第7話 一悶着

 協会本部へ直接向かおうと思ったものの、魔法都市ディザトリーは都市を取り囲むように結界が展開されているため、僕たちは地上に降りて一般人と同じように城壁から中に入ることにした。

 結界は魔願樹から絶えず生成される願力を利用して展開しているとのことだ。

 城門の前には数名の騎士と願力を帯びたアーチ状の装置があった。カイレンによると、この装置は条例で禁止されている危険物や魔物を探知する装置らしい。

 最初、僕は無事に都市の中に入れるかと心配していたが、カイレンは問題ないと自信ありげに僕に言った。


「――そうだ、これからエディに一つ試練を与えるね」


 振り返りざまにいたずらな笑顔を浮かべるカイレンに警戒した。カイレンが試練というならば、その通り僕を試す何かをさせたいのだろう。


「試練?」


「そう!ある人と戦ってほしいの」


 城門の前、カイレンから突然告げられたのは戦闘の準備だった。しかし見渡す限り戦闘とは無縁なのどかな空気が辺りには流れていた。それにある人とはいったい誰のことを指して言っているのか、皆目見当もつかなかった。


「戦うって言ったって、ここは城門の前じゃないか......」


 すると僕などお構いなしといった様子で、城門の前に立つ鎧を着た騎士たちに対してカイレンは、


「帝級魔願術師カイレン・ゾーザナイト、極地の任務を無事遂行させ戻ってまいりました!」


と、高らかに宣言した。


「......どうしたんだ急に。ん?人が......」


 するとどこから現れたのか城壁内からぞろぞろと兵士たちが出てくると城門前は喧騒にも似た熱気に包まれた。兵士たちはカイレンの帰還と任務の成功に喜びの声を上げていたのだ。突然の出来事と男たちの大声に、思わず呆気に取られて立ち尽くしてしまった。


「おーい皆聞け!カイレン様のお帰りだ!」


 続けざまに兵士たちが叫ぶ。


「ああカイレン様!よくぞご無事で戻られた!」


「俺はカイレン様なら極地から無事戻ってくると信じてたぜ!」


「ああ!それ俺が今カイレン様に言おうと思ってたのに!」


 カイレンの到着に合わせて、城門の前にはたくさんの人だかりができた。兵士だけでなく一般人もカイレンの帰還に喜びの声を上げ、一帯はお祭り騒ぎとなった――が、それも今だけのことだった。


「――静まれぃっ!」


 ――思わず耳を塞いでしまうような男のけたたましい声が辺り一面に響き渡った。当然、その場にいた全員がその威勢に気圧されるように沈黙した。

 すると城壁の上から初老の兵士が、魔法を使いながらゆっくりと地上に降り立った。


 ――一体誰だ?


 白髪だが鎧の上からでもわかる一切衰えを感じない引き締まった体格と、顔に刻まれたいくつもの傷跡が、男の威厳ある立ち姿と威圧感を醸し出しているように見えた。


 誰もが固まった様子で動けない中、カイレンは初老の兵士に向かって駆けていった。――そしてそのまま飛びつくように、


「ただいま!おじいちゃん!」


と、言って初老の兵士に抱き着いた。


 ――えっ、おじいちゃん?!


 すると初老の騎士は先程までの威厳がまるで嘘かのように、


「おお、カイレン。私の誇りよ!」


と、言いながら、抱き着いてきたカイレンの頭をわしゃわしゃと撫でまわしていた。


「えへへ。ただいま、おじいちゃん。私いろんな場所の地脈異常を鎮めてきたんだよ!」


 カイレンが自分の成果を報告し終えると、男は口角を上げて豪快な笑顔を見せつけた。


「おおっ、そうかそうか、えらいぞ!じゃあこれからじぃじと一緒に美味しいもの食べに行こうか!」


 なんとも微笑ましい光景であった。――しかし、そんな光景はカイレンが放った言葉によって一変することとなった。


「あー、でもごめんね。これからあの人と行かなくちゃいけないところがあるんだ」


 あの人――そう、カイレンは僕を指差してそう言ったのだった。すると視線は男からだけでなく、周囲にいた人々からも突き刺さるように向けられた。それは気分のいいものではないことは確かだった。


「......そうか」


 初老の兵士は低く唸るように呟いて僕の方をぎろりと睨み、その表情を一変させた。


「おい、お前は誰だ?」


 その声は至って静かなものだった。


「ええと......僕は......」


「お前は誰だと聞いている!」


「っ......!」


 初老の兵士のあまりの声量と威圧感に、思わず僕は言葉を詰まらせてしまった。言い淀んでしまったせいか、最初の時とは一転して怒気を含むような威勢が込められていた。


 ――ああ、これは答え方を間違えるとまずいことになりかねない状況だ


 僕は慎重に言葉を選んで話すしかない。そう思った矢先のことだった。


「......ん?カイレン?」


 何を思ったのか、カイレンがいきなり僕の隣に来た。男もその様子を前に静かに様子を見守っていた。

 するとカイレンは紹介でもするように僕に手を傾けた。


「おじいちゃん、私から紹介するね。――彼の名前はエディゼート。最強の魔法使いにして、私の婚約者なんだ!」


 言い切るとカイレンは僕に抱き着くように腕を組んでみせた、まるで男に見せつけるように。


「――な、んだと......!?」


「はぁ?!僕が?!」


 ――いつ僕はお前の婚約者になったんだよ!?


 僕と男の二つの驚愕の声が重なった。

 カイレンの突拍子もない発言により、初老の兵士や周囲にいた人たちだけでなく僕までも面を食らってしまった。だがそれもほんの一瞬のことですぐに周囲がやけにざわつき始めた。


「あのカイレン様の......」


「あの人を選んだということは......」


 群衆らは思い思いのことを言って僕らを見ていた。

 状況と話のから察するに、カイレンはこの街の有名人なのは間違いない。そんな人物が突拍子もないことを言えば周囲がざわつくのは無理もないが、しかしこれは少しまずい状況なのではないのだろうか。


 すぐに僕は周囲に聞こえないように小声でカイレンに話しかけた。


「ちょっと待てカイレン!」


「ん?どうしたの?」


 僕の問いかけにカイレンは気の抜けた返事をした。


「いや、どうしたじゃなくて、そもそも僕は最強の魔法使いでもないし、婚約者でも――」


 ――僕は前方より感じる威圧感を前に言葉を止めた。

 初老の兵士から赤黒い色をした願力の光が見え、辺り一帯の空気が物理的に重くなった。


 ――まさかこれは......


 この赤い願力の像は以前にも見たことがある。そう、敵意を示す色だ。


「ふむ、貴様エディゼートと言ったな」


 周囲に渦巻く願力の色からはとても想像できないほど、男は努めて静かに語りかけてきた。


「え、ええ。どうも、エディゼートと申します」


 圧力に負けないよう男の目をしかと捉えて返事をする。


「まぁ、そんなことどうでもよい。――今から貴様に決闘を申し込む!」


 声からかに、男はそう宣言した。


「......決闘?あぁ、試練ってそういうこと」


 合点がいった。門前でカイレンが僕に告げた試練とは、この初老の男との決闘を指していたのだろう。わざと焚きつけるような言動の数々も、この状況を作り出すためだと考えれば納得がいく。まったくもって僕はある意味納得はしていないが。

 すると僕らの声をかき消すように、周囲にいた人たちが囃し立てだした。昼にはまだ早い時間だというのに、人々の熱気は周囲の人々にも伝播するようにその規模を拡大させていった。


「勝敗はどちらかが戦闘不能、もしくは負けを認めたらにしよう。そして見届け人はいらん、魔法も武器も自由。今この場で、決着がつくまで。それが条件だ」


 初老の兵士が群衆をギロリと睨む。


 すると先程までカイレンの周囲を囲っていた人だかりが、まるで円形の闘技場を作るかのように大きく広がり僕らを囲んだ。


 ――そんなに決闘というのは一般的なものなのか?


 やけに民衆の手際がいい気がした。まるで僕と初老の騎士の決闘を見て見たいと言わんばかりの様子だ。

 カイレンも群衆に混ざり、今は僕と男が群衆の中心で対峙するような形で立っている。


 ――おいおい、城門の前で戦闘はいろいろとまずい......


 使う魔法によっては周囲の地形を破壊しかねない。それだけでなく周囲の魔力を使って魔法を発現させると、またあの時のカイレンのように誤解されかねない。そのため自身の願力を魔力に変換して戦闘を行わなくてはならない。


「......いくつか、聞いてもいいですか?」


 ――時間稼ぎをしよう。そう思って男に尋ねた。


「なんだ?」


「もし僕が負けた場合は、どうなるのですか?」


 すると、初老の騎士は腕を組みながら、


「当然、カイレンとの婚約を破棄してもらう」


と、まるでカイレンとの婚約を認めてほしければ我に勝ってみせろと言わんばかりの態度でそう言った。


「......そうですか」


 婚約者というのはカイレンの冗談だが、事をややこしくした当の本人はなぜだか嬉しそうな表情で僕を見ていた。


 ――まったく、僕は厄介な状況に巻き込まれているというのに......


 今から相手の誤解を解こうと考えたが、面倒に感じたためそのまま話を続けることにした。


「それと、決闘というのは闘技場のような施設で行わなくていいのですか?ここ城門の前じゃ......」


「構わん。本来であれば面倒な段取りがあるが私の気が持たん」


 どうやら僕は他人の都合だけで僕はこの場に立たされているらしい。兵士というのは段取りなどの規律を重んじる存在ではないのだろうか。


「......ということは今すぐここで決闘をするのですね」


「ああ」


 理解した。どうやら僕に選択の余地はないようだ。

 だが、この決闘はこの世界で自身がどれほどの強さなのかを確認するいい機会だ。今後のためにも、負けるわけにはいかない。


 ――正直、いろいろと想定外が多すぎて逃げ出したいが......


 そんな弱気な心を抱えたところで現状は何一つとして変わることはないだろう。今はカイレンの時と同じ、自分の運に任せて必死に足掻いてみせるだけだ。


「――わかりました。では、その条件で決闘を行いましょう。開始はいつでも構いません」


 覚悟を決めた。男は僕の決意を受け取ると、にやりと表情を歪ませた。その姿を前に心臓はうるさいくらいに鼓動し、思い出すかのように喉の渇きを覚えた。


「ふむ、その心意気やよし!お前がカイレンの婚約者としてふさわしいか、そして最強の魔法使いであるか。――この魔願騎士団長『ジルコ・ゾーザナイト』が直々に相手してくれるぁッ!」


 ――怒号が響き渡った。

 ジルコが放った言葉が決闘の開始の合図となり、同時にジルコは姿勢を低くすると目にも止まらぬ勢いで僕の方へと急接近してきた。


「――『顕願ヴァラディア』!そして、くらえッ!」


「っ!――『昇能まにあえ』!」


 ジルコが短く詠唱をすると、真っ赤な願力の像が双剣へと変換され怪しく光った。

 目にも止まらぬ速度の斬撃を前にすぐさま願力を魔力に変換して身体強化の魔法を自身にかけ、ジルコと距離を取ろうと身を翻しながら斬撃を回避しようとする。


「っ......!」


 しかし思うように体が動かず、間一髪のところで身を屈めて斬撃の嵐を搔い潜る。

 この違和感の正体はおそらく、戦う前に周囲の空気が重たく感じたことから、飛行魔法魔法のような重さの概念に関する魔法を発現しているのだと推測した。だが理解したところで対応できなければ負けが近づくだけだ。


 ――くそっ、すべて避けてるときりがない!


 近接戦闘用の武器を所持していないため、反撃することができずにいた。その間もジルコは次の一手を加えんとばかりに間合いを詰めてきた。


「ふんっ、いつまでそうしていられるか!」


「仕方ないっ、――『聖盾まもれ』!」


 再度自身の願力を魔力に変換して、聖属性の盾の魔法を無数に展開させる。

 だがジルコが放つ斬撃の一つ一つは非常に重く速いため、受け流すだけでも精一杯だった。さらに絶えず願力を魔力に変換して、それを願力によって操作し障壁を補強しつつ攻撃を避けなくてはいけなかったため、精神と身体を酷使しっぱなしで徐々に疲労が溜まっていった。


「しかしエディゼートよ、貴様詠唱いらずだとはな!さては稀血としてもてはやされていたボンボンか?」


「言っている意味が、わからない、のですがっ?」


 ジルコの言葉に攻撃をいなしながら返す。――しばらく戦況はジルコが一方的に攻撃し、僕はそれを受け流すだけの展開となった。


「ふはは!どうしたエディゼートよ!それでも貴様は最強の魔法使いか!」


 重装備からは想像もできない軽やかさでジルコは舞うように刃を叩き付けた。


「魔法使いが、近接が得意なわけないだろうがっ!」


 いくら群衆が広がったところで魔法を行使するには戦闘エリアが狭すぎる。完全にジルコの間合いだ。

 するとジルコが放つ赤い願力の光がより輝きを増し、斬撃の速度がますます上がっていく。

 このまま戦闘を続けていれば、間違いなく僕は体力が尽きて敗北する。明確な未来が脳裏を過ったが、抗うと決めたからにはやられてばかりでいられない。


「ハッ、諦めたらどうだ?決闘も、カイレンも」


 ジルコは刃を魔法障壁に押し付けながら僕を睨みつけてそう言い放った。ぎりぎりと、刃によって削り取られていく魔法障壁の一部が火花のように飛び散った。

 ジルコの言葉が心の中で反芻した。――カイレンを諦める。すなわちこの世界での居場所を失うに等しいこと、そんなことあってたまるか。その思いからか、自然と僕は笑ってしまっていた。


「ハハッ。いや、その選択はとらない。僕だって負けるわけにもいかないんだ。――はぁ。さて、一度仕切り直しだジルコ!――『閃光くらめ』!」


 瞬間、辺り一面は発生した閃光のまばゆい光に包まれた。僕とジルコの間に展開された光のオーラは周囲を白く染め上げ、ジルコは突き付けた刃を放して目を覆った。


「ちっ、小賢しい真似をしやがって」


 その隙にジルコと距離をとった。だがジルコは凄まじい反射神経で目くらましの影響から逃れられたらしく、魔法の効果が終わるとすぐに手をどけて僕を睨んだ。


「魔法使いらしく、魔法を使ったまでだ」


 互いに睨みあっている状態。

 決闘は何の準備もなく突如として始まってしまったため、依然としてジルコがどのような攻撃をしてくるのかを見極めながら戦術を練るしかなかった。


 ――どうするか......ってカイレン?


 すると視界の外、先程まで群衆に紛れて僕らの戦いを見ていたはずのカイレンがいつの間にか飛行魔法を発現させて宙に浮いていた。

 カイレンは何を思ったのか、大きく息を吸い込んで


「おじいちゃん!これでもエディは手加減してるんだよ!」


と、挑発的なセリフをジルコに対して放ち、僕の方を見てウインクした。


「......は?」


 カイレンの突拍子もない言葉に、思わず口から声が漏れ出てしまった。

 カイレンは何かしらの意図があってジルコを挑発したのか、もしくは単に決闘を盛り上げているだけなのか、今の僕には考える余裕がなかった。


「手加減って......」


 僕は自分の正体が観戦している群衆にばれないように自前で用意した魔力で魔法を使っているが、決して手を抜いているわけではない。それほどまでにジルコの近接戦闘の能力は高かった。

 するとカイレンの言葉を聞いたからか、ジルコは嬉しそうににやりと顔を歪ませた。


「ふっ......ははは!そうかそうか!この私に対して手加減をしてくれていたというのか!ならば貴様が舐め腐った真似をしているうちに叩き潰してくれるァッ!」


 ジルコは騎士団長とは思えないような言葉を放つと、先程よりもずっと赤黒い願力の光を纏った。すると手にしていた双剣はジルコの体躯にも迫る大剣へと変化していき、その様相は死すらも感じ取れるほどの圧を放っていた。再び、頬に一筋汗が垂れ鼓動が高まった。


 ――はは。これは、そろそろ決着をつけないと死ぬかもな


 眼前に展開された絶望的状況。だが、カイレンが時間を稼いでくれたおかげでこの状況を打破する策を思いついていた。――実行に当たって自身の正体がばれてしまうという、リスクを孕んだ切り札として使う魔法。この魔法を使わずに済むのであれば、それに越したことはない。だが、時間が刻一刻と迫ってくる中、手段を選べるほどの余裕は当然なかった。


 ――僕は最後の気力を振り絞り、意識が途切れない程度に願力を魔力へと変換させる。

 

「――さて、これで決着だ!ジルコ・ゾーザナイト!」


「ふんっ、随分と待たせてくれたな小僧!それじゃあいくぞ!――『瞬動デューザ』!」


 後方に大剣を大きく振りかぶって構えると、ジルコは身近な詠唱と共に一瞬にして間合いを詰めてきた。


「――『氷穿つらぬけ』!」


 ジルコの接近と同時、僕の頭上に展開された氷柱の弾幕はジルコを直上から貫こうとするが、ジルコは体を地面とほぼ水平にしながら身を翻し、大剣から放たれた願力の斬撃によって氷柱の弾幕を粉砕した。ジルコが魔法への対処をしている隙に後方へと跳躍して距離をとった。


「こんな程度で、私が止まると思うなァッ!」


 ジルコが体勢を整え大剣を一振りすると、双剣の時よりも大きな願力の斬撃が距離をとった僕の首を目掛けて飛んできた。

 身を翻すことで斬撃を回避するが、気が付くとジルコは既に手の届く距離まで接近していた。刹那、勝ちを確信するように僕の目を捉えるジルコが口元を歪ませた。


「――これで終わりだ!」


 ジルコは身を深く沈みこめると、直上に薙ぎ払うように大剣を振り上げた。回避不可能な位置からの確実な一撃。この場にいる誰もがジルコの放つ斬撃が僕を捉えたかのように見えた。


 ――しかし、それが現実となることはなかった。


「――『絶界くらえッ』!」

 

「なっ?!」


 ジルコが振り上げた刃が首元を捉えようとした瞬間、突如として展開された超高密度の透明な魔法結界がジルコを囲い込んだ。そして結界の展開と同時、ジルコが発現させていた願力の大剣が消失した。


「決闘に高さ制限がないなら、一緒にぶっ飛びやがれッ!――『飛翔イアルヴ』!」


 すぐさま結界を解除すると同時にジルコに向けて手をかざし、ジルコにもわかるようにわざとこの世界の飛翔魔法の詠唱をする。するとジルコはそれに抵抗するように願力を纏った。


 ――だがそれは、願力を媒介として発動した魔法のみに抵抗できる手段だった。

 次の瞬間、ジルコと僕の姿は地上にはなかった。


「グッ?!馬鹿なッ!」


 気を失う寸前まで願力から練った魔力を消費させると、大規模な蒼白のオーラと共に周囲に空気が爆ぜたような衝撃音が轟いた。

 意識を保つのに精いっぱいなほどの速度で急上昇していく男が二人。息もできず、血が上り内臓が引きちぎられるような重圧に耐えるように呻き声をあげた。

 気づけば群衆の顔が判別できないほどの高さまで到達していた。そんな場所まで到達して、ようやくこの策は実行へと移行できる。ジルコ共々滞空するように魔法を操作し、思い出したかのように呼吸を再開する。


「はぁッ......はぁ。それじゃあ、最後の仕上げだ......」


「ハァッ.......ハァッ。ハハッ――この化け物め」


 何かを察して無抵抗になったジルコに対して手をかざす。


「――『絶界きえうせろ』!」


 追い打ちをかけるように、『魔法殺し絶界』は僕の掛け声で発現した。




――――――




「はぁ。そんな現実味のないことをいくつも同時に言われても、この老体の頭じゃ整理がつかんわい......」


「まぁ、そうですよね。僕もそんな感じです」


 ここは雲が近いと感じられるほど高い場所にある結界の中、僕はジルコと座りながらこれまでの経緯を洗いざらいすべて話していた。


「しかし、目覚めてまだ数日しか経ってないうちに色々ありすぎやしないか?」


 ジルコに同情されていた。本当に、つくづくそう思うばかりだ。


「いろいろ......まぁ、正直最初はかなり困惑しましたが、いちいち気にしてると気疲れしてしまうんで考えないことにしました」


 今思い返すと目覚めてから気が休まることがほとんどなかったが、この世界は知らないことで溢れかえっているため諦めるしかなかった。


「まぁ今更言うのもなんだが、お前みたいな本来客人以上、いや、国が総力をあげて護衛しなくてはならない存在に対して突然決闘を申し込んで悪かった」


 謝罪の言葉と共にジルコは頭を下げた。


「いえいえ、誰も最初から僕の正体に気づける人はいませんよ」


「その、カイレンに男ができたと聞いてついやけになってしまったんだ......」


「ははは......」


 正直なところ、カイレンがわざとこのような状況になるように仕向けたように思えたが、何かしらの意図があってのことなのだろう。大方、カイレンが言っていた一部の人間にジルコが該当していると予測できる。


「そうだ、改めて自己紹介をしよう。私は『ジルコ・ゾーザナイト』、魔願騎士団の団長を務めているものだ。よろしくな、エディゼート」


「こちらこそよろしくお願いします、ジルコ騎士団長」


「ああ、騎士団長だなんて言わなくていい」


 ジルコは首を横に振った。


「わかりました。では、ジルコさん」


 僕たちはそう言うと、互いに握手を交わした。その手は大きく、騎士らしいごつごつとした質感だった。


「そういえば、ジルコさんはカイレンの祖父なんですよね?」


 するとジルコは否定するように首を横に振った。


「いいや違う。まぁ、カイレンは少し特殊な子なんだ。私と血がつながってるわけではない」


「え、そうだったんですね」


 驚きだった。僕はカイレンとジルコの家名が一致していたことやカイレンがジルコをおじいちゃんと呼ぶことから、てっきり孫と祖父の関係かと思っていた。


「だが、カイレンは私にとって家族同然の存在だ。だから、カイレンの助手になったからには、何があってもあの子のことを守って欲しい」


 ジルコは力強い眼差しで僕の目を見ながらそう言った。


「はい、必ずやお守りします」


 僕は初めてカイレンと出会った夜の出来事を思い出した。普段のカイレンはいつも悩みなんてなさそうな明るく楽しげな表情を浮かべていたが、僕が一緒についていくと言ったときに切ない表情で「嬉しい」、「一人で寂しかった」と言っていた。

 カイレン自身にどのような事情があれど、心の拠り所としている家族と離れて単独で過酷な任務を行うことは、とてもつらいことだったのだろう。

 

 ――これからは僕がカイレンの心の支えにならないと、か


 むしろ散々世話になるはずであるのに、いつの間にかそんなことを思うようになっていた。気づけばカイレンと出会ってまだ数日しか経っていないが、いつの間にか僕の心の中でカイレンという存在が大きくなっているような気がした。


「ははっ、お前みたいな強いやつがそう言ってくれるなら頼もしい限りだ。どうだ?今度は小細工なしでもう一度戦ってみるか?」


「それは......遠慮しときます」


 バシバシと、ジルコは僕の背中を痛いほど強く叩きながらそう言った。


「そういえば、決闘の勝敗って......」


「あぁ、そんなもの、私が戦意を喪失した時点で決まっている。お前の勝ちだ」


 さも当然の床のような口ぶりだった。もう決闘の勝敗の基準を忘れていたが、どうやら僕が勝ったということになったみたいだ。


「えーと、そんな理由でいいんですかね」


「いいんだ、だからもっと喜べ」


 決闘の勝敗の判定はなんとも曖昧なものだったが、とにかく今は丸く収まって一安心していた。これでこの世界の居場所がなくなることも、カイレンと別れることもなくなった。本当に、運がよかったのだろう。


「だが、そろそろこの結界から出ないといけないな。皆、私たちの決着が気になっている頃だろう。特にカイレンが、だな」


 そう言ってジルコは立ち上がって伸びをした。


「それもそうですね。行きましょう、ジルコさんの分の飛行魔法は僕が発現させます」


 カイレンの時のようにならないために、前もって飛行魔法をジルコに付与した。そして結界を解除すると、僕らはゆっくりと地上に向かって滑空するように降りて行った。



――――――



 僕らが降り立つと、いつの間にか周囲を囲んでいた群衆の数が増えていた。

 カイレンや群衆は、決闘の勝敗が気になっているのか落ち着かない様子でこちらを見ていた。それも無理はない。僕らは決闘をしていたことを忘れて結界内で長話をしていたからだ。

 するとカイレンは人の群れを抜け出して僕らのもとへと駆け寄ってきた。


「おまたせ、カイレン」


「エディ!いきなり二人が空高くに飛んで行ったから心配したんだよ!」


 珍しくカイレンは焦りを表情に浮かべていた。


「なんの詳細な事前説明もなしに僕を決闘するようにしたくせに?」


 僕の言及から逃れるようにカイレンは視線を外した。


「えーと、それはエディにもおじいちゃんにも驚いてもらいたかったからで......あはは」


「はぁ、まったく」


 ジルコも昔からカイレンの被害者だったのだろうか、呆れるようにため息を吐いた。


「でも、その様子だと勝てたんだね」


「ああ、心配かけさせてすまなかったな。心配かけさせてしまって」


 ずいと踏み入れて念を押した。


「えへへ、ごめんってごめんって。でも、心配はしたけどエディが負けることはないって信じてたから」


「まぁ、僕にとってカイレンは約束を交わした仲だからな。勝つつもりでいたさ」


 僕がそう言うとカイレンは安心したような穏やかな表情を浮かべ、そしてジルコのもとへと向かった。


「どう?おじいちゃん。私のエディは強かったでしょ?」


 いつの間にか僕はカイレンのものになっていたらしい。


「ああ、そうだな。あれは私じゃどうすることもできない、――『化け物』だ」


 すると自分の力では勝てないというジルコの発言に、ジルコが僕に負けたことを知った群衆は驚きを隠せない様子でざわめきだした。

 不透明な結界の中で一体何が起きたのか。当事者以外誰一人として決着の瞬間を目撃していないという点があったが、満足そうな表情を浮かべているジルコを見て群衆は勝者が僕であることは間違いないと確信した様子で口を開きだした。

 ある者は声を上げて僕を称賛し、ある者は疑いの目で僕を見つめ、ある者はどのような経緯で僕が勝ったのかを言い合って、ある者は僕の正体を好き勝手に考えて――。


「じゃあ行こう、エディ」


「えっ、ああ」


 どうやってこのざわめきを静めようかと考えていたが、カイレンに手を引かれるままその場を離れようとした。

 すると、ジルコから「少し待て」と言われたため、僕たちは一度その場で足を止めた。


「エディゼート、これをお前にやる」


 するとジルコは腕当てを外して右腕から何かを外した。


「これは?」


 ジルコから渡されたのは彼の瞳と同じ、緑色の鉱石が埋め込まれた金属のブレスレットだった。よく見ると鉱石には家紋のような模様も刻まれている。


「これは私との決闘に勝利したことを証明するものだ。これからやらなくてはいけないことが山ほどあるのだろう?これがあれば今後多少は話が通りやすくなるはずだ」


 ジルコは特大の笑顔で言葉を締めくくった。


「ジルコさん......ありがとうございます」


「礼はいい。ただ、どんなことがあってもカイレンのことを守ってくれ。これは男の約束だ。いいな?」


「はい。心に誓って」


 こうして、ジルコとの決闘の勝者の証を手に入れて僕らは城門に向かって歩いて行った。

 その後はジルコに僕の正体が周知されないように取り計らってもらうことにしていた。僕が勝つまでのシナリオは、魔法の効果が周囲に広まらないように結界を展開した後に、結界内で麻痺効果を持つ霧の魔法を展開させてジルコを戦闘不能にした、ということにしておいた。               

 群衆は僕に話しかけたそうな様子だったが、今は協会本部へと向かわなくてはならなかったためすぐにその場を離れることにした。

 群衆の視線を一身に浴びながら、カイレンと共に城門を潜り抜けて街の中へと向かっていった。


「なぁカイレン。もしかしてジルコさんに事情を伝えておいた方がよかったからあんな無茶な真似をしたのか?」


「ん?そんなことないよ。ただ、おじいちゃんにエディを自慢したかっただけ」


 あっさりと否定され、衝撃の事実が伝えられた。


「え?たったそれだけの理由で?」


「うん!というのは冗談。ほら、結果的にいい方向に転じたでしょ?」


 これまたあっさりと騙していたことを自白し、まるで思惑通りに事が進んだことを感謝してほしいと言わんばかりの口ぶりでそう言った。


「それは、たまたま運が良かったから言えるセリフだろ......」


「いいのいいの、運も実力の内だよ」


「はぁ。そういうものなのかなぁ」


 もし仮に僕の正体が周知される事態になってしまったら、今頃どんなことになっていたのやら。

 だが、カイレンの性格上これからこういった事態によく巻き込まれると想定できるので、気にしても無駄だと諦めるしかないのだ。


「そうだ。思ったのだけど、いくらなんでも決闘の開始までが早すぎやしなかったか?やけに群衆も手際よく広がっていったし」


「あぁ、あの決闘はこの街の名物の一つなんだ」


「ジルコさんとの決闘が?」


「そう!」


 決闘が名物になるほど騎士団長というのは暇な役職なのだろうか。いや、そんなはずはないだろうが。


「実は私に縁談を持ち掛けてくる人がたくさんいてね。こう見えて、私って結構モテるんだよ?」


 カイレンは見た目で言えば可愛らしくもどこか儚げな印象を受けるが、言動が伴うと別だ。だが、これもカイレンらしさなのだろう。僕も振り回されてばかりだが、不思議と嫌悪感はなかった。


「まぁ、お前のことは置いといて。もしかして、ジルコさんに決闘で勝つことが婚約の条件だったりするのか?」


「そうだよ!」


「......」


 ――まじかよ


 あの人に勝てる存在は、この世界にどれほどいるのだろうか。この世界における平均的な戦闘力はわからないが、見つける方が難しいだろう。


「おじいちゃんとの決闘の開始があんなに早いのはね、どんな時でも私を守ることができるようでないといけないからって理由らしいけど、さすがにかわいそうだよね」


「本当だよ。僕もカイレンが時間を稼いでくれなかったら危なかったし」


 カイレンもカイレンでかなり、いや、凄まじいほど強い部類に属していると思うが、そんな存在を守れるのならジルコに勝てて当然ということなのだろう。だとしても、魔法使いであれば接近戦に持ち込まれたらどうすることもできないのが普通だ。我ながらよく捌き切ったものだ。


「よかったね、六十五人目にならなくて」


「......六十五人って、もしかして今までジルコさんと決闘をして負けた人数のことか?」


「うん!」


 逆に六十五人と戦って一度も負けたことがなかったジルコもジルコでなかなかの存在だ。ジルコの強さが明確なものであることが、今の言葉と実際に決闘をしたことで身に染みてわかった。


「おじいちゃん、今日は私が婚約者を連れてきたって言ったから特に気合が入っていたなぁ」


「なぁ、今更なんだがもっといい方法があったような気もするのは僕だけか?」


 そんな僕のツッコミは笑顔のカイレンには届くことなくどこかへ消えてしまった。

 今は時間にしてまだ十時くらいだろうか。


 ――まったく、この街の人たちは朝から元気なものだ


 何故だかわからないが疲労の回復が早いおかげで身体的な疲れはほとんど感じない。装備しているものの効果なのか、そういう体質なのだろうか。今はわからない。


「――さて、魔願術師協会の本部までの案内よろしくな、カイレン」


「うん、任せて!」


 僕はジルコからもらったブレスレットを身に着けて、カイレンに手を引かれるまま街の中を突き進んでいった。

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