第29話 終幕

 ああ、してやられた。


 共有財産呼ばわりしといて、ほとんど自分のもののように扱って。


「......」


 人前で、こうされるのはまだ恥ずかしいというか、なんというか。


 とにかく、あれだ。心の準備ができていないんだ。きっと。


「不意を衝いたカイレンの一撃。エディゼートに効果ありだね」


「......違う」


「ふふふ、どうとでも言うといいよ」


 先ほどから、レイゼがニマニマと笑顔で話しかけてくる。

 誰かの口癖じゃないけど、不気味だ。


 ああ、不気味な笑顔を僕に向けないでくれ。


「僕はただ......心の準備ができていなかっただけだ」


「そうなの?じゃあいつでも準備しておいてね!」


「......」


 これまた、ニマニマと不気味な笑みを......いや、不気味じゃない。カイレンはにこにこと、他意のない笑顔で僕を見ていた。


「はぁ......」


 ふと、空を見上げる。


 月は雲間に隠れてしまったが、その明かりは雲の隙間から漏れ出ていた。

 そよそよと、夜風が吹く。


 視界の外、七色に煌く魔願樹が目に映った。


「そうだ、レイゼは魔願樹について調べたいことがあるって言ってたよな?それはどうなったんだ?」


 頭の中に、ふとレイゼが僕たちと別行動をとっていたことを思い出す。


「ああ、それはもう済んだよ」


「何について調べていたんだ?」


「......」


 会話が途切れる。

 レイゼの方に目をやると、レイゼは視線を下に落とした。


「何か、言いたくないわけでもあるのか?」


「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ、昔の出来事の手がかりが掴めるかと思ったんだ」


「昔の......か」


 レイゼが指す昔とは、一体何年前を指しているのだろうか。

 前にレイゼは千年前に赤龍になったと言っていた。

 つまり、昔とはそれ以前のことを言っていると予測できる。


「安心して。直接魔願樹に何かをしたわけじゃないから。私はただ、ここら一帯を見ていただけ」


「そうなんだ」


 これ以上、詮索するのもよくないと思った。

 レイゼは、顔には出していなかったが、どこか悲し気な、寂しげな声音で語っていた。


「もう、私たちのことを魔法で覗き見してたくせに」


「あはは、偶然見えて、偶然聞こえただけだよ」


「ふーん。たちの悪い魔法を使うんだねぇ」


 むすっとした表情でレイゼを見つめるカイレン。


 レイゼは姿を消す魔法でも使えるのか、それとも望遠できる魔法だったり、遠くの音を聞くことができる魔法だったり。

 難しい概念が絡む願力による魔法は、どのようなことが可能でそうでないのかの判断がつきにくい。

 いつまで経っても、その仕組みがわからないままだ。


「まぁまぁ、それは置いといて。ほら、二人は早く集合しないといけないんじゃないの?」


「あっ――そうだった!」


 僕たちはセノールに集合するように言われていたのだった。


 僕自身そのことを忘れていたわけではなかったが、なかなか切り出すことができずにいた。


「早く行かないと.......!あ、そうだ。レイゼはどうするの?」


 するとレイゼは首を横に振った。


「見ず知らずの私が姿を現したら面倒ごとになるかもしれないでしょ?それはさすがに避けたいから、私は遠くから見てるよ」


 何か意味ありげに、レイゼは笑みを浮かべながらそう言った。


「はぁ......。また僕たちを覗き見するのか」


「失礼な。仕方のないことだもの」


 そう言うとレイゼは立ち上がった。


「もう行くのか」


「早く合流しないといけないのでしょう?それじゃあ二人とも、また後で。――『飛翔イアルヴ』」


 気を利かせるように、早々にレイゼは飛び立っていった。


「――『』」


 瞬間、レイゼは何かを詠唱すると、たちまちその姿は夜空に消えていった。


「――え、消えた?」


「消えたというよりも、私たちが認識しないように魔法をかけたんだろうね」


「なるほど......?」


 よくわかりそうで、わからないような。


 魔法とは、非常に便利なものだ。

 願力が見える僕ですら姿を眩ませることができる魔法があるとは。


「さて、早く皆のところに行こう、エディ」


「ああ、そうだな」


 ブランケットを回収し、立ち上がる。


 そのまま僕たちは皆が待つ方へと歩み始めた。








――――――








 抉れた大地を進んでしばらく。


 複数人が談笑する声が聞こえてきた。


「あ、見えた。おーい!」


 皆の姿を見つけると、カイレンは大きく手を振って駆け出した。


「おっ、やっと来たか!」


 カイレンの声を聴いたクレウルムは、体をこちらに向けてそう言った。

 それと同時に他の皆も振り向く。


「カイレン!ちゃんとエディに謝れたんだね」


「あはは。ごめんね、エイミィ、それにみんなも。いろいろと待たせちゃって」


「ううん、大丈夫だよ。皆、戦闘の後で疲れていたから」


 エイミィは優しくカイレンに向けてそう言っていた。

 今のエイミィは翼がなく、普段の姿に戻っていた。


「ったく。たかがコイツが......エ、エディゼートが勝手に気を失ったかもしれないっていうのに、自分のせいだって泣かなくったって......」


 クレウルムはカイレンに足を踏まれかけると、すぐさま僕のことを名前で呼び戻した。


「駄目なの!もう、クレウルムはもう少し考えてから話した方がいいよ。だからいつまで経ってもいい人が見つからないんだよ」


「――なっ?!お、おい!それとこれとは関係ないだろ!なぁ!」


 八つ当たりするように、言葉に棘を含めるカイレン。

 一同から笑い声が聞こえ始める。


「くっ――!お前ら笑いやがって......!今に見とけよ!絶対......絶対いつか俺の結婚式にお前らを招待してやるんだからな!」


「はいはい、そうっすねー」


 たしなめるようにクレウルムに対してセノールはそう言った。


「クレウルムの兄ちゃんの結婚式かぁ」


「どんな人と結婚するのでしょうかね」


「んー。そもそも結婚できるのかねぇ」


 相変わらず、アベリンとベリンデはアレザの翼に包まれながら話をしていた。

 アレザの翼は戦闘時の願力による光はないものの、羽一枚一枚は月明りを反射して光沢のある質感をしていた。


「......さて。私たちには、まだまだやらなくちゃいけないことがあるんだよね」


 カイレンが口を開く。

 誰一人、そのことについて忘れていたわけではなかったが、疲労と安堵そして僕らの合流を待ってこの場に待機していた。


「でも丁度いいタイミングだ。ほら、見てみろ」


 クレウルムは促すように視線を魔願樹に向けた。

 上空にかかる雲に届きそうなほど成長したそれは、ディザトリーで見たものと同じような形状をしていた。


「ねぇ、何かが流れているよ?」


 目を凝らす。

 するとアベリンが言うように、魔願樹から願力そして魔力が流れ出ている様子が確認できた。


「綺麗だ......」


 皆の目に、この光景がどう映っているかはわからない。ただ、僕の目には七色の淡い光が緩やかに渦を巻きながら一つに集まろうと流れているように見えた。


「エディの目には、どう見えてるの?」


「七色の綺麗な光が渦巻いて、一つになろうとしているよ。カイレンたちにも、見えたらなぁ」


「そうなんだ。きっと、綺麗なんだろうね」


 幻想的な光景を前に、視線はすっかり魔願樹に釘付けにされてしまっていた。

 しばらくすると、願力と魔力の渦は一か所に収束するように集まっていった。


 その様子を察知するように、セノールは手帳と渦を見比べていた。


「いよいよっすよ、皆さん。渦が完全に収束すると、無垢の願人が出現するっす。そしたらカイレン様とエイミィ様は『調界イノヴニス』による調教をお願いするっす」


 セノールの言葉にカイレンとエイミィは頷いた。


「カイレン、手順は大丈夫だよね?」


「もちろんだよ、エイミィ。魔法に願いを込めながら、でしょ?」


「その通り。ふふっ、一体どんな子になるのかしらね」


 意味ありげな会話をする二人をよそに、クレウルムは僕の方にふらっと寄ってきた。


「ん、どうしたんだ?」


「いや、カイレンちゃんが調教を一人でやらなくてよかったなって」


 ――ん?一体どういうことなのだろうか


 まるで見当もつかない会話。

 複数人でするのと個人でするのとでは何か違うのだろうか。


「そのことが何かいい点があるのか?」


「え?だって、カイレンちゃんが二人に増えたらと考えると大変だと思わないか?」


「......は?」


 一体全体なんのことかわからない。

 でも、このすれ違いみたいな感覚はきっと僕が願人の調教について知らないことがあるからだろう。


「なぁクレウルム。その、あれだ。僕はここに所属しておきながら知らないことだらけなんだが......」


「はぁ。だろうと思った。見願様はすげぇなぁ、こんなことも知らねぇのにここにいられるんだ」


「......うるせぇ。さっさと教えろ」


 けらけらと、気味悪く笑うクレウルムはカイレンとエイミィの方を指さした。

 気づけば二人は既に地上を飛び立ち、渦の近くまで移動していた。


「まぁ、ここまできたなら言うよりも見た方がわかりやすい」


「ん?どういうことだ?」


「そう焦んねぇで見てなって」


 ――ちっ、ここまで言っといてお預けか


 まぁいいだろう。今は二人の様子でも見ているか。

 他の皆も、カイレン達の方を無言で見つめたまま話そうとしない様子だし。

 改めて、渦の中心に目を向ける。


「お......」


 ――変化を確認したのは、そう遅くはなかった。


 渦を囲うように相対に位置した二人に願力の光が滲みだした。

 魔法を発現させる前兆。カイレンからは白色、エイミィからは深紅の光が見えた。


 その光はやがて均一に規模を拡大させ、渦の中心へと吸い寄せられるように流れていった。


「あの渦が、二人の願力を吸い込んでいるのか?」


「ん?お前にはそう見えるんだな。いいなぁ、俺も見てみたいもんだ」


 カイレンとエイミィの願力を吸収していく渦。次第に七色の渦は赤と白を混ぜたような淡い桃色へと変化していった。


「......もしかして、願人って最初から人の形で出現するものじゃなかったりするのか?」


「ここまで見りゃわかるだろ。そうだ、願人は人の願力を吸収して初めて形を成す。正確には、この願人というのは......その、あれだ。そこらへんにはえている木で言うところの果実みたいなものだ」


「へぇ、なるほど」


 なるほどと言ったものの、その表現には他にも僕の知らない要素が詰まっている気がした。

 願力を吸収、そして変化。

 てっきり、これら一連の動作は願人という人型の何かに対して願力領域をぶつける儀式かと思っていた。


「いいか、エディゼート。もうすぐなかなかお目にかかれない光景が拝めるぜ」


 クレウルムがそう促すように、渦は眩い光を放ちながらその規模を小さく縮小させていた。

 光はクレウルム達にも見えているのか、眩しそうに目を細めている。


「何が、起きるんだ?」


「それがいよいよわかるってんだ。黙って目に焼き付けとけ」


 直視すらできないほど焼き付くように明るさを増した光の渦。

 カイレンとエイミィから流れ出る願力の量もそれに合わせるように増えていった。


 渦は既に人の大きさ程まで縮小し、そして――カリンッ、と「」が砕けた音を鳴らした。


「あっ、光が!」


 何かが砕けた音が響いた瞬間、二人は願力の供給を止めた。

 すると雫が滴るように光は闇夜の底にゆっくりと落ちていった。

 それは落下と共に光を失い形を成していった。

 見まがうことなき人型。

 確かにそれは、人の形をしていた。


「これで、終わったのか?」


「ああ、そうだ。これがこの世界の有史以来十三度目の――【願人創生の儀】だ」


 皆が視線を向ける先、カイレンとエイミィは誕生した願人を追いかけるように高度を落としていった。そしてゆっくりと落ちていく人型を優しく抱きかかえ地上へと降り立った。

 魔願樹が放つ光が逆光となり、遠くからでは彼女らの様子があまりよく確認できなかった。


「なぁ、職員の兄ちゃん。これで調教は終わりなんだろ?」


「はい。残された記録通りの事象が確認されたので、無事成功したっす」


「「おお!」」


 一同から、歓喜と安堵の声が上がった。


 ――よかった。何事もなく終わったみたいだ


 今はただ、心から安心するばかりだ。

 初めての任務、初めての経験。この世界に来て間もないなりに、なんとかできたと自分を褒めたい。

 そう思えたことのすべてに、皆の協力があった。

 この世界で生きていけるのかについての漠然とした不安は、カイレン達のおかげで気づかないほど薄らいでいた。


 ――でも、総括はまだだ


 自分を顧みるのは、もっとゆっくりできる状況になってからにしよう。例えば、ベッドの上とか。

 考え事よりもまずはカイレン達のもとに向かわないと。


 ――気づいた時には、既にカイレン達の方へ駆け出していた。


「ねぇ、みんなも早く行こう!ほら」


「ちょっと、引っ張んないでよお姉ちゃん!今はまだ行かない方が......」


 背後からアベリン達の声が聞こえる。


 振り返ると、何故か皆はゆったりとしたペースでカイレン達がいる方へと向かっていた。


 ――生まれたての願人、一体どんな姿をしているのだろう


 期待に胸が躍っている。


「おーい!」


「あっ、エディ!」


 気づいたように、カイレンとエイミィはくるりと僕の方を振り返った。

 その二人の間、全体は見えないが人型の何かが立っていることが確認できる。


「二人とも、お疲れ様」


「あはは。本当に、疲れたよ」


「まさか、調教にあれほど願力を吸われるなんて思わなかったね」


 近くまで行くと、二人は疲れた様子で息をついてそう言った。

 確かに、目視で確認できただけでも相当な量の願力が二人から流れ出ていた。


「――それで、その子が......」


「うん、そうだよ」


 カイレンが着ていた外套を着させられた、半裸の少女。


 今はまだ二人の陰に隠れて姿は見えないが、背丈は二人の中間程であることがわかる。

 カイレンのような、少し長めの髪が風になびいた。黒と薄ベージュの、透き通るような細い髪が月明りを散らした。


「それじゃあお披露目だね」


「――うん!」


 初めて聞く声が二人の背後から聞こえてきた。


 カイレンのようにはつらつとしていて、エイミィのように淑やかな優しい声。


 そして――。






「......はは、マジかよ」


「ふふっ、初めまして。エディ!」






 笑ってしまうほど、二人によく似た少女が姿を現した。


 無造作に生えた、毛先にかけて黒から薄ベージュに変化していく細髪。左目には深紅の、右目には緑がかった透き通るような水色の瞳。すらっとしていながら、女性らしいラインを有する体格。片翼の願力と魔力が混在した翼そして鍵のような形状の細長い尻尾。


「なるほど、クレウルムがああ言っていたわけだ......」


 今になって、あの言葉の意味がようやく理解できた。

 願力を注いだ二人。そしてその二人の特徴を有した願人。


 ――つまり願人とは、願力を提供した人物の特徴を有する、魔願樹から生まれた生命体のことを指していたのだった。


「それにしても、生まれたてなのにもう話せたり状況把握ができているとは......。私に似て賢いんだね!」


「......私が、あなたに似て?」


「......え?」


 早々に願人に否定されるカイレン。

 しかし、カイレンが言う通り、誕生したばかりであるはずにも関わらず願人は何食わぬ顔でコミュニケーションをとっていた。


「あはは......。半分の自分にそう言われちゃうって、なんだか可哀想だね」


「むぅ......。でも待って。半分はエイミィなんだから、もしかしてエイミィは私のことをそんな風に......」


 じりじりと、エイミィとの距離を詰めるカイレン。


「えっ!?いや、違うから!私はカイレンのことをおバカさんだなんて一度も――」


「嘘つけ!この豊満ポカポカあったか女ぁ!おりゃあー!」


「ひゃあっ!?や、やめてぇ!このままだと私......!」


 カイレンはそう言ってエイミィに飛びついて体中全身をくまなくくすぐっていた。


 ――豊満ポカポカあったか女......


「ふっ......」


 いけないいけない。絶妙な言葉の羅列に思わず吹き出てしまった。


 本人に見られてないと――。


「もう、エディ!笑わないでよぉ!」


 ――がっつり、涙目のエイミィと目が合ってしまった。


「いや、すまない!でも、全然僕はエイミィのことそんな風には......ふふっ」


「もうっ!」


 ああ、いよいよ駄目だ。ツボにはまってしまっている。


 笑わないようにこらえると頭が痛くなってしまう。


 なんとか誤魔化さないと。


「ごめんごめん。でも、エイミィはカイレンにない、その、何と言うか、魅力があると思うよ!だから、気にしないで!大丈夫、うん。大丈夫!」


「んー!エディ!その言い方だとまるで私の身体は貧相で魅力がないみたいじゃん!」


「えっ、あ、いや。そういうつもりじゃ......」


 ――まずい!余計なことを言ってしまった!


 今度は僕が標的にされてしまう。

 なんとかしなくては――。


「ふーん、ねぇカイレン。エディは私のことを、魅力的だって」


 突如として場に、いつもより低く艶めかしさの混じった声が響く。


 その声の発信源は、今ほったらかしにされている願人のいる方からではない。


「エ、エイミィ!?もしかして......まさか願力の使い過ぎで」


 ――エイミィの真っ赤な瞳はいつの間にギラギラと輝いていた。


 それはまるで獲物を見つめるような目。

 翼はないものの、牙をむき出しにして口角を上げていた。

 思わず、カイレンは冷汗をかきながら手を止めていた。


「......えっ?」


 ――何故か。視線は、僕の方に向けられていた。


「待て待て、エイミィ!その、笑って悪かったって!だから、その。そんな顔で見つめられると怖いんだけど!?なぁ!」


 完全にロックオンされている。

 無言の笑顔で見つめられると怖い。


「......ほら、どいてよ。――『完転カイゼル』そして――『飛翔イアルヴ』」


「えっ、うわあっ!?」


 エイミィは短く詠唱を唱えると、勢いよくカイレンに飛翔魔法を付与して吹っ飛ばした。それもかなりの速度で。


「ふふっ。これで邪魔者がいなくなった。――『禁固ギューブ』」


「なっ!?」


 ――まずいっ!?なんだこの魔法は?非常に、非常にまずい!


 エイミィの魔法によって完全に身動きがとれなくなってしまった。

 ただでさえ願力抵抗ができないというのに『破願』の性質まで加わるといよいよ何もできない。

 ああ、どうしよう。いつもと明らか違う様子のエイミィが近づいてくる。


「ねぇ、エディ」


「あ、ああ。なんだ、エイミィさん?」


 鋭い眼差しが向けられる。


「前から一度エディの血を吸ってみたかったのよ。どんな味がするのか、楽しみだなぁ」


「ぼ、僕の血!?って、待って!そんな......まだ心の準備とかがまだ――!」


「準備なんて、いらないよ。ふふっ、カイレンが来る前に早く頂かないと――それじゃあ、いただきます!あーむ」


 ――ガブッ


「――ぐあーっ!」


 ――いたたたたたたっ!?痛い痛い!思ったより痛いし、すごい吸われてる!


 僕はエイミィに抱き着かれるように首筋に噛みつかれていた。


 すーっと、血の気がなくなっているせいか、体が少しだけ寒気を感じている。でも、エイミィの体温が高いからかそこまで寒くはない。


 ――って、呑気に考えている場合じゃない!カイレンは......


 そうだ、遥か上空まで吹っ飛ばされていたのか。


 ――願人は......


 駄目だ。呆れた顔で僕を見ている。


 ――他の皆は......あれ、他の皆は!?


 姿は、かなり遠くに見えた。なんだろう、エイミィの餌食になりたくないのだろうか。本当に、遠くにいた。


「あ、あの。エイミィ、そろそろ吸うのをやめてくれないと......あれ?」


 体が、ついに動くようになった。

 同時にエイミィは吸血を止めた。

 すぐさま回復魔法を首筋に当て、止血する。

 幸い、貧血になる一歩手前で吸血は止まった。


「......ない」


「......え?なんて」


 ボソッと、聞き取れないほど小さな声でエイミィは呟いた。


「なんて言ったんだ?エイミィ......」


「美味しくないよ......エディの血」


「えっ。そ、そうなんだ。へぇ」


 吸われた身でありながら、少しだけショックだった。

 どうやら僕の血は美味しくないらしい。


 ――多分だが、その原因はきっと願力が関係しているんだろうなぁ


 確か前に血液には願力が含まれていると、エイミィから聞いていた。血液に含まれている願力を吸血で摂取するエイミィにとっては、味のしないドロッとした液体を飲んでいるだけなのだろう。


「あーあ、残念。でも、おかげですっきりと......」


「って、エイミィ!?」


 突如脱力するようにエイミィはその場に崩れ落ちた。


「......うーん」


 抱きかかえて顔を覗くと、血液を口元から垂らしながら静かに気を失っていた。


 ――吸血衝動は収まった、ってことでいいんだよな?


 とりあえず、横たえるのにちょうどいい岩があったので、エイミィをその場に下ろした。


「えーっと、その......」


「ん?ああ、お前か」


 少し離れた場所にいた願人が口を開いた。

 そういえば、ほったらかしのままだった。


「半分私ってことを考えると......なんだか恥ずかしいような、申し訳ないような......」


「ああ、そうだよな。でも、お前が気にする必要はないよ。多分」


「......」


「......」


 気まずいようで、そうでもないような空気が場を満たしていた。


 ――ふと、空を見る。


 もう朝、か。

 気づけば、空の際が明るさを帯びていた。


「そういえば、カイレンのやつどこまで......」


「エディー!」


「......って、いたいた」


 僕の直上。エイミィに不意をつかれて吹っ飛ばされていたカイレンが勢いよく落ちてきた。


 そのまま僕の元まで速度を落とすことなく落ちていき――。


 ――速度を落とさず!?


「受け止めて、エディ!」


「って、バカ!――『飛翔とべ』!」


「ひゃあっ!」




 カイレンが地上に着く前になんとか――なった。




 魔法によって速度を落としきれなかったので、抱き寄せて振り子のようにくるっとその場で回った。


「危ないところだったじゃないか......僕を信用しすぎだ」


「あはは!ごめんね、疲れているからか楽しいことがしたいなって思ってつい」


 満面の笑みを浮かべるカイレン。


 疲れたり、眠れていない状況が続くとバカなことをしたくなるのはよくわかる。僕だってそうだ。


「はぁ、私は恥ずかしいよ......」


 そんな僕らの様子を見て、願人は手で顔を覆って項垂れていた。

 それも仕方ない。二人の半分ずつを受け継いだ存在なのだから、そう思ってしまうのだろう。


「まぁでもいいじゃない。とりあえず、この任務はこれでおしまい!そうでしょ、みんな」


 カイレンが目を向ける先、いつの間にか他の皆は声の届く距離まで近づいていた。


「えーっと、その。エディゼート君、お疲れ様」


「セノールさん......。本当に、疲れましたよ。はは」


 申し訳なさを浮かべたようなぎこちない表情をしたセノールから慰労の言葉をかけられる。


「でも、これですべて終わったんですよね?」


「そうだね。――これにて、グラシアで発生した地脈異常並びに魔願樹と願人の保護の任務は完了したっす。皆さま、本当に、お疲れさまでした!」


 ――セノールの言葉を締めに、僕の初任務は幕を閉じた。それは僕のこの世界での居場所を保証する大事な出来事であり、僕の生活を慌ただしいものにする決定的な出来事でもあった。




 それを自覚するのはまた先の話。

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