第3話 魔力と願力
実際に魔法を目の当たりにして、わかったことがある。
――それは僕も魔法が使えるということだ。
理由はわからないがカイレンの魔法を見た途端、徐々に自分がどんな魔法が使えるかを思い出してきた。それだけでなく、魔法の記憶に連動するように魔法の発現に必要な魔力操作の具体的なイメージも思い浮かべられるようになった。
一瞬にして頭が冴えたような感覚。とは言え、思い出したのは魔法に関することだけだ。
――『願力』、という精神力の一種を魔力に変換して魔法を発現させる。
魔力は自身に宿るこの願力を変換しなければ手に入らない力の源だ。だが奇妙なことに、本来願力の変換によってしか生み出すことのできないはずの魔力が、この大気中に満ち溢れていた。
――魔力は......問題なく取り込めそうだ。だが......
試しに体内に魔力を巡らせてみるが、オーラは纏えども彼女のように光彩を放つようなことはなかった。
「ん......」
すると魔力の流れを感じたからか、木の上にいたカイレンが再び宙を舞いながらこちらをじっと見てきた。
「もしかして、君も魔法が使えたりするの?」
「多分だけどね、思い出したからやってみるよ」
試しに僕も飛翔効果を得られる魔法を発現させるため、大気中の魔力を吸収して魔力操作に集中する。
「......え?」
――視界の際に映るカイレンの様子が、どこか落ち着きがないように見えるのは気のせいだろうか。
とにかく今は集中だ。そう念じて体内に吸収した魔力を願力の操作によって目的の効果が得られるように調整した。
「――『
風属性の飛行魔法を念じると、体内に取り込んで消費された魔力が蒼白色のオーラとなって周囲を渦巻き、たちまち僕の体を木々の高さほど浮き上がらせた。
「ふぅ......」
――よかった、魔法は使えるみたいだ
そのままゆっくりと滑空しながらカイレンと同じように木の枝に降り立った。
ただ、カイレンのように魔法を発現させても光彩を纏うことがなかった。カイレンの魔法には何か特殊な効果があるからなのだろうか。
「......えーと、ところでなんだが......」
気になる点はいくつかあるが、それよりも何故だか先ほどからカイレンが僕から少し距離をとり、警戒した表情で僕を見ていることが気になった。その様子はまるで何か恐ろしいものと遭遇してしまったかのよう。
「どうしたんだ、カイレン?」
「......」
気になり話しかけるが、カイレンが返事をすることはなく――
「えっ――?」
――変化は一瞬だった。
枝から離れ宙に浮かぶカイレンに光が満ちると同時、その周囲には槍のような先端が鋭い形状をした真っ赤なオーラの像が無数に展開された。赤いオーラは色は違えど、カイレンが飛翔魔法を発動させたとき白光と見え方が似ていた。
まるで光は術者の意思を表しているようだった。
「.....まさか!?」
眼前に広がる光景から導き出した――その光の正体。それは、体内でのみ存在するはずの願力が体外へと露出することによって見える光だった。
「......――『』」
そのことに気づいた瞬間、カイレンは僕が聞き取れないほど小さな声で何かを詠唱すると、僕の周囲には僕を拘束するように内部を願力で満たした結界のようなものが出現した。その異様さは言うまでもなく、僕を混乱の檻の中に閉じ込めていた。
「なっ、一体何なんだこれは......?」
出現した結界は次第に赤みを増すことから、内部の願力が次第に濃度を上げていることがわかった。
ここまでされれば、誰がどう見てもわかる。――そう、カイレンは臨戦態勢だ。
「なぁ、カイレン!ちょっと待ってくれ!僕が何をしたって言うんだ?!」
声を荒げる僕とは対照的に、カイレンは静かに僕を睨むように見つめていた。
「動かないで。もし君が人間じゃなければ、私はこの場で君を殺さなくちゃいけない」
カイレンは先ほどまでとは打って変わり、表情を険しくさせていた。そんなカイレンから唐突に発せられた脅迫のような言葉。理解が及ばない出来事が立て続けに起きていた。
「どうして......どうしてなんだよ!」
「......」
そう聞き返したが、カイレンは僕を人間じゃないと判断した理由を口にしなかった。その間も、結界は赤々と異様さを徐々に滲ませながら蠢いていた。
「何なんだよ......くそっ、まずいな......」
カイレンが何を考えているのかまったくわからない。何も説得することもできずにいるばかりだ。
この状況が続くようでは、助けてくれた少女と戦わなくてはいけなくなることは確か。
――けど、見たことがない魔法に、変色する謎の願力。相手にするには少し情報が足りない......
そんな思考が脳裏を
「――ねぇ」
カイレンは片手を僕に向けた。
「君の目的は何?油断させて、私を殺すつもりだったの?」
「......は?」
――何を、言ってるんだ?
カイレンの言っている意味が分からなかった。一体、いつ僕がそのように受け取られるようなことをしたというのか、その説明もないまま一方的に敵意を向けられていた。
「いいか、よく聞いてくれ!僕はお前に対して敵意は一切ないし、それ以前に記憶すらないんだ!」
「そう......悪い人は、皆そんな風に言って人を騙す」
「あぁもう!そう言われたらそれまでだよ!」
その態度から、カイレンは僕の言葉に耳を傾ける様子がなかった。交渉の余地なし。依然として絶望的な状況は一転することなく命の危機が刻一刻と迫ってきていた。
――くそっ、この状況を打破するためにはどうすれば......!
焦りが思考を鈍らせる。
現在判明していることは、カイレンの魔法は僕の魔法の知識に則さないことがあるということだけだった。
大気中を埋め尽くす様に存在する魔力、願力そして魔力による魔法の発現。それから導き出せる打開策は――。
――いや、迷っている暇はない!今はこの方法に賭けるしか!
――可能性を見出すのではなく、己の運に賭ける選択肢を選んだ。
「ふぅ......。――どしてもっていうのなら、仕方ない」
この少女と、戦う。相手の判断を上回る速度で。全力で足掻いてみせる。
行動は迅速に。
「――『
「っ?!」
周囲の魔力を一瞬で消費して飛行魔法を展開。周囲に渦巻く重厚な蒼白のオーラと衝撃音と共に目にも止まらぬ速さで上空へと飛び立ち、カイレンの願力結界からの脱出に成功した。
「どういうこと?......でもっ!」
一瞬カイレンは困惑を顔に浮かべ、再び僕に向け手をかざした。
カイレンの背後に装填された半透明の鋭利な像の数々が怪しく光った。そして間髪入れず風を切る音と共に弾幕となって一斉に飛来。
「ちっ、やっぱ飛ばしてくるか!」
弧を描くように空中を旋回して避けようと試みる、が
「っ?!――『
その一発が右頬をかすめ、鮮血が横目に映った。堪らず聖属性の防御魔法を体の側面に展開して弾幕をしのぐ。
正確無比な、実体を伴う高速の連撃を前に生きた心地がしなかった。
「くそっ!当ててきやがる!」
かなりの速度で飛行していたが、カイレンは狙いを外すことなく僕目がけて魔法を放っていた。
半透明の投射物は、展開された魔法障壁に激突すると地面に打ち付けたガラス瓶のように砕けていった。その連続音が絶え間なく僕の精神を蝕んでいった。強度自体大したことないが、生身で受ければ致命傷になりかねない不思議な魔法だった。
「......私の魔法が弾かれている?それとも、当たってないだけ?――それじゃあ、追いかけっこだ!」
連撃ははたと止み、術者は次の行動への移行を宣言した。
「ちっ――!」
滞空していたカイレンに願力の光が満ちる。その光は依然として深紅に染まり、殺意そのものを僕に提示し続けていた。
「――『
短い詠唱と共にカイレンは半透明の真っ赤な双剣を携え急加速。
「まじかっ!」
間合いは一気に詰められ、腕一本までの距離まで接近を許してしまう。カイレンの表情がにやりと歪んだ。
「ふふっ、隙だらけっ!」
カイレンは双剣を振りかぶって身を翻した。だが、不意の事態に対応できないほど判断力がないわけではなかった。
「これでも喰らって、――『
「ひゃあっ!?」
咄嗟に圧縮した空気圧を解放する風魔法を発現。
青白いオーラが拡散するとカイレンを下方に押し出し、自身はカイレンと距離をとるように上空に打ち上った。しかし、大した殺傷能力もないためカイレンは平然とした表情で上空にいる僕を見つめていた。
「何なのこれ!?......本当に、不思議な魔法を使うんだね」
余裕そうな表情と声音でカイレンは僕を睨みつけていた。僕は命懸けだというのに、あっちはまるで子供相手に遊んでいるようだ。
「僕からしてみたら、お前も一緒だ。変な魔法ばっか使いやがって」
「ふーん。じゃあ、追いかけっこの続きをしようか」
無邪気な笑顔が向けられた。その不気味さといえばこの上ない。
「......はぁ。僕はお前に殺されるかもしれないっていうのに」
再びカイレンの周囲に願力が満ちる前兆を確認した。瞳に光がほのかに宿った。
「そんじゃあこっちも手数でやってみるか......」
既にカイレンは背面に槍状の願力を無数に装填させていた。その矛先はすべて僕の頭部へと違うことなく向けられていた。
「......はぁ」
一呼吸置き、飛来する脅威に備えるために周囲の魔力を体内に取り込む。
飛行魔法と防御魔法の発現のイメージを済ませ、氷属性の魔法の発現準備に取り掛かった。
「――よし。さぁ、僕を殺してみろ」
当然、小声で言ったため距離の離れたカイレンから返事はなかった。
しかし僕の言葉を引き金に、カイレンは急加速を始めた。
すぐさま合わせるように飛行魔法を展開。水平一直線に突き抜けるように木々の上を駆け抜け、狙いやすいようにあえて一直線に移動した。すると予想通り高精度の願力弾が僕目がけて放たれた。
「――さて、その程度の強度で防げるかな」
振り向きざまに速度を維持して後退しながら聖属性の防御魔法を展開。
無数の願力弾は障壁に拒まれ砕け散るその背後。
――狙うはカイレンの右肩かすめない程度......
体内の願力によってイメージに魔力を注ぎ込む。
「――『
強度と速度を一点集中させた氷柱が一閃、魔法の射線上を突き抜けた。
「っ!?」
砕け散った魔法の背後からの視認外の一撃は、カイレンが反応する間を与えず軽快な破壊音の連続と共に弾幕を貫いた。
――一瞬カイレンの攻撃は止まり、明確な隙ができた。
すぐさま周囲の魔力を吸収。一撃の質より量を優先させて、無数の氷柱を生成する魔法陣を頭上に展開させた。
「さぁ、逃げ切れるかなっ!」
不意をつくようにその場で急上昇。下方には不意を突かれて焦りを見せるカイレンの姿が見えた。
「うそっ!?」
速度を維持しながら直進していたカイレンを真下に捉える。
「――『
先程の単発高威力から一転し、雨のごとく無数の氷柱の弾幕をカイレン目がけて射出した。
狙いは完璧だった。――だがしかし、カイレンはこれでやられてくれるほど甘くはなかった。そのことに気づいたとき、既に体は異変を訴えていた。
「――『
「ぐっ!?」
下方から上空へ。身を内部から引きちぎられるような衝撃が願力の波と共に到来する。
氷柱の弾幕はいともたやすく粉砕され、月明りを反射して塵となっていった。
――なんだ......!?体が、痺れて動かない!
意識まで侵食されるような感覚を前に、頭上に展開していた魔法陣は跡形もなく消失してしまった。
「くそっ、カイレンは......」
ぐらつく意識に耐え、魔法陣を再展開。
頭へのダメージは現存していたが、気づけば体から痺れが引いて平常通りに動くようになっていた。
「そこか。って、森の中?」
徐々に回復していくぼやけた視界の遠くにカイレンの姿を辛うじて捉えることに成功。
まるで僕を誘い込むように、カイレンは急降下して森の中へと入っていった。
「はぁ......」
――いいだろう。今度はこっちが追いかける番だ
飛翔魔法を解除して身を任せるように自由落下。
カイレンが姿を眩ませた位置へと急降下していく。
「......どこだ?」
木々の隙間を抜けたところで飛行魔法を再展開。
しかしカイレンの姿は一向に見えなかった。――が、願力の光は僕の目にはっきりと映っていた。
「そこか!――『氷穿』」
掛け声も無しに無詠唱で魔法を放つ。威力は通常時と比較して低いものの、細い木の枝を粉砕するには十分な威力だった。枝が粉砕された鈍い音と共に、光は跳ねるように動いてこちらに向かってきた。
「危ない危ない。......もう、なんで私の場所がわかったの?」
すると宙を舞ったカイレンが木々の隙間から姿を現した。
何故か、登場と同時にカイレンは背後に願力の槍を一本展開させた。
「それよりもまず、なんでお前はまだ魔法を展開しているん――」
「受け止めて」
――え?一体何を。って......!?
思考の最中、半透明が一閃。
「......っ?!って、まだ話している途中だろ!」
カイレンは無言でその一撃を僕目がけて射出した。
だが、先ほど弾幕として射出されていた内の一つに過ぎないそれは、展開された魔法障壁に衝突し砕け散っていった。
何かを確認するように、その一撃にはおおよそ殺意を感じられなかった。その意図がまるでわからない。
「へぇ。信じたくないけど、やっぱり私の魔法を君は防げるんだ」
「なんだよ。別にこの程度の硬さの魔法、いくら撃とうと僕には効かないからな」
脅すように声音を変えてカイレンに話すが、当人はあまり気にしない様子で何かを考えるように僕を見つめていた。
「そっか......それじゃあ、こうするしかないね」
何かを諦めるような口ぶりでそう言って、カイレンは静かに上空へと移動していった。
「なんだよ、まだやるのかって......え?」
目を疑うような光景。カイレンから、今までの比でない規模の赤黒い願力の光が周囲に渦巻いた。――その異様さは、言うまでもないものだった。
周辺は騒めき、凄まじい力がカイレンを中心に集中。僕の知る願力とは似ても似つかぬ様相のそれは、まるで雫のような形となっていった。
「なっ......?!はは、まじかよ......」
どんな魔法であるかはわからないが、一つだけわかることがある。
――確実に、僕が防ぎ切れない威力の魔法。
思わず笑ってしまうほど、単純明快だった。魔法の余波なのだろうか、既に体は妙に痺れていた。
「――悪いけど、君にはここで......」
カイレンは鋭く僕を睨みながら、手をかざした。
魔法発現の予兆。カイレンの周囲を渦巻く願力は、徐々にその規模を拡大していった。
「......はぁ」
――もう、腹をくくるしかないみたいだな......
ここにきて急展開。ついに弁明の機会すらないまま僕はこの魔法で殺されてしまうらしい。
考える時間がなかった。
だが、訳も分からず死んでたまるか。その思いのまま、カイレンに向けて手をかざした。
「――ふぅ」
気力を目一杯振り絞って、一瞬にして魔力を吸収。カイレンが魔法を放つ前に――せめてもの抵抗を。
そして――先に魔法が完成したのは僕の方だった。
「――『
叫び声が引き金となり、吸収された周囲の魔力は魔法へと強制的に転換された。
存在を維持するだけで周囲の魔力が根こそぎ吸い取られるほどの規模と強度の半透明の結界が、異様な音と共にカイレンを取り囲んだ。
「――っ?!何を......!」
結界の内部から、こもったような小さなカイレンの声が聞こえた。
魔法を発現させたと同時、結界はその存在を維持しようとすぐさま周囲の魔力を吸収し始めた。
「うそっ?!魔法が......」
たちまちカイレンの周囲にある願力の像は徐々に消えていった。同時にカイレンはまるで翼から落ちた羽のように、ゆっくりと結界内部の底に降りていく。
何が起こったのか理解できていないからだろうか、カイレンはしばらく慌てた様子で周囲を見ていた。
「痛い目にあいたくなければ、しばらくそこでおとなしくしていろ」
「くっ......!」
わざと睨みつけるように、眼下にいる結界内のカイレンに向けてそう言い放った。
思考のまとまらない頭で導き出した最善策。それは想定していたよりも見事に完遂された。
周囲の魔力をありったけ使って強化した結界魔法で包囲して、カイレンを無力化。
カイレンを渦巻く願力が消えたのは嬉しい誤算だったが、少しでも事の運びが違えばカイレンと命をかけたやり取りをしなくてはいけなかっただろう。
「はぁ......。最初から、こうしとけばよかった」
今はただ、これ以上戦闘を回避できた安堵が胸の中に溢れていた。
「とりあえず一安心......っ?!......思ったより、くるな」
無茶な規模の魔法を発現させたからか、少し眩暈がしていた。
いくら魔力が潤沢にあろうと、魔法を発現させるためには、自身の願力によって取り込んだ魔力を操作しなくてはならない。
願力は精神力であるため、それを消耗しすぎると気絶しかねない。
「はぁ......」
僕は結界の上部に降り立ち腰を掛けて夜空を見上げる。
少し肌寒い風が、火照った体を冷やして気持ちがいい。
「......」
正直あまりいい手段ではなかったが、相手を無力化しないと交渉すらできないような状況であったため仕方がない。そう自分に言い聞かせた。
「――あぁ、この後どうしようか」
僕は反撃されないよう、数十秒時間をおいてから話すことにした。
――――――
――さて、もう十分だろう。これからどう話をするかって、あ......
「う、うぅ......」
結界の中を覗くと、カイレンは崩れるように座り込んで今にも泣きそうな様子だった。
瞬間、僕の心の中の僕が、僕を責める声が聞こえたような気がした。
「......はぁ」
――このまま完全に周囲の魔力を吸収し切るまで結界を維持しようと思っていたけど、さすがにかわいそうだよな
そう思い、結界の上部だけ解除する。
「よっと」
解除した結界の上部から中に入る。
ふと、カイレンと目が合った。
カイレンは、結界の底でぺたんと座り込んでいた。
「ああ、えっと......」
「うっ、うぅ......あぁ......来ないで、殺さないで」
すると、僕の姿を見たカイレンはいよいよ下を向いて顔を手で覆って泣き出してしまった。
出所のわかりそうでわからない罪悪感が、ひしひしと心の中に溢れてきた。
――ああ、非常に困ったなぁ
「......その、驚かせてすまなかった。本当に君を害するつもりはないんだ。何と言うか、もう少し冷静に考えられていれば、他にいい方法があったかもしれない」
「......」
泣かせてしまった少女に、どんな言葉をかけてあげるべきだろうか。
カイレンに対する罪悪感からだろうか、カイレンを見ることができない。
僕は思わず背を向けて座ってしまった。
――はぁ。起きて早々、一体僕は何をやっているのやら
「......あー、その、怖い思いをさせて、ごめん。僕も突然のことで気が動転していたんだ。だから――」
――その言葉が不要であると気づくのにそう時間はかからなかった。
「――なーんだ、本当に敵意がないんだね」
「......えっ?」
声がする方を振り向く。
「......は?」
「へへへ、作戦大成功」
そこには先ほどまで泣いていたはずのカイレンが、けろっとした様子で笑っていた。
「まさかお前......泣いていたのは演技だったのか?!」
――ああ、してやられた
そんな気持ちが僕の心を埋め尽くしていた感情を一気に押し流していった。
「なによ、そのよくも騙したな!って言い方は。自己防衛のためだもの、しょうがないじゃん」
「それはそうだけどもよ......」
カイレンの言葉を聞くと、僕の心は複数の感情が複雑に絡み合って理解できない状態になってしまった。
「――その、まぁ、よかった。お前に殺されずに済んで」
とりあえず、そう思えることは確かだった。
「私も、仮に君に敵意があった場合、この結界が発動された時点で私は殺されていたからね」
先に僕を殺そうとしてきたのにもかかわらず、カイレンはそう言って笑ってみせた。
「本当に、互いに生きててよかった。はは」
「うん。ほんと、そうだね」
カイレンは強がるような素振りを見せていたが、今でも少し手が震えていた。本当は少し怖かったのだろう。
「......ははっ、変だな。さっきまで互いにびくびくし合っていたのに」
「ふふっ。本当に、本当にそうだね」
僕たちは互いに顔を見合わせると、緊張が解けたからか思わず笑ってしまった。
「はぁ。でも、いきなり敵意むき出しで魔法を構えるのは......」
事の発端を言及するために、カイレンを問いただす様に目を細めてみた。
「あぁ、それは......ごめんって。早とちりした私が悪かったよ」
「まったく」
「あはは......」
カイレンはすぐに謝罪の言葉を述べて苦笑いした。
何はともあれ、最悪の状況は回避することができた。そのことによる安堵が今は少しの精神的疲労感と共にあった。
――それにしても、カイレンは涙すらも生き残る術として利用するとは。本当は旅人じゃなくて、盗賊だったりしないのだろうか?
そうは思ってみたものの、こんな肌寒い森の中でワンピース一枚で僕と戦闘を繰り広げた少女だったら盗賊なんてやらずとも生きていけるだろう。その点において、カイレンという少女は何とも不思議な存在に思えた。
「――ん、そろそろか」
すると僕らを取り囲むように展開された結界が徐々に薄れている様子が見られた。周囲の魔力がなくなりつつあるのだろう。
「さて、カイレンに聞きたいことは山ほどあるが、そろそろこの結界も維持できなくなるだろうから下に降りよう」
「......ん」
「ん、ってどうした?」
カイレンは一言だけ発すると、僕の方に近づいて背を向けた。
「私、この結界のせいで飛べないから、君が私を抱えて下まで連れてって」
「......」
何とも図々しい奴だ。このまま突き落そうかと思ったが、事実であるならば飛べないカイレンは地面に叩き付けられてしまうだろう。
「どうしたの?ほら、早く」
「そんなことをしなくても君の分も飛翔魔法を発動するって、――うわぁ?!」
「きゃあ!」
完全に周囲のマナを吸収しつくしたのだろうか、突如として結界は崩れ始め僕たちは急降下した。
「っ!――カイレン、掴まれ!」
「うん!」
「――『
――――――
「――はぁっ、はぁ」
――間一髪、僕は地面に着く直前に何とかカイレンを抱えて飛翔魔法を発動することができた。
「危なかった。おい、カイレン!大丈夫か......って」
「あはは!私、男の人にこうされるの初めて!」
心配になった僕は一度抱えているカイレンを見たが、当の本人は何故だか楽しそうに笑っていた。
「......反応しずらいことを言うな」
「いいじゃん!えへへへ」
スリリングな思いをしてテンションが上がっているのか、カイレンは子供のように無邪気に笑った。
このままの状態でいるのも気まずい。地上に降りたらすぐにカイレンを下そう。そう思ってすぐさま地に足を着けた。
「ほら、下ろすぞ。立てるか?」
「......立てないかも」
カイレンはわざとらしく僕の腕にしがみついて離れようとしなかった。
「嘘つけ、下りろ」
「ひゃん!?」
僕はカイレンの脇腹に爪を立てるように人差し指を突き付けた。すると反射的にカイレンは飛び上がって僕のもとを離れた。
「もう、もっと優しくしてよ」
「優しく殺さずに生かしてあげただろ。もし僕に余裕がなかったらカイレンは死んでたかもしれないんだぞ?」
とは言ったものの、魔法の発現が遅かった場合間違いなく僕の方が死んでいただろう。
「まぁまぁ、それは終わったことなんだしさ。切り替えようよ」
「そうだな。互いに混乱していたようなものだったからな」
カイレンはこれ以上の言及を逃れたいのか調子よく笑いながらそう言った。
僕は記憶がないという混乱に陥る明確な原因があったが、依然としてカイレンが僕を襲ってきた理由が不明のままだった。
「そういえば、君が発現させたあの結界は一体どんな仕組みなの?」
カイレンは僕を見上げながらそう言った。
「ん、あれか。――あの結界は、本来僕の魔力を吸収して維持するんだけど、周囲に魔力が溢れているからそれを吸収するようにして維持してたんだ」
立てた人差し指の先に、先ほどと同じ結界を極小規模で展開させた。
するとカイレンは興味津々といった様子で間近で結界を眺めていた。
「なるほどね......。ってことは、やっぱり魔力で魔法を発現させているの?」
「えっ、普通そうじゃないのか?願力を魔力に変換させて魔法を発現させる、基本中の基本だろ?」
すると僕の言葉を聞いたカイレンは、考え込むような仕草をした。
「......やっぱり、君はなかなか興味深い特性を持っているね」
――どういうことだろうか
だが、僕からしてみてもカイレンの魔法の発現方法は少し不思議な部分があった。体外に放出した願力を使う魔法など、魔法に関する記憶だけはある僕でも知り得ないことだった。
「――もしかしてだが、カイレンは魔力を願力に変換して魔法を発現させているのか?」
「うん、その通り。というか、この世界では君だけだよ。私と真逆の手順で魔法を発現させるのは」
衝撃の事実が何食わぬ笑顔のカイレンから伝えられた。
「......まじで?」
「うん、そうだよ。例外はあるけどね」
「なるほど......」
会話に一段落がつくと、少しの間カイレンと僕は腕を組みながら互いに考えを巡らせた。
そんなカイレンの仕草を見てると、不意に僕は懐かしさを覚えた。
――何故だろう、カイレンとは初対面のはずなのにどこか誰かに――
「......い、おーいってば」
意識の外、カイレンが僕に手を振っていた。思わず考え事をしていてすぐに気づくことができなかった。
「ああ、悪い。考え事をしてた」
「そう?えーと、じゃあまず何で私が君を危険人物だと判断したかについて説明するね」
「ああ、頼む」
ようやく答え合わせの時間が来たようだ。先程のカイレンとの会話からおおよそ僕が異端者であることが一番の理由だと予想がついているが、果たしてどうなのだろうか。
「えーと、こっちの世界はね、魔法が使える存在なら誰しもが魔力の流れを視覚でとらえることができるんだけど......」
「ん?こっちの世界?」
早々に引っかかる言葉が聞こえてきた。
「あぁ、いや、今は気にすることはないよ!」
意味深長な発言をごまかすカイレンを少し怪しく感じたが、彼女はそれを遮るように話を続けた。
「えーと、君は魔力を消費して魔法を発現させているって言ってたよね?私たちは魔力の流れを見ることができて、魔力が消費されると黒いオーラみたいなのが見えるんだ」
僕には魔力の消費によるそのような現象を目にすることはなかった。
「もしかして、それが原因なのか?」
「うん。だって、最初に魔法で飛んだ時の君の姿は、それはこの世のものとは思えないほど禍々しいオーラを纏っていたんだよ」
まるで思い出して怯えるような口ぶりでカイレンはおどけてみせた。
「うわぁ、まじかよ......」
僕は魔力を視覚としてとらえることはできないが、感覚としてなら感じ取ることができる。しかしまさか魔力の流れが見える人にとっては僕がそう映っていたとは思いもしなかった。
「あ、そうだ。逆に僕からしてみれば、カイレンが魔法を発現しようとすると願力の像が光って見えるんだ」
「えっ、願力が見えるの?」
目を丸くさせているのか、輝かせているのか、またはその両者か。とにかくカイレンは興奮した様子であることに間違いはなかった。
「ああ。でもまさか僕自身願力が見えるだなんて思いもしなかった。体外に願力が漏れ出ることは基本的にないはずだからな」
「なるほど。それじゃあ――」
――――――
その後、僕たちは互いの魔法に関する認識を確かめながら、魔法理論について語り合った。
周囲はすっかり暗くなってしまったが、魔法について語り合う間、カイレンの瞳の輝きが絶えることはなかった。
カイレンとの会話から、魔法に関する大体のことがわかった。
まず、この世界の魔法が使えるほぼすべての生命は、魔力を願力に変換することで魔法を発現させているということ。そして例外はあるが魔力は世界中いたるところに溢れているということ。
「ここは他の場所と比べて少しだけ魔力濃度が低いんだ」
「へぇ、そうだったんだ」
また、願力を用いて魔法を発現させる場合には属性という概念がない。正確には『対』という概念、例えば何かの温度を上げることと下げるという事象をイメージして願力を操作することができれば、そのどちらの効果も魔法として発現することができる。
一見万能で誰でも簡単に扱えるように見えるが、目的の事象とその対となる事象の両者を、願力の操作によって同時に再現できなければ魔法を発現することはできない。
つまり、願力を用いて魔法を発現する場合、発現したい事象のイメージとその対となる事象を抑え込むようなイメージで願力を操作するらしい。
先ほどの飛翔の魔法は自身を上空へ持ち上げる力を強め、地面に向かう力を弱めるイメージを願力の操作によって発現しているとのことだ。
「じゃあカイレンは魔法を使っている最中に二つのことを考えながら願力を操っているってことなのか?」
「そうだよ。対の概念がない効果の魔法は使えないし、結構頭で考えるのが大変なんだ」
一方、僕のように魔力で魔法を発現させる場合には、属性という概念が存在する。「火属性」、「水属性」、「氷属性」、「雷属性」、「風属性」、「土属性」、「聖属性」、「闇属性」、他にもいくつかあるが、大まかに分けてこの8属性だ。
魔力を用いた魔法の発現は至ってシンプルで、適正のある属性の発現したい魔法のイメージができれば使えるというものだ。
どの程度の魔法が使えるかは願力を魔力にする際の変換効率と、願力による魔力操作の技術に依存する。
「属性ってことは、もしかして水が出せたり......」
「あぁ、できるさ。――『
「おぉすごい!えっ、いいなぁ......」
魔法を発動する際の詠唱については、僕の場合発動したい魔法の効果を叫ぶ方が願力で魔力を操作しやすいというだけで、極論詠唱はしなくても魔法は発動できる。
「へぇ、詠唱いらずなんだ」
「とは言っても、カイレンの魔法だって詠唱と言うより魔法の名称を言っているような短さだろ」
一方でカイレンの話によると、願力は生命が発した音によって性質を変化させることができるらしい。これは魔法を発現させるのに詠唱を必要とする理由でもあるが、同時に、声による願力の性質変化の技術がなければ魔法が十分に使えないという意味も含まれている。よって、特定の効果を得られる魔法を発現させたい場合には、その魔法固有の詠唱と願力操作のイメージが必要らしい。
「その魔法を発現させるための固有の詠唱ってどうやって決めてるんだ?」
「昔のすごい人たちが頑張って手探りで」
「......偉大だなぁ」
一通り互いの魔法についての情報の整理がついたところで、僕たちは夕食をとることにした。
メニューはふかし芋とりんご、そして近くの小川で獲れた魚を焼いたもの。非常に質素なものだった。
早々に食事を終えた僕らは、小川を二つに分けた陸地に生えた大樹の根元に座りながら話をしていた。
「なんだか魔力で満ち溢れているこの世界は君にとって都合が良すぎて羨ましいよ」
「そうか?」
「だって君の魔法の源となる魔力はどこにだって無尽蔵にあるもん」
言われてみればそうなのだが、何も魔力だけで魔法を発現できるわけではないのだ。願力による魔力操作が必要であるため一度に扱える魔法の規模は限られてくる。だが、それでもこの世界の人にとっては羨ましいことに変わりはなかった。
「確かに、そうだな。でも僕からしてみたら、なぜわざわざこんなにも溢れかえっている魔力をそのまま消費せずに魔法を使っているのか不思議でたまらない」
そう言うと僕の頭にひとつの疑問が浮かび上がった。
「そういえば、誰も魔力から魔法を発現しようと試みなかったのか?」
「うん、そもそも不可能なんだよ。あっ、そうだ!それに関する伝承があってね......」
そう言うと思いついたようにカイレンはこの世界の成り立ちについての短い伝承を語り始めた。
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