第零章  深海巨構  零之怪

第0話 人生にも巻き戻しボタンが欲しい時がある

  世界の裏で嵐が鳴く

  されど姿は何処どこにも無く

  されどこえは誰にも届かず

  雷鳴輝き空は泣く

  雨は紅く血潮ちしおの如く

  渦は黒く深きをのぞ

  風は絶えず暴れとどろ

  いつしか枯れ果てもくして孤独

  海の底で光り

  海の底で闇と

                     深海巨構しんかいきょこう



♢ ♢ ♢ ♢



 


 *0



 ────それは異臭としか思えなかった。

 ──と言うかそのものだった。


 僕は一回も、ライオンやクマなどの猛獣と対峙した事なんて無いけれど──きっと出会った瞬間に、全身の細胞が逃げろと命令して来るに違いない。

 ──この臭いもその類いのものだ。

 僕の細胞に、この臭いは記憶されていないし、一度も嗅いだ事なんて無い臭いなのに、僕の肉体は命の危険をハッキリと感じる事が出来た。



 ──いったい……どれだけの人が、この場所で望まない死を強制されたのだろう。

 この、腐臭ふしゅうとも苦臭くしゅうとも死臭ししゅうとも奇臭きしゅうとも血臭ちしゅうとも悲臭ひしゅうとも言える、体中にヌッタリと纏(まと)わり付いて、振り払っても僕にビッチャリとくっつき離れようとはしてくれないコイツ──

 以前はナマ物であったであろう者達の痛烈な叫び声や。

 怪魚人かいぎょじんたちが咽び笑いながら唱える、謎めいた儀式的な言葉も。


 永遠と、この場で繰り返し「【ルダ・ルダ・シュグス・ゼイデン】。【ルダ・ルダ・シュグス・イグラス】」と、唱えられる言葉たち。

 


 そんな全てを一緒くたに、この辺り一面の壁たちが腹一杯に呑み込み続け。

 やがては胃もたれを起こし、限界になった胃袋が、消化不良を起こし吐き出したような臭いは、この場にき乱れ。僕の体に染み込み、一度や二度の入浴で体から落とす事が出来るのだろうかと────。


 そんな事を僕は気にして考えていた(生きるか死ぬかの瀬戸際でだ)

 そして、このY字型の磔台はりつけだいに、ネッタリとこびりついた変色して土留色どどめいろをした。

 汗や油の混じったような何かが、僕の学生服にピットリとくっつき、1回の洗濯でこの汚れが落ちるのかどうかを気にしていた(もちろん生きるか死ぬかの瀬戸際でだ)



 僕の横では、一緒にはりつけにされている、何の役にもたたない『こいつ』が必死になって、無駄な命乞いをしている。


 いったいなんで、こんな事になってしまったのか──

 こうなったのも全部、僕の横にいる『こいつ』が原因だった。

 まずはそこから話しを進めよう────



 ♢



 「──おい! 待てっつってんだろ! まさかオメーらも【ピース能力者】なのか!? アタイの頭ん中に何しやがった、答えやがれってんだ! マグソファック野郎どもがよお!」



 やっと……やっと、この地獄から抜け出して逃げられると思ったのに……それも束の間だった。


 顔を真っ赤にし激怒した、この極悪なまでに目付きの悪い『女性』は、今しがた倒れたかと思ったらすぐに立ち上がり。

 身体中に巡る血が熱暴走を起こして、蒸発してしまうぐらいに必死で逃げる僕たちを、先程のふざけた表情とは明らかに違う──少し顔を見ただけで本気で僕たちを殺す意思を、その瞳から溢れ出しながら凄まじい勢いで追いかけ迫って来ていた。



 「だから待てって言ってんだろーがマグソファック野郎どもが! アネゴの【ピースの黒石こくせき】をパクったのはオメーらだな!? 許さねーぶっ殺すッ! ──それにオメーらがパクったアネゴの【ピースアニマ】も返しやがれ! そいつは今、アネゴがイッチバン欲しがってるもんなんだよ! ついでに有り金も全部よこしやがれ!」



 意味の分からない単語を並びたてて、鬼のような形相で怒声をあげて、この極悪な『女性』は僕たちを追いかけて来る。

 ──と言うか鬼そのもの……。


 厄日と言うのが言葉の表現上では無く、実際に概念では無く存在するのであるならば。

 今日、この日この時が人生全ての厄日を、かき集めた日に違いないだろう。

 こんなに全力で走るのは人生で始めての経験だ、学校の体育の授業でも、ここまで本気になって走った事など無い。

 そして、こんな状況になっているのにも関わらず、僕は心の中で思った事を大切に育てないで、すぐに放し飼いにしてしまう。

 早い話しが後先を考えずに言葉にしてしまう。


 ──物心ついた時から、そう言う性分なのだ……。


 僕は走りながらも、それらを放し飼いにする。


 「ちょ、ちょっと聞きたいんですが。『あの女性』の人が言ってるピース何とかって、いったいなんですか?」


 「そんなの俺が知るわけ無いだろ! ──ピースって言ってるぐらいだから平和って意味だろ。平和的なんだよ!」


 「いや、『あの女性』はどう見たって平和的と言うよりも、兵乱的へいらんてきですよ!」


 「そんな事なんてどうだっていいから。今は逃げる事だけに集中しろ!」


 ──確かにそうだ……。


 今はただ、何としてでも逃げなくてはいけない。

 人間と言うのは自分の命が危ないと、こんなにも頑張れるものなのかと僕は驚きながら、そして、毎日これだけ頑張れていたなら、きっと人生はもっとより良い物になっていたのではと思った。

 ──こんな状況で考える事ではないけれど。


 必死に走り、もう足がグナグナになりながら、それでも逃げる僕の横で突然、大事な事でも思い出したかのような大声が、僕の鼓膜の奥に響き渡る。



 「あっ! そうだ!」


 「え? どうしたんですか!? もしかして、起死回生の妙案でも思い付いたんですか?」


 「そんな事よりも、さっき『あの女性』が、ピースの国籍とかって言っていただろう? 君はどこの国籍なんだ?」


 「うわっ! 全然関係ない質問だ……期待して損した!」


 本当に心の底から損したと思った。

 と言うか、こんな時によくそんな、ろくでも無い質問が出来るものだ。


 「いいから! 教えろ」


 「日本国籍に決まってるだろ! と言うか妙案を出してくれ!」


 「そうか、奇遇だな。実は俺もだ!」


 「そんなの言われなくても知ってるよ!」


 「え? 知ってたのか、まだ君には言ってなかったんだがな……」


 「なんでガッカリしてるんだ! この現状をどうにかすることをシッカリ考えろ!」



 本当にシッカリしてくれと思った。

 僕より二倍以上も長い年月を生きているのに、いったい何を考えているのだろうか。


 まあ僕も思った事をすぐに口に出してしまう性分なのだが、そんな僕の遥か上を行っている。

 と言うよりも突き抜けちゃってる。


 「何を言っているんだ君は。ピースの国籍、つまり平和の国籍! もっと人々が手を取り合えば世界は平和になるんだよ! 音楽に国境はない!!」


 「お前はどこの偉大なミュージシャンだ! しかも今音楽とか関係無いし! お前の道楽に付き合わされて、こんな目に合っているんだから。下らない事を言ってないで、どうするか考えてくれ。この凶悪で恐喝で脅迫な驚愕の事態を、上策で何とかしろ!」


 「ここは狡猾こうかつな君が何とかしろ! それに、この場はすでに敵の軍勢により掌握された! これでは上洛じょうらくは無理だ。我が軍は凋落ちょうらくした、この城はまもなく陥落かんらくする。万策尽きた……」


 「黙れっ! お前はどこの戦国大名だよ! 僕たちは殺されるかもしれないんだぞって言ってんの! それに城じゃなくて島だろ!」



 と言うか間違いなく、捕まったら確実に殺されるだろう。


 二ポンド賭けてもいい……。

 

 酸素欠乏で、チアノーゼになりそうな僕に「おい」と横から不機嫌な声が聞こえる。 


 「ところで、俺の事を『お前』と呼ぶのはやめろ! 俺は君の雇用主だぞ、しかも、今の君は俺の助手だ。もっと敬意を持って崇めろ。そして敬語を使え!」


 「威張るな! 雇用主ならもっと責任感を持って従業員を助けろ! 無責任過ぎるぞ! それに、助手はお前が勝手に決めただけだろ」



 本当にこの状況を、どうすればいいのだろうか。

 横にいる『こいつ』は全然役に立たないし。



 (……)



 ──って……ん?


 ──あれ?


 待て待て、間違えたぞ。

 何かおかしいと思ったら、こっちは早送りだった。

 逆だ、逆。

 話しの巻き戻しボタンはこっちだ────

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