第10話 油性ペンは中々落ちない



 *10



 灯りがある邸宅の前まで、やっと辿りついた僕たちの目の前のとびらは、異様なほどに大きな扉だった。


 三メートル──いや、四メートルはあるかもしれない。それほど大きな扉で、おまけに扉の前にはインターホンは無く、変わりに獅子ではなく蛇の形をした、大きなノッカーが付いていた。


 まるで、西洋のお屋敷の扉に付いているノッカーと言った感じ――しかも蛇だから、とても不気味だ。


 臥龍がノッカーを強く数回叩くと、中からとても大柄な人物が扉を開けた。

 人物と言うのは分かるが、性別は分からない。

 なぜなら、また例のレインコートの男のように顔を深々と隠していたからだ――今回は黒のローブに大きなフードで……。


 いったい、どこの黒魔術師だよ――というか、その前に身長が異常なまでに大き過ぎる。

 その背丈は二メートル半から……もしかしたら、三メートルはあり、その人物を見て、この異様に大きな扉の説明も、誰に訊くともなく分かった。


 もし、扉が二メートルほどだったら、毎回この扉を開けた大柄な人物は、出入りの時に頭をぶつけるだろうから――まあ、そんな絵に書いたようなドジッ子を想像するよりも、異様な風体に異常な高身長の方を、怪しく感じるのが先だと思うのだけれど――ここまでの道のりで、もう考えるのも疲れて、面倒になって来ている。


 と言うか、僕たちにいったい何の用なのか訊きもせず、邸宅の中に招き入れてくれた。

 だが、レインコートの男と同様に無言で、ジェスチャーで中にどうぞと言った感じで招き入れてくれたのだ。



 邸宅の中に入ると、外から見るよりも大きく感じた。

 中世の貴族が住んでいそうな屋敷と、教会を足したような広々とした邸宅で、入ってすぐ目の前に、二階に続く大きな階段もある。扉から階段までの一直線の道には、アカデミー賞の授賞式などで見る、赤い高級そうな絨毯じゅうたんまでひいてあった。


 だが、人の気配が無い……こんな大きな邸宅に、まさか一人で住んでいるのだろうか――いや、そんな訳は無いと思う。

 邸宅内はそれなりに、掃除もいきとどいているし、なによりも、こんなに大きな――いったい何部屋あるのかも分からない邸宅内に、一人で住んでいるなんて考えがたい。


 もし、一人で住んでいるとしたら、相当の変わり者だ。島の中にある建物はみんな、木造の古い家ばかりなのに、この建物だけ何とも不気味で異様な雰囲気をかもしだしているし――というか、僕はこんなに大きな背丈の人間を見るのも始めてだ。


 臥龍も相当、身長は高い方なのに、まるで臥龍が子供に見えるぐらいの大きさだ……いったい、どんな食生活をしたら、こんなに大きくなれるのだろうか。

 僕の身長はジャスト百七十センチなので、五センチでいいから分けてもらいたい……いや、三センチでもいいから、ちょっぴり分けて欲しい……。

 僕の弟は百九十センチ以上あると言うのに。

 やれやれ、世の中は何とも不公平に出来ているものである。


 「私が、嵐が過ぎるまで一晩、泊めてもらえるか訊いて来ますね」


 「ああ、それでしたら私が訊いて来ますよ。灰玄さんはここで待っていて下さい」


 「いえいえ、臥龍先生には、嵐の中でクルーザーの操縦や、山を登る時に手を貸して頂いたので、私が行って来ますよ」


 「いやいや、私なら平気ですよ。だから灰玄さんはここで――」


 「いえ、ここは私が訊いて来ますから大丈夫です。これ以上、臥龍先生にお手数をかけるわけにはいきませんから」


 「そ、そうですか。わかりました」


 ……二人の会話に妙な違和感を覚えた。

 灰玄の様子はなんだか、臥龍に気を使うと言うよりも、臥龍からフードを深く被って顔を隠している、大柄の人物に近づかせたく無い様な雰囲気を感じたからだ。

 それに、海にいきなり飛び込んだ、レインコートの男を連れて来たのも灰玄だ。

 僕は、灰玄がいったい、この大柄の人物とどんな会話をするのか、こっそり聞いてやろうと思い忍び足で近づこうと――


 「ちょっと九条君。訊きたいことがある」


 臥龍に足止めされた。

 だが、今は臥龍の相手をしている時では無い。

 はっきり言って、僕は灰玄に底知れない不信感を抱いている。沖縄に来てから灰玄にずっと、ふりまわされているような気がしてならなかったからだ。

 だから、僕は臥龍の言葉を無視して、灰玄に忍び足で近づこうと――


 「どうして九条君の右側の髪だけ、金髪なんだ? それに眉毛の色も金髪だぞ」


 ――――あっ……!


 しまった。大嵐の中で豪雨に濡れて、黒染めスプレーで染めた部分が取れてしまったんだ。

 左側は油性ペンで染めてあったから、黒いままなのだろう。流石は油性だ。


 「君はアベレージな学生だと思っていたが。まさか、アベレージな不良だったのか?」


 アベレージな不良ってなんだよ……なんでもかんでもアベレージって言葉を使いたがる奴だな。

 しかし面倒だぞ、なんて説明すればいいのだろうか――臥龍が『アルビノ』を知っているとも思えないし。

 ここは、遺伝とでも言っておけばいいか。


 「この金髪は遺伝なんで、不良とかじゃないです」


 「遺伝? 片側の髪だけ金髪になる遺伝なのか?」


 うーん……面倒くさいな……。


 「いや、違くて。髪全体が金髪なんだけど……」


 「だって九条君の髪は、右側だけ金髪じゃないか」


 ああ……! 面倒臭い……!


 「いや、だから。右側の髪はスプレーで染めて、左側の髪は黒の油性ペンで染めたから、右側だけスプレーが取れて金髪になったんですよ」


 「何でそんな面倒な染め方をしたんだ?」


 「スプレーが途中で無くなったから、やむをえず……」


 「そうか。でも遺伝だったら、何であえて黒く染める必要があるんだ? そのままでいいじゃないか」


 「いやだって……不良だと勘違いされるのが嫌だから……」


 「なるほど。不良だと思われたく無いから、こそこそと髪を黒く染めているのか。でもな、自分が強ければ地毛の金髪のままでも堂々としていられるだろ」


 まさしく正論なのだが、これではまるで――僕が弱い奴みたいじゃないか……!

 僕は喧嘩とかが嫌いな平和主義者なだけであって、決して弱いわけではない……多分。

 それに、臥龍にだけは言われたく無い台詞である。


 「全く、ただの遺伝だったら最初から言えよ。俺の弟も『アルビノ』って言う遺伝で髪の色が変だけど、九条君みたいに、影でこそこそ髪を黒く染めたりなんてしてないぞ」


 「え? 臥龍さんの弟さんも『アルビノ』なの?」


 「まあ、そうだけど――もしかして、九条君も『アルビノ』なのか?」


 僕は大きくうなずいた。

 しかし、驚いた。『アルビノ』の人なんて滅多にいないと思っていたが、まさか臥龍の弟さんも『アルビノ』だったとは。

 世間は広いようで狭いな。


 「それじゃあ、弟さんも僕と同じ金髪?」


 「いや、俺の弟は銀髪だ。しかし驚いたな、まさか九条君も俺の弟と同じ『アルビノ』だったとは」


 銀髪か。

 確か医者は『アルビノ』の人は髪の色が、金髪や銀髪になると言っていたけれど、瞳の色も僕と同じ紅い瞳なのだろうか。まあ、瞳の色も個人差で違うと聞いているから、紅い色だとは限らないとは思うが、遺伝子疾患であるのだから、臥龍の弟さんは苦労をしているのであろう。


 それにひきかえ、臥龍と来たら人の話しも聞かないで、エロいことばかり考えてる劣学者ときたものである。

 きっと弟さんも、さぞ二重の意味で苦労していることだろう。


 「おまたせしました。嵐が去るまで泊めてもらえるみたいです」


 うわっ! しまった……。

 灰玄とフードで顔を隠した大柄の人物が、いったいどんな会話をしているのか、こっそり聞こうと思ったのに……臥龍と話しをしている間に、灰玄が戻って来てしまいチャンスを逃してしまった。

 まったく臥龍の奴……何か分かると思ったのに、そのチャンスを奪いやがって。

 もし、クルーザーの時みたく、レインコートの男が海に飛び込んだら、急に大嵐になってしまったように、また死ぬかもしれない危険な目にあったら――

 臥龍……全部お前のせいだからな!

 僕たちは、フードで顔を隠した大柄な人物が、二階に続く階段を登って行ったので、後ろについて行った。


 やはり会話は無く、ジェスチャーで二階を指差し階段を登って行ったので、これはきっと、ついて来いと言う合図なのだろう。

 二階に登り、一番奥の二部屋ふたへやの扉の前で、大柄な人物が止まった。

 一番奥の部屋まで来るのに、六部屋の扉を通り過ぎたが――まるで小さなホテル並みの数の部屋数である。

 

 大柄な人物は灰玄に一番奥の二部屋のうち、右側の扉を指差し、僕と臥龍には左側の扉を指差した。

 まあ、確かに男女同じ部屋と言うのは、まずいと思っての配慮なのだろう。でも、灰玄が別の部屋にして欲しいと言った可能性の方が高いと思うけれど。

 大柄の人物は扉を指差すと、何も言わずに一階に降りて行った。


 ここは、お礼の一つでも言うべきなのだろうが、話しかける間も無く、すぐに僕たちの前から去ってしまったので言えなかった。


 「臥龍先生。私が海を満喫しようだなんて言ったばかりに、大変なことになってしまい、申し訳ありませんでした。明日には嵐が去っているといいですね」


 「え、ええ。そうですね灰玄さん」


 灰玄に返事をした臥龍の顔は、とてもガッカリしたような表情だった。

 こいつ……まさか灰玄と同じ部屋になれなくてガッカリしているのか?

 いや、今までの臥龍の行動から考えると、間違いなくそうだろう。まったく、どこまでもお下劣な劣学者である。


 まあ、そんなことよりも。僕は早く雨でぐっしょりになった服と体を渇かしたい……シャワーは流石に無いとしてもタオルぐらいならあるだろう。

 欲を言えばシャワーとドライヤーもあれば百点満点だ。

 ドライヤーがあれば、学生服のズボンは無理でも、ワイシャツぐらいならすぐに渇くだろうし。


 灰玄が先に、右側の部屋に入るのを見届けた後に、僕と臥龍も、大柄の人物が指差した左側の部屋の扉を開けた。

 頼むから、ドライヤーが部屋の中にありますようにと祈って――

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