第50話 チンピラは静かな場所を好む
*9
陽が沈みかけ、夜の
至る所に眩しいほどの街灯があるネオン街では、昼も夜もさして違いは無い。
違いがあるとすれば──昼の賑やかさと、夜の賑やかさが違う所である。
まるで、太陽の日差しを浴びたら死んでしまうかのように、日中は地の底で大人しくしていた連中が、ネオンの明かりに群がって来る。
それは日中の街の喧噪よりも、なお騒々しい。
夏休みだからという理由もあるだろうが、やはり僕は夜の街は好きにはなれない。
目的も無く集団でたむろする若い連中や、しつこいまでに客引きをしている水商売の男達や女達。
それに酔っぱらいのオッサン連中に、
いったい、こいつらは何が楽しくて夜の街にいるのだろう。
どこを見ても皆──暇人の集団にしか見えない。
夜は家でのんびりしている方が、よっぽど有意義だろうに。
そう思いながら、僕は早々に夕食を済ます。
街の中にある牛丼のチェーン店。
並盛一杯、三百五十円の牛丼を食べ、少し喉が渇いたので、コンビニでジュースを一本買ってから家に帰る事にした。
そして、コンビニの中に入ると、何か異質な存在感を放つ空間に、僕は引き寄せられた。
あれは──エロ本だ。
エロ本という雑誌が並んだ異質な空間だ。
エロ本か……まぁ18禁コーナーだが、買うわけでは無い。
少し表紙を見るだけならいいだろう。
それにこれは、最近の流行をチェックしているようなものだ。
やましい気持ちは皆無である。
ましてや男子たるもの、女子に興味があるのは至極当然のこと。
逆に興味が無い方が、やましいのである。
そう、つまりこれは、当たり前の行為だ。
腹が減れば食事をするし、眠くなったら睡眠を取るぐらい、当たり前の行為なのだ。
それに──とても魅力的なエロ本があるかもしれないから、少しぐらい吟味してもいいだろう。
あわよくば……買っても……大丈夫だろ。
僕はそう自分に言い聞かせ、何度も何度もエロ本の表紙を
その中で、
表紙のタイトルには、お尻特集と書いてあったのだが──これは断じて、お尻特集などでは無い。
表紙にはお尻が載っているが、これはもう貧乳ならぬ
お尻特集なのに、お尻を全く理解していない者が特集しているとしか、考えられない。
これは特集などでは無い。
特では無く雑だ。
雑集だ。
このお尻特集のエロ本を出している出版社は、お尻に対して何も解っていない。
そもそも、お尻のなんたるかを解っていない。
お尻とはまず、美尻でなくてはならない。
一点の染みも無い、曇りなき蒼天のような肌でなくてはいけない。
少しでも染みがあれば、もうそれはお尻では無く、ただの
そこに美しさは、どこにも無い。
そして日本人のお尻は、平均的に
中には、骨まで見えそうな程に、貧相に痩せ細っている。
痩せ細っているお尻に、いったい誰が興奮するのだろうか。
少なくとも、僕はしない。
そもそもの話しが、痩せ過ぎているからお尻が小さくなってしまうのだ。
小さいお尻になんて、なんの魅力も無い。
古くから女性とは、ポッチャリしている体型が、最も魅力的だと思われてきたのだ。
歴史的に有名な絵画に描かれている女性達は、ポッチャリした女性達ばかりである。
つまり世の中の男子達は、ポッチャリした女性にエロを感じてきたと言っても過言では無い。
現に何千年も前の女性を
つまり、美しい女性の概念は何千年も昔から変わらずに、ポッチャリが素晴らしいと、男子達は考えてきたのだ。
それがなぜ、痩せている女性は美しいなどという世迷い言を、いったい誰が世に広めたのだろうか。
本当の女性の魅力を全然理解していない。
しかし、僕の中でのポッチャリの概念は、単に贅沢な肉の塊ではない。
誰もが勘違いしがちだが、ポッチャリは決して、ただの太い肉体というわけでは無いのだ。
ドラム缶のように、上から下まで、だらしがない一直線を、ポッチャリとは言わないのだ。
曲線美の無い肉体は肉体にあらず。
それらは、魅力の欠片も無い、ただの肉塊に過ぎぬのだ。
肉塊なのに欠片も無いとは、我ながら矛盾した表現──では無いな。
塊なのだから、欠片も無いのは当然か。
しかしながら、世の中の人々が連想している、ポッチャリの言葉に含まれる考え方が、ただのドラム缶のような肉体と思われているのは、甚だよろしからぬ事である。
その時、僕の後ろを店員さんが咳をしながら通り、はたと我に返る。
携帯電話で時間を見ると、もう夜の十時だった……。
お尻について、つい熱くなってしまった所為で、こんな時間になってしまった。
最初は少しだけ吟味する予定だったのに……。
確か、コンビニの中に入ったのが、夜の八時ぐらいだったから……二時間もエロ本の雑誌コーナーの前で突っ立っていたのか……。
そりゃ店員さんにも怪しまれて、後ろで咳をされるのも当然だよな……。
エロ本を二時間も見つめていたら、万引きするんじゃないかと、疑われる可能性だってある。
いや、もう、店員さんはマジで疑っていただろう……。
そして僕は逃げるように、足早にコンビニから出た。
それにしても、人間は集中していると、時が経つのも忘れてしまうと言うが、本当らしい。
我ながら実に凄まじい集中力である。
恐るべしエロ本の魔力。
僕から時の感覚を奪うなんて──エロとは
と言うか、僕はいったい何をしていたんだ?
二時間もエロ本を吟味した挙げ句……買ってもいないし……。
それはそうと、もう夜の十時である。
こんな物騒で穏やかでは無い街からは、さっさと退散して家に帰ろう。
僕は弟の
万が一にも不良に絡まれるなんて事は、真っ平御免である。
しかし、夜の十時を過ぎると、いかにもって連中が増えるな……。
嫌だ嫌だ……早く帰ろう。
ここはまさに、不良のテーマパークだ。
絡まれないように、目立たないように、静かに早く──「おい、そこの兄ちゃん」
そうだよ。
まさにこんな感じの、いかにも古典的な台詞で絡まれた日には──「なにシカトぶっこいてんだ? テメー」
そうなんだよな……。
鏡侍郎もそうなのだが、なぜ不良は『テメー』という言葉を多用したがるのだろうか。
『テメー』とは本来、自分の事を指す『
全く不思議なものである──ん?
テメー?
僕のことを言ってるのか?
「テメーだよテメー! テメーに言ってんだよ! ヒョロっちいガリジャリのテメーによお!」
「あーあ。うちのリーダー無視しちゃったよ。うちのリーダー怒らすとマジで死んじゃうよ?」
やれやれ、いかにも不良が言う不良言語のバーゲンセールだなこりゃ。
──って、僕……不良に絡まれてるじゃん。
人数は……一人、二人、三人、四人、五人、六人。
ダボついた、不良が好みそうな派手なジャージを着た六人組……。
六人かよ……随分いるな……ていうか、リーダーって……。
不良なんかのリーダーになって、本人は嬉しいのだろうか?
「ちぃーっと俺らと来いや。兄ちゃん。金持ってんだろ?」
そう言いながら、自分の指をバキボキと鳴らす不良のリーダー。
金か……今日の昼までだったら、十万円持ってたけど、今は小銭しか持っていない。
「オラッ! さっさと来いや!」
六人の不良に、強引にどこかに連れて行かれる僕……。
ていうか、一対六は卑怯だろ。
そんなことを考えながら、不良と一緒に歩いて、辿り着いた場所は、
それなりに大きく、立派な神社である。
しかし……不良とはどうして、道端で堂々と絡むくせに、絡んだ後は人の気配が少ない、暗い場所に連れて行くのだろうか……。
ていうか、人の気配が無いぞ。
よく周りを見たら、全く人がいない。
それもそうか、昼ならまだしも、真夜中近くに神社に人がいるわけないよな。
それよりもだ。
不良とは他人よりも、自己主張したい連中だ。
つまり目立ちたがり屋である。
そんな目立ちたがり屋なのに、目立たない場所に連れて来るなんて矛盾している。
堂々とガヤガヤしていたいのか、影でコソコソしていたいのか分からない連中だ。
不良とは、つくづく理解に苦しむ存在である。
だが僕には、
はっきり言って負ける気がしない。
だからこうやって、逃げずに大人しく、不良達と一緒に、この神社まで来たのだ。
「ほら兄ちゃん。さっさと金出せや。俺を無視した事は、十万ぐらいで許してやっからよお。足りない分は近くのコンビニで金下ろしてこい。痛い思いはしたくねーだろ?」
よし今だ!
言うなら今しか無い!
「やれるもんなら、やってみな。だがお前達、僕に出会ったのが運の尽きだ。お前達みたいな雑魚は、いくら束になっても僕には絶対に勝てない。恨むなら、自分達の弱さを恨むんだな」
決まった!
人生で一度は言ってみたかった台詞を、言えたぞ。
「へぇ〜。兄ちゃんって、そんなに強いんだぁ〜」
ヘラヘラと笑いながら言う、不良達のリーダー。
その横で、残りの不良たち五人もヘラヘラ笑っている。
まあいいさ。
笑っていられるのも今だけだ。
さっきの台詞も決してハッタリでは無い。
『
一応だが、この技を僕に教えたのは心絵だから、礼の一つぐらい、胸の中で言うべきだろう。
サンキュー心絵!
あれ?
でもどうやって、使うんだっけか……そうだ、意識を脚に集中して、真面目に『波動脚煌』と言えばいいんだ。
僕は意識を脚に集中させ、例の言葉を真面目に言い放った。
「──『波動脚煌』!」
しかし言葉は空を舞い、虚しさが残るだけだった。
不良達は目を点にして僕を見ている……。
「おいテメー! ふざけてんのか!?」
いや、ふざけてはいない。
むしろ大真面目である。
いったいなんで──そうだ、確か心絵に首を絞められて使えたんだ。
よし、自分の首を絞めてみよう。
「ギャハハハハ! こいつ頭のネジがぶっ飛んでやがる! テメーでテメーの首を絞めてんぞ!」
笑っていられるのも、今のうちだ。
これからお前らは──って、あれ?
何も起きないんだけど……。
駄目だ……苦しい……もう限界だ……。
つーか、これ文字通り、自分で自分の首を絞めてるだけじゃん!
ていうか……エロ本を吟味していたら、不良に絡まれて、自分で自分の首を絞めて死んだら、
そんな事が、明日の朝刊にでも載ってみろ。
笑い話にさえならないぞ。
そんな事が、明日の朝のテレビニュースにでもなってみろ。
死して汚点と汚名しか残らないぞ。
クソっ……!
『波動脚煌』なんて使えねえじゃねーか!
前言撤回だ──ふざけんな心絵!
「おいコラ。少しは笑えたが、テメーがさっき俺らに何て言ったか覚えてるよな?」
「……え? なんだっけ?」
「ざけんじゃねーぞ! テメーよくも俺らを雑魚呼ばわりしてくれたな。あぁ!?」
「そ……そんな事……言ってないよ?」
「なんだその腰の抜けた声は。さっきまでの威勢はどうしたんだ?」
まずい……完全に不良達を怒らせてしまった。
「いや……まあ……その……話せば解決するんじゃ──」
「黙りやがれ! こんクソガキがぁぁぁ!」
「う、うわあああああああああ!!」
不良達が僕を殴る──
不良達が僕を蹴る──
不良達が僕の財布を奪う──
「おい! こいつ小銭しか持ってねーぞ! シケた野郎だぜ! キャッシュカードも財布に入ってねーしよお!」
痛ってぇぇぇ……。
殴りたい放題、人の事を殴りやがって……。
だが、キャッシュカードをいつも家に置いておく習慣があって良かった。
もし奪われていたら、大事な生活費を失う所だったぞ。
だがまあ、流石に携帯電話までは盗っていかなかった。
僕が警察に通報したら、携帯電話のGPS機能で、自分達が捕まるのを恐れての事か。
もしくは、単純に忘れていただけなのか。
とにかく携帯電話だけでも無事でよかった。
「おいクソガキ! 今度また見つけたらマジで殺すからな!」
吐き捨てるような口調で言われ、そのまま不良達はヘラヘラ笑いながら、また夜のネオン街に帰って行った。
一人残された僕は、神社の中で仰向けになって、地面に倒れている。
はぁ……ボコボコにやられてしまった……。
こんな時……鏡侍郎がいたら、あんな雑魚達なんて一瞬で蹴散らしてくれるのに……。
──くれるのに?
いやいやおかしいぞ。
なんで立場が逆転しているんだ?
どうして兄である僕が、弟の鏡侍郎に頼らなくてはいけないのだ。
僕は兄だ。
本来は、弟に頼られる側の立場だというのに……。
うーん……情けない……。
しかし痛いな……起き上がれないぞ……。
「あの……大丈夫ですか……?」
女の子の声だった。
だが、体がまだ痛く、起き上がれない……。
そして、ゆっくりと僕に近づいてくる足音だけが聞こえる。
「大丈夫……ですか?」
この状況で、大丈夫なわけ無いだろ……という、突っ込みを入れる気力も無い。
体を動かす力も無い。
だが、声の
その人物は、今日の昼に急に声をかけてきた、見知らぬ謎のセーラー服の女子こと
なぜ分かったかと言えば……アングルである。
ちょうど、仰向けに倒れている僕の頭の真上に、黒宮が立っていたからだ。
だが、このアングルは──問題があるんじゃないか?
僕にとっては全く問題では無いが、黒宮にとって問題があると思ってしまう。
なぜなら、セーラー服の中の、本来は隠さなくてはいけない部分。
つまり下着だ。
通称パンツとも言う。
その下着が──紺色のスカートが風で揺れる度に、見えるのだ。
暗い神社ではあるが、街灯が無いわけではない。
本当に暗いが、見えるのだ。
地獄で仏とはまさに、この事なのだろう。
嗚呼……丸見えだ……もろ見えだ……ありがたや〜。
「あの……大丈夫……なんですか?」
「まあ……なんとか……でも少し……元気が出たよ……ありがとう」
「元気?」
「あっ……。いや、何でも無い……こっちの話しだ……大丈夫……」
だが、少し元気が出たのは確かである。
それに、さっきエロ本を買わなかったから、そっちも大丈夫だ。
ふぅ……ここにエロ本が無くて、助かった。
というか、僕は黒宮にどう見られたいのだ?
男子たるもの、男たるもの、女子には格好良く見られたいと思うのだが……。
早い話しがモテたいだけなのだが……。
今のこの現状は、男子として、男として、とても惨めだ……。
まあ……惨めではあるが、ここにエロ本が無かった事に関してだけは、不幸中の幸いと言うべきものなのだろう。
ていうか、この現状よりも、そんなエロ本の事を心配している自分が一番……惨めだ……。
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