第11話 小さな痛み、そして……
ポン!
俺は肩を叩かれて振り返った。
「よっ!」
そこには兄のユアンが楽しそうな笑顔で立っていた。
「ユアン兄さん!」
自然と俺の顔もほころんだ。
「ここで何を?」
「ん?昼飯だよ、昼飯」
そう言いながら彼はテシリア嬢の方を向いて、
「これはこれはテシリア嬢、ご機嫌よう」
と、貴族らしい優雅さで挨拶をした。
「ご機嫌よう、ユアンさん」
テシリア嬢も優雅に挨拶をして、ユアンに微笑みかけた。
(あれ……なんだこれ……?)
チクリと刺すような、キュッとつねられたような、そんな、なんとも言えない嫌な痛みが俺の胸に沸き起こった。
「今、ちょうどお昼をどうしようかと話をしてましたの」
「それはちょうどいい。これから評判の店に行こうと思っていたところなんですよ」
テシリア嬢の言葉にユアンが答えると、
「まあ、素敵」
と、テシリア嬢はとてもいい笑顔で返した。
(なんなんだよ……俺いなくていいじゃん……)
「……シュ……ノッシュ?」
半ばふてくされて
「え……?あ、はい……」
「俺が知っている店に行くぞ、な?」
「は……はい」
こうして、表面上は危機を脱した
自然、ユアンが先を歩く事になり、彼のやや後ろ横にテシリア嬢が並んで歩いている。
ユアンはイケメンで話上手だ。彼は歩きながらテシリア嬢となんということはない話をして、彼女の笑いを誘っている。
そんな二人を、俺はやや後ろから付いて歩きながら見ている。
(楽しそうだな、テシリア嬢……)
彼女は、俺にはついぞ見せてくれたことのない笑顔でユアンと話している。
目的の店に着くとユアンは店内に入り、
「やあ、ミシェルちゃん、久しぶり」
と入口近くに立っていた女性店員に声をかけた。
「わあ、ユアン様、いらっしゃいませ!」
女性店員に賑やかに迎えられ、俺達三人は店内に招き入れられた。
そして、いざ席に着こうという時になって、
「ああっ!」
と、ユアンが大きな声を出した。
「どうされたのですか?」
テシリア嬢が聞くと、
「すみません、この後、人に会う約束があったのをすっかり忘れてました!」
と、ユアンはおでこにペタンと手を当てて言った。
「てなわけで、すまないノッシュ、後は頼む!」
そう言いながらユアンは、テシリア嬢に背を向けて俺にウインクをした。
(そういうことか……)
やがて、
「美味そうですね」
「そうね」
こうして、静かな食事が始まった。
(ユアンがいた時はあんなに楽しそうにしていたのに……)
テシリア嬢は静かに食事をしている。
(何か話さなければ……)
とは思うのだが、何を話せばいいのか、言葉が出てこない。
というより、何を言ってもテシリア嬢の機嫌を
(俺なんかじゃなくて……)
ユアンと楽しげに話していたテシリア嬢の顔が頭の中に浮かんた。
(ユアン兄さんが婚約者になれば良かったんだ……)
静かな食事も終わり、俺達は帰路についた。
帰り道でも会話は一言も無かった。
来る時には会話がなくても、すぐ隣にテシリア嬢がいてくれるというだけで満足できた。
(だけど今は……)
とてつもなく長く感じた帰路もようやく終わり、アルヴァ公爵家の屋敷に到着した。
カブリオレを玄関前に止め車を降りると、俺はテシリア嬢の降車をサポートしに反対側に回り込んだ。
(俺の手を取ってくれるだろうか……)
帰りの乗車の時には、彼女は俺を待たずに自分で乗り込んでいた。
俺は内心ビクビクしながらテシリア嬢に手を差し出した。
テシリア嬢は待っていてくれた。
彼女は俺の手を取ってゆっくりと二輪馬車から降りた。
「それでは……」
俺はそう言って帰ろうとした。
すると、
「ちょっと待っていて」
と、テシリア嬢は言うと、気持ち急ぎ足で屋敷に入っていった。
しばらくするとテシリア嬢は戻ってきて、
「お茶でも飲んで休んでいって」
と言って、俺を中に招き入れてくれた。
予想外のことで、一瞬戸惑ってしまったが、俺は招かれるまま屋敷の中に入っていった。
「お帰りなさい、疲れたでしょう」
そう言って公爵夫人が迎えてくれた。
「主人は所用で出かけてしまっているけど、ゆっくり休んでいってね」
「はい、ありがとうございます」
俺は丁寧に頭を下げて答えた。
メイドの案内で応接室に通されソファに腰掛けると、程なくしてお茶とお菓子を出してくれた。
テシリア嬢は、屋敷に入ってすぐに正面の階段を上がっていった。
(着替えてるんだろうか……?)
しばらくすると、
「お待たせしてごめんなさいね」
そう言いながら公爵夫人と、そして一緒にテシリア嬢も入ってきた。
見るとテシリア嬢の装いがいつもと違っていた。
もちろん着替えたのだから違うのは当たり前なのだが、いつも着ている服とは雰囲気がかなり違うのだ。
(かわいい……)
「あらまあ、もうノッシュさんの目を釘付けかしら?」
「お、お母様!」
楽しそうに言う公爵夫人に、テシリア嬢はドギマギとしている。
「はっ……!す、すみません、つい……」
(やばい、またやってしまった!)
どうやら俺は、テシリア嬢をかなりジッと見つめてしまっていたようだ。
「いいのよ、どんどん見てやってね」
「もぉーー……」
にこやかな公爵夫人とは対象的にテシリア嬢は恥ずかしそうに視線をそらした。
公爵夫人の公認?を得て、俺はテシリア嬢を見ながら訊ねた。
「それは今日買った服ですか?」
「……そうよ」
俺が聞くと、テシリア嬢は視線をそらしたままで短く答えた。
そこで
「あの……」
と、俺は何故か次の言葉を言おうとしてしまった。
「なに……?」
チラッと俺を見ながらテシリア嬢が言った。
「えっと……その……」
「言いたいことがあるならハッキリ言えば?」
テシリア嬢は明らかに苛立ち始めている。
(ああ……またやってしまった)
こういう時、ユアンならテシリア嬢を笑顔にできる言葉を言うことができるのだろう。
だが、俺にはそんな事はできない、どういう言葉を言えば良いのか全く分からない。
(もう、思ったことを正直に言ってしまおう)
そうしたら多分、いや、ほぼ間違いなく婚約は解消されてしまうだろう。
(仕方ない……俺なんて
「その服、テシリア嬢に……その、とても似合ってて……」
「……」
「あの、すごく……すごくかわいいと思います……!」
俺はそう言うと、
「な……なんてことを言うのよ!」
一瞬の間があってテシリア嬢が叫ぶように言った。
(終わった……)
俺は顔を上げることもできず、全身をこわばらせながら思った。
すると突然、
「あらまぁああーーーー!」
と、公爵夫人の陽気な声が応接室に響きわたった。
「え……?」
驚いて俺が顔を上げてみると、公爵夫人は頬を両手で抑えながらニコニコしている。
「今日はお祝いねぇーー!」
「お、お母様っ!」
これ以上ないくらい上機嫌の公爵夫人の腕を、テシリア嬢が顔を真っ赤にして掴んでいる。
人生が終わったとすら思い絶望のどん底にいた俺には、この状況が今ひとつ理解できなかった。
(でもこれって……)
悪い結果ではなさそうだということは、俺もなんとなく感じることができた。
そして、つい今しがたまで俺に襲いかかっていた体のこわばりや震えも、綺麗サッパリ消えていたのだった。
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