様子で唖然としていた。






 その後、しばらくエイミィがエーディンの口を利くことはなかった。


 人の気持ちを勝手に案じて行動することはよくないと、はっきりわかる一日だった。




――――――




《エイミィ視点》


 ――本当に、お兄ちゃんは余計なことを......


 今日は散々だった。

 エディを利用してお兄ちゃんを試すようなことをしてしまったのは悪かったと思っているけど、それ以上に今はエディに変に思われていないか気が気じゃない。


 ――もちろん、エディのことはカイレンと同じくらい好きだけれど......


 私は今まで生きていて一度も恋人ができたことがなかった。その半分はお兄ちゃんのせいだけれども。

 それを言い訳に好きという気持ちの区別がつかないとするのはよくないとわかっている。でも、お兄ちゃんが余計なことを言ってから変にエディのことを意識してしまう自分を無視することができずにいる。


 ――これがカイレンがエディに対して抱く好きと一緒だとしたら......


 恋人という関係に憧れがないと言えば嘘になる。

 小さい頃はラブロマンスのような物語が大好きだった。でも、現実は物語以上に魅力で溢れていた。いつしか、私の中で恋人という関係への興味は薄れていってしまったのかもしれない。


 ――まぁ、余計なことは考えないようにしておこうっと


「すみません!小魚のフライ追加と魚のマリネをそれぞれ二人前追加で」


「あいよ!」


 空になった皿を前に追加の注文を頼んだ。


「エイミィ、今日はいつもに増してよく食べるね」


「ふふっ。だってカイレン、今日はお兄ちゃんの奢りなんだよ」


 隣を見ると、青ざめた顔で財布の中身を確認するお兄ちゃんがいた。


 ――妹を困らせた罰なんだから、覚悟しておいてね


 私たちは四人とはとても思えない量の料理を平らげていった。

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