第31話 特訓、そして新たな不安

「はい、今日はこれまでにしましょう」

 執事夫人のネリーが言った。

「ありがとうございました」

 そう言って俺はふぅと息を吐いた。


 俺のダンス特訓が始まってから一週間が過ぎ、女性と組んでの練習も少しずつ始めている。

 執事婦人のネリーは俺の母と同年代くらいの女性だ。

 華奢で小柄だがその動きには速さとキレがある。

 なので、ずぶの初心者の俺はかなり手加減してもらっている。


「あの……俺は踊れるようになるでしょうか?」

 俺は常に頭を悩ましていることをネリーに率直に聞いた。

 ネリーは夫であるアルヴァ公爵家執事のザノンを見た。

 そして、

「もちろん完璧にというところまでは難しいでしょうけれど、間違わずに最後まで踊れるようにはなれると思いますよ」

 と柔らかく微笑んで言ってくれた。

「ノッシュ様は運動能力が高いですからね」

 とザノンも言ってくれた。


「ありがとうございます」

 とはいえ、俺の場合、運動能力が高いと言っても直線的な動きが殆どだ。

 反面ダンスは円を描くように動かなければならない。


(そういえば、テシリア嬢は……)

 彼女の剣技は流麗で、それこそ円を描くような動きと言えそうだ。

「テシリア嬢はダンスは得意なのですか?」

 俺が聞くと、

「ええ、とてもお上手ですよ。それに踊ることが大好きでらっしゃいます」

 と、ネリーが教えてくれた。


(テシリア嬢の剣の強さの秘訣はダンスか)

 そう考えると、ダンスの特訓は俺の剣技をより高みへと導いてくれそうだ。

(テシリア嬢との連携技とかできたりして……)

 と、気がつくと妄想を膨らませている俺だった。


 その日の昼食後、俺がダンジョンへ行く準備をして、玄関ホールでテシリア嬢を待っていると彼女がやってきて、

「今日は仕立て屋さんと新しいドレスの打ち合わせがあるから、私はダンジョンには行かないわ」

 と俺に言った。


(てことは今日は俺一人で行くのか……)

 テシリア嬢と一緒に行けたとしても、楽しくおしゃべりなんてとても出来ないのはよく分かっている。

 なのに、いざ俺一人で行かなくてはとなると寂しさを感じてしまうのだ。


「わかりました」

 そう言って俺が出ていこうとすると、

「今日の特訓はどうだった、ノッシュ?」

 といつものようにテシリア嬢が聞いてきた。

 彼女がそう聞いてくれること自体はすごく嬉しいのだが、俺の答えはいつも、

「中々上手くいきません……」

 となる。


 するとテシリア嬢は、

「そう、まあ、頑張ってね」

 とニヤリと微笑みながら言うのだ。その笑みはまるで、

『その調子じゃ婚約解消は時間の問題ね』

 と、言外に俺に悟らせようとしているかのように思えてならない。


 こうして俺は、一人でダンジョンに行かなくてはならない寂しさと、テシリア嬢との婚約解消も時間の問題かもしれないという不安を抱えながら屋敷を出た。


 それはそれとして、テシリア嬢が新しいドレスの仕立てに乗り気なのは俺も嬉しかった。

(きっと綺麗なんだろうな……)

 と、新しいドレス姿のテシリア嬢を想像してしまう。

 そういう意味では、舞踏会の日が来るのが楽しみで仕方ないと言っていい。


 母肝入りのドレスの仕立てはガルノーの姪の店が全面的に請負うことになったようだ。

「記念の舞踏会でテシリア嬢達が着れば大きな宣伝になるから」

 ということをマキスが強調して、結果破格の値で仕立ててもらえる事になったらしい。

 伯爵家の財政面はもちろん、領内経済の活性化の点でも好影響が期待できそうだ。


(さすがマキス兄さんだな)

 彼がいればノール伯爵領はますます繁栄していくだろう。

(将来、俺がアルヴァ公爵領を経営する時は参考にさせてもらえそうだな……)

 と、いつの間にか俺は夢想していた。


(いやいやいや、何を考えてるんだ俺は!)

 一ヶ月もしないうちに婚約を解消されてしまうかもしれない、ということを忘れてしまってはいけない。


 ダンジョンに着くとニルが小走りにやって来て、

「ノッシュ様、テシリア様は?」

 聞いてきた

「今日はドレスの仕立ての打ち合わせで来れないそうだ」

 と俺が答えると、

「そうなの……」

 とニルは少し寂しそうに言ったが、

「でも、テシリア様の新しいドレス、楽しみだね」

 と、言って笑顔になった。

「そうだな」


(俺も楽しみだ)


 すると、

「ノッシュ様の新しい服はどうするの?」

 とニルが聞いてきた。

「俺はこの前買った服でいいだろ」

「テシリア様が新しいドレスなのに?」

「うん、まあ……」

 俺は言葉に詰まってしまった。


「テシリア様はノッシュ様にも新しい服を着てもらいたいんじゃないかな……」

「そうなのか?」

 ニルの意外な言葉に驚いて俺は聞き返した。


 それを聞いてニルは、

「やっぱりテシリア様の言う通りかも……」

 と困ったような顔をした。

「テシリア嬢の言う通り?」

「うん、ノッシュ様は乙女心が全く分かってないって」

 ニルに言われて俺は愕然とした。


(テシリア嬢がそんなことを……)


「それを言われたら俺には返す言葉もない……」

 俺は頭を抱えてしまった。


「そうしたらね、私がノッシュ様を訓練してあげる」

「訓練?」

「うん、ノッシュ様が乙女心が分かるようになる訓練」

「そんなことできるのか?」

「うん、それじゃ問題です」

 ニルが人差し指を立てながら言った。

「え、はや!」


「今私が欲しいものは何でしょうか?」

「え?ニルが今欲しいもの?」

「うん」

「いや、そんなこといきなり言われても……」

「それでは、ヒントです」

「おお、それはありがたい!」

 もう完全にニルのペースである。


「ヒントは飲み物です」

 俺はピンときた。

「ふふふ、それなら俺にもわかるぞ」

 と、子供相手にドヤ顔をする俺。

「ニルが今欲しいもの……それはいちご水だぁああーー!」

「ぶぶーーハズレーー!」

「ええーー?じゃあ、レモン水!」

「またハズレーー!」

「まじか……」

 俺は真剣に悩んでしまっている。


「正解は桃水ももすいでしたーー!」

 と高らかにニルが言った。

「桃水?そんなのもあったのか」

 俺が聞くと、

「うん、今日から発売なの」

 とニルがニッコリと言った。

「そんなの分かるわけないだろ……」

 俺は一気に力が抜けた。


「桃水飲みたいなぁ……それが今の私の乙女心なんだけどなぁ……」

 と、ニルは後ろで手を組みながら上目遣いで俺に言った。

「わかったわかった」

 俺はそう言いながら飲み物売り場へと向かった。


 そんな、意味があったのかなかったのかよくわからないながらもニルと楽しい時間を過ごした後、俺はその日のダンジョン訓練を終えた。


 その後も、ダンスの特訓をし、テシリア嬢に釘をさされ、ニルに乙女心おとめごころ理解訓練(?)を受ける日々が続いた。

 すると、舞踏会の日が近づいてくるに従って、新たな不安がジワジワと湧き上がってきた。

 そしてそれは、俺の中で無視できないほどの大きさに膨らんでいった。


(どうしようか……)


 悩んた末に、俺の足はマリルのところへと向かっていた。

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