第69話 幾千幾万回目の邂逅



 ⁂28



 冷や汗を掻いていたのは、シュセロとローザ両名だけではなかった。


 そう──超越者に閉じ込められた『ボックス』内で、ずっとポニーの命が尽きないかと、安否するものが一人。


 錦花鶴祇にしきばなつるぎである。


 しかし、ローザの『ボックス』内と違い、超越者が掌を向けて創り出した『ボックス』内では、呼吸のみ可能で、身動きも声も発することができない。


 つまり錦花は、ただただ、心の中でポニーの安否を心配し、冷や汗を流すことしかできなかった。



 地面に叩きつけられたポニーは、『リロード・スタイル』と言うまもなく、紺碧色の美しき修道女姿から、普段の純白のスーツ姿に戻っていた。


 理由は言うまでもなく気絶していたからだ。


 しかし、その穢れなき純白のスーツには血飛沫で鮮血が飛び散り、痛々しくボロボロになったスーツ姿になっている。


 そして……最後に残ったシュセロとローザ……。


 どちらが先に超越者に先制するか、残された両名は、お互い一瞥し合う中で決めあぐねていた──が、なんと先制を仕掛けてきたのは超越者の方であった。


 「汝等には『コズミック・ハンド』だけで充分であろう。さぁ、どこまで足掻けるかな?」


 と、同時に、超越者の背中に生えていた4本の上肢が8本になった。


 そしてまず、シュセロに4本の絶望が襲いかかる。


 その上肢は単なるシュセロと同じ殴打であり、上肢の手を拳骨にしてただ殴りかかってきた。


 「んぐう! な……なんちゅうパワーや……! こんなん一発でもまともに食ろうたら、気ぃ失ってまうで……」



 シュセロはなんとかギリギリのところで踏みとどまり、その4本の絶望を捌いている。


 然れど、それも時間の問題だ。


 何故ならば、殴打の洗礼を捌くことだけで、自身の『ゲイン』を半分以上も消耗しているからである。


 まだ1分も経っていないと言うのに……


 「どうした大熊? まだ小手調べにもなってはおらぬぞ。なんとも儚く小さき力よ。大きいのは図体だけか?」


 シュセロは超越者の嘲弄さえも聞こえないほど、その4本の絶望に圧倒されている。


 (まずいのう。こんままやったら、俺よりも弱いローザはもう……)


 「んだぁ! もうキリがねえ! 『レッド・ボックス』! 『レッド・ボックス』! 『レッド・ボックス』!」


 ローザの方に向けたれた、残りの4本の絶望は、ローザの圧倒的なまでの防御力を誇る『レッド・ボックス』を、こともなげに拳骨で粉砕していく。


 それはまるで、うすはりガラスを殴り割るように……


 「どうしたどうした? 先までの威勢は? この俺に卑怯と言わせるのであろう?」



 ローザに向けられた4本の腕は、以前としてローザが創り出す『ボックス』を破壊し続けている。


 だが、疾さが少しだけ、遅くなった。


 否、ローザに向けられた4本の絶望が、3本に減ったのだ。


 一体なぜ?


 その変化に気がつきもせず闘い続けるローザの腹を、超越者の4本の絶望の内の1本が殴った──いや、貫いたのだ!


 貫く瞬間──超越者は、どんなに努力や鍛錬をしたとて、決して敵わない相手がいると識れ。と、言わんばかりの絶対強者の笑みを湛えていた。



 「グアッッッ!! あ、なんだ……?」


 本当の絶望を知ったのは、ローザが自身の腹を見てからだった。


 「ローーーーーーザァァァ!!」


 「へへ……ザマァねえな……シュセにいの声も……よく聞こえねえ……」


 ローザの姿を見て、妹同然に思っているシュセロの怒りは頂点に達した。


 「おどれ! 何してくれとんじゃ! 背後からなんて卑怯やろ!」


 「おいおい。数の利を誇示していたのは汝等であろう? ならば一人の俺が背後から奇襲するのは、卑怯ではないはず。違うか?」


 シュセロは、そんな超越者の反駁に、何も言い返せない自分が腹立たしかった。


 ただ睨みつけることしかできない自分に……


 「ふん、睥睨したところで、何も戦況は変わらんぞ」


 「いや、大きく変わるで。一対一のサシで俺と殺ろうやないか! せやけど1分や。1分だけ、自由な時間をよこせ」


 「1分か。まぁ何を考えているのかは解らんが。よかろう」


 シュセロは超越者との会話を早々に切り上げ、ポケットにしまっていた『ロックス』をローザに向けて投げると、視界を奪う閃光の中で、ローザをホームまで転送させた。


 その閃光が薄れ、ローザが消えていることに、超越者は違和感を覚えた。


 「今の光は、鼠が猫から逃げるための光であろうな。ならば敢えて問う。なにゆえ汝も一緒に逃げなかった?」


 「俺も逃げたら、おどれが『ボックス』ん中に閉じ込めたツルギちゃんと嬢ちゃんを助けられんからのう」


 「なるほど。汝は筋金入りの塵のようだ。よもやこの場を、汝が一匹で耐え凌げると、本当に思っておるのか?」


 「そんなん……やってみな、解らんやろ! 行くでええええ!」


 「来るか哀れなる人の子よ。そこまで言うならば、汝は簡単には殺さぬ。止めてくれと懇願するまで、骨身を嬲り潰してくれよう」


 超越者が言うなり、8本の絶望がシュセロに食らいつく。


 まず、シュセロの頭部を掴むと、そのまま、地面に擦り付け、顔面の半分が消失してしまうほどのパワーとスピードで──顔面を大地に奔らせ──すり潰していく。


 「ま……まだやで……」


 「面白い。では、これならどうかな?」


 言うなり、絶望の8本の上肢がシュセロの胴体を掴み、何度も何度も、100メートル以上の高さから、叩きつけた。


 その威力たるや、岩盤を砕くほどの猛襲で、数百、数千と叩きつけた。



 「さぁ。早く止めてくれと懇願しろ。汝の臓腑がもう半分以上、傷ついているのは判っている」


 「な、なんや……! 思っとったより、そんな……大したことないやんけ……」


 「呵呵。愉快、愉快。その図体に見合った高慢さと耐久力は褒めて遣わす。だが、あと何回耐えられるかな?」


 およそ、数千回に及ぶ、100メートル以上の高さから固い地面に叩きつかれ──


 その総身の肌と顔面は傷だらけになり──


 その骨身は上半身の殆どが粉々になり──


 その臓腑は数千回の圧迫で内側が破裂し──


 自身が数千回以上も叩きつけられている地面は、血潮の湖ができていた。



 これが、人の所業と行えるのか? と、問わざるにはいられない。


 もし、ほんの欠片でも人間の情があるならば──こんな、子供が飽きてしまったオモチャを好き放題に壊すような真似が、出来るはずなんてないのだ。



 しかし、シュセロは、この闘いの最中もずっと思っていた。


 (ほんまにこいつ。人間なんか? 人間の姿をした……何か……)


 そう、まさしくシュセロの考えていることは、的を得ていた。


 この見た目が九条鏡佑くじょうきょうすけであり──超越者と自ら名乗った者は、『人間』であり『人間』ではないのだ。



 「呵呵、呵呵。どうした人の子? そろそろ事切れそうではないか。人の子とは、つくづく愚かで非力な塵だな」



 あまりに、シュセロを痛ぶることに夢中になっていたのだろう──超越者は背後の人物に気が付かなかった。



 「ちょ……ちょっと何よこれ? あ……アナタ一体、ここで何をしているのよ……」


 声の主は、凄まじい『思念気しねんき』に驚き、自身もまた、真夜中の無人の場所で、トレーニングをしている最中だったが、慌てて飛んで来た心絵こころえアグニだった。


 超越者は後方の声に、やおら振り向くと──その驚愕で、シュセロに対する一方的な横暴を自身で止めていたことにも、気が付かなかった。


 超越者はその諸手を震わせながら、双眸から一雫の熱い涙を流し言った。



 「嗚呼……マギア……また、またやっと出会えたな……」


 「マギア? 私は心絵よ。それよりも、アナタなの? お昼に見た時とはまるで別人──」


 「マギア、約束通り二人だけの楽園に────ぐ、グアアッ! な、なんだ? まだ、この肉に慣れて、いや、精神の方かぁぁぁぁ! や、やっとまた出会えたんだ! 俺の邪魔をするな! 出てくるんじゃない! ぐぬぬ……うぐっっ……」


 そして、超越者は地面に頽れると、いつもの九条鏡佑に戻り、白銀の『思念気』も消え、髪も白銀から黒髪に戻り、煮え立つような赫赫とした双眸は、黒いカラーコンタクトが勝っていた。


 当たり前だが、背中の白銀の双翼も、8本の上肢も消えていた。


 「ちょっと! アナタ大丈夫なの?」


 心絵に体をゆすられ、鏡佑はゆっくりと瞳を開けた。


 「あ、あれ? 心絵!? なんで心絵がこんなとこにいるんだ? と言うか、『俺』どうしたんだ? なんか体中から力が湧いてきてるみたいな……」


 「色々と訊きたいのはこっちの方よ。それにアナタねぇ、俺どうしたんだ? じゃなくて……ん? 『俺』? ま、まぁいいわ。とにかく、この目の前の大惨事を教えなさい。それにアナタが殺そうとしていた大きな熊さんにも謝り──あれ? 熊さんがいない。とにかく教えなさい。教えないと殺すわよ」



 そこには、現状が理解できず、少しだけ混乱はしているが、鏡佑に接する態度は変わっていない、いつもと同じ心絵アグニがいた。


 こうして、芹土間せりどま森林公園で突如始まった──


 ローザ・リー・ストライクとポニー・シンガーの激戦からの──


 変わり果てた九条鏡佑による、一方的な虐殺とも呼べる狼藉は一旦、幕を閉じたのだった。


 そして後に残るのは、真夜中だが最早──虫たちの鳴く音色すら聴こえない──爆心地と化した森林公園が……ひっそりと泣いているだけであった。

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