ドラゴンを滅ぼす魔法
ドラゴンを滅ぼす魔法①
月の明かりがやけに主張するそんな夜だった。
日中は美しい森も夜の帷が降りると途端に獣と魔物の領域に変わったように辺りは静寂と不気味さを色濃く持つ表情をじわじわと出してくる。
しかし気温は寒すぎず涼しく、眠るには快適かもしれない。
大きな木の下で雨風を凌げる程度の簡単なキャンプの準備をして、折り畳みの椅子に腰をかけている二人の姿。一人は少年、もう一人は少年よりも年上の少女……の姿をした魔法書庫。
少女の姿をした魔法書庫と言うと、意味が分からないが、二千年程前。勇者と魔王がいた時代、魔王に生み出された魔造生命の事である。人にしか見えず、しっかりと魔導士が調べない限りは分からない程に精巧な彼女だが、種別としては魔物となる魔造人間。金髪の長い髪を後ろで纏め、海のような瞳。ドレスシャツにロングテールコート。姫騎士か、あるいはどこぞのお抱えの執事かと言った風貌。
そして誰もが振り向く耽美秀麗な彼女。
向かい合うのはヴァーテクス魔法学園の制服を着た少年。男子用の制服でなければ女子のようにこれまた見てくれがいい。夕焼け色の髪と瞳は西方の人間である事を物語り、腰には短剣と同じく短い魔法の
向かい合う二人の丁度間に今火で炙っている何かの材料が小さな折りたたみの机に並んでいた。
ミルク、卵、そしてドーナッツミックスと書かれた小麦粉のような袋。正解としか言いようがないそれ、彼らはこんな森の中でドーナッツを作ろとしている様子だった。よく見れば少年の持っている道具の先端、丸い部分には穴があった。
少年は自分の持つポテンシャルを最大限に引き出すような笑顔だった。今か今かとドーナッツが出来上がるのを待っているから……ではないらしい。
魔造人間の彼女が聞いた。
「シエル、ところでそのドーナッツはいつできるんですか? もうかれこれ結構経ってませんか?」
ヴァーテクス魔法学園の制服を着た少年はシエルと呼ばれた。
「どうだろう? 油で揚げるわけじゃないから、もうそろそろ?」
ドーナッツを食べる事にはあまり興味がなさそうにそう返す。
「じゃあ開けてみようか? 材料はまともだからきっと最悪でも普通だよ」
最悪なのが普通なわけないでしょうと、言葉の意味の矛盾に対して正してやりたいところだったが、彼女は今は目の前で完成されつつあるドーナッツの事で頭が一杯だった。
開かれたドーナッツメイカー。
「いい焼き色じゃないですか!」
「じゃあ、トリオン、最初にどうぞ」
シエルが出来立てのドーナッツをトリオンと呼んだ魔造人間に渡す。
「これは……中々いいものですね! 最初、こんな意味不明な玩具を買おうと言ったシエルを否定した事を取り下げます。そして頂きます」
「作り方がこれで正しいのか謎だけど、確かにいい色だね」
「んまい! です」
「んまいか、じゃあ僕も作ろう」
同じ物をあらかじめ作っていた生地をドーナッツメイカーに流し込んで再びそれを火にかけるシエル。
一つ食べれば十分満腹になりそうな巨大なドーナッツ。遺跡やダンジョンの情報を得る為のお金で買ったドーナッツメイカー。恐らく使用するのはあと一回か、二回。そして思い出したように稀に使うかどこかの街で売り捌くかだろう。
「しかしシエルの行動は理解に苦しみます。何故、そんな物を買ってきたんですか? 本来であれば今頃別のダンジョン調査でもできたでしょうに」
至極当然のトリオンの疑問に対して、シエルはくすりと笑う。火にかけたドーナッツメイカーの焼き具合を確認して少し考えるように微動だにしない。
「シエル?」
シエルの行動が理解できないトリオンは少し煽ってみる。
「トリオン、この前の街で買った
「ちょっとシオン。私はお酒を嗜みませんし、貴方はそもそもまだ未成年ではないですか? なんらかの魔法実験に使うのかと思いきや、まさか暖を取る為にブランデーなんか飲むんですか? いくらなんでも私はそれを見過ごせませんよ? かつて魔王軍と戦った人間達の中にシエルくらいの少年兵も多くいましたが、酒、タバコ、薬に依存し、あまり良い末路を辿ってはいませんでしたので」
かつて、魔王が生み出した人工生命がそんな事で注意してくるんだなとシエルは思う。シエルは品行方正とまでは言わないが、世の中のルールはしっかりと守れる子である。
「もしかして、飲むんじゃなくて? そのドーナッツに?」
味付けの為にブランデーを使ってアルコールは火で飛ばす。
「もちのろんだよ」
シエルはそう言うと、焼きたてのドーナッツにブランデーをかけて再びドーナッツメイカーの蓋をした。
「早く言ってくださいよ」
「流石に気づいてると思ったよ。トリオンなんだから」
ブランデーを加えた事でいい香りが広がる。
「なんで私のドーナッツには入れてくれなかったんですか?」
少しばかり不満そうな表情でトリオンが聞く。
しかし、シエルは答えてくれない。
「無視ですか?」
「無視はしてないよ」
そう言って完成したドーナッツを再びトリオンに差し出す。
「どうぞ」
「シエルは?」
先程トリオンがドーナッツを食べたので、当然そう聞く。
なんとも言えない表情でシエルはトリオンがドーナッツを受け取るのを待っているので、とりあえずドーナッツを頂く事にした。
先ほどのドーナッツと違って、生地全体にいい香りと味がついている。アルコールは飛んでいるので、これなら未成年のシエルでも食べられる。
むぐむぐと2個目の巨大なドーナッツに舌鼓を打っているとトリオンはじーっとその様子を見つめられている事に気づいた。
「なんですか、シエル? 穴でも開きそうなくらい私を見て」
「いやぁ、実に美味しそうに食べるなと思ってさ」
「なっ!」
あたりの静寂さに対して、トリオンの声はよく響いた。月夜と踊るのに相応しい上品で、拍子抜けな声。
くすくすと笑うシエル、そして3個目のドーナッツ作りを開始していた。これは自分の分なのか、あるいはトリオンに再び与える分なのか、トリオンに分かった事があるとすれば、シエルは楽しんでいる。
それは単純にドーナッツ作りというものが意外と楽しいという事。そしてもう一つはドーナッツを美味しそうに食べるトリオンの姿。
口一杯にドーナッツを頬張りながら、トリオンはシエルに辱めを受けさせられた事に閉口する。というか口の中はドーナッツで一杯なので、閉口せざるおえないのだが、これは決して侮辱を意味する感情ではないとトリオンも分かっている。恥ずかしさの中にある僅かな心地良さが物語っていた。
ただ、反抗はしたかった。
なので、乱暴に2個目のドーナッツを平げた。
シエルは3個目のドーナッツ作りにおいて先程のような工夫を施してはいない。ただし、それはドーナッツを焼き上げている間に限っての事だろう。すでに、リュックから、角砂糖を一つ取り出すとそれを細かく、細かく潰している。丁寧にスプーンの背を使って。
本来、魔法でも使えばいいのにと思う事をシエルは手作業で行う。
優秀な魔法学園の学生として大抵の生活魔法は習得しているのにである。というかトリオンはシエルが魔法を使うところをあまり見た事がない。
魔法無くして人類の文明が発達してこなかったのに、シエルは積極的に不自由を好む癖があった。それをトリオンは愚かな懐古信者だとは思わない。彼は魔法学園という素晴らしい学舎で魔法という物の利便性と有効性を学んだからこそ、魔法を多用しないのだ。
「ほんと、シエルは変わってますね」
トリオンがそう呟いた。
焚き火の火が弱くなってきたので、シエルは枯れ枝を焚き火の中にポイポイと放り込んで火の勢いが安定すると、3個目のドーナッツの焼き具合を確認して細かく潰した砂糖をまぶした。
先ほどまでのドーナッツよりキラキラと輝いて美味しそうだ。
じっとそんな砂糖をまぶしたドーナッツを見つめているトリオンを見て、シエルはドーナッツを半分に割ると、その片方をトリオンに差し出して、もう片方にかぶりついた。
しばらく二人はドーナッツに舌鼓を打ち、焚き火で温めていたホットミルクで喉を潤す。シエルからすればこのドーナッツメイカーのドーナッツは半分でも大きすぎた。
それに気づいたトリオンはさらにもう半分シエルから受け取るとパクパクと美味しそうにドーナッツを処理。
「トリオンありがと」
「食べ物に罪はありませんからね。買う前に食べきれない事くらいわかるでしょ?」
「うん、面目ない」
「まぁ、私なら何個でも食べられるので問題ありませんけどね」
「それは良かったよ。まだ食べる?」
「いただきます」
「ほんとに食べるんだ。凄いな」
まさかの4個目のドーナッツを焼きながらシエルは尋ねる。
「ねぇ、トリオン。魔法の事で聞いてもいいかな?」
「私の答えられる範囲であればどうぞ」
「最強の攻撃魔法って何?」
「それは……少し難しいお話ですね。最強の攻撃魔法ですか」
それだけ真剣に悩んでいる。
「じゃあさ、考え方を変えよう。ドラゴンを一撃で滅ぼせる魔法はあるの?」
人間とも亞人種とも魔物とも違う。単独で生息し、人前には滅多に姿を現さない地上最強と名高い生物、ドラゴン。並大抵の武器や魔法では傷一つつけられず。一度現れ暴れ出したら周囲一帯に多大な被害を与える。
「かつては存在しましたね」
トリオンはドーナッツが焼けるのを見ながら語り出した。
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