第4話 「鳥」の名

 リリーの問いに、アンは小さく首を横に振った。


「下手にさぐって、解雇かいこされたくなかったのよ。その家は学校からは近かったし、何より仕事が楽なのに給料が良かった。その上チップもはずんでくれるから、信頼を失いたくなかったのよ」


「でも、雇い主の奥さんに聞いたり、料理人に聞いたりすることもできたんじゃ……」

「調べていることがバレないとは限らないでしょう?」


 祖母の言い分はもっともである。


「言われてみればそうね……」


 リリーはあごに手を当てて考える仕草をする。

 

 部屋にいた人物が何者なのか、何故雇い主が「鳥」というのか。

 気になることばかりだが、尋ねたことで解雇されるかもしれないことを考えるなら、そっとしておいたほうがいい。


「でもね、そんな疑問もまあいいかと思ってしまうくらい、いいこともあったのよ」


 リリーは目をぱちぱちとしばたたくと、「どういうこと?」と尋ねた。


「雇い主が『鳥』と言っていたその人はね、驚くほどきれいな人だったの。一瞬で心奪われるとはこういうことなんだと思ったくらい、かれるものがあったわ」


 祖母の言葉に、リリーはすぐに反応した。


「それは素敵ね!」


 そして、アンは得意そうにさらに言葉を重ねた。


「その人がいた部屋は、二階の北の端にあってね。部屋の中には、北と西の二カ所に小窓があるの。私は南側のドアを開けて、その人と夕暮れの日に出会ったわ。北側に置いてあった長椅子に腰かけていてね、淡い夕陽がその人を照らしていた。柔らかそうな肩まである白金の髪は、ほっそりとした頬骨に沿うように流れていて、金色の瞳はとろんとした様子で私を見つめるの。でも、あまり着飾っている人ではなくてね。細い首が見える柔らかそうなあさのシャツに、ジーンズをはいていたのが、また印象的だったわ」


「映画のワンシーンみたいに、ロマンチックな出会いね。ねえ、その人と仲良くなったの?」


 ほうっと吐息といきらしながら尋ねるリリーに、アンは肩をすくめる。


「残念ながら、簡単に心を開いてくれる人ではなかったわ。最初に食事を持って行ったときも素っ気なくて、『ありがとう。テーブルに置いておいて』しか言わなかったから」


「ふーん……」


「でもね、私が料理を持って行くようになってから、料理人も雇い主もとても喜んでいたわ。何故って、私が持って行った日から、彼が食事をするようになったというんですもの。それまでは、あまり食べようとしなかったんですって」


「おばあちゃんの人柄がよかったのよ」


「どうかしら。それまで食べていなかったというから、ただお腹を空かせていただけかもしれないし、持って行った料理が前よりもよくなっていたのかもしれないわよ。私は日中のほとんどが学校に行っていたから、彼の食事を持って行くのはほとんど早めの夕食ばかり運んでいたしね」


「そっか……」


「でも、料理を持って行くようになってから、今度は彼の部屋の掃除も週一回するように言われるようになった。それからひと月、ふた月としていくうちに、彼は少しずつ私のことを聞くようになっていって、ほんの少しだけ会話をするようになったわ。本当に些細ささいなことだけれどね。何故って、私が踏み込んだことを聞こうとすると、話すのをやめてしまうんですもの。だから、私は細心の注意を払って、彼との会話をしたの。そして、ようやく名前を教えてもらったわ」


「何て名前?」


 美しい人だから、さぞや名前もそれに合った名前だろうと思っていたが、リリーの期待とは違った回答が返ってきた。


「オリバー」


 リリーはその瞬間、スクールに通っていたときに同じクラスにいた「オリバー」という名の少年を思い出した。彼は天然パーマの茶色い髪に、色白の丸顔で、心根は優しいが、元気でやんちゃなのでうるさかった印象がリリーにはある。


「……すごく普通」


 深窓しんそうの令嬢のような「彼」には、とても合うとは思えない名前だったからだ。

 すると、アンはちょっと困ったような表情を浮かべる。


「まあ。リリーってば、人の名前にそんなことを言うの?」


「だって、部屋に閉じ込められている美しい人よ? ヨハンとかジェームスとか、ギルバートとか、ジェイドとか……そういう名前かと」

「オリバーだって素敵じゃない」

「そうかなぁ……」

「そうよ」


 アンは孫の思い込みにため息交じりに答えると、そのまま話を続けた。

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