第9話 海で遊ぶのは命懸け
*9
「うわああああああああ! 海に落ちるうううううううう!」
僕の目の前で急に空が暗くなったと思ったら、大嵐になった。
今日の朝、家から出かける前に台風のニュースなんてやっていなかったのに――いや、それよりも、空が夜みたいに暗くなる前の大きな音は……あれは、なにかの声だったのか、それとも強風が声のように聞こえたのだろうか……。
そんな事よりも、まず第一に考えなければいけないのは、この大嵐だ。このままだと本当にクルーザーが沈んでしまう――レインコートの男も気にはなるけれども、後で
まだ、クリアしていないゲームもたくさん残っているし、毎週少年ステップで連載している漫画だって続きが気になるし、深夜帯にやっているアニメだって見たいものがたくさんある。
ちなみに、今年の夏の深夜アニメは豊作ばかりである。
なので、何としても、僕はここで死ぬわけにはいかないのだ!
大波に乗り上げたのか分からないが、クルーザーが九十度ぐらいの角度で垂直に傾いた。
「うおおおおおお! 落ちるううううううううううう!」
駄目だ、クルーザーにしがみついているのがやっとだ。
クルーザーにしがみついている時に、足に変な重たい違和感を感じて見てみると、
「おいいいいいい! 何してんだ離せえええええ!」
「何を言ってるんだ! 離したら俺が海に落ちるだろうが!」
「お前さっき自分で『誰よりも海を愛してる海の男』だとか言ってただろ! 何とかしろおおおおおお!」
「ち、違う! 俺は平和な海の男なんだ! こんな危険な海は愛せなあああああい!」
「何が平和な海の男だ! 口からでまかせばっか言いやがって! どわあああああああああああああ死ぬうううううううううう!」
臥龍との口論の最中に、今度はクルーザーが右に左に暴れまわった。さながら遊園地の激しいアトラクションのようだ――だが、アトラクションの方がこの場合まだ、生易しく思える。
僕は自然の恐ろしさを痛感した。
遊園地のような作られた絶叫マシーンの恐怖よりも、自然が運んで来る始めからある恐怖には、死を連想してしまうほどの恐怖があった。
「お二人とも! すぐ近くに港街の島があるので避難しましょう!」
その声は灰玄だった。
レインコートの男を連れて来て、クルーザーで海を満喫しようと言って来て、大嵐の中で死にそうになっている現実を作った、張本人である。
それに、この夜みたいに前も見えない暗い海で、近くに島があるなんてどうして分かるのだろう……。
僕の性格は自分でも認める、つむじ曲がりな性格だが、その性格が僕に訴えかけて来ている。灰玄はなにか怪しい。なにかを隠している――と言うよりも、なにかを企んでいるのではないだろうか。
そんな灰玄の発言に対して「はい、そうですね」なんて軽々しく答えられるはずがない。
信用と信頼はとても大事だ。
信用が出来ない人間の発言は何を言っても疑って聞いてしまうし、信頼が無い人間とは距離を置きたくなる。それはきっと、無意識に自分の中の感情が教えてくれる自己防衛なのだろう。
昔よく、「人を疑ってはいけません」などの言葉を幼い時に学校で、スローガンのように教師が言っていたが――同時に「知らない人に声をかけられても、ついて行ってはいけません」とも言っていたのを思い出した。
あれって、今考えると矛盾した発言だよな……。
「はい! そうですね!」
臥龍の返事だった……。
知らない人に声をかけられて、何も考えないでついて行ってしまう、アホなおっさんがここに居たよ……。
ズガガガゴゴォォォォォォォォォォォォォォォン!!
鼓膜が張り裂けそうな轟音の雷が、どんどんと強く、そして近づいて来ているのを感じる。
それに、稲光の数も心なしか増えている様な――――んっ!?
目の前も見えない真っ暗な海を、唯一照らしてくれるのは稲光だけなのだが、まばたきほどの一瞬の光りの中に島が見えた。
それは、灰玄が言ったとおりの港街の島だった。
無人島では無く、人が生活をしている足跡がある島だ。
まあ、クルーザーを停泊させる場所が見えただけなのだが……。
だがしかしだ、今のこの現状から言えば、天空から一本だけ垂れ下がっている希望の糸である。何とかして糸にしがみつき、生き残らなければ。
しかも距離的には、かなり近い。
正確な距離は暗くて分からないが、五百メートルから一キロメートルぐらいの間ぐらいだろうか――
「灰玄さん! しっかり私に掴まっていて下さい!」
「はい! 臥龍先生!」
いつの間にか、臥龍がクルーザーの操縦席に立ち、灰玄が臥龍にしがみついている。
それに、本当に操縦をしている。
どうやら、船舶免許を持っていると言った臥龍の発言は、はったりでは無いらしい――というか臥龍の顔……。
灰玄の大きな胸が背中に当たっているからだと思うのだが、顔が
お下劣な劣学者だとは思っていたが、もう学者でも何でも無い、ただのエロおやじである。
大波に襲われながらも、何とかクルーザーは島の停泊場までたどり着き、クルーザーから這いずるようにして、僕は無事に海から陸に戻ることが出来た。
本当に……死ぬかと思った。
臥龍と灰玄もクルーザーから無事に降りて、僕の近くに立っている――
と言うか臥龍の奴、僕のことを無視して灰玄の心配ばかりしていやがる。
「灰玄さん大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「え、ええ。私なら大丈夫です。臥龍先生が守って下さったおかげです」
「何を仰るんですか! 女性を守るのは男として――いや、紳士としての務めですから!」
何が紳士としての務めだよ。灰玄の胸が背中に当たって喜んでた顔をした奴がよく言うよ。
「ところで灰玄さん。我々はいったい、これからどうしたものでしょう。この大嵐の中では野宿も出来ないし――」
「それなら大丈夫です。島の少し奥に入った場所に灯りが見えます、きっとそこで宿泊出来ると思いますよ」
灰玄が、灯りが見えると言った場所を指で差したので、僕も見てみると、本当にかすかだが灯りが見えた。
だが、ここはよく分からない島だ。沖縄からどれだけ離れているかも分からない。
そんな場所に宿泊施設などあるのだろうか……あったとしてもホテルでは無くぼろい民宿ぐらいだろう。もしかして、ただの民家と言う可能性もある。
しかし、こんな大嵐の中で、海の砂浜に居るよりかはよっぽど安全だろう――でも、灯りが見える場所が島の上の方なのが厄介だ。
『上の方』と言うのは、つまり、この島は小さな山のような島なのだ。
灯りがある方まで行くには、その小さな山を登って行かなければならない……それに、普通の天候ならまだしも、大嵐で大粒の雨が地面に叩き付けられている。これはもう、地面と言うよりも、沼のようだ。
「それでは私が先頭になって進みますから、灰玄さんは私の手を離さないで下さい!」
「分かりました臥龍先生」
おい! 少しは僕の心配もしろ! この劣学者のエロおやじめ!
臥龍が灰玄の手を握り、灯りを目指して進んで行く――僕を無視して。
僕も置いて行かれないように前に進もうと――
「ぬわああああ!」
足が地面にめりこんだ。
大雨で地面がぬかるみになっているから、気おつけて歩こうと思ったのに――これ、ぬかるみじゃなくて……本当に沼じゃん!
沼そのものじゃん!
やれやれ、なんてことだ。歩く度に足首が丸々と泥に呑まれる。
臥龍から学生服で来いと言われたから、学生服のズボンに靴はローファーと言う格好である。つまり、替えが無いのだ。
ああ……これが私服なら潰しもきくのだが、一着しか無い学生服のズボンに一足しか無いローファーなので、家に帰ったらクリーニングに出さなくてはならない……と言うかローファーってクリーニング出来るのか?
まあ最悪、ローファーは臥龍に文句を言って、冷房と一緒に買わせるとしよう。
僕が臥龍と灰玄の後ろを歩き、灯りの見える方角に向かって、山を登って行く最中にわずかだが民家らしき建物を通り過ぎた――
『らしき』と言うのは、外見では確かに民家なのだが、作りが……まるで百年ぐらい前にタイムスリップでもしたかのような、
おじいさんとおばあさんが住んでいる、日本昔話に出て来そうな感じの民家である。
そして、どの民家も灯りが無い…………ただの一つも……。
なんだか、この島だけ時間に鍵でもかけたみたいに――――社会から忘れられたような、妙な物悲しさを感じた。
「灰玄さん! 後少しで灯りのある建物にたどり着きますよ! もし疲れて歩けないようでしたら、私の背中に掴まって下さい!」
「わ、私ならまだ大丈夫です。それに、後少しなので頑張ります」
臥龍の奴……紳士的なフリをして、またエロいことを考えていやがる。
背中に掴まってくれってことは、早い話しが、おんぶである。また、灰玄の大きな胸が目当てで言っているに違いない。
ズガガガゴゴォォォォォォォォォォォォォォォン!!
後少しで、灯りのある建物に着く手前で、稲光が僕の周囲を包んだ――
そして、稲光の青白いフラッシュが、灯りのある建物の全体も包んだ。
その建物は、登って来た道中で見た古い木造の民家とは違い、対照的な建物だった。
不思議でアンバランスで――何だかとても、不安定な気持ちにさせる建物なのだ。
なぜなら、その建物だけ教会のような邸宅だったからだ。
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