第15話 つかの間の休暇にて 1

「そろそろ見えてきたね」


 エイミィがそう言うと、ディザトリーの城壁が見えてきた。


 僕らは一晩野営を済ませ、朝方にはディザトリーに向けて出発をしていた。


 野営の際、アベリン達が赤龍の肉の可食部を集めていたので、調理して食べてみた。肉自体に臭みはそれほどなかったが筋張っていたため、焼きはあまり美味しくなかった。アベリンとベリンデの話によると、煮込み料理にするとおいしく食べられるそうだ。


 レイゼのこれからについてだが、とりあえず地脈異常の任務が始まるまでは僕たちが寝泊まりしている宿で過ごしてもらうことにした。任務が始まってからは、僕らの戦闘拠点付近で待機するとのことだ。


 




「素材を積んだり、人が増えたりしたから到着までもっとかかると思っていたけど、エディの魔法のおかげで早く着きそうだね」


 カイレンの言う通り、僕は馬車を引く馬たちに身体強化の魔法をかけていた。そのおかげか馬車は来た時よりも早く動いていた。


「ねぇねぇ、レイゼはディザトリーに来た時はあるの?」


 アベリンはすっかりレイゼと打ち解けたのか、レイゼの隣に座っていた。


「うん、あるよ。でも、赤龍になる前だから多分千年以上前だね。少なくとも私の記憶ではこのような立派な城壁はなかったよ」


「へぇー。そうなんだ!」


 今の発言から、レイゼは少なくとも千年以上生きたことがわかった。想像していたよりも、赤龍と共にいた時間は長かった。


「――皆さん、城門が見えてきましたよ」


 ベリンデがそう言うと、先ほどまで遠くに見えていた城壁に近づいてきた。


「とりあえず、これらの後処理が終わったらみんなで夕飯を食べましょう」


「そうだね。早く美味しいご飯が食べたいよ」


 カイレンとエイミィの会話を聞いて、僕もお腹が空いてきたことに気づく。


 あぁ、またあの魚料理が食べたいなぁ。


 そんなことを考えながら、僕らは城門に向かった。






――――――






「――皆さん、クエストお疲れさまでした!では、乾杯!」


「「乾杯!」」


 ベリンデの声掛けに応じて、僕らはなみなみと注がれたジュースで乾杯した。


「んっ、んっ、ぷはー!お姉さん、おかわり!」


「私も!」


「はいよー!」


 アベリンとカイレンは注がれた葡萄のジュースを一気に飲み干すと、店内の女給に次の一杯を求めた。


「いやぁ、やっぱり美味しいご飯が一番心が満たされるよー」


 カイレンは大皿に盛りつけられた魚の揚げ物を頬張りながら嬉しそうに言った。


「あー!あたしもカイレンに負けないくらい食べてやるんだから!」


「お?アベリン、君は私のペースについてこれるかな?」


 するとカイレンとアベリンは競うように複数の大皿に盛りつけられた料理に手を伸ばしていった。


「もう、二人とも。そんなに急いで食べなくてもいいでしょ?」


「そうだよ、お姉ちゃん。そうやってこの前も喉に食べ物を詰まらせたんだから」


 カイレンとアベリンはエイミィとベリンデにたしなめられるが、その勢いが止まることはなかった。


「......レイゼは、大丈夫かな?」


 ふとエイミィは思い出したかのようにそう言った。

 レイゼは宿で横になると言って、ここには来ていなかった。

 それも当然だ。まだ心の傷が癒えていないのだろう。


「そうだね。でも今は一人にしてやるべきだ。本当は、赤龍に言われた通り僕がそばにいてやるべきだけど」


 一応僕は一緒に宿に残ろうかとレイゼに言ったが、彼女は大丈夫とだけ答えてベッドの上で横になった。


「まぁ、とにかく今は楽しみましょう。はい、どうぞ」


 エイミィはそう言うと小皿に魚の切り身の煮付けを盛り付けて僕に渡してきた。


「ありがとう。――んっ、やっぱりここの煮付けは最高に美味しいよ」


「ふふっ、そう言ってもらえてよかった」


 僕らは腹がはちきれそうになるまで魚料理を堪能した。





――――――





「――それでは皆さんお待ちかね、報酬計算の時間です!」


「わーい!」


 ベリンデの言葉にアベリンは嬉しそうに反応する。

 するとベリンデは机の上に金が入っているであろう袋を置いた。


「今回は隻眼の赤龍の討伐依頼の報奨金をもらうことはできませんでしたが、盗賊の捕縛と赤龍の素材を売ったことにより、なんと134万ネールも稼ぐことができました!」


「「おお!」」


 一同から驚きの声が上がる。

 ベリンデから告げられた金額は意外にも赤龍討伐の報奨金よりも多かった。


「どうやら最近赤龍の素材の供給量が減少しているらしいので、高く買い取ってもらうことができました」


「へぇ、そんなこともあるんだな」


「はい。でもまぁ、本来であればこれに古龍の素材とクエスト達成の報奨金が加わってざっと1000万ネールは優に超えるはずだったのですけどね」


「えっ、1000万ネール?!」


「はい」


 あまりこの世界の金銭事情に詳しくないが、宿をひと月借りて1万5千ネールだったため、相当な額であることはわかった。


「古龍種自体数はいるのですが、中々人前に姿を現さなかったり、むやみに討伐してしまうとその地の生態系の均衡が崩れてしまうなどの理由で、素材が非常に高価なんです」


「だからあたしたちは冒険者協会の怖いお姉さんたちから何度も注意されるんだ!古龍種に刺激を与えない、そもそも倒そうだなんて思わない、ってね」


「なるほど」


 冒険者側にも規則がある程度存在していることが伺える。確かに、むやみやたらと魔獣を狩っていては環境への影響が出かねない。


「そう言った事情で、古龍の討伐が冒険者協会から緊急クエストとして発令されたのは、今から5年ほど前らしいですからね」


「ん?らしいということは、まだその頃はベリンデやアベリンは冒険者じゃなかったのか?」


 そういえば、アベリンたちの年齢はいくつなのだろうか。


「はい」


「そうだよ!でも、冒険者になる前から村で狩りの手伝いをしていたんだ。あたしたちの村だと、魔法が使えるようになったら狩りの方法を村のみんなから教わるんだ」


 アベリンは割り込むようにそう言った。


「そうなんだ。ちなみに、二人はいくつなんだ?」


「えーと......」


 するとアベリンとベリンデは悩むように顔を見合わせた。


「......もしかして、あまり言いたくないことだったのか?」


「あ、いいえ。そういうわけではないです。――ただ、正確な年齢がわからないのです」


「正確な年齢?」


 アベリンたちが住んでいた村には、年齢を数える習慣がないのだろうか。


「はい。私たちは故郷の村の近くの森で、二人して意識と記憶を失っているところを助けてもらいました。ですが、村にいた人たちはあたしたちのことを知らないとのことです。同じ種族なのに、不思議ですよね?」


 ベリンデの言葉にうなずくように、アベリンは頭を縦に振った。


「それは確かに不思議だな。でも、親とかはいなかったのか?」


「そうですね、親を名乗る人は未だ現れていません。そもそも記憶がないので、顔すらも思い出せません。ですが、幸いなことにお姉ちゃんがあたしたちの名前と、あたしたちが双子であることだけを覚えていました」


 ベリンデがそう言うと、アベリンは誇らしげにふふんと鼻を鳴らした。


「そういうことだったのか。なんか悪いな、言いずらそうな過去を掘り下げてしまって」


「いいえ、大丈夫です。今はたくさんの人に囲まれて幸せに暮らせていますし」


「そうだよ!あたしたちは二人揃っていればいつだって幸せなんだもん」


 アベリンはそう言いながらベリンデに抱き着いた。

 過去はともあれ、今を幸せに暮らしていけるのならよかった。


「それでそれでベリンデ、報酬の取り分はどうするの?」


「お姉ちゃん落ち着いて。今回のクエストの経費や今の食事代を差し引いて、一人26万ネールになるね。皆さんはこれでいいですか?」


「私は問題ないよ」


「うん、私も」


「僕もだ」


 今回のクエストは、みんなで協力しあって戦闘を繰り広げていたため、報酬の分け方に文句を言う要素は一切なかった。


「それではこれが今回の報酬です。受け取って確かめてください」


 ベリンデはそう言うと袋の中から硬貨を取り出し、僕らに配った。


「26万ネール、確かに受け取ったよ」


「わかりました。では――すみませーん!果実の盛り合わせを持ってきてください!」


「はいよー!」


 一人26万ネール配られていることを確認すると、僕らは運ばれてきた果実に手を伸ばした。






――――――






「――ふぅ、食べた食べた!」


「私も、少し食べ過ぎて眠くなってきちゃったな」


 酒場でアベリンたちと解散して宿に着くと、カイレンとエイミィはすぐさまベッドに腰を掛けた。

 部屋の中は暗かったが、窓から差す月明りのおかげで視界は悪くない。


「......なんだ、エディゼート達か。あら、アベリンたちは帰っちゃったの?」


 窓際のベッド、レイゼは起き上がると少しけだるそうな調子でそう言った。


「起こしちゃったか?」


「いいや、別に寝ていたわけではないよ」


「そうか。アベリンたちはギルドで借りている宿に帰っていったぞ」


「ああ、それは残念。あの子たちと一緒に寝たら、あったかくていい気持ちで寝れただろうに......」


 心のどこかで、確かにアベリンたちは体温が高そうで一緒に寝たらあったかそうだなと考えてしまう自分がいた。

 実際に、レイゼは野営をする際にアベリンたちと一緒に寝ていた。あの柔らかい髪と尻尾の毛並みは、まるで毛布のようだった。


「あれ、そういえばレイゼはそんな服を持っていたっけ?」


 部屋に入ったときは明かりがついておらずあまり見えなかったが、レイゼは寝間着のような恰好で毛布をかぶっていた。


「私の服は魔法で作られたものだからね。原理自体は違うけど、エディゼートたちが着ているものと似たようなものなんだ」


「なるほど......この世界の魔法って便利だなぁ」


「そうだね」


 願力から服を作るなど、僕からしてみれば降り注ぐ雨粒に触れずに外を歩けと言われるほど無理なことだ。精神力である願力だからこそできる技なのだろう。


「でもこの服は、カイレンやエイミィの破願が付与された領域内だと、私は素っ裸になりかねないからそういう点で私はお前たちと相性が悪い」


「なるほど......ん、待てよ。もしかして、僕の姿だった時にカイレンに攻撃されていたら......」


「エディがすっぽんぽんに......!」


 ここにきて、静かに僕とレイゼの会話を聞いていたカイレンが反応を示した。


「あはは、そうなっていたかもね」


「ああ......そうだったんだぁ」


 何故だか少しだけ残念そうに呟くカイレン。

 そんなに人の体を見たいものなのだろうか、男であり見られる対象である自分には全く理解できないことだった。


「はぁ。ところで、レイゼもエイミィみたいに願力の性質を変えることはできないのか?」


 おそらく、魔法で作った服が消えるということよりも、そもそも魔法自体が使えない方が致命的な問題だ。


「えーと......いいか、エディゼート。お前は簡単に願力の性質を変えればいいと言ったけど、本来であればそれは不可能なことなんだよ?」


「えっ......そうだったのか?エイミィ」


「えーと、うん。そうだね」


 そういえば、忘れていたがカイレンやエイミィは世界最強の魔願術師ディザイアドの一人であった。そしてエイミィに付けられた称号は『変幻』。


「――もしかして、エイミィの願力特性っていうのは、願力の性質を変化させられるものなのか?」


「そうだよ。そういえばエディには私の願力特性について言ってなかったね。私の願力特性は『転願』。能力はエディが言った通りだけど、そこまで万能な能力じゃなくてね。長い時間を費やさないと、願力の性質を変えることはできないんだ」


「なるほど......」


 エイミィの能力は、一見万能そうに見えるがどうやらそうでないらしい。だが、研究者でもあるエイミィにとってはその欠点すらも問題がなさそうに思えた。


「そうだ、レイゼって何か願力特性を持っているのか?」


「私か......まぁ、お前が私の願力特性を絶対に他言しなければ言っても......いや、やめておこう」


 レイゼはもどかしい気分になるようなことを言って、自身の願力特性について言うのをやめた。


「まぁ、言いたくないのなら無理に言う必要もないよ」


「ごめんね。自衛のためなんだ」


 秘密にしておかなくてはいけない願力特性とは一体何なのだろうか。レイゼの過去には不明な点がたくさんあるので、もしかしたら同族を滅ぼした出来事と関係しているのかもしれない。


「ふあぁ、私眠気の限界。もう寝る......おやすみ」


「おやすみ......って、もう寝てる」


 カイレンはすぐさま毛布にくるまり、すぐに動かなくなった。

 野営の際、念のため見張りを交代でやっていたため十分に寝ることができなかったのだろう。


「もう、カイレンったら着替えもせず眠っちゃった。私も着替えたら寝ようかな」


 エイミィはそう言うと、部屋の扉の奥へと消えていった。


 僕も可変制服の上着を脱いで、ベッドに腰を掛ける。

 隣から微かにカイレンの寝息が聞こえた。目を向けると、とても穏やかな表情で眠っている。




 しばらくして扉が開く音がした。すると寝間着姿のエイミィが扉の奥から出てきた。


「私も寝るね。おやすみ、エディ、レイゼ」


「ああ、おやすみ」


「おやすみ」


「......」


 エイミィも疲れが溜まっていたのか、すぐに眠りについた。

 僕もこれ以上起きている理由もないので、寝ようとする。


「それじゃあ僕も寝るね、レイゼ」


 僕はレイゼにそう告げ、毛布に包まり瞼を閉じる。


「......」


 毛布の程よい重さが、僕を眠りの世界へと誘おうとする。


 ――明日は何をするのだろう


 やっぱり、部屋の中が一番落ち着いて寝られるなぁ。


「......」




 ――だが、それを拒む存在が、今まさに僕のすぐそばに現れた。




 誰かが毛布をかき分けた音がすると、足音が僕のいる方へと近づいてくる。


「......誰だ?僕のベッドに来た奴は......カイレン?」


「――いいや、私」


「え――」


 突如として僕のベッド隣に来たのは、レイゼだった。枕を抱え、こちらを見下ろしている。


「......なんだ、眠れないのか?」


 レイゼは無表情だったが、何となく寂しそうにも見えた。


「そう、だから隣で寝させて」


「ちょっ、レイゼ......」


 レイゼは強引に僕から毛布を巻き上げると、僕に背を向けるようにして横になり毛布をかけた。


「......」


 どうしよう。レイゼが僕の腕にぴったりと背中を合わせているため、レイゼの体温が伝わって変に緊張する。

 ぺしぺしと、レイゼの翼や尻尾が毛布の中で僕に当たる。

 正直言うと、今の僕はもう眠るどころの状況ではなかった。


「......あいつに教えてもらったんだ。寂しくなったときは、誰かとこうして身を寄せ合えばいいって」


「......それは赤龍の場合じゃないか」


「いいの。私は赤龍だった時間の方が長いのだもの。誰かの体温を感じられれば、それだけでいい」


 僕は人間なのだが、と言おうと思ったが、あえて言わないままでいる。

 ああ、朝起きたらカイレンに何と言われるのだろう。

 徐々にこの状態にも慣れていき、そんなことはどうでもよくなってきた。


 僕はゆっくりと目を閉じる。







――――――








「......」


 この世界に来て、朝を迎えるのは何度目だろうか。

 まだ両手で数えられるほどしかないが、いろんなことがありすぎた。


「レイゼは......まだ寝てる」


 それだけではなく、今日はいつも僕より早く起きているエイミィも寝ていた。昨日はほとんど馬車に乗って移動しかしていなかったが、それはそれで疲れるのだろう。実際、僕とベリンデ以外は道中のほとんどで寝ていた。


「さて、今日は何をしようか」


 窓の外を見ると、少しだけ空が曇っていた。

 部屋の中は、いつもより肌寒く感じる。ひょっとしたら雪でも降るのかもしれない。


「暖炉の火でも......おお、さむっ」


 毛布の外に出ると、思っていたよりも寒かったので、僕は急いで暖炉に火をくべる。


 その足で扉の奥へと向かい、鏡を見る。いつになく寝癖がついており、髪がぼさぼさだ。


 洗面台の蛇口をひねる。この世界は魔道具が日常生活の中にかなり普及しているのか、なんとお湯が出てくるのだ。寒い季節にとてもありがたい。


 コップに注いだお湯を飲み干す。そのままシャワーも浴びよう。


 難なくこれらの道具の扱いができているということは、僕の前いた世界にもこういったものがあったのだろうか。記憶はなくとも体が覚えている、そんな感覚だ。


 熱々のシャワーを浴びて、部屋に備え付けられたタオルで全身を拭く。


 一昨日買ったばかりの肌着に袖を通す。最初はひんやりとして冷たく感じた肌着は、次第に僕の体温を奪いあったかくなる。


 今日はこのローブを着よう。この宿は服を洗濯してくれるサービスがあるらしく、洗面所にはきれいにされた僕のローブがきれいに畳まれて置かれていた。


「――もしかして、この可変制服の上からローブを着ると......おお、なかなか趣味の悪そうな魔導師みたいだなぁ」


 黒を基調とした軍服の上から赤い刺繍の入った黒いローブを着ると、まるで物語に出てくる悪役のような姿になった。


 ローブを身に着け、僕は扉を開けて部屋の中に戻る。

 部屋の中は、暖炉によってほのかに暖かくなっていた。


「......おはよう、レイゼ」


「ん......エディゼートか。随分と早起きなんだね」


 僕のベッドには、まだ少し眠そうに目をこするレイゼがいた。


「よく眠れたか?」


「いいや、まだ眠いよ。――毛布に入って、エディゼート」


「はいはい」


 赤龍との約束を考えると、しばらくはこうしてやらないといけない気がした。

 僕は再びベッドと毛布の間に入り込む。


「......ありがとう」


 レイゼはその一言だけを言って、再び瞼を閉じた。

 とても静かな朝。任務が始まるときっと忙しくなるのだろうな。


「......んん」


 隣からカイレンの唸り声がした。

 目を向けると、カイレンは伸びをして目を覚ました。

 相変わらず、しとやかにしていれば人形のような可愛さがあるというのに。


 寝ぼけ眼のカイレンと目が合う。


「おはよう、カイレン」


「んぁ......エディ、おはよう......って、おのれ、レイゼめ。私が先に寝ている隙に私のエディに......」


 カイレンの小言が聞こえぬまま、レイゼは僕の隣ですやすやと寝ていた。


「ん、どうした?」


 するとカイレンは勢いよくベッドから降り、そのままの勢いで僕のいるベッドに向かっていった。


「......なんだ、お前も来るのか」


「当たり前でしょ?レイゼだけはずるい」


 さも当然のことのように言って、カイレンは僕の毛布に潜り込んできた。


「おいおい、って......」


「すぅー、はぁ。エディのいい匂い」


「っ!こら、朝からあまり変なことをするな」


「へへへ、いやですー」


 すがすがしいほどの笑顔でカイレンは返事をする。

 二人の少女に板挟みにされ、今の僕は完全に身動きがとれなくなってしまった。

 先ほどまで、目が冴えていたはずなのに、何故だか今はもう一度目を閉じれば眠れそうな感じだった。

 二人とも体温が高く、シャワーも浴びて暖炉の火もあって、まるで心が熱で溶かされそうだ。


「ま、いっか」


 思考を放棄して、僕は二度寝の態勢に入った。












――――――




 暖かく柔らかな風が吹き抜け、爽やかな緑の香りに包まれている。


 昼寝をするには丁度いい暖かさだ。


 ――


 ――ねぇ、


 誰かの声がする。


 知らないはずなのに、知っている場所。

 見えなくとも、どこにいるかがわかる。

 草原にそびえる一本の大樹、その根元で仰向けに寝ているのだ。


 『俺』は閉じた瞼を開ける。


 ――あっ、やっと起きた!


 ああ、なんだ。――『ミーリエ』だったのか


 ――そうだよ。なんだか久しぶりだね


 久しぶり?ああ、そっか。そうだったな


 青い髪と瞳、それに透き通った明るい声。何もかもが懐かしい。

 白いワンピースを着たミーリエは木に腰を掛けていた。

 俺ら以外誰も知らない秘密の場所。よく『任務』をすっぽかしてここで寝ていたっけ。


 そうだ、ミーリエ。俺、どうやら対界っていう異世界に来てしまったらしいんだ


 ――そっか......それで、そっちでの生活はどうなの?


 毎日忙しそうにしてるよ。でも、俺に居場所を与えてくれる仲間ができたんだ。そいつらのおかげで、なんとかやっていけそうだ


 ――それならよかった


 ミーリエの言葉を聞くと、瞳の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


 あれ、なんで俺は泣いているのだろう。

 ああ、そうだ。俺は嬉しいんだ。




 もう会えないはずの、ミーリエに会えて。




 途端に、涙がいくつも頬を滑り落ちた。


 ――もう、エディ。泣かないでよ。私まで泣きたくなっちゃう......


 嬉しそうな、悲しそうな顔をしながら泣くミーリエにかける言葉が見つからない。


 俺には何となく、この状況が長く続かないことだけはわかる。

 そう――




 《何故ならミーリエは――》




 駄目だ、涙がこぼれて仕方がない。

 せっかくミーリエに会えたのに、言いたいことも山ほどあるのに。

 口に出そうとするほど、涙があふれて止まらない。


 ミーリエ、俺は......お前のことも、ライカのことも......


 あの時のことを思い返すと、後悔ばかりが心を締め付ける。


 ――そんな顔しないで。ほら、ライカに笑われちゃうよ


 えっ、ライカ?いるのか、ここに?


「――やっ。久しぶり」


 ライカ!どうしてお前もここに?


「どうしたもこうしたも、私が二人をここに呼び出したんだよ。短い間だけど、三人で話すために」


 ......そうだったのか


「うん。それより......懐かしいね。こうやってよく三人でお昼寝をしてたっけ。任務そっちのけでさ」


 ――ふふっ、そうだったね。ここが皆のお気に入りの場所だった


 ああ、懐かしいなぁ


 ずっとこのままだったらいいのに。

 だが、やっぱりこの空間は非現実的だ。

 いつまでもこうしていられないことはわかっているが、わかってなお終わりを拒む自分がいた。


 俺は......俺はいつまでも二人とこうしていたいよ


 ――そうだったね。それが私たちの願いだった


 視界が徐々にぼやけ、今が終わろうとしている。


「でも大丈夫。世界が対を成している限り、私たちが真に離ればなれになることはないから」


 そうか......


「だから、今私にできることはここまで。それじゃあ――二人とも、『離憶またね』」


 ――うん。待ってる


 ミーリエの言葉を最後に、俺の意識は暗闇へと吸い込まれてなくなっていった。







――――――






「――。――エディ」


「ん,,,,,,んぅ......」


 エイミィの声で目を覚ます。


 ――あれ、いつの間に着替えていたんだっけ


 ああ、そうだ。忘れていた。僕はシャワーを浴びて着替えをした後に二度寝をしてしまって......。


「ん......どうして僕は......」


 少しぼやけた視界に瞼をこする。

 まるで泣きはらした後のような感覚。前にも同じように目覚めた気がする。

 確か、そうだ。僕がこの世界で初めて目を覚ました時と同じだ。


「何か、悲しい夢でも見てたの?」


「いいや......わからない」


 エイミィは心配そうに僕に優しく問いかけをしてきた。

 思い出せそうで思い出せない、なんとももどかしい感覚。

 きっと、「それ」を見たらすべてを思い出せる気がする。だが、どれだけ考えようとから回るだけだった。


「あれ、二人はどこに?」


 そういえば僕の隣を占領していた二人の姿が見当たらない。


「二人なら洗面所で支度をしているよ。今日は特に予定はないけど、せっかくレイゼもいるから、任務前に少し街中を歩こうかなって」


「それはいいな」


 僕もつい数日前にこの街に来たばかりで、まだまだ知らない場所や店などがたくさんある。

 気分転換にはぴったりだ。


 すると洗面所の扉が開く音がした。


「――あれ、エディ起きたんだ」


「さっきね。それよりカイレン、お前その格好で寒くないのか?前から思っていたけど、こんなに寒いのによくワンピースを着ていられるよな」


 カイレンは細身であるため、余計にそう思えた。


「別に私は我慢しているわけじゃないよ。願力を体内に巡らせると、体温調節とかもできるし体の調子もよくなるんだ」


「へぇ。相変わらず、この世界の願力は便利だな」


「そうだよ。若さの特権だね」


 前々から思っていたが、この世界における願力はさまざまな事象を柔軟に再現することができる気がする。

 魔法の発動概念が非常に複雑であるが、解釈次第でいくらでも魔法が作り出せなくもない。

 レイゼに精神を一度乗っ取られたおかげで、今の僕は以前よりも願力操作の能力が格段に向上している。実際に今まで脳内にのみ存在するイメージであった願力を、体を伝って体外に放出することができるようになった。

 これだけで僕は魔法を展開するまでの時間がかなり短縮した。


「――お待たせ。あれ、起きていたのか」


 扉が開く音がすると、中からレイゼが出てきた。

 寝間着姿からいつものワンピースのような服装に変化していた。

 レイゼはエイミィのように尻尾と翼がない状態になっていた。おそらく、街中に出かけるからであろう。


「お前たちに拘束されていたせいで、二度寝してしまったよ。まったく......」


「なに、本心はまんざらでもなくて?エディゼート」


 レイゼはいたずらにどこか高貴な雰囲気を漂わせながら冗談を言ってくる。


「はぁ、僕はお前の心が少しでも安らげばいいと思ってやっているんだぞ?というか、こんな女子だけしかいない部屋で寝ている僕の気持ちも考えてみてくれ。一瞬たりとも気が抜けない」


 実際そうだ。心の中にある程度歯止めをかけておかないと、とてもじゃないがやっていけない。


「ふふっ、エディは優しいんだね。さすが私のエディ」


「カイレン、自分が僕の気が抜けない一番の原因だってことを忘れるな......」


「もう、そんなに意地っ張りにならなくていいのに」


「......」


 何も言い返さないまま、僕はカイレンに頬を突かれる。

 こういったことは、反応するからだめなのだ。そうわかっているが、何故だか無視することはできない。


「それで、外に出かけるのだろう。どこにいくんだ?」


「とりあえず、久しぶりにおじいちゃんの屋敷に行こうかなって思ってるよ。任務で忙しくなる前に、少しだけ顔を見せようかなって」


「ああ、ジルコさんのことね」


「そう」


 今思えば、ジルコと一度決闘を行ってから会っていない。

 あの時は群衆の目をかいくぐる必要があったため、すぐにその場を離れてしまった。


「そうと決まれば、行こう。みんな」


「うん!」


 僕の掛け声とともに、僕らは宿を出て街中へと向かった。





――――――





 ディザトリーの街中には、騎士団が保有する広大な敷地の中に訓練場や宿舎があるらしい。

 カイレンが言っていたジルコの屋敷と言うのは、正確には騎士団長を務める人が代々生活の拠点とする特別宿舎とのことだ。


「へぇ、今のディザトリーには騎士団という組織ができているんだ」


 レイゼは街中の様子を興味深そうに見渡しながらそう言った。


「レイゼが人の姿だった頃にはなかったの?」


「そうだね。それらしき自衛団みたいなものはあったけど、今みたいに鎧なんてたいそうなものは身に着けていなかったよ。皆、今よりもずっと原始的な暮らしをしていた」


 カイレンの問いかけに答えるレイゼは、何かを懐かしむようにそう言った。


「へぇ、そうなんだ」


「まぁ正確には、貧富の差があったり魔法が上層階級の身分でしか普及していなかったというのが正しいけどね」


 レイゼの言葉から、魔法に革命をもたらす何かが起きたことが伺える。


「今の魔法が普及したのも、『創願』の賢者「トナキ」の働きかけがあったおかげだからね」


「『創願』の賢者?」


 エイミィの口から聞きなれない言葉が出てきた。


「そう、この世界にはいろんな分野で革命が起きていてね。中でも魔法体系に革命をもたらした『創願』の賢者「トナキ」はすごいんだよ。魔法効果の底上げをするための概念を発案したり、いろんな魔法の発現に必要な詠唱を発見したり、他にもいっぱいあるんだ」


 エイミィはこの手の話が好きなのか、とても饒舌だった。


「なるほど。エイミィは魔法の話が好きなんだね」


「えっ、あ。ごめんね、一人でぺらぺら喋っちゃって」


「いいんだ。誰だって好きなことの話になると我を忘れちゃうからさ」


「あはは......」


 エイミィはぎこちなく笑った。


「むしろ僕はこの世界の歴史について知っていることが少ないから、もっと聞きたいな」


「そう?任務が終わったら魔願術師協会本部の書庫にある歴史書を読んでみると面白いよ」


「そうなんだ。それじゃあ早く任務が終わるといいなぁ」


「――もう、エディ。そういうセリフはあまり任務前に言わない方がいいよ?」


 カイレンに小言を挟まれた。


「......なんだ、お前らしからぬことを言って」


「いい、エディ。これは魔願術師協会に昔からある噂なんだけど、任務が終わったらー、って任務の後の楽しみを口にするとそれが叶わなくなるっていう呪いがあるの。実際私もその呪いを身をもって実感したんだ」


「えっ?一体何があったんだ......?!」


「それは......」


「......それは?」


「――水門前のお気に入りの砂糖菓子の店がつぶれた」


「そんな......ん?待て、それだけ?」


 カイレンが口にした話の内容は、至極どうでもいいことだった。


「それだけって、ひどいよエディ!私がどれだけあの店の薄焼き飴が食べたくて任務を頑張っていたことか......」


「......」


 カイレンはふざけた調子でいってきたが反応に困ったので、エイミィとレイゼの方に顔を向ける。


「あはは......カイレンが言っていることはまだくだらない話で収まっているけど、実は噂の中でも結構信憑性の高いものなんだよ」


「そうなのか?!まじかよ、エイミィ......」


 なんと噂は本当に存在するらしい。


「実は私も似たようなことが何度か起きていてね......」


「うわぁ......」


 エイミィは少し困ったような表情で語るので、僕はその噂について少し怖いとすら感じてきた。


「はぁ。なんだ、お前たち。そんな噂できゃっきゃしているの?」


 レイゼはため息をしながらそう言った。


「レイゼだってこういうことに巻き込まれたらいやじゃないの?私はいやだよ」


「私だっていやだよ、カイレン。でもいいかお前ら?こういった噂話っていうのは、自分がした体験をいつの間にか当てはめてしまっているからそうかもしれないと思い込んでしまうんだ」


「――なっ!なるほど......」


 レイゼの言葉の説得力に圧倒されたのか、カイレンはハッとした表情でレイゼを見た。


「さすが最年長、非常に思慮深い......」


「......カイレン、それだとまるで私がおばさんみたいじゃないか」


「あはは」


 レイゼはこの中で最年長であることに間違いないが、背が最も低いため傍から14歳程度にしか見えないだろう。正直に言うとアベリンたちより少し年上の少女にしか見えない。



 そんなこんなで話していると、道を歩く騎士の数が増えてきた。

 鍛錬で体を鍛えているのか、男性だけでなく女性の騎士までも体格がしっかりとした印象を受けた。


「それそろ近づいてきたね」


 カイレンがそう言うと、目の前には小高い外壁が広範囲に立てられた施設が見えてきた。

 どうやら目的地のすぐそばまで来たらしい。


「ああ、そうだ」


「ん、どうしたんだレイゼ?」


 レイゼは何かを思い出したようにおもむろに口を開いた。


「今更なんだけど、私みたいなどこの誰かもわからない輩が入っても大丈夫だよね?」


「あぁ、確かに。どうなんだ、カイレン?」


 そういえば、身元不詳の人物が二人もいる状態であった。僕はジルコと面識があるため少し状況は違うのだが。


「問題ないよ。なんたってここは私のおじいちゃんが管理する敷地。つまり、やりたい放題なんだ!」


 そう言って笑うカイレンは、まるで職権を用いて横暴している悪徳貴族のようにしか見えなかった。


「まぁ、私はいざとなったら逃げられるだろうから問題ないか」


 確かに、レイゼの実力は未知数だが、とてもそこら辺の人間にやられるような感じではなさそうだ。


「あはは......もしそうなっても、間違って人殺しはしないでね。さすがの私でも罪に問われちゃうから」


 カイレンは珍しく不安そうにそう言った。


「大丈夫、手加減ができないほど私は弱くはないよ。ちょっと血をいただくだけ」


「......それもちょっと怖いなぁ」


 そんなことを言いながら僕らは敷地前の門へと近づいていく。


 門の前には二人の屈強な騎士が構えていた。

 騎士たちは近づいていく僕らに気づいたのか、顔をこちら側へと向ける。


「......ん、って、カイレン様じゃないですか!」


「やぁ、お勤めご苦労様」


 騎士たちはカイレンの姿を見ると少しだけ驚いた様子で話した。


「慰労の言葉、ありがとうございます。カイレン様も、単独での任務からの帰還後すぐに任務があると団長から聞きました」


「わぁ、さすがおじいちゃん。情報が早い。そうだ、これからおじいちゃんの屋敷に顔を出そうと思うから、そのことを屋敷の人たちに伝えておいてくれるかな?私の他にも人がいるってことも」


「はい、わかりました」


 騎士はそう言うと近くにいた騎士を呼びつけて言付けをした。


「じゃあ、行こうか」


 カイレンはてきぱきと人を動かし、僕らは門を潜り抜けて屋敷へと向かった。





――――――





「――お帰りなさいませ、カイレン様」


 僕らが門を抜けてから時間はそれほど経過していないのにもかかわらず、屋敷の扉の前には既にメイドのような恰好をした女性が立っていた。


「ただいま、リーシュ。急な訪問で悪いね」


「いいえ。屋敷の最上階からカイレン様たちがこちらに向かっている様子が見られたので」


「はは、さすがリージュだ。昔っから相変わらず私を見つけるのが早いんだから」


 リーシュは耳長族の女性だった。見た目から判断するに二十代だろうか。身長は女性にしては高く、後ろに束ねられた薄緑色のは彼女の腰ほどの高さまで伸ばされていた。


「ふふ、私の勘と視力はカイレン様のいたずらによって鍛えられたのですよ?」


「もう、リーシュったら」


 カイレンは少し気恥しそうにそう言った。

 二人は昔からの付き合いなのだろうか、とても親しそうな雰囲気で話していた。


「エイミィ様も、お久しぶりです」


「久しぶりです、リーシュさん。カイレンが一人でこの街を離れてから以来ですかね」


 エイミィとカイレンは昔からの仲であるからか、エイミィも少し懐かしそうな様子だった。


「それと......カイレン様、後ろにいるお二方は?」


「紹介するね。まず彼女はレイゼ。私の新しい友達なんだ」


 カイレンがそう言うとレイゼは淑やかに軽く頭を下げて会釈した。


「レイゼ様ですね」


「はい。以後お見知りおきを」


 レイゼはカイレンの即興のアドリブに対応してみせた。


「そしてそして......」


 するとカイレンは僕の背後に行くと背中を勢いよく押した。


「おっと、なんだよいきなり」


「ふふん。リーシュ、聞いて驚くことなかれ。彼の名前はエディゼート。――私の婚約者なんだ!えへへ」


「......」


 カイレンは僕の言葉などお構いなしに、いつものカイレン節を披露した。

 この世界に来て、一体僕は何度誤解を解かなければいけないのやら......。


「えっ......婚約者?!」


 リーシュはカイレンの言葉を真に受けてしまったのか、とても驚いた表情で僕とカイレンを何度も繰り返し見つめた。


「あらら......」


「......えーと、初めまして。......その、リーシュさん、どうしてそんなに涙ぐんでいるのですか?」


 リーシュは少し目を腫らしていた。


「ああ、見苦しい姿を見せてしまい申し訳ありません。ただ、幼少期から面倒を見ていたカイレン様に婚約者ができたと考えるとつい涙が......」


「......あはは。そういうことでしたか」


 世の中には言わなくていいことがたくさんある。僕が婚約はカイレンの嘘であることを伝えてしまったら、リーシュが少しだけかわいそうになる気がした。


 ――はぁ、もう否定するのは諦めよう


 まんまとカイレンの術中にはめられたような思いになった。

 だが、この数日間でカイレンが僕のことを心の底から大切にしてくれていることがよくわかった。

 まぁ、本音を言うとかなり嬉しかった。

 最初は出会ったばかりのやつを好き好き言っているだけかと思っていたが、今までの行動からどうやらカイレンの中で僕の存在はかなり大きいものになっている気がした。我ながらこう考えるのは少し変かもしれないが。


「通りで旦那様が上の空になっていたのですね」


「えっ、おじいちゃんそうだったの?」


「はい。いつになくため息を多く吐いていたので、メイドの私らは心配していたのですよ。でも、原因が喜ばしいものと分かって一安心しました」


「あはは......相変わらず心配性だなぁ」


 ジルコは僕に対してカイレンを任せたぞと言ってきたが、内心では心配や嬉しさなどの感情が混在していたのだろう。多分だが、得体のしれない僕に娘同然の存在であるカイレンを預ける判断をするのに、相当迷っただろう。


「そうですね。いつまでもここで話しているわけにもいきませんので。旦那様にはカイレン様が来ていることを既に伝えてあります。どうぞ、中へお入りください」


 僕らはリーシュの後に続いて、二階へと上がっていった。




――――――




「――どうぞ。皆様も、座っておくつろぎください。只今旦那様をお呼びいたします」


 応接室のような、客室ともとれるような広めの部屋に案内された僕たちは、並べられた椅子に腰を掛けた。

 屋敷自体はそこまで煌びやかな装飾はなく質素な印象を受けたが、その代わり四階建てと個人の宿舎にしてはかなり大きな造りだった。


「騎士団の団長ともなると、こんなに大きな屋敷が与えられるんだ」


「そうだね。とはいっても、歴代の騎士団長たちが改築していった結果ここまで大きくなっているからね。ある人は大家族で全員が住めるように屋敷を増築したり、ある人は奥さんが舞踊の練習ができるようにと壁の一面が鏡になった大きな部屋を作ったり」


「結構やりたい放題なんだ......」


「そうだね。結局、団長の座を降りたところでここに住み続ける人もたくさんいたらしいから」


 通りで宿舎にしては大きいわけだ。騎士団長個人の宿舎というより、一種の共同の居住区みたいだ。


「昔はエイミィと一緒に屋敷の中を探検していたなぁ」


「あはは、そうだね。それでよくリーシュさんに怒られていたっけ」


 カイレンとエイミィは目を合わせながら笑っていた。


「そういえば、私はカイレンの友人という設定にしたのね」


 レイゼの見た目はエイミィとそっくりであったため、その設定を誰も怪しむことなくここまで来れた。


「うん。一番無難でしょ?」


「そうだね。それにしても、エディゼートはよくカイレンに振り回されながら今まで何事もなく過ごせたね。特に魔願術師協会に所属できたこととか」


 レイゼの言葉は、カイレンから事前に何も伝えられずにあれこれされることに対してなのだろう。


「そうか?まぁ、いつもギリギリでなんとかなっている気がするけどなぁ」


 正直言うと、何故僕が魔願術師協会に所属できて、かつ任務が与えられるようになったのかはわからない。

 推薦という形で本来必要である入団試験も免除されただけでなく、いろいろと手を尽くしてもらっている。


「なんで僕は魔願術師協会に所属できたんだろうね」


「あくまで私の予想なんだけど、ガネット会長はエディみたいな得体の知れない存在を自分の手の届く距離に置いときたかったんじゃないのかな?エディが世界の脅威となる存在なのか、もしくは私たちの即戦力となる存在なのかを判別するために」


 エイミィが言った言葉は中々に面白い予想だった。

 放っておいて好き勝手やらせるよりは、監視下に置いて行動に目を見張る方がいいと判断したのだろう。


「なるほどね。それじゃあ僕は監視対象だったわけだ」


「ふふ。実は私、ガネット会長がエイミィの予想と似たようなことを考えるって思ってたんだ。それを逆手にとって、エディを所属させたってわけ」


「......本当か?」


「本当だもの。私はこう見えて計算高い女なんだからね」


 カイレンは自信ありげな表情でそう言った。

 カイレンが選択した行動が僕にとって悪い方向に向かったことがほとんどなかったため、不思議と納得してしまった。もしかすると、カイレンが僕のことを婚約者だと言いふらしていることにも意味があるのかもしれない。

 いつか世界が僕の存在を認知した時に備えて、世界最強の婚約者という立場を最大限に活用して難を逃れたいものだ。我ながら利己的すぎる考えだが。


 すると、扉の奥から誰かの足音が聞こえた。

 足音は徐々にこの部屋へと近づいてくる。


「お、丁度いいタイミングだね」


 カイレンがそう言うのと同時、扉のノブが回されると初老の男、ジルコが姿を現した。

 城門の前で決闘をした時と違って鎧は着ておらず、冬であるというのに薄手の長袖の服装をしていた。


「おお、カイレン!」


 ジルコはカイレンを見つけると、硬い表情を一瞬にして緩めて笑みを浮かべた。


「やぁ、おじいちゃん。任務前に顔を見せようかなって思ったから来たんだ」


「そうかそうか。おや、エイミィの嬢ちゃんにエディゼート。それと......」


「ああ、紹介するね。彼女は私の友達のレイゼ」


 カイレンがそう言うと、レイゼはリーシュの時と同じように振舞った。


「初めまして、ジルコ騎士団長」


 レイゼは僕の記憶を覗いていたからか、今まで僕が出会ってきた人の名前をすべて知っていた。


「どうも丁寧に。それと、私のことはジルコで構わん」


「わかりました」


 ジルコは僕と初対面の時とは違って、優しげな態度でレイゼに接していた。


「そうだ、昼食を皆で一緒に食べないか?」


 時間にして、もうすぐ昼時になるだろうか。ジルコの言葉を聞いて、腹が空いているのを感じた。


「やったー!私、任務前にここのご飯を食べておきたかったんだ」


「そうかそうか。それじゃあたくさん用意するように伝えておこう」


 嬉しそうに笑うカイレンを見て、ジルコも特大の笑みを見せる。

 思わず僕までも暖かな気持ちになるような光景だ。


「――それじゃあ、私は昼までに済ませておきたい用事があるから部屋を離れるぞ」


「うん、わかった。また昼ごはんのときにね」


 ジルコはそう言うと、手を振るカイレンに手を振り返して部屋を出ていった。


「さて、昼ごはんができるまで、何か話でもしようか。エディもレイゼも、知りたいこととかあるでしょ?」


「そうだね......」


 レイゼは深く考えるように下を向いた。

 いつもは疑問に思うことがたくさんあるが、いざ何かないかと聞かれたらすぐにでてこないものだ。


「知りたい事ではないのだけれど、私もエディゼートみたいに魔願術師協会に所属することはできるのかな?正直、今の私には居場所がないし、人の姿として生きる以上はお金も必要になる」


 レイゼが言ったことは、自身のこれからについてのことだった。


「ほう、なるほどね。レイゼって案外そういうことを考えるんだ」


 カイレンが言った通り、僕も同じようなことを思っていた。

 案外、レイゼほど魔法に長けた人であっても困ることは同じなのだろう。目覚めたての頃の僕も、似たような心配を抱えていた。


「なによ、私だって人間の姿で生活するとは思ってもいなかったのだもの。一人で生きていけないことはないけど、エディゼートたちと一緒にいたら面白そうだなってだけ」


 レイゼはカイレンから目を背けるようにして言った。


「もぉ、素直じゃないね。本当は一人で寂しいのが嫌なんでしょ?」


「はぁ。もうどうとでもとらえなさい。それと、お前たちもあんまりにまにましないで!」


 微笑ましそうに笑みを浮かべるカイレンや僕たちのことを気味悪がったのか、レイゼはいつになく言葉を荒げた。


「ははは、ごめんね。レイゼにもかわいいところがあるんだと思ったらつい」


「......」


「でも、私はレイゼの気持ちがよくわかるよ」


「本当かなぁ」


 レイゼは拗ねたような表情をした。


「私はね、自分の願力特性の影響で一人で行動することが多かったんだ。それだけじゃない、みんな私のことを一歩引いたような感じで話してくるから、人との距離を感じていたんだよね。レイゼにどんな過去があったか知らないけど、一人はやっぱり嫌だよ。誰だってそう」


 カイレンがそう言うと、レイゼは表情を一転させて意外そうな顔でカイレンを見た。


「強さ故の、ってやつだね」


「そうかもしれないね。でも、私にはおじいちゃんやエイミィみたいにそばにいてくれる人がいたから、つらくなっても頑張れた。だからレイゼだって、心の支えになれる人がそばにいる方が安心でしょ?」


「......そうね」


 普段の様子からは考えらえれないカイレンの言葉に、レイゼだけでなく僕までも言葉を失ってしまう。


「カイレンの言う通り、私たちでよければ一緒にいましょう」


 エイミィは優しくレイゼに語り掛けた。


「......はぁ。優しくされすぎて、駄目になりそうだよ」


「人からの優しさはいくらあってもいいんだからさ。だから任務が終わった後でよければ私とエイミィで交渉してみるよ」


「......本当に、ありがとう」


 レイゼは素直になったのか、嬉しそうに微笑みながらそう言った。

 僕もレイゼと似たような悩みを抱えていたため、このように手を尽くしてくれるだけでも非常にありがたいと感じる。


「それじゃあ、僕の質問に移ってもいいかな?」


「うん、なんでも聞いてみて」


「それじゃあ――」


 僕は今一番気になっていることを聞こうとした。

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