第34話 舞踏会と運命のバルコニー

 舞踏会の会場である大広間は熱気に包まれていた。


 だが、そんな熱気をよそに俺の関心はテシリア嬢だけに向けられていた。

 テシリア嬢の新しいドレスは、パールホワイトを基調としたデザインだ。

 襟や、袖、裾などには薄青色のフリルがふんだんにあしらわれ、腰には淡い黄色と薄青色の二本のサッシュが捻じるように巻かれている。

 そして長い金髪を、三つ編みをアレンジした髪型に結い上げている。そのせいか実際の年齢よりも幾つか歳上に見える。


 そんなテシリア嬢を、俺は自分が思うより遥かに思いっきり見つめてしまっていたのだろう。

「そんなにジロジロ見ないで!」

 というテシリア嬢の声が飛んできたが、彼女の美しさに心を奪われてしまっている俺の耳にはろくに入ってこない。


「ノッシュ、聞いてるの!?」

「はっ……!」

「は、じゃないわよ!」

「ご、ごめんなさい!」

 俺は我に返ってテシリア嬢に謝った。


 テシリア嬢をずっと見ていたいという強力な欲求を抑えて、俺は舞踏会場を見回した。

 やはりなんと言っても、華やかなドレスをまとった女性たちが目を引く。

 そんな中でも、母とアリナ、マリルのドレスは一段と華やかで、他の女性からの注目の的になっている。


 特にマリルは、日頃ひごろ神官服姿しか見せないせいもあってか、そのギャップに皆が驚いているようだ。

 そのうえ、普段は無造作に束ねているだけの長い白金色の髪を、優雅に結い上げていることが、マリルの美しさをより一層引き立てている。


「どうだ、マリルは美しいだろ」

 オルダが俺の横に来て誇らしさ全開で言った。

「はい、すごく綺麗ですね、マリル様」

 と俺は答えたものの、

とか言って、もしマリル様に聞かれでもしたら……)

 またオルダが別室に連れて行かれてマリルにボコボコにされてしまうのではないかと、なぜか俺のほうがビクビクしてしまう。


(この前師匠が言ってた“ずっと恋人同士”発言のことも気になるな……)

 どういうことなのか聞いてみたくもあったが、今この場で聞くことではないような気がした。

「その服も中々いいじゃないか」

 オルダが俺を見ながら言った。

「はい、テシリア嬢が選んでくれたんです」

 俺の衣装は明るめの紺色が基調で、襟と身頃が淡いクリーム色になっている。

(これって、テシリア嬢の衣装と対になってるんだな)

 と、俺は改めて気が付いた。


 そんなことを考えながら会場を見回していると、隅の方に小柄な少女の姿を見つけた。

(…………ニルか?)

 俺はその少女がニルだと、すぐには判らなかった。


 ニルが纏っているのは、ピンク色を基調とした可愛らしいドレスで、丈は少女らしい膝丈にしつらえてある。

 俺は、ニルに声をかけに行こうと一歩前に行きかけたが、彼女のそばにいるファロンの姿に気がついて足を止めた。

 ニルは神官正装姿のファロンに寄り添うようにして、楽しそうに晴れやかな笑顔を見せている。


(俺が行っちゃダメだよな……)

 乙女心理解度ゼロの俺でも、さすがにそう思った。

(これもニルの訓練のおかげか?)


 やがて管弦楽団が場内に入ってきて、音合わせを始めた。

(始まる……!)

 一気に俺の鼓動が速くなる。

「いくわよ」

 テシリア嬢が俺の横に来て静かに言った。

「はい」


 俺はテシリア嬢と向かい合って、彼女の手と肩に手を添えた。

 驚くほど近くにテシリア嬢の顔が来る。

(近い……!テシリア嬢の顔がめっちゃ近い!)

 緊張で心臓が口から飛び出しそうになる。


 テシリア嬢は落ち着いた表情でじっと俺の目を見ている。

(見てていいんだよな……?)

 あまり見続けていたら、また「大嫌い」と言われてしまうのではないかと、俺は気が気でなかった。


 やがて楽団が曲をかなで始めた。始めはゆったりとしたワルツからだ。

(ゆっくりと……円を描くように……)

 俺は自分に言い聞かせるように何度も心のなかで呟いた。


 二曲目、三曲目と曲が変わっていくにつれて少しずつテンポが上がっていく。

 そうなれば動きも速さが要求されるようになってくる。

 速いテンポについていけないペアが一組、また一組と外れていく。


 そして、何曲目かになった時には、俺とテシリア嬢のペアしか残っていなかった。

(え……まじか……?)

 大広間にいる人たち全員の視線が俺たちに集まる。


 その時、テシリア嬢の顔に微笑みが浮かんだ。

 あの、何かを企んでいるかのような悪役令嬢風の笑顔だ。

(……!)

 俺は息を呑んで身構えた。

 するとテシリア嬢は、俺に顔を近づけて囁いた。

「次の曲、ちゃんとついてこないとすっ転ぶわよ」

「え……?」

 と、俺が声を上げた直後に曲が激変した。


(は…速ぇええーーーー!)

 凄まじく速いテンポに複雑なステップ、そして目まぐるしい回転に俺は付いていくのがやっとどころか、テシリア嬢に引っ張られているだけだった。


(やべぇ、マジで転ぶかも……!)

 そう思った瞬間、執事夫人ネリーの言葉が俺の頭に浮かんだ。

『付いていけないと思ったら、無理をせずにお相手に全てを委ねるのも手ですよ』


(そうだ……テシリア嬢に引っ張ってもらおう)

 情けない限りではあるが、すっ転んでテシリア嬢に迷惑をかけるよりは遥かにマシだろう。

 ただ、テシリア嬢は俺が転ぶのを期待しているようなふしがあるのが気になったが。

 俺はテシリア嬢に引かれるままに、というよりはむしろ追いかけるような気持ちで踊った。


 そして怒涛のような曲が終わると、

「ふふ」

 と、テシリア嬢が小さく笑う声が聞こえた。彼女の顔を見ると楽しそうに微笑んでいる。

 そして俺に顔を近づけて、

「ちゃんと付いてこれちゃったわね、残念」

 と、いたずらっぽく微笑んで言った。


(もしかして俺は遊ばれてたのかな?)

 あの悪役令嬢風の笑顔は彼女の悪戯心いたずらごころの表れだったのかと思うと、なぜか肩の力が抜けて楽になった。


 そして、俺が転んで大惨事になることもなく曲が終わり、大広間に盛大な拍手と歓声が響きわたった。

 テシリア嬢を見ると、俺が見る限りでは彼女は怒ってはいないようだった。


(とりあえずは婚約解消は回避できたかな……)


 ここで、ダンスは一旦中断になり楽団が静かな曲を奏でだした。この後はお食事タイムだ。

「ファロン様が好きなパンケーキがあるよ。ジャムも色々あるし生クリームも……」

 と、ニルがファロンに言うのが聞こえた。


「ニルも楽しそうね」

「そうですね」

 テシリア嬢に合わせてそう言ったが、俺はテシリア嬢の気持ちが知りたくて気が気じゃなかった。

 俺は思い切って、

「あのぉ……!」

 と、テシリア嬢に呼びかけたが、力んだあまり声が裏返ってしまった。

(ああ……もうこれだから俺はダメなんだ……)


「なに?」

「その……今日のダンスは……大丈夫でしたでしょうか……!」

「まあ、よかったんじゃない、転ばなかったし」

「そうですか……」


 なんとなく気まずい間があった。


(婚約はどうなるんだろう……)

 聞きたいのはそこだ。

「それで……」

 俺はテシリア嬢に聞こうとした。

 すると、テシリア嬢は、

「表に出ない?」

 と言ってバルコニーを指さした。


「は……はい、それじゃ飲み物を取って来ます」

「ええ」

 テシリア嬢は短く答えてバルコニーの方に歩いていった。


(バルコニーなら他の人に聞かれることもないよな……)


 それに、テシリア嬢の厳しい答えに俺が落胆することを考えれば、ある意味テシリア嬢の思いやりなのかもしれない。


(会場の人たちに惨めな姿を見られることもないだろうしな……)


 そして俺は、二人分の飲み物を手に運命のバルコニーに向かった。

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