第60話 地獄の前の静けさ


 ⁂19



 『ロックス』の閃光が次第に薄れていき、やおらポニー・シンガーは眼前を見渡すと、自身が今居る場所を即座に理解した。


 そこは街羽まちば市駅近郊の近くにある芹土間せりどま公園と呼ばれる広大な森林公園であり。人前で表立って自身の能力を解放できないローザが、密かに『ピース能力』が衰えないように、深更の中で活用しているトレーニングの場だった。


 毎晩ではないが、任務や用事が何もない自由な時は、必ずと言っていいほど、この蓁蓁と緑豊かな森林公園に訪れては、自身の能力の研鑽に心血を注いでいる場所なのである。


 言うなればローザにとって殆どの場所──つまり草木や大木の位置、砂利の路面や池などに至るまでを把握している自身にとっての庭のような場所なのだ。


 何故、ローザがこの森林公園を選んだのかには、二つの理由がある。


 一つ目は先の、ローザにとっての庭であるから──


 二つ目はローザが大暴れできる戦場とも言える舞台の規模に、申し分のない場所であるからだ──



 時刻は夕方から夜を弾き、そろそろ真夜中になろうとしている。


 それは二つの表の顔と裏の顔を意味する。


 昼が表の顔で、夜が裏の顔ならば、今は裏の顔である。


 つまり表は多で裏が無なのであるならば、今は無である。



 真昼の喧騒から一変し、寂然の夜の静寂と草木の自然が運ぶ夜空の風と空気は、苛立つほどに湿っぽく、総身の膚を締め付け、へばり付く鬱陶しい真夏の熱帯夜とは思えぬ蕭殺にも似た、涼しくも……どこか儚げで哀しげな表情に衣替えしている。


 森林公園内には誰もいない──それは決まりきっている。


 夕刻の定時になれば、森林公園の門は閉まり、森林公園内に溢れかえっていた人々の笑い声の代わりに──虫たちが、ころろく番である。


 もし夜の森林公園内に来訪者が彷徨するならば、よほどの変人か、人生に嫌気がさして自身で自身の命を絶とうとする、思い詰めた人間だろう。


 しかしながら今は夏休みの真っ只中である。


 不良たちの行き着く場所は決まっている。真夜中に清閑な住宅街で談笑していては、すぐに警察に通報されて、自分たちの居場所がなくなってしまう。


 つまり夜な夜な森林公園の閉ざされた門の前に違法改造をしたバイクを駐めて、内部に侵入し談笑に耽る不良たちの溜まり場ともなる。


 ここならば、大声でなかったならば、まず警察に通報されることはないのを、不良たちは熟知していたから──なのだが。


 不思議なことに、森林公園の門の外には、今日に限って一台も違法改造されたバイクは駐まっていなかった。


 嵐の前の静けさ……の、ように、ただ鬱蒼と茂り、夜風に揺蕩う草木と虫たちだけが、そこにいた。


 これは、お世辞ほどではあるが、闘争の中に身を委ねる不良たちの本能なのだろうか?


 そう──この日に限り不良たちは、何の理由もわからず、ただ嫌な予感がするというだけで……真夜中に芹土間公園に行くのを、こぞって避けたのだ。


 まるで、誰に聞いたでもなく凝った空気を感じとり、肚裡に表現できぬ蟠りを孕ませ膨らませ、人を寄せ付けない鬼気が森林公園内から流れ漏れているのを感じ取ったかのように……。


 そんな中、森林公園内で二人の女が嗤っている。お互いがお互いを嗤嗤するが如く。



 その誰もが羨む玉貌は、たとえ片方の左頬に施条痕のような四つの銃創がある顔容であっても、怪しい魅力は変わらない。それは、女が眼前を据える、もう一人の左腕に鎖を巻きつけた女、両名に言える。


 然りとて、艶然と微笑めば、世の異性ならず同性さえも容易に虜にしてしまいそうな色香を持つ二人の女の間には、朗らかな笑みなど一滴も零れていない──しかし嗤っている、真夏の空気が凍てつくほどの貌で。


 滄溟が如く輝いていた瞳は変わり果て、炯々と双眸を燃え滾らす女は、まるで哀しみに嗚咽しながら吼え咽びながら、牙を剥き出しにして哭く飢餓状態の白きはぐれ狼の眼前に偶然にも、一匹の野ウサギをはきと捕えたかのような嗤い貌を見せる。



 それと対峙する、もう一人の女は、呪われた鋭き槍の穂を想起させる、禍々しい双眸と──僅かに頬と口元を歪ませて嗤う貌は、人間の膚を剥ぎ取り自身の体に縫い付けた、死を運んでくる悪魔のようだった。


 ここにきて、ポニー・シンガーなる女の真の顔を説明する必要があるだろう。


 信じがたい話ではあるが、ポニー・シンガーなる美しきショット・スカーフェイスの女は、あの日本全土を牛耳る大ヤクザの元締め朱拳しゅげん会会長の錦花鶴祇にしきばなつるぎのボディーガードなのだ。


 明かに見た目は、錦花の傍らで秘書のように静かに侍している女のように見える──が、実情は全く違う。


 錦花はいつも笑いながら否定するが、彼女の役目とは錦花鶴祇の護衛なのである。


 今まで不明瞭であった、この錦花の傍に侍している女の実態は紛うことなき、現代日本の最強の喧嘩師とも呼ばれる、あの暴力の傑物たる錦花鶴祇を守護する女なのだ。



 そのポニー・シンガーは見据える。


 ただ静かに──言葉も無く──眼前のローザ・リー・ストライクを絶命させることだけを考え見据える。


 そこには、何一つの躊躇もなく、最初にローザと出会った時と同じく、機械仕掛けのように、感情を打ち消しながら──衒った口調で安い挑発を嗾けてきたローザをじっと見据える。


 ただ単純に──狩り殺し撃滅する。という言語だけをプログラミングされた女がローザを見据える。


 ローザ・リー・ストライクだけを標的にした、無口で冷酷無比な殺戮機械のような貌を覗かせながら……。


 数瞬だが──二人の間に冷たい風が靡く──束の間ッ!


 二人の間に合った静けさが虚空を舞って消える。



 その嵐を先に巻き起こしたのはローザの言だった。


 再びローザは『キャッチ』という言を放った瞬間、ローザを基点として半径200メートルの深紅のベールがポニーを呑み込む。


 このローザの言が死闘の合図となり、嵐の前の静けさは消え──その後に待つ地獄が襲来した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る