第51話 人生で友達と呼べる相手がいる奴は幸せ者



 *10



 僕は体中の痛みに耐え、なんとか地面から這い上がり、黒宮くろみやの肩を借りて、牛歩のように足を進める。


 女子に肩を借りるのは、絵面えづら的に非常に格好が悪いが、この場合は仕方が無い。


 そして、罰当たりかもしれないが、僕と黒宮は近くの賽銭箱さいせんばこ前の、小さな石段に座った。



 僕がボコボコに殴られていたのに、神社の神様は助けてくれなかったから、これでお相子である。



 「本当に、大丈夫なんですか?」


 「ま、まあ。大丈夫だよ。これぐらい平気」



 僕はなんとか精一杯の虚勢を張ったが……実際はボロボロである……。



 「でも、凄いです。あれだけの人数を相手にして、立ち向かうなんて」



 立ち向かう……か。


 本当は違うんだよな。


 僕が勝手に勝てると思い込んで、結果として惨敗したわけなのだが。


 しかし──どうにも気になる事がある。


 どうして黒宮が、ここにいるのかについてだ。



 「なぁ黒宮。一つ訊きたいんだけど……どうして、僕がここにいるって分かったんだ?」


 「それは、街の中で九条くじょうさんが、不良達に絡まれていたのを、偶然見たからです」



 マジかよ……。


 つまり、最初から最後まで見られていたのか……。


 あのヒーロー気取りの恥ずかしい台詞も、『波動脚煌はどうきゃっこう』と叫んだ台詞も、自分で自分の首を絞めている所も全部……。



 「はぁ……。何だか恥ずかしくて、死にたくなってきた……」


 「そんなの駄目です!」



 今まで静かだった黒宮が、急に声を荒げて言い放った。



 「九条さんが私に言ったじゃないですか。孤独は死ぬことよりも辛い。でも、僕がお前の友達になるから生きろって」


 「──はい?」



 何のことだか、さっぱりだった。



 「ちょ、ちょっと待ってくれ。僕がいつ、そんなことを言ったんだ?」



 僕が訊くと、黒宮は少しうつむき、ゆっくりと呼吸をするように語った。



 「私が──九条さんに、自殺したいと言った時です……」



 すまん黒宮……。


 益々──頭が混乱してきた。


 ていうか、自殺なんて言葉が、黒宮の口から出るなんて。


 重いって、マジで重いって。



 「お前……。何で自殺なんて、しようとしたんだ?」


 「それは……前にお話しをしましたが……また言うんですか?」


 「ん、あぁ、いや。言わなくていいよ。なんか……ごめん……」



 しまった。


 つい、いつもの癖で、直球ストレートな質問をしてしまった。


 よくよく考えてみれば、これはかなりデリケートな会話なのに、他人の心に土足で踏み込むようなことをしてしまった。



 とりあえず、自殺についての単語はNGにして、もう少し前の会話から訊いてみよう。



 「えっと……、それはそうと、僕が黒宮に友達になるから、なんて台詞を、本当に言ったのか?」


 「はい。もちろん。あの時は本当に嬉しかったです」



 いや……だから……あの時って、どの時?


 だがまぁ、友達か……。


 うーん……友達って単語は、僕にとってNGなんだが、まぁいいか。



 「今度は私から質問してもいいですか?」



 純真無垢な可愛らしい瞳を僕に向けて、黒宮が訊いてきた。



 「絡まれた時に、なんで一度も手を出さなかったんですか?」



 うっ……。


 もう絡まれた件については、放っておいてくれよ。



 「なんて言うか、その……、平和主義者だから──かな」



 僕が言うと、黒宮は急に口元を両手で隠して、小さく上品に笑った。



 「──なんか、変なこと言った?」


 「違います。いつも平和主義者だと言うから、つい」



 言って、またクスクスと笑う黒宮。


 と言うか──いつもって何だ?



 もう不思議すぎて、どこから訊いていいのか分からないぞ。


 でも、悪い奴では無さそうだ。


 なので詐欺の疑いは消えた。



 「てか、黒宮。笑い過ぎだぞ。平和主義者のどこが悪いんだ?」


 「い、いえ。悪く無いです。でも、あまりにも九条さんが、平和主義者にこだわるものだから」



 僕は別に平和主義者に拘っているわけでは無い。


 平和なのは確かに一番だが、その平和主義に追い込まれたと言う方が、正しい。


 つまり、好きで平和主義を謳っているのでは無いということだ。



 僕が平和主義者と言う名で、自分を守っているのには理由がある。



 あれはそう──僕が小学校二年生の頃の出来事だ。


 出来事と言うよりも、事件と言った方がいいのかもしれない。




 僕は小学校二年生の時までは、たくさんでは無いが、友人がいた。


 その友人の一人に、僕はうっかり自分の家が母子家庭だとか、周りの同級生と比べて、裕福では無いなどと、口を滑らせてしまったのだ。



 だが、当時の僕は小学二年生である。


 そんな些細ささいな会話が、まさかイジメに発展するなんて、夢にも思わなかった。



 大人もそうだが、子供も残酷だ。


 最初は単に、軽い貧乏人扱いをされるだけだったが──それがエスカレートしていくと、イジメる側の人数も増えていく。


 気がつくと僕は、クラスの中で、孤立していた。


 たかが、一つの会話でまさかとは思ったが、実際に「あいつは貧乏だから、皆の給食を盗む」などと言う、何とも馬鹿げた理由で、給食時間はいつも一人で食べていた。



 時には、家路に向かう帰り道の際、ずっと僕の後ろで、同級生たちが大声で罵声を浴びせてきた事もあった。



 そんな事があり、僕は友人と言う名の他人を信用しなくなった。


 イジメの原因は僕にあるが、うっかり口を滑らせてしまった相手が、同級生の連中に言わなければ、こんな事にはならなかっただろう。



 けれども、僕が一番裏切られたと思ったのは、担任の教師である。


 僕がイジメを受けているなんて、すぐに判るのに、見て見ぬ振りを決め込む始末。



 そして、大人に対しての信用や尊敬の気持ちが逆転し、見下すようになったのだ。


 僕がいつも、自分より歳上の人間に対して、敬語を使いたく無いのは、その所為である。


 確かに、人として、本当に立派な人物には敬語を使うべきであろう。


 だがしかし、自分よりも年齢を重ねているだけの尊敬もできない人物に、僕は敬語を使わない。



 例えば、千年生き続けている亀を凄いとは思うが、凄いと思うだけで、尊敬の対象にならないのと一緒である。


 つまり、年齢を重ねるだけなら、誰にだってできるのだ。


 大事なのは、中身の方であって、決して外見そとみではない。



 そんな尊敬にあたいしない担任の教師に助けを求めても、無駄なだけである。




 と、まあ、ここまでの話しなら、単に僕の嫌な過去として終わらせられるが……なんと、イジメのターゲットが僕の弟の鏡侍郎きょうしろうにまで広がってしまったのだ。



 鏡侍郎は昔からキレやすい性格だったが、僕も昔は熱血漢とまでは言わないが、自分の弟がイジメられて黙っていられる性格では無かった。



 自分がイジメられる事については我慢できたが、流石に関係の無い弟までもが、イジメられる姿は、どうしても許せなかった。



 僕の同級生の男連中に囲まれ、イジメられている鏡侍郎を見て、鏡侍郎が殴るよりも先に、僕の方が同級生の男連中を殴っていたらしい。


 らしい──と言うのは、僕が殴りかかる所までは記憶にあるが、その先の記憶が全く無いのだ。


 僕が怒りから、我に返ると、目の前では同級生の男子達が全員倒れていた。


 顔や体から血を流して、悶絶しながら倒れている男子達はすぐに救急車で病院に運ばれ、僕は校長室に呼ばれて、事情を訊かれた。


 しかし、本当に覚えていないのだ。


 そんな事を説明しても、校長室に呼ばれた教師や母が信じる訳も無く……僕はその場で母に、こっぴどく叱られ、ビンタまでされた。



 後で分かった事だが、病院に搬送された男子は十人。


 そして、僕は小学二年生とは思えない怪力で暴れ回ったそうだ……。


 同級生だけでは無く、机を壊し、椅子を壊し、教室の引き戸を壊し、硝子まで割ったそうだ。


 そんな事を聞かされても、自分の記憶に無いので、他人事のようにしか受け止められない。


 きっと火事場の馬鹿力なのだと思い、記憶が無いのも、それの所為にした。



 そして、病院送りにした同級生たちは、それ以来、僕や鏡侍郎に悪質なイジメをしなくなった。


 つまり今までのイジメは、綺麗さっぱり消えた訳である。


 ちなみに、それ以来、友人も綺麗さっぱり消えた……。



 そんな事件があってから、僕は周囲の人間から距離を置き、誰も信用しない性格になった。


 平和主義者という名目で、他人に深入りしない事にしたのだ。


 それはただの傍観という逃げの口実かもしれないが、誰かを信じて裏切られる悲しみなんて、もう二度と味わいたく無い……。


 こんな軽い性格になったのも、真面目に怒ったり、悲しんだりするのが、疲れたからである。



 だが、この話しには、まだちょっとした続きがあるのだ。


 本当にちょっとした事だが、例の事件が起こった後の一週間ぐらい、鏡侍郎はずっと僕に怯えていた。



 当たり前である。


 目の前で同級生の男子達を殴り、十人も病院送りにしたのだから、ビビって当然だ。


 まあ……今では完全に立場が逆転してしまったが……。



 願わくば、僕が人を殴るのは、あの事件が最初で最後であってほしい。


 やはり、暴力は暴力しか生まないのだ。


 僕はきっと、今後の人生も友人と呼べる相手なんて、できないと思うけれども、平和に生きられるなら、それはそれで良いと思っている。



 「九条さん? 九条さ〜ん」


 「ん? え? どうしたの?」


 「なんだか、九条さん、遠い目をしてましたよ。考え事ですか?」



 黒宮が僕の嫌な過去の回想から、引き上げてくれた。


 遠い……目か……。



 「なにか悩みですか? 私でよければ聞きますよ」


 「悩みって──もんでも無いけれど」



 と言うか、自殺したいと思っている女子に悩み相談って……。


 無い無い、あり得ない。



 「さぁ、話して下さい。ちゃんと聞きますよ。友達ですから」


 「友達……ねぇ……」


 「やっぱり、私なんかと友達になるのは、嫌ですか?」



 少し潤んだ瞳で、困った顔をする黒宮。


 しかも上目遣いで訊いてくるから、眩しくて直視できない……。


 それに、この距離感は近いだろ。


 後、数センチで肌と肌が当たりそうだ。



 「いや、嫌じゃないよ。それよりも、黒宮の方こそ僕なんかが友達でいいのか?」


 「はい! もちろんです」



 即答かよ……おい。



 「でも、僕が悪い奴だったら、どうするんだ? それでも信用するのか?」


 「九条さんは悪い人じゃありません。私を助けようとしてくれたじゃないですか」


 「助けようとした? 僕が? いつ?」


 「それは……」



 またしても、俯く黒宮。


 またやっちゃったよ……。



 「ごめんごめん! 今の質問は無しだから」



 僕が慌てて言うと、少し表情が和んでいく黒宮。


 まいったなぁ……ちょっと謎が多過ぎて、どんな会話をすればいいのか困るぞ。


 だが、まあ、友達か。



 僕にはえんの無い単語だと思っていたが、黒宮は本当に僕の事を友達と思っているみたいだ。


 ここは、無難な会話から初めて、お茶を濁しつつ、黒宮の言動の謎を紐解いていくか。



 「なぁ黒宮。どうして人は怒るか分かるか?」


 「どうしたんですか? 急に」


 「ちょっとした質問だよ」



 そう言うと、黒宮は夜空を仰ぎながら、人差し指を自分のあごに付けて、考え始めた。


 その仕草がなんとも言えず、男心をくすぐる。


 化粧もせず、古風な風采ふうさいなので、仕草一つにしても、計算された嫌みさを感じない。



 「うーん……、生きていたいと思うから──ですか?」



 いや……だから重いよ……。



 「まぁ、そう言う考えも、近いっちゃ近いな……でも違う」


 「じゃあ、どうして人は怒るんですか?」


 「人が怒る理由は、他人に信用と期待をするからだ」


 「…………」


 「あれ? 今……なんか変なこと言った?」


 「違います。違いますけど──私の知ってる九条さんは、絶対にそんな事は言いません」



 あのぉ……その九条さんは……どこの九条さんですか?



 「じゃ、じゃあ質問を変えよう。人はどんな時に喜ぶと思う?」


 「うーん……、一日三食のご飯と、お風呂と寝る場所がある時です」


 「まぁ……それも近いんだけど……違うんだよな……」


 「じゃあ、どんな時に人は喜ぶんですか?」


 「それは……、皆が欲しいと思ってるゲームを、発売日の前日に自分だけゲットすることだ」



 僕は親指を立てて、黒宮に語った。



 「げ、げーむ? げっと?」



 首を傾げ、不可解な表情で黒宮が僕を見る。


 うーむ……、黒宮の謎について解明しようと思ったのに、僕の方が黒宮から不思議な言動をする奴だと思われてしまった。


 と言うか、ゲームを知らないのか?



 だがまぁ、なんだか新鮮な感覚である。


 こうやって普通に同い年ぐらいの他人と会話をするのは、約十年振りだ。


 心絵こころえとの会話は……いや、あれは会話じゃないな……。


 それに普通でもない。



 でも、黒宮は普通の女の子である。


 それに、この会話も嫌では無い。



 むしろ黒宮との会話を楽しんでいる自分がいた。



 訳の分からない奴ではあるが、その分からない訳を知る事ができれば、本当に友達になれるかもしれない。


 そして、僕と黒宮は、夜空の下で会話を続けた。



 ただの雑談。


 談笑にもならない会話。


 けれども僕には、このただの会話が、宝石よりも価値があるものだと思えた。

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