第71話 幽霊に寿命は無いが、空気には寿命がある



 *30



 「お、おい……なんだよこれ……」


 僕が黒宮くろみやの背中にゆっくりと手を伸ばすと──ピシッと心絵こころえに手を叩かれた。


 「お、おい。いきなり何すんだよ! 別に痛くは無かったけど、人を打つのは酷いと思うぞ!」


 さりげなく、チートになって痛くないアピールをする。

 実に小さい心の持ち主だ。


 と言うか、それは僕だ……。


 「アナタ……! さり気なく、驚いたチャンスで、女子の背中に触ろうとしたから叩いたのよ」


 うっ! ドッキン! まさにビンゴ!


 心絵って変なとこ、気がつくの早いよな〜。


 でもでも、しかしだ。

 何で黒宮は、こんな状態で生きていられるんだ?


 まっ、まさか!?

 黒宮もビックリ人間なのか?

 そして、どうしても疑問に思うことがあったので訊いてみた。



 「なぁおい、黒宮。一つだけ確認したいんだけど」


 「あっ、はい。何でしょう」


 「その傷なんだけど──どうしたの?」


 「昨夜、この公園で急に目が覚めてから、ずっと有りました。『やっぱり、そうなんだな』って思いました……」


 ハニカムように笑い、しかし、その奥には今にも大粒の涙を流しそうな雲のかげりが見える。


 しかし、一体なんだ?

 『やっぱり、そうなんだな』って。


 しかも、公園で急に眼が覚めるって……どこのサバイバーだ?


 だが一番大事なことがある。


 ハニカム時の笑顔──めっちゃ可愛かったです!


 携帯電話のカメラに撮っておけばよかった〜〜〜〜!


 あの笑顔だけでご飯3杯は余裕でいけるな。

 でもやはりだ、気になってしまう。


 「な、なぁ。昨夜って、今言ったよな? 痛く……ないのか?」


 僕の質問に、黒宮ではなく、心絵が先に口を開いた。


 「はぁ……アナタは何も分かっていないのね。あの女子の『思念気しねんき』をよく見なさい」


 僕は言われるがまま、黒宮の体中を舐め回すように見──っじゃない! 体中の『思念気』を見た。


 が、『思念気』が無かった。

 そう全く、これっぽっちも。


 「解った? 普通、『思念気』って言うのは無意識でも、よ〜く観察すれば、あるものなのよ。例えるなら、お風呂上がりの体中から立ち昇る、湯気みたいな感じかしら」


 「でもさでもさ。黒宮は今、普通に話してるぞ。心絵が言いたい事って、『思念気』がないから、死人だって言いたいのか?」


 「あら? 今日は勘が鋭いわね。まさしくそうよ。もって後30分か、長くて、1時間か。きっと昨夜の時は、少しだけ『思念気』があったのでしょうね」


 「おいおいおい! つまり黒宮は最初から幽霊だったってことか? でもお昼の真夏の太陽の陽射しに当たってたけど、大丈夫だったぞ」


 「それは、吸血鬼でしょ。ゾンビ映画のゾンビは太陽の下でも活動できるのよ」


 「それじゃあ、黒宮はゾンビってこと?」


 心絵は少し俯いた後に、真っ直ぐ僕を見ると、断言した。


 「そう。ゾンビよゾンビ。腐ってはいない……ゾ、ゾーンビよ……」


 「何で最後のとこ、少し溜めてから言ったんだ……? まさか、少し自信がないのか?」


 「何を言っているのかさっぱりね。私はゾンビだなんて言って無いわ」


 「は? 言っただろ!」


 「私はゾーンビって言って、その後に、言い直そうと思ったら、アナタが口を挟んできたのよ」


 「う〜〜〜わ! また出たよ人の所為にするとこ。陰陽師って皆、人の所為にするDNAでもあるのかね〜?」


 「黙りなさい。殺すわよ。そんなことよりも、あの女子はゾーンビではなくて、幽霊よ」


 曇りなきまなこで、断言する心絵。

 そうか幽霊か。


 って、何でだよ!



 「おいおい……幽霊ってお前なぁ。あんな凄く自然に、その場の空気に溶け込んでる幽霊がどこにいるんだよ……」


 「ここにいるじゃない。それに幽霊なんだから、その場の空気に自然に溶け込むのは当たり前なのよ」


 「いやいや違うだろ! 幽霊なんだから存在自体が空気なのは認めるよ。だけど、あんな自然にその場の空気に溶け込みすぎて、逆に存在感がありすぎる幽霊なんていないぞ! と言うか、最初から死んでいるのに、まるで最初から生きていました──みたいな空気を纏った幽霊なんて絶対にいない!」


 「何を言っているのよ。幽霊はもう死んでしまっているけれども──生きているみたいな空気という発言には、聞き捨てならないわ」


 「は、はい……? お前なに言ってんだ?」


 僕が首を傾げていると、心絵は続けた。



 「アナタは知らないでしょうけれど、空気はちゃんと生きてるのよ。空気にはちゃんと寿命があるのよ。空気余命があるのよ」


 「…………うるせー! 何が空気余命だ! お前は少しは空気読め! 変な雑学ひけらかしてるヒマがあるなら、黒宮を幽霊から人間に戻す方法とか考えろ!」


 「無理ね。自分の『思念気』を他人に分ける技なんて無いわよ。自分の中の潜在能力を、一時的に高める方法はあっても。だから──諦めなさい」


 「何が諦めなさいだ! これで、黒宮が大怨霊とかになったらどうすんだよ!」


 「大丈夫よ。見る限り、悪い幽霊では無さそうだし」


 「何だよそれ……。僕は悪いモンスターじゃないから平気だよ。みたいな流れは!」


 「大丈夫よ。最初から見た目はただの女子で、中身は幽霊だったんだから。もし大怨霊だったら、最初から大暴れよ。つまり、中身は悪くない幽霊、見た目は生きた人間ってことよ」


 「だから、何だよそれ! 見た目は子供でも中身は大人みたいな言い方するな! 何かあるだろ、心絵は陰陽師なんだし。死人を──」


 その時である──ベシっと心絵に左の頬をビンタされた。


 無論、痛くはないが、何か……精神的に痛いものを感じる。



 「私だって……今さっきまで、何か方法がないか、ずっと考えていたわよ。でも……無理なものは無理なのよ」


 いつも感情を表に出さない心絵ではあるが、その言葉には僕と同じ、この幽霊少女を何とかしてあげたいと言う強い気持ちを感じた。



 「あ、あのぉ。お話中の所、すいません……」


 言葉の主は黒宮だった


 「わ、私。大怨霊なんかにはなりません!」


 「え? そこ?」


 「あ、いや、すいません。違くて、私の願いは叶いました。もう二度と会えないだろうなって思ってた、九条さんに出会えたし……」


 「ですって。良かったわね『九条さん』」


 「おい、いま黒宮が話してるんだから、横から茶々入れるなよ心絵!」


 「それで、その、また同じことを言いますが──やっぱり九条さんは、変わっていませんでした。あ、あの……私はこのまま消えてしまうと、思いますが……改めてお願いがあります!」


 「あ、はい。何でしょうか?」


 え? なになに? 愛の告白とかですか?


 でもなぁ……もう消えちゃう人から愛の告白を──ん? 消える?


 「お、おい。消えるってなんだ?」


 「私、判るんです。もう体の感覚がなくて……多分、このまま消えるんだろうなって」


 見ると、夜明けの闇を、少しづつ朝焼けがかき消している。


 それに、黒宮の姿も、はっきりとではなく──そう、姿が、少しづつ薄く透明になってきている。



 「その、お願いというのは……わ、私とまた……お友達になって下さい!」


 もの凄いお辞儀だった。

 まさに綺麗な非の打ち所がない90度のお辞儀だった。


 僕……最敬礼されるほど、自分で言うのもなんだけど、出来た人間じゃないですよ?

 いやマジで。


 だが断る意味など、どこにもない。

 強いて言うなら、愛の告白の方がよかった(やっぱり出来た人間じゃないと再確認)



 「あ、うん。もちろん! 僕と黒宮はずっと友達だ!」


 「ほ、本当に?」


 「もちろん! 黒宮は僕にとって大事な友達だ!」


 「嗚呼……よかった。私、孤独じゃないんだ……! 本当に……よかった……! ありがとう……九条さん……」



 黒宮は笑っていた。

 全ての苦痛や不安、悩みから解放されたかのような、晴々とした柔らかな笑顔で……。


 たとえ束の間の再会であったとしても……。


 そして、黒宮は朝焼けの中で、どんどん姿が薄っすらと透明になり──完全に陽が昇る頃には、なんの後も残さず僕と心絵の前から消えた。




 その光景を見た僕は、両方の頬に違和感を覚えた。


 その正体は無意識に流れ伝う、両目から零れた雫であった。




 僕は30分ほど、その場から離れられず、ただ立ち尽くしていた。


 もしかしたら、黒宮がまた生き返るのでは?


 そんな淡い願いがあったのかもしれない──ただ、一つだけ言えるのは、理由は解らないが──本当にその場から動けなかったからである。


 黒宮が最後、消えゆく時に──なんだか一瞬、黒宮のことを懐かしく思う心の揺らぎを感じたが──きっと、僕の勘違いだろう。


 そして心絵は、ずっと立ち尽くしている僕の横で、何も言わずに──ただ一緒に居てくれた……。


 何も言わずに黙って……。


 それは悲しくも優しい──時の間だった。




    第弐章・孤心反魂こしんはんごん・了

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