第2話 目覚めと少女との出会い
青白い月明かりが照らす森の中、無数の浮遊島群を眺めていた少女は、夜空からこぼれるように落ちる一筋の光を見つけた。
「......なんだろう」
光の正体はわからない。だが、自分に向けて見つけてほしいと言っているような気がした。
――躊躇ってる暇はない、すぐに行かなくちゃ
魔願変換を済ませ、願力を身に纏う。気づけば身体が動いていた。
白光を纏い飛ぶように駆ける少女の光彩が、暗く深い夜の森の中を鮮やかに照らした。
――――――
「ん......うぅ......」
足先が、少しだけ暖かい。
目の前が少し明るい。何かが揺らめいている。だが力が入らない。
「――ふーふふふん、らーららーら、らららーららーら」
「......」
誰かの声だ。何かを歌っている。
優しい声だ。少し子供っぽいようで、そうでもないような。
「......」
何故だか今は目がよく見えない。まだ体が起きていないような感覚だ。
視界は滲んでいてよく見えないが、ここはどこかの森の中であることはわかる。
少しだけ、風にそよいで葉と葉が擦れたような音が周囲から聞こえていた。
それだけじゃない、誰かが焚火に薪をくべているような音もする。パチパチと、軽い音が前の方から聞こえてきた。
「......」
とりあえず、今わかること――少し肌寒い夕暮れ時の森の中、誰かの優しい鼻歌混じりの歌声と焚火の心地よい音とともに僕は目を覚ました。ありのままを言葉で表現すると、こんな感じだろう。
目覚めたてだからだろうか、全身の感覚だけでなく頭もまだ本調子じゃない気がする。
「......ん」
目に、何かがついているのか違和感を覚えた。
一体なんだろうか。だがその原因は一つしか考えられなかった。
「あ......」
視界がぼやけている訳がわかった――涙だ。
やっとのことだ、体が少しずつ感覚を取り戻してきたおかげで気づけた。
頬が少しだけ濡れているような感覚がするということは、余程涙を流していたのだろう。
――でも、なんでこんなに涙が......
はっきりとした理由はわからない。だが、どんな内容だったか覚えていないが長い夢を見ていたような気がした。
涙が溢れているのなら、それは悲しい夢だったのだろう。その考えを助長するように、今は何か心の一部がごっそりと抜け落ちたような喪失感がある。でも、何が原因でどうしてそうなっているのか、一切わからないままだ。
――すると徐々に全身の感覚がはっきりしてきた。
まだ体に力は入りづらいが、手や腕ぐらいであれば動かせそうだ。
「――ふーふふふーふふ、らーらら、らーらら、らーららーら」
再び、
――そうだ、鼻歌の少女はどこにいるのだろう
寝ぼけ眼を擦った。
「......」
ようやく、視界が晴れる。
目を向ける先、焚火の向かいには色白で小柄な少女が、僕に背を向けるように座って小川を眺めていた。
――あいつは......何を見ているのだろう
こう思ったものの、少女は特に理由もなくただぼーっとしているだけのようにも見えた。
野営するには少し向いていなさそうな白を基調としたワンピースと、夜風になびく一つ結びにした少し長めの薄ベージュの髪は、横顔から見える透き通った泉のような青い瞳の色をより一層引き立てているように感じた。
少し肌寒いと感じるような気温であるにも関わらず、細身の少女は素足を出しながらじっと川辺を見つめていた。
「......」
恐らく、彼女が僕を見守ってくれていたのだろう。他には誰も見当たらなかった。
しかし、少女を見ていると心なしか誰かの面影を感じるのは気のせいだろうか。
頭がぼけているのか、どうしてそう感じるのかがわからない。面影を感じるのならば、僕は彼女を知っているはずだ。
――ん......それより、こんな場所で一体僕は......
「......」
――僕......?
頭の中で、何かが空回った。
考えを巡らせる。自分は何者なのか、なぜここにいるのか、何をしてきたか。少女と僕は――。
「......
今までの空回りの理由が、はっきりとした。
この言葉を口にして、ようやく僕は記憶がなくなっていることを自覚したのだった。
それまでただ頭が働かないだけかと思っていたが、根本から違った。
そもそも、自身に関する記憶がないのだ。そんな滅多にないようなことすぐに気付けるわけもない。
思い返そうとしても、ただ空回るだけ。まるで誰かの身体の記憶を消した状態で意識を乗っ取ったような奇妙な感覚だ。
「......どうして」
特別目立った外傷や痛む箇所はなかったため、余計に不思議に思えた。
わかることの方が少ない、むしろないに等しい現状に、ただただ困惑するばかりだった。
――とりあえず、周りの状況をよく確かめないことには何も始まらない、か......
ならばまず、自分の装備からだ。もう体もかなり動くようになってきた。少し体を起こそう。そう思って姿勢を正した。
「......」
黒地に赤い刺繍が入ったローブと耳飾り、そして青色の鉱石がはめられたネックレス。大まかに、こんな感じだった。
――他に何か......あれ、空に浮いているのはなんだ?
装備の確認が終わったところで周囲を見渡してみると、真っ先に気になったものがあった――それは、あの浮遊する島々だ。
どういう原理で浮遊しているか、まったく想像ができない。
だが、何だか不思議で神秘的な光景だ。段々と暗くなってきた空の際に、大小様々なそれが無数に散りばめられている。
――島が浮遊している原理も気になるが、そもそもこの森は一体......
「――あっ、やっと起きた!」
「っ......!?」
――びっくりした
突然聞こえてきた少女の声に思わず小さく跳ねてしまった。考え込んでいた僕に、少女は焚火を挟むような立ち位置で声をかけてきたのだ。
好奇の目を向けるように、少女はまじまじと僕を見つめていた。
「ねぇ君、どこから来たか覚えてる?名前とか――」
「ええと......」
今まさに、それがわからなくて困っていたというのに。少女は僕が目覚めたてだということを一切気にしない様子で質問をしてきた。
ただ、幸いなことに使用している言語が一致していたため、とりあえず会話に困ることはないとわかった。これだけでもかなり安心できる。
「......」
おもむろに、少女は立ち上がった。
こっちに向かってきている。
「......え?」
少女は、何も言わず僕の隣にちょこんと座ってきた。
――なっ?!......ちょっと、いきなり隣に来られると......
何を話そうかと考えていたが、もうだめだった。何故か変に気が動転してしまって、今はそれどころかじゃない状況だった。
「......」
明らかに変だ、おかしい。ただ、隣に少女が座っただけなのに。話し声が聞こえるように近づいてきただけだとわかっているのに。動悸のような、それとも違うような感覚が心の声と共に急に押し寄せてきた。
――ああ、変に顔に出てないだろうか......
僕の言葉を待っているのか、それとも僕の様子のおかしさが気になっているのか、少女はまじまじと僕の顔を覗いていた。
――駄目だ、いよいよ気が......その前に、何か話さないと
僕は少女から視線を逸らし、コホンと咳払い。
「えーと、まず、お前の質問にはすべて答えられない。その、記憶がまったくないんだ、本当に」
と、答えた。
「まったく?名前も覚えてないの?」
ばつが悪そうに答える僕の顔を見て、少女は少し間が抜けたような顔をしていた。僕が少女の期待していたものとは程遠い返答をしたからだろうか。
「そう......みたいなんだ。なんだか思い出に無理やり蓋をされたような感じがしてさっぱりわからないんだ。はは......おかしいよな」
「そっか......そうだよね」
――それは刹那。
「......ん?」
ほんの一瞬、少女の瞳の色が変化したように見えた。だが、瞬きをした瞬間に少女の瞳の色は元に戻っていた。
「......」
何が何だか、よくわからない状況。
少女は何故だか視線を焚火の方に向けて揺らめく炎を眺めた。まるで気を逸らすように。
「えーと......」
何を話すか考え着かなかった。会話が変に成り立たない原因がいろいろとありすぎる。
そうだ。とりあえず、感謝だけでも伝えておこう。そう思って僕は少女に対して向き合うように体勢を変えた。
「僕を見守ってくれてありがとう。お前がいなかったら今頃僕は大変なことになってたはずだ」
僕の目に映るのは、僕の声は聞こえているが視線を動かそうとしない少女の姿だけだった。
「......どういたしまして」
少女の顔を正面から見ることもできないまま、少女からの小さな返事を受け取った。
「......」
だが、すぐにそれ以上の言葉を口にすることはなかった。
何故だか、先ほどの少女の言葉を聞いてから彼女の方を向けない自分がいた。決して物理的にできないわけじゃない。ただ、よく理解することのできない何かが心の中でせめぎ合っていて、それがそうさせていた。自分でも、よくわからない。
彼女は今、どんな表情をしているのだろうか。先ほどまでの勢いが嘘のように掻き消えて、静かにしているのは何故だろうか。
少女に聞きたいことは山ほどあるが、何か思い出せないか頭の中をもう一度整理してみることにした。
――名前は、わからない。年齢も、家族のことも。自分の容姿すらもわからない。でも、少女と対比すると背丈は高い方だ。
「......」
結局、自己分析でわかる範囲のことだけ。
何度も頭を巡らせてみたが、自身に関する記憶が戻ることはなかった。
「......」
僕と少女、二人で炎を眺めて何も言わない状況。
「えーと......」
しばらくすると沈黙に耐えられなかったのか、少女は僕の前に立った。
気づけば不自然な動悸もなくなり、少女の顔を見ることができていた。
「そういえば私の自己紹介がまだだったね。――私の名前は『カイレン』。今はあちこちを旅してまわってるから旅人っていうのかな?君のことは今日あの山を越えたところにある草原で倒れているのを見つけたんだ」
少女――『カイレン』は、そう言いながら遠くにそびえる山岳地帯の一つの山に指を指した。
ここら一帯は、越えるだけでも一苦労しそうな大きくなだらかな山が連なっていた。
「そうか、わざわざあんな遠いところから僕をここまで運んできてくれたのか。ありがとう、カイレ......」
そう言いかけて、僕はカイレンの発言の不可解な点を見つけた。
「――なぁ、あの山の向こうってかなり距離があるように見えるが、たった一日のうちに僕を抱えながら移動するって......」
と、僕は不可思議さのあまり考えていることを一方的に話してしまったが、彼女は一切気にする様子もなく、むしろその後にくる疑問を早く投げかけて欲しいような表情をしていた。
「どうやって今日一日のうちに僕をあの山の向こうからここまで連れてきたんだ?」
「そっか、記憶がないものね。――ふふっ、いいよ。教えてあげる」
そう言うとカイレンはおもむろに立ち上がり、何をしだすのかと思うと静かに両腕を広げだした。
「どうしたんだ?いきなり」
「まぁまぁ、ちょっとそこで見てて」
何が起こるのかと僕はカイレンの方を見る。すると彼女の周囲の空気が一変し、オーラのような何かが彼女の周囲を渦巻いた。
「なんだこれは......」
するとカイレンの瞳に光が満ち溢れ、それに合わせるように周囲に白い光が現れた。
白光は次第に明るさを増し、あたりを鮮やかに照らしだした。
「今から私の一番好きな魔法を見せるから、ちゃんと見ててよね。――『
「――っ?!」
一瞬だった。
彼女がそう唱えると同時、白光を纏ったカイレンは、瞬く間に木々の高さよりも高い場所まで飛翔した。
――思わず目を奪われてしまうような幻想的な光景。背景に月があることも相まって、まるで天使が舞っているかのようだった。
「......きれいだ。なぁ、これは奇跡の一種か何かなのか?」
「違うよ、さっきも言った通り魔法だよ」
「魔法......魔法、か」
突如、記憶の一部が鮮明となった。カイレンの言葉を聞いて、ようやく思い出した。
――生きる者に与えられた、不可思議な力。
「......あぁ、そうか。そういえば忘れてたな」
「ん、どうかしたの?」
不思議そうに、カイレンが見つめてくる。
「いや、こっちの話だ。気にしないで」
「そう?今見せたのは空を飛ぶための魔法、『
カイレンは得意げそうに言いながら、僕の頭上をくるくるっと回りながら旋回して木の枝の上に降り立った。
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