第35話 これから

 俺はよく冷えたリンゴ酒を二つ持って、テシリア嬢がいるバルコニーに出た。

 バルコニーに出ると、柔らかく吹く風が激しいダンスで火照った体に心地よかった。

 俺はリンゴ酒のグラスをテシリア嬢に手渡した。

「ありがとう」

 そう言ってテシリア嬢は俺の手からグラスを受け取った。

 手渡す瞬間に、ほんの僅かに俺の指とテシリア嬢の指が触れ合う。


 俺とテシリア嬢はグラスを手に、バルコニーの手すりに寄りかかりながら中庭を眺めた。

 俺達はしばらく無言でいた。

(何か話さなきゃ)

 といういつもどおりの気持ちが湧き上がる。

 その一方で、このまましばらく何も話さないでいるのも悪くはないかも、という気持ちも少しだけ心の隅にあることに俺は気づいていた。


「このリンゴ酒、美味しい」

 テシリア嬢はリンゴ酒を一口飲んで言った。

「ええ、美味いですね」

「つい飲み過ぎちゃいそう」

「ですね」

「ふふ……」

 テシリア嬢が可笑しそうに小さく笑った。


「え……?」

「ううん、思い出してたの」

「思い出して……?」

「ええ、あなたが初めてお酒を飲んで二日酔いになった時のこと」

「ああ……ありましたね。アリナ様のお薬のおかげで治りましたが」

 その薬がとんでもない味だった、とは言えない。


「私ね、あなたとの婚約話があった時、最初は絶対に嫌だって言ったの」

「……」

 俺は何も言えなかった。

(嫌に決まってる……貴族としては格下だし、容姿のことも聞いてただろうから……)


「でも、私は公爵家の長女で一人っ子、結婚しないっていう選択肢はあり得ないから、渋々受けたの」

「そうですか……」

「だから、最初にあなたに会った時の私って、すごく態度悪かったでしょ」

「慣れてますから、そういうの……」

「慣れてる?」


「ええ、こんなブサイクだと女性に冷たく扱われるのが普通ですから」

 俺がうなだれながらそう言うと、

「ああーー!私が人を外見で判断するような人間だと思ってるの!?」

「え?でも、女性はみんな……」

「見損なわないで!確かに最初に見た時はへんなか……個性的な容姿だとは思ったけど」

(今”変な顔“って言いそうになったよね!)

 俺は心の中で密かにツッコミを入れた。


「私があなたとの婚約を嫌がった一番の理由はボーロ=グッシーノのせいよ。彼のせいで“婚約者”というだけで嫌な男だろうって思うようになっちゃったの」

「そうだったんですか……」

「ええ、だからあなたもきっと嫌な人だろうって初めから決めつけてたの……違ったけど」

 最後の言葉は小さな声でボソッと言った。 


 テシリア嬢はリンゴ酒を口にして、しばらく無言で中庭を見ていた。

「あなたにはたくさん助けてもらったわ」

「い、いえ、俺は何も……」

 いきなりで俺はしどろもどろになってしまった。

「ううん、決闘もそうだし、魔王から助けてもらったのも……それと新しいお洋服を買うための傭兵仕事もね」

 そう言って、テシリア嬢はニコッと笑った。

「そう考えると、私の婚約者としては十分どころか、過ぎたところがあるくらい」

「えっ!」

(ということは……!)

 俺の心臓が期待でドクンドクンと鳴り始めた。


「でもね、気に入らないところもあるのよ」

 と、テシリア嬢は真剣な顔で言った。

「気に入らないところ?」

「ええ」

「そ、それは一体……」

(やっぱ顔か……鼻を治さないとダメか……)


「魔王から助けてもらってから、私があなたの名前を呼んでいたの、気づいてた?」

「え……?」

「やっぱり……」

 テシリア嬢はそう言って大きなため息をついた。


(そう言えば……)


『来てくれてありがとう、ノッシュ』

『もう練習は終わったの、ノッシュ?』

『今日の特訓はどうだった、ノッシュ?』

『ノッシュ、聞いてるの!?』


(思い出したぁああーーーー!)


「思い出したみたいね」

 顔色が変わった俺を見てテシリア嬢が冷ややかに言った。

「あなたとの距離を縮めたいなぁって思ってたんだけど、通じなかったみたいね」

 そう言ってテシリア嬢はプイッと反対側を向いてしまった。


「あ、あ……」

(どうしよう……どうしよう……)

 もう俺はオロオロするしかなかった

 ニルの言葉が思い出される。

『うん、ノッシュ様は乙女心が全く分かってないって』

(せっかくニルが教えてくれたのに……俺はなんてバカなんだ……)


 俺ががっくりとうなだれていると、

「ふふ」

 と、テシリア嬢が笑うのが聞こえた。

 俺が顔を上げてみると、彼女が面白そうに笑っている。

「ちょっとは反省してくれた?」 

「はい、反省してます」

「なら、よろしい!」

 と、テシリア嬢は晴れやかに言うと、

「それでは、ノッシュを私の婚約者に認定します!」

 と、いきなり宣言した。


婚約者!?」

「そう、言ってみれば恋人になる前の段階ね」

(恋人になる前の段階?)

「ということは……友達以上恋人未満ということですか……?」

「友達以上恋人未満!それいいわね、ピッタリよ!」

 そう言うと、テシリア嬢は楽しそうに笑った。


(友達以上恋人未満か……)


 思い返せば、前世では恋人どころか女子の友達すらいなかった。

 それが、転生して十八年、好きな女性に友達以上認定してもらえたのだ。


「十代で彼女ができて」という前世の末期まつごの願いが叶うかは怪しいところだが、

(別にそれでもいいじゃないか)

 という気もしてきた。

 大好きなテシリア嬢と友達以上のお付き合いができるのだ。


「そろそろ戻るわよ、ノッシュ」

 テシリア嬢が言った。

「はい、テシリア嬢」

 俺が答えると、

「テシリア」

「え?」

「友達以上になったんだから、テシリアって呼んで!」

「……はい、テシリア」

 そう言いながら、俺は自然と笑顔になれた。

「よろしい!」

 テシリアはニコッと太陽のように笑って言った。


 俺とテシリアはごく自然に腕を組んだ。

「後半のダンスでは、思いっきりノッシュを転ばせてやるんだから」

 と、テシリアが悪役令嬢顔で言うと、

「そうしたら俺は、思いっきりカッコよく転んでみせますよ、テシリア」

 と、ニヤリと切り返した。


 そして俺とテシリアは舞踏会場へと向かって歩き出した。

 これからの二人の前に広がる、まだ見ぬ新しい世界へと足を踏み入れるかのように。



    ―――――終わり――――


※お読みいただきありがとうございました。 

本編はここまでとなります。

次の話では登場人物紹介をします。

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