第27話 短期決戦

 無数の浮遊島の下、今は四足歩行で荒廃した大地を闊歩する巨大な黒。

 背後にそびえる未完の魔願樹の光が逆光となり、その異様さが引き立っているように見えた。


 遠くにいたときからその大きさには驚くばかりだったが、近づいてみるとその印象は驚きから絶望に近いものへとすり替わるようだった。

 圧倒的質量が故の重厚感。今までの魔法ではダメージを与えられるのか、それすらもわからなかった。


 しかし、その存在を前にして戦意を欠こうとする者は誰一人としていなかった。

 世界最高峰の魔願術師ディザイアド達は、鋭い眼差しで最終目標を捉えていた。


「はぁー......。エディゼートがもしいなかったら俺たちどうしてたんだろうなぁ?」


 クレウルムは眼前の願魔獣を見て半笑いしていた。

 しかし、言葉には少しだけ余裕があるようにも窺えた。

 たとえどんなに防御が硬かろうが、体躯が大きかろうが、最速最強の一撃は願魔獣である以上通用するはずだ。


「今思ったのだけど、この願魔獣、まるで魔願樹を守るように周りをずっと周回しているね」


 エイミィの言う通り、今の願魔獣は巨体の側面を僕たちに見せるように進行していた。


「まるで守護者みたい......」


 守護者、という表現がしっくりくるように、願魔獣は見回りをするように練り歩いていた。

 そしてその際に地表面に流れ込む漆黒の願力。その影響か、周辺の地形は完全に滅茶苦茶だ。おおよそ平地と呼べる場所の方が少ない。


「こんなに大きくても、魔物を模してくれているのなら弱点は一緒。皆で頭を狙うのがよさげだね!」


 少しテンションの高いアレザが見つめる先、普段であれば小さく狙いずらい黒狼型の魔物の頭部も、この大きさであれば十分狙える。

 しかし問題は、一つの頭部を破壊して願魔獣の複合体が消滅するかどうかだ。願魔獣と戦闘した際に、ある程度の学習能力を有していることが窺えた。そう何度も攻撃を効果的に命中させることは難しいと考える方がいいだろう。


「エディの魔法で弱体化したとしても、願魔獣は自身の願力を魔力に変換できるから油断しないように。しかも今回は四体が一つに合体してるから、なおのことね」


 カイレンは改めて注意を促すように後ろを振り向きそう言った。


 願魔獣四体の願力の総量はわからない。だが、魔力から直接魔法を使わせないだけましだ。今はこの方法に賭ける以外効果的な手立てが思いつかない。信じるしかない。


「そして、なるべく短時間で倒そう。消耗戦になると、私たちが不利になるから。それぞれの最大火力をぶつけるように」


 誰も口にしなかったが、既に数度にわたって戦闘を繰り広げた僕たちは、万全な状態といえるような体力ではなかった。だが身体強化魔法のおかげか、その消耗は最小限になっていた。

 考えると、この中で一番消耗しているのはおそらく僕であり、一番最初に戦力外になる可能性があるのも僕だ。いくら願力の回復が早かろうと、精神的疲労は確実に蓄積しており、願魔変換の少しの配分ミスで一時的な精神崩壊や気を失う可能性が高い。


「......大丈夫だよ、ベリンデ」


「うん。ありがとう、お姉ちゃん」


 アベリンは震えるベリンデの手をそっと握った。

 だが、当のアベリンも落ち着かない様子で尻尾が揺れていた。


 誰だって、こんな怪物を前にしたら恐怖を覚えてしまうだろう。一挙手一投足が致命傷に繋がりかねない、そう思わせるに十分な威圧をそれは放っていた。


 ――気を抜いた瞬間、やられる。


 共通認識として、今の僕らには恐怖があった。


「すぅ――はぁ――。よし」


 深呼吸をして、一人願魔獣の前へと歩き出す。


「それじゃあみんな、始めるよ」


 振り返ると、不安、期待、どれとでもとれる表情をした皆が頷いた。

 だが皆、共通して力強い眼差しで僕を見ていた。


「気を付けてね、エディ。命が最優先」


「わかってるさ、カイレン」


 僕を不安にさせないためか、カイレンは努めて笑顔でそう言っていた。

 自分が死なないように、皆が死ぬことがないように。持てる力全てを、ありったけぶつける。――躊躇う理由はなくなったのだから。


「――そうだ、皆に一つ作戦について。攻撃開始の合図は、僕が展開した結界に亀裂が入って崩壊したら。わかった?」


「「了解!」」


 一同は頷きながら返事をした。

 最終確認は済ませた。あとは――


「よし――それじゃあ、いってくる!」


 僕はそう言って、後ろを振り返ることなく飛び立った。


 ――グラシア保全の命運を賭けて。






――――――






「もっと――『飛翔ぶっとべ』!!」


 願魔獣の知覚内に瞬時に突入するために急加速。

 すぐさま願魔獣の直上へと移動する。


「......」


 周囲には、冷たい風が吹き荒れていた。

 ふと、視線を前方に向ける。魔願樹は、雲に届きそうなほどの大きさまで成長していた。


 ――願人が現れる前に、なんとかしないと


 眼下に佇む願魔獣の融合体に目を向ける。


 既に願魔獣同士の融合が完了したのか、今は完全に黒狼型の魔物へと変形していた。

 先ほどまでとは打って変わり、姿を模した元となる魔物よりも知性があるように見えた。


「――」


 上空で滞空する存在に気づいたように、願魔獣は歩みを止めて顔を上にあげた。

 にらみ合いをするように、膠着状態が続く――かに思えた。――その瞬間。


 ――すぐさま飛来する、無数の氷柱の弾幕。


「っ!――『聖盾まもれ』!」


 驚くほど正確な射撃を前に、防御魔法の展開を強制させられる。

 立体的に旋回して回避を試みるも、願魔獣はほぼ正確に弾幕を追従させていった。

 

 ――だが、この程度で倒せると思われているとは......随分と余裕そうに!


 飛来する弾幕に対する有効策が思いつかぬまま、防戦一方。しかし攻撃の密度は高いものの、展開させた防御魔法の前では無意味にも等しいほど砕け散っていた。

 氷が砕け散る連続音。

 半透明の『聖盾』越しの景色は粉砕した氷の塵で視界不良。


 ――やられてばかりでたまるかっ!


「――『氷穿つらぬけ』!」


 意地をぶつけ合うように『氷穿』の弾幕を背後に生成。

 動きが鈍く的の大きい願魔獣に対して全弾的中する密度で弾幕を射出。

 着弾しようとするその刹那――


「――『炎幕』」


「ちっ......やっぱり防がれるか!」


 願魔獣の直上に展開された灼熱の一面を前に、放った氷柱の弾幕はなすすべなく溶け去った。

 確実に、この願魔獣の知能は高い。

 属性の相性を瞬時に分析して有効的な対抗手段をとれるその行動は、おおよそ魔物の範疇を超えていた。


 ――さぁ、どうするか......。コイツに最初から消耗戦をするつもりはないが魔力を凝縮させる隙が――ん?攻撃が......


 そう思った矢先、先ほどまでの猛攻は嘘のように止む。

 願魔獣は攻撃をぴたりと止めたのだ。


 ――......ん?一体何のつもりなんだ?


 いつ、再び攻撃が飛来してくるかわからない、気の抜けない状況に以前変わりはなかった。

 しかし冷静になった今に考えると、先ほどまでの行動は、まるで僕の脅威度を確かめているようであった。

 並大抵の魔物であれば、攻撃が通用しないことが明らかであってもその手を止めることなく攻撃を仕掛けてきた。

 その点においては明らかに、知性は単体のそれよりも遥かに上であることが窺える。それが故、余計に気が抜けない圧力を感じるような気がした。


「......なるほど」


 ――再び、両者睨み合う。


 願魔獣は、その場から動くことなく僕を見上げていた。


 ――先手を打たれる前に、こちらから仕掛けるとするか


 皆に魔力を吸収できる魔法を周知させたのならば、もう配慮する必要はない。

 僕を縛る要素は、消え去った。


 ――ようやく、自由に魔法が使えそうだ


 心の高まりと共に、魔力の一点凝縮を始める。 体外に意識を集中させると、それに従うように周囲の魔力は渦を巻くように凝集しだした。


 ――だが、当然それを拒む存在がいた。

 ――すぐさま展開され始める、光の矢。


 願魔獣は、『聖弓』を直上に伸ばすように徐々に顕現させていった。


「――!?」


 ――だが、その速度は遅く、今にも止まりそうな勢いだった。


「ハッ――ちんたら余裕そうに構えてるから」


 単純明快な理由。――既に周囲の魔力のほとんどは、直上一点に凝縮されていた。

 体外での魔力操作が可能にした、極短時間における無魔力状態の再現。


 通常起こりえない事象を前に、さすがの願魔獣も対応できずにいる――と思えた。


「――!......」


 気づいた頃には、既に願魔獣は次の行動に移していた。


 願魔獣の周囲に漆黒の願力が渦巻き、消失。

 僕の目に映ったのは、膨大な願力をもととした、超大規模の願魔変換だった。

 すると止まりかけていた『聖弓』の顕現が再開する。


「......やっぱりか」


 願魔変換による魔力の生成。相当な願力を魔力に変換してもなお、願魔獣は意に介さない様子で上を見上げていた。


 徐々に光は形を成していきそして――ついに光は完成した。


「――......」


 個体の願魔獣のそれを優に超す規模の一対の『聖弓』は、直上に向けて狙いを定めていた。

 標的を射止めんと弦を引き絞りそして――


「――『聖弓』」


 風を切る音と同時。聖属性最高威力を有する絶対の一撃は、標的に着弾――



「――『絶界きえうせろ』!!」



 ――刹那の攻防。

 耳を劈く衝撃音と同時――放たれた光の一撃は、突如として展開された障壁によって拡散していった。

 周囲には眩い光を放つ一撃の残骸そしてその微塵が、月明りに照らされて煌いていた。


「......ふぅ。なんとか間に合った」


 発射と同時、展開された『絶界』は、その一撃を受けてなお傷一つつくことなく存在を示していた。

 間一髪、だが予想通りだ。

 もう少し周囲の魔力を凝集させておきたかったが、それは今からでも十分できる。弱体化ができれば、それでいい。


「......はぁ」


 まだ余力は残しているが、いつ蓄積した精神的疲労が悪影響を及ぼすかわからない。

 ぐらつく意識に耐え、結界の下に視線を向ける。


「さて......どこまでこいつを弱体化することができるか」


 再度、願魔獣の周囲に漆黒の願力が渦巻き、消失。

 その規模は、先ほどの『聖弓』のものとは桁違いに見えた。


 ――っ!この規模、今度はどうくるか......


 すると完全顕現した『絶界』は、己の形を保とうと周囲の魔力を吸収し始めた。

 既に願魔獣近辺の魔力はほぼ完全に消失していた。それでも『絶界』はその存在を保とうと、魔力の吸引を止めることはなかった。

 魔力がない空間を魔力が流れ込む速度よりも速く吸収することによる、一時的な無魔力状態の再現。

 『絶界』の発現、それを行使する術者を排除しようと、願魔獣の周囲にはいくつもの属性の弾が装填された。




 ――目に映るのは、単純明快な「絶望」だった。




「......まじかよ」


 心の声が、悪寒とともに吐き出てしまう光景。



 ――『炎槍』、――『壊水』、――『氷穿』、――『紫閃』、――『嵐刃』、――『尖殻』、――『破塊』、――『貫光』



 七色に光る無数の魔法が、『絶界』向けられた。


「――っ!?」


 ――少しマズいことになったか!?


 属性由来の魔法を撃ち破る最善且つ最も単純な方法――それは、全属性の魔法で同時に攻撃すること。

 空間魔法の『絶界』であれど、複数の属性を融合させて発現させた魔法に過ぎない。

 願魔獣がとった行動、つまりこれは、『絶界』を破壊するのに特化した、通常あり得ない突破法だ。

 同時に複数の属性をそれぞれ発現することは、魔力量だけでなく発現過程においてほぼ不可能な高等技術である。

 ――しかし、複数の願魔獣の融合体であることが、それを可能としていた。


 外気は肌寒いほど冷えているのにもかかわらず、額から汗が一筋垂れる。


 ――あれほどの規模の魔法を、果たして『絶界』は......。


「......はぁ」



 ――やってやるさ!



 思考から行動までを最速で。

 すぐさま自身の願力を、魔力へと変換。短時間のうちに回復させた願力のありったけをつぎ込む。


「っ!?......でも、これくらいならっ......」


 ――さすがに、無茶だった......?


 胸が苦しい。

 目の奥が沸き立つように熱い。

 心臓がドクドクとうなりを上げているが、視界は今にも消えそうだ。

 だが、ここであの魔法を展開できなければすべてが無駄になる。


 ――お前がそうくるなら、僕だって......!


 出し惜しみを止めた、自身が持てるできる限りのこと。

 自分に与えられた使命。それを可能な限り行うための――



「光よ――【減光うちけせ】!!」



 作戦内容にない、想定外の他何ものでもない行動。

 気力を目一杯振り絞り発現させた、上位防御魔法。

 全属性を有する七色の半透明の一面。その規模は『絶界』の底面を覆い隠すほどになっていた。


「はぁ......はぁ」


 ――完全に防ぐことはできないが、威力減衰くらいにはなるはず......


 霧がかった意識の元に考え着いた、応急策。

 「全属性」相手には、「全属性」の融合魔法で対抗。

 何が最善で、最悪なのかもはや考えている暇はなかった。もう、思いつけるのであればそれにすがりつく。


 【減光】の特性上、展開面の規模が小さければ小さいほどその効果を発揮する。

 今ほどの規模であれば、魔法の威力を低減させることしかできない。

 だが問題は、それだけじゃない。願魔獣が装填した魔法に対して、注ぎ込んだ魔力の量が圧倒的に足りない気がする。

 でも、今はできる限り願魔獣の弱体化を進めるしかない。


 余計かどうかもわからない心配が、漠然と広がるだけ。


 でも、そうするしか......。


「......っ」


 ――目の前には、七色の魔法の光が煌いていた。


 頭が鈍くなっているからか、ひとつひとつの光の点滅が、残光として――。


「......」


 ――時間が、ゆっくりと流れて......


 急激に、意識に靄がかかる。


 ――マジか。まだ、最低限を残したはずなのに


 ――どこかで、間違いをしてしまったのだろうか


 ――大丈夫。まだ、自分が自分だとわかるうちは......


 ――それにまだ、やるべきことが


「......」


 意識は辛うじてあるのか。


 もはや、それすらも曖昧な状態。


 眠気とは違った、心地よさのない疲労感。


 ――綺麗。綺麗だ


 命の危機を感じるはずのものだが、僕の目にはとても綺麗に映っていた。

 魔法の完全顕現前の、滲むような淡い光。

 自分ではない、誰かが好きだった、この光。


 ――懐かしい。確か、誰か忘れたが同じようなことを得意げそうに......


「......」




 瞬間。見覚えのないはず。だが、知っている景色が、白飛びした意識に流れ込む。




「......え」


 もう、自分の身に何が起きているのか、この心象風景は一体何なのか。ゆっくりであるはずなのに、目まぐるしく変化している矛盾した状況に理解が追い付かない。

 それでも、わかること。


 ――ここは、初めてあいつと出会った場所、だよな......


 不可思議な世界に意識をゆだねると、視界は一気に晴れた。

 

 ほのかに肌寒い薄曇りの夜。

 雲間から差す青白い月明りを滲ませる大海。

 息を吸い込むたびに感じる、潮風と湿り気の香り。

 そして崖に座り込む僕の隣にいるはずの――。


「......」


 何かを期待して、隣を見る。


「はは......。いるわけない、よな」


 しかし、当然のことながら周囲には誰もいなかった。

 何をバカなことをしているのだろう。隣にいたはずの誰かもわからないというのに。


 ――あぁ、何をしていたんだっけ。大事なことのはずなのに、思い出せない


 まるで、自分じゃない誰かの考えを考えているような感覚だ。


「えーと......」


 ――そうそう、思い出した。はこの後ここから


「――ん?どうしたの」


「っ!?びっくりした......」


 突如、隣からした少女の声。

 まるでいきなり出現したように、「ライカ」は語り掛けてきた。


「へへへ、こんなに驚くとは思ってもいなかった」


「嘘つけ。はぁ......性格が悪いんだよ、お前は。そんなに俺をからかうのが楽しいか?」


 そう言って隣を見ると、ライカは崖に腰を掛けて足をご機嫌そうにゆらゆらと動かした。


「だって、こうしてかまってないとすぐどこかに行っちゃいそうなんだもん」


「全然理由になってない」


 今までそんなことをしたつもりはなかったのだが。


 そんな他愛のない会話の中にある、違和感。

 多分、互いに気づいている。だが、言い出さなければいつまでもこの場所にいられるのではないかと、無駄だとわかっているが縋りついてしまう自分がいた。


「懐かしいね、ここ」


「そうだな。あの時は、いろんなことが嫌になって自暴自棄になっていた。――そんなところを、お前に拾われた」


「ふふっ。初めて会った時、今と比べて物凄くツンツンしてたよね」


「......うるせぇ」


 いつまでも、この状況が続けばいいと思っていた。

 でも、そうもいかないことくらい、今の俺ならわかる。


「はぁ。もっと、お前と話していたいけど、そうもいかないらしい」


「......そうだね」


 あの時、俺たちが選択した行動によって、今もこうして俺たちを引き合わせることができている。

 対を成す存在という、事象においては曖昧で不安定な要素に賭けたこの選択。

 真逆の理という、絶対的な対を持ち合わせるこの世界。そしてその調和を乱すことを目的とした存在。

 この世界における俺の意識を乗っ取ることで、どんな影響が生じるかはわからない。乗っ取り時の軽度の人格崩壊、最悪の場合は、両者の人格の消失。

 しかし、そのリスクを考慮してもなお、行動を起こさなくてはならないときがある。


「......そろそろ、か」


 まだ話したいことがたくさんあるのに、徐々に水平線の奥から世界が崩れ始めた。

 次第に、このような心象世界の維持が短時間しかできなくなっていくのだろう。


 ――何となく、崩れゆく世界を眺める。


【そうとなればほら、ボーっとしてないで。まだやるべきことがあるでしょ?ね、「――」】


 ライカは、最後に俺の名前を呼んでくれたのだろう。

 だが、それを聞く間もなく夢は無慈悲に歯切れ悪く白んで消えて行ってしまった。


 ――ああ、そうだな。やるべきことを、やらなくちゃ


「......」




 その瞬間、夢は覚めた。





 ――だが、どうやら世界は俺のすべてを俺に受け継ぐことを拒絶したらしい。






 依然として意識は重いまま、漠然と目の前の光を眺めていた。

 まるで何かに魅入られているように――。


「――っ、ははっ......綺麗だ......」


 ――?


 気づけば思っていたことが、不気味なほど簡単に口からこぼれ出ていた。

 意識の制御が、もうめちゃくちゃだ。気持ち悪さはないが、何もかもが歪みを帯びているよう。


 ああ、気分が変だ。


 何故だ。


 こんな状況であるのに、笑ってしまう自分がいる。誰かによって僕が、滅茶苦茶にされている。


 駄目だ、日に何度もこんな魔法を連続で使ってしまうと、さすがに気がおかしくなってくる。


「――ふっ、はははっ」


 もう、いよいよおかしくなってきた。


 おかしいと思うのに、駄目だ。


 上がった口角が戻らない。


 今はただ、目の前の光が綺麗だ。 そう、笑っちゃうくらいに!


「――はぁ......」


 一瞬の脱力感の後に、冴えた感覚。


 バカになったみたいに、何も考えられない。 ――でも、何だか悪くはない!





 ――そう思ったが最後。どうやら『僕』は、少しの間消えてしまったようだ。





「――ああ......こいよ願魔獣!お前の魔法が強いか、『俺』の魔法が強いか、勝負しようじゃねぇか。なぁ!」


「――!」


 ――呼びかけに答えるように、七色の弾幕は一斉に放たれた。


 立方体の上に立つ俺の目に映ったのは、鮮やかな色だった。 【減光】越しに、幾重もの七色が迫ってくる。


 ――それ以外を知覚するのは、そう遅くはなかった。


「――ッ!」


 聞こえてくるのは、どうしようもないくらいの轟音。

 雨が地面に打ち付ける音のよう。連続した衝撃音と共に全身を突き抜ける衝撃。

 『絶界』は揺れることなく威力低減された魔法を弾き防ぐが、その余波は俺の元まで十分に伝わっていた。


「――ああ、いいなぁっ!でも、いつまでそうしていられるかァ!」


 すぐさま願力を『絶界』へと流し、強度を底面に集中するように書き換える。

 『絶界』の底面は透明度を高め七色に歪み、その他の面々は対照的に透明度を失っていった。


「これで少しは静かになりそうかぁ?」


 すると先ほどまで結界を貫通して届いた衝撃が少なくなった。

 【減光】の存在が功を奏したのか、想定していたよりも『絶界』の耐久力は高かった。


「ハハハ!いいなぁ、すべてが滅茶苦茶だ!」


 衝突した魔法によって視界は不鮮明。

 おまけに一部の魔法は『絶界』に衝突せず浮遊島へと直撃していた。

 破壊の行使に崩れる様子を見せない『絶界』とは対照的に、周囲の浮遊島はみるみるうちに崩れ落ちていった。

 その様はまさに瀑布のよう。吹き荒れる風に流されるように土煙の幕を作り上げた。


「......あーあ、これじゃ何も見えない」


 『絶界』直上にあった以外の周囲の浮遊島は、完全に粉砕されて地上へと落ちてしまった。


「ん?音が鳴り止んだ?」


 魔法による攻撃は、はたと止んだ。

 つい先刻までの轟音の連続から一変。深夜特有の不気味な静けさだけが周囲を取り囲んでいた。


 一時的な休止の機会に、ふと下方に目を向ける。

 周辺は視界不良のままだが、足元に展開された立方体の様子であれば確認することができた。


「はぁ、なんだ。余計な心配のし過ぎだったか」


 全属性の弾幕を受け切ってなお、『絶界』はその存在にひび一つ入れることなく佇んでいた。


「それにしても、相変わらずおかしな魔法だなこりゃ。消費魔力も、その効果も」


 すると、この結果をもたらした一番の功労者――【減光】は、役目を終えたと言わんばかりに消えていった。

 範囲を拡大し、障壁ではなく膜のように展開されたその効果は、発現に十分な魔力を注ぎ切れずにいてなお絶大なものだった。


「ふん。あのデカブツ、こっちの『絶界』はまだ魔力を吸収しきれてないっていうのに、もうおしまいか。どれ」


 結界から飛び立ち、『嵐刃』を地上に向けて放つ。


「......へぇ、やっぱりか」


「――......」


 視界が完全に晴れ、見えるようになったもの。




 ――それは先ほどよりも一回り小さくなった願魔獣の姿だった。




 その大きさは元のそれより半分くらいになっただろうか。それでも通常個体と比較して大きかったが、以前の面影は完全になくなっていた。

 威嚇するように無言で睨みつけてくるが、攻撃はしてこない様子。


 ――この様子だと、願力によって自身の身体を存在させていると考えられるか......


 ふと、気が透き通るように落ち着きを取り戻したような――。


「ハハッ、随分とかわいくなって――がぁッ!なんだ......?!」


 急な眩暈。


 頭の中を直接揺さぶられているみたいだ。


 目の奥が痛い。


 吐き気も、する。 だが次第に――


「――はぁっ、はぁ......何なんだ......」


 ――願力の消耗はもう回復しているはずなのに、一体何が......何が





「......あれ」


 思わず間抜けな声が出てしまうほどに、体調はすぐもとに戻っていった。

 何かが目まぐるしく起きていたことはわかる。だが、そのどれもが自分の意志によったものじゃないことは確かだ。


「......」


 何をやったかは覚えている。だが、そうであるはずなのに自分じゃない何かが僕を操り動かしていたような感覚だ。まるで誰かの記憶の続きから再現しているような――



 ――ピシッ



 亀裂音が隣から聞こえた。


 ――そうだ、皆に伝えないと!


 考え事をしている暇はない。

 すぐさま息を大きく吸い込んだ。



「――おーーーーーい!みんなーーー!今だーーーー!」



 当然、遠くにいる皆に聞こえているはずもない。だが、気力を振り絞り目一杯声を上げる。

 すると僕の声と重なるように、『絶界』は全体に亀裂を走らせ崩壊する。


 ――視界の奥、二つの赤と白の光の粒が煌いた。

 ――それと同時に放たれる、二対の熱線。


 『壊閃ノイトミィ』と『壊衝ノイトナ』がアレザとエイミィによって発現された。


「――!」


 すぐさま迎撃しようと展開される無数の『聖盾』。


 両者は衝突すると激しい光と音を散らした。

 『聖盾』が砕け散る亀裂音、『聖盾』によって弾かれた魔法の一部が地表面と衝突する轟音、そして血肉が勢いよく爆ぜ散るような生々しい音。


 熱線の余波を直に受けないように、『聖盾』を展開。

 上空にいてもなお、その影響は僕まで届いていた。


「くっ――!」


 熱から身を守ることはできたものの、願力由来の魔法による余波は体に響いていた。


 ――だが、光が止むのはそう遅くはなかった。


「はは......さすがの威力だ」


 二人の攻撃は、弱体化した願魔獣の防御を突破し損傷を与えた。


「――?!」


 バランスを崩すようにその場に倒れこむ願魔獣。

 頭部を狙った二人の一撃は『聖盾』によって軌道を反らされたが、願魔獣の胴体の右側面はひしゃげたように損傷していた。




 ――その明確な隙を逃すことなく、最速の一撃が叩き込まれる。




「――『瞬動デューザ』ーー!!」


 クレウルムの咆哮が響く。


 凹凸のある地形を無視するように一直線。

 蒼白の残像が闇夜を駆け抜け、傷口を抉るように突き抜けた。


「――!?」


 周囲に黒が飛び散る――と同時に向かう二つの影。


「――『聖盾』」


 だが願魔獣は致命的な損傷を受けてなお、襲い掛かる脅威を掃おうと魔法を展開させた。

 周囲に再び満ちた魔力を吸収し、展開した『氷穿』。

 装填された氷柱は弾幕となってアベリンとベリンデを捉え――


「――『顕願ヴァラディア』!」


「――!?」


 後方。世界最強から放たれたおびただしい数の願力の斬撃が、弾幕を塵へと粉砕させた。


「お願い!アベリン、ベリンデ!」


 カイレンは二人を援護するように低空飛行しながらそう言い放った。

 その声に応えるように駆け出す二人。

 まるで願魔獣を混乱させるように左右を立ち入れ替えながら接近する。


「――!」


 願魔獣が吠える。

 瞬間、損傷した胴体が再生した。だが、同時にその大きさも縮小する。


 願魔獣は瞬時に立ち上がると、武器を構えて突撃する二人を前足で踏みつけるように大きく体を反らした。

 その動作と同時に願魔獣の懐に滑り込む二人。


 ――人の体躯を優に超すかぎ爪が振り下ろされ、地面もろとも削り取った。


「......」


 爆ぜるように、土煙が立ち込めた――その瞬間。


「ふふっ。デカいだけで、のろまだねっ!」


「――?!」


 聞こえたのは、仕留めたはずの獲物の声。

 アベリンとベリンデは魔法を使うことなく、願魔獣の攻撃を二手に別れて回避していた。

 そして同時に意識が二手に分散され、一瞬の隙が生じる。




 ――熟練の冒険者達は、その隙を逃すはずもなかった。




「「「――『瞬動デューザ』!!!」」」




 三つの詠唱が重なる。

 同時に刻まれる裂傷、そしてそこから吹き出る真っ黒な鮮血。

 重量に叩き割られたように左足は断裂し、右足は見るも無残に切り刻まれ、そして――




 ――頭部は最速最強の一撃によって胴体と切り離された。




 切り取られた願魔獣の首から、勢いよく黒い体液が噴き上がる。


「......」


 願魔獣は倒れこみ、その場で動かなくなった。

 一同、その様子に目を離さぬよう静かに見ていた。


「はぁ......はぁ......」


 三人とも、全力を尽くして攻撃をしたのか息を荒げていた。


「......妙だ」


 しかし、頭部と胴体を切り離されてもなお、願魔獣は消えることなく横たわり残り続けた。


 ――まさか、やり損ねたのか?!


 緊張が心の中に走る。

 だが、そんな僕とは対照的に、顔を見合わせると皆落ち着いた様子で武装を解除した。


「......それじゃあ締めはカイレンちゃんだ、任せた」


「うん、わかった」


「ははっ、派手にやっていいぞ。ついでに凸凹な周囲を平らにしてくれ」


「平らは無理だね。半球状になっちゃうかも」


 カイレンとクレウルムは何か小言を言い合っていた。


「おーい、みんな。締めのアレ・・やるから離れろー」


 すると何かを察するようにアベリン達はその場を離れていった。それも物凄い勢いで、そして見えなくなるほど遠くまで。


 ――一体何をするつもりなのだろう?


「――おーい!」


「――ん?」


 そう思っていると、カイレンが上空にいる僕のもとへとやってきた。


「お疲れ様、エディ!」


「カイレンも、皆も、お疲れ様。って言いたいけど、なぁ。あの願魔獣はまだやっつけられてないよな......?」


 眼下には依然として横たわった状態で動かない願魔獣の残骸があった。


「うん、そうだね。やっぱり、複数の願魔獣が合わさってるからこれだけじゃ完全に倒せないみたいね。でも大丈夫、もうしばらくしないと復活はできないほどに痛めつけたから、あとは私の華麗なショーを楽しむだけだよ」


「ん?華麗なショー?」


「うん!」


 笑顔で頷くカイレン。


 華麗なショーとは、一体どんなものなのだろうか。


「――っ!?」


 すると、カイレンの周囲に未だかつてない規模の願力が渦巻きだした。


 この光景、今でも覚えている。

 そう、初めてカイレンと戦闘をした際に見た――。


「な、なぁカイレン」


「ん?」


「今から何をしようとしているんだ......?」


「なにって、ここを派手に吹き飛ばすだけだよ!」


「......」


 笑顔で返事をするカイレンが少し不気味に思えた。


 ここを、派手に、吹き飛ばす。


 その言葉を実行するに十分な願力が、カイレンの目の前に凝縮した。


「エディの魔法を見てたら私もすごい魔法を使いたくなっちゃった。......本当はガネット会長から使用を控えるようにって言われてるんだけど」


「......。おい、あの魔願樹は」


 視線の先、十分な距離は離れているが今でも成長を続ける魔願樹が見えた。


「魔願樹なら大丈夫。これくらいまで成長すれば、私たちの魔法じゃ傷一つ付けられやしないからね」


 ここにきて新情報が舞い込んできた。


 ――いや、今はそれどころかじゃない。


 カイレンの目の前に凝縮された願力は直視することが難しいほどに光り輝いていた。


「......なぁ、本当にそれをやんなくちゃいけないのか?」


「だって私、願魔獣相手だとあんまり活躍できないじゃん?こうでもしないと気が済まないんだ」


 上機嫌に、不気味に笑みを浮かべるカイレン。


 ――ああ、駄目だ。こうなってしまっては、きっとカイレンは止まらない


 もう諦めて、カイレンが飾る華麗なショーのグランドフィナーレを見届けるしかないのか。


「ふふっ、エディのその何かを諦めたような表情、可愛くて好きだよ」


「......うるさい」


「じゃあエディに一つ教えてあげる」


 そう言うとカイレンは凝縮された願力に手をかざした。


「実は、私も一つだけ無詠唱で使える魔法があるんだ」


「えっ、そうなのか?」


「うん。正確に言うと、魔法じゃないんだけどね」


 するとカイレンは手にかざした願力をそっと下に向けて押し出した。


 ゆっくりと、まるで雫が滴るようにそれは直下に落ちていった。


「単純な、願力の超圧縮、そしてその解放。世界が恐れる、私の一撃」


 まるで呪文の詠唱のようにカイレンは呟く。

 視界の外、カイレンがどのような表情をしているかはわからない。

 だが、声音から得意げな表情をしていることが容易に想像できた。


 僕は落ちていく願力の塊から目が離せなかった。




「名付けて、――【世界最強カイレン砲】!」




「......は――?え」




 絶妙なネーミングセンスに感じた戸惑いは、身を震わすほどの衝撃波の到来と一緒にどこかへと消えていった。




 何かが炸裂する音と共に白光は瞬く間に拡散。

 それと同時に引きおこる崩壊。

 僕の【融光】にも引けを取らない威力が、地上に放たれていた。








――――――








「......」


 どうしようもなく破壊されつくした地表面が姿を現した。

 だが凹凸は確実に減って、ある意味なだらかになっていた。


 願魔獣の死体が消えゆく様子すら確認する必要もない。


 ただただ、ここが森だったのかと想像できないほどに荒廃している。


 大地は浮遊島となって浮かび上がり、魔法によって破壊された。


「......」


「ふふん。エディ、どうだった?私の一撃は」


 カイレンの方を振り向く。


「......ああ、すごかった」


「本当に?!」


 嬉しそうにはしゃぐカイレン。


「ああ、よーく伝わったさ。願力抵抗がほとんどできてないによーく......」


「......えっ?」


 カイレンの願力の爆発によって生じた衝撃波は、消耗しきった意識を削り取るのに十分だった。




 ――駄目だ、もう意識が......




「――っ、エディ!ねぇ!――ディ!」


「......カイレ、ン......」



 そう。最後に聞いたのは、僕の名前を呼ぶカイレンの悲痛な叫びだった。

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