第33話 舞踏会の衣装
「いよいよ明日は舞踏会ですね」
その日のダンスの特訓が終わって、執事夫人のネリーが言った。
「はい、お世話になりました」
「今日の感じなら、なんとかテシリア様にもついていけるでしょう」
答える俺に執事のザノンが言った。
(なんとか、か……)
自分で言うのもなんだが、この一ヶ月で俺はかなり上達したと思っている。
「ところで、ノッシュ様」
ネリーが聞いてきた。
「はい?」
「舞踏会用のお召し物は決まっておいでですか?」
「おめしもの……?」
(そう言えばニルが言ってたな……)
『テシリア様はノッシュ様にも新しい服を着てもらいたいんじゃないかな……』
俺の体内の血の気が引いていく。
(やばいかも……すげえやばいかも……)
「そのご様子だと……」
ネリーが心配そうに言った。
「はい……でも、買って間もない服もありますし、もしもの時は兄の服を借ります」
とは言ったものの、マキスとユアンと俺は身長はほぼ同じなのだが、俺だけ二人よりも肩幅が広いのだ。
となると、この前ウェストポートで買った服を着るしかない。
俺には不似合いなくらい洒落た服だが、果たしてそれが舞踏会にふさわしい服なのかどうかとなると俺には判断しかねた。
(とりあえずマキス兄さんに相談しよう)
小言の一つも言われてしまうだろうが、彼ならなんとかしてくれるだろう。
舞踏会は明日、俺の実家であるノール伯爵家で開かれる。
俺も一応は迎える側の人間なので今日のうちに帰るつもりだ。
(せっかくならテシリア嬢と一緒に)
と思いメイドに聞いてみたら、
「奥様とテシリア様は朝のうちに伯爵様のお屋敷に向かわれました」
ということだった。
「そうですか……」
一方、アルヴァ公爵は明日の朝に向かうとのことだ。
なので、少々寂しい気がしたが仕方ない、俺は一人馬で戻ることにした。
実家に戻ると、俺はマキスに服のことを相談しようとした。
だが、彼は父とともに舞踏会場の大広間の飾りつけやら明日の料理のことやらで忙しく、とても俺の服のことなどで手間を取らせられる状況ではなかった。
それならユアンにと思ったが、彼は王宮に出仕していて不在だった。
女性陣は女性陣で明日の衣装合わせで忙しいらしい。
仕方なく俺は、自室に簡単な食事を持っていって遅めの昼食をとった。
(とりあえず、この前買った服を用意しておくか……)
などとぼんやりと考えながら、自室の窓から庭を眺めていると、ドアをノックする音がした。
「はい、どうぞ」
俺が答えると扉が開いて、テシリア嬢が入ってきた。
(テシリア嬢が俺の部屋に……!)
俺はかなり驚いたが、それが顔に出ないようにと祈った。
「今、時間は取れる?」
とテシリア嬢は聞いてきた。
「は、はい、大丈夫です」
(落ち着け、俺!)
「そうしたら、応接間に来てもらえる?」
「はい」
テシリア嬢に付いて応接間に入ると、そこには母とアリナ、そして驚いたことにマリルもいた。
「マリル様もいらしてたんですね」
「うむ、邪魔をしている」
「ようこそいらっしゃいました」
そして、テシリア嬢が、
「これを見て」
と手で指し示したのは、
「こ、これって……!」
「あなたの明日の衣装よ。テシリアさんが選んでくれたの」
母が言った。
「あなたのことだから衣装のことにまで気が回らないと思ってね」
「俺の、衣装……」
俺の頭には母の言葉の半分も入ってこなかった。
「メリア様が私に選ばせてくださったの」
そう言うテシリア嬢はほんの少し自信なさげな様子だった。
「ノッシュの気に入るかどうか心配なんだけど……」
「気に入りました!もちろん!!」
(テシリア嬢が俺の衣装を選んでくれた!)
もう、天にも昇る気持ちだ。
「私の衣装と合うようにと思って選んだんだけど……」
「テシリア嬢の衣装はどんな風なんですか?」
と、テシリア嬢の言葉に、つい反射的に俺は聞いてしまった。
「それは明日まで秘密よ、決まってるでしょ!」
と、すぐさまテシリア嬢から、ピシッと答えが返ってきた。
その時、
「なあ、こんな感じでどうだ?」
と、言いながら応接室に入ってきたのはオルダだった。
しかも、普段の彼からは想像もできないような優雅な衣装を身に着けている。
「師匠!」
「おお、ノッシュ。お前も衣装を貰えるのか?」
「はい、テシリア嬢が選んでくれました」
「ふむ、俺もマリルが選んでくれたんだが、どうも大人しすぎる気が……」
とオルダがブツブツ言うと、
「なんだ?文句なら向こうの部屋で聞こうか」
と、声のトーンを数段階落としてマリルが言った。
「いえ、大丈夫っす、マリルさん!」
と、ピシッと気をつけをしてオルダが言った。
「それより、マリルはどんなドレスを着るんだ?」
オルダが聞くと、
「それは明日まで待てと言っただろ」
マリルが小さくため息をつきながら言った。
「お前だって気になるだろ?テシリア嬢のドレスが」
と、オルダが俺に聞いた。
「そうですね……」
そう答えながら俺は想像を巡らせた。
(やっぱりポイントは色かな……テシリア嬢には薄い青とか似合いそうだよな……ピンクもいいかな……いやいや清らかな白というのも捨てがたい……!)
「ポイントは谷間だよな」
オルタが言った。
「谷間?色に段差をつけるってことですか?」
俺は答えた。
(おしゃれ着ならそれも良さそうだけど、舞踏会の衣装だからなぁ……)
と、俺が考えていると、
「何を言ってるんだ、谷間と言えば胸に決まって……いててて、マリル痛え痛え!」
「余計なことを言いおって」
見ると、マリルがオルダの耳を摘んで強引に引っ張っている。
(谷間……胸……!?)
俺は気がついてしまった。
反射的にテシリア嬢を見ようとしてしまいそうになる。
が、
(だめだ!ここでテシリア嬢を見たら俺の人生は終わる!)
「息子に変なことを吹き込まないで!」
「娘を
母とアリナにも言われて、
「ちょっとこっちに来い」
と、マリルに耳を引っ張られながら、オルダは隣の部屋へと連行されて行った。
「ウガッ、殴るのとヒールの繰り返しはやめてマリル……ギエッ、メリアさん今コキッて関節が外れたんだけど……ひゃぁ、アリナさん今ビリッて電撃がビリッてのはダメなの、ぎゃぁああーー!」
隣の部屋では阿鼻叫喚の図が繰り広げられているようだ。
今、この応接間には俺とテシリア嬢の二人だけになってしまった。
(どうしよう……)
テシリア嬢を見てもいいのか、話しかけてもいいのか、俺には全く判断がつかなかった。
(でも、これだけは言わなきゃ……!)
「あの……テシリア嬢?」
「なに?」
「あの……」
「言いたいことがあるならこっちを見て言えば?」
「見てもいいんですか?」
「なに?私の顔なんて見たくないっていうの?」
「そ、そんなことないです、すごく見たいです!」
(て、”すごく見たい“とかヤバくないか?)
「まさか、いやらしいことを考えてたんじゃないでしょうね?」
「考えてません、考えてません、俺はテシリア嬢の衣装がどんな色かと色々考えてたんです!」
嘘ではない。
が、
(ほんの、ホントにほんのちょっとだけ胸のことを考えましたぁっ!)
でも、このことは絶対にテシリア嬢に気付かれてはいけない、最高機密だ。
「そう」
「はい」
「私の胸なんて気にもならないってことね」
「はい……っていやいや、そんなことは……!」
(こ、これは、どっちに進んでも地雷を踏んでしまうパターンか!?)
もうだめだ、と俺が思った時、
「まあ、いいわ」
と、テシリア嬢が思いの外明るい声で言った。
彼女を見ると、こころなしか微笑んでいるようにも見える。
「明日の舞踏会、期待してるわね」
と言うテシリア嬢の微笑みの中には、明らかに挑戦的な色合いが見て取れた。
「はい、全力でやります」
そう答えた俺は、彼女の表情につられたのか、不思議とそれまでのオロオロしていた気持ちが消えていた。
そして、テシリア嬢の挑戦を喜んで受けようと言う気概が湧き上がるのを感じて、自然と笑顔になっている自分に気づいた。
そして、いよいよ舞踏会の日を迎えるのだった。
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