魔法学校コールズ・マナ

イルミナ・ノイシュテッター

イルミナ・ノイシュテッター

 夏季休暇が明け、魔法学校コールズ・マナは二学期に入った。

 一年生から三年生までの総勢四二九名が、誰一人欠ける事無く再集合。そして一年生の教室には今日、四三〇人目の生徒が編入して来ていた。


「唐突だが、編入生を紹介する」


 コールズ・マナ、一年生教室担任。セヴンス・ストライプ。

 世界魔法使い序列、三七一九位。

 担当授業、黒系統魔法。


「ノイシュテッター公爵令嬢のイルミナ・ノイシュテッター君だ」


 イルミナが教壇に上がる。

 だが生徒達がざわついたのは、容姿端麗な彼女の美貌や端正なスタイルでもなく、彼女の後ろを歩く青年の存在に気付いたからだ。


 さすがに魔法の学校に通っていれば、コルト・ノーワードを知らない人はいない。


「静粛に。コルト・ノーワード君は我が校の生徒としてではなく、ノイシュテッター君の付き人として来ている。魔法使いとして興味をそそられる気持ちはわかるが、皆、好奇心を抑える様に」


 などとセヴンスは言ってくれたが、生徒の多くは魔法が詠唱出来なくなった、過去の功績だけで二位を維持しているだけの魔法使いとしてコソコソと話しており、扱いは最早隠居の老害レベルだった。

 語って欲しい英雄譚も話せない魔法使いになど、嘲りはあっても尊敬はない。


「うるさいな……自己紹介もさせてくれないの。それとも、ここでの自己紹介とは、こういう事?」


 生徒らに向けられる形で顕現した巨大砲身。

 距離が近過ぎて、防御魔法が意味を成さない事は明白。

 状況を理解出来ている生徒がパニックを起こし、伝播して更に騒々しさを増す。


 いつまで経っても大人しくなるどころか騒々しさを増していく教室と、ニコチンが切れた苛立ちとが重なったイルミナは、いつでも砲撃出来る態勢を整えていた。


 が、コルトが止める。

 背後から一瞬でイルミナの前に出たコルトの足刀がイルミナの足の甲を穿ち、走った激痛がイルミナの魔法を掻き消した。


 足の甲のツボを突かれたイルミナは激痛に悶え、魔法の維持が出来ずにコルトを睨むが、睨む以上の事はしない。出来ない。体を少しでも動かせば、余計にツボを刺激されて激痛が走る。


(お嬢様。しましょう)

「……わかった。わかったから……放……」

(皆様、大変ご迷惑をお掛け致しました。私の事はどうか気になさらず、授業を続けて下さい。ただ、まずはお嬢様の自己紹介を聞いて頂けますか?)


 砲身を消しただけでなく、不意に飛んで来たテレパス。

 数少ない無詠唱魔法とはいえ、魔法が使えるんだと言う事実が周囲を驚かす。


 自己紹介の前に煙草を吸おうとしたイルミナから煙草を奪い取った手で跡形も無く煙草を消し炭にしてやると、生徒達は炎系統の魔法を使った事に更に驚かされ、イルミナは苛立たされた。


「紹介に預かりました、イルミナ・ノイシュテッターです。舐めた口を聞いたら――」


 今度は向こう脛を蹴り上げられる。

 脚を抱えたい思いを必死に堪え、イルミナはやり直しを強要された。


「この度、編入する事になったイルミナ・ノイシュテッター……です。何卒、よろしくお願い、申し上げます……」

「そう言う訳だ。皆、仲良くしてやるように。今のように、ノーワード君は彼女の抑制に当たるが、彼女に危害を加える行為も止めに入る。痛い目を見たくなかったら、不用意に喧嘩を売らない事だ」

(皆さん、よろしくお願いしますね)


 イルミナの席は一番後ろ。

 後ろに行くと段々に上へ上がっていく席から、皆を見下ろすイルミナの眼光は誰よりも鋭かったが、皆が恐ろしかったのは彼女ではなく更にその後ろ。

 終始ニコニコと無害そうな笑顔を浮かべながら、周囲を観察――基、警戒していたコルトにこそ、皆は怯えていた。


 午前中の授業終了後――。


「コルト・ノーワード……」

(何でしょう)

「煙草を、吸わせなさい……!」

(ダメです。せめて場所を移動して下さい。ここは食堂。禁煙です)


 昼食を取るための食堂で、食事を前に悶える女。

 文字に起こしてみると、何とも奇妙な光景に感じられる。


 そのまま食器に手を伸ばし、口に食べ物を運べばいいだけの事なのに、今の彼女にはそれが出来ない。

 足りないからだ。酸素以上に必要な彼女にとっての潤滑油。ビタミン、カルシウム、糖分等栄養以上の原動力であり、毒素たるニコチンが。


 ニコチンの摂取は精神の安定に効果があるが、注意しなければならないのはその依存度。効果が切れた際に再び欲する衝動は、繰り返す度に強くなる。

 二十歳で既に貧乏ゆすりまでしてしまっているイルミナのニコチンへの依存度は、重篤と言わざるを得ない。


(早く食べて下さい。喫煙はその後ででもいいでしょう)

「いいから、さっさと……!」


 胸座を掴もうとして、先に手首を掴まれ捻られる。

 文字通り赤子の手でも捻るが如く、いとも簡単に膝を突かされた彼女はまたコルトを睨んだが、コルトの笑みは崩れない。


 ただそうした喧騒が気に食わない人間が、二人の前に現れた。


「失礼。少しいいかな」

(お食事の最中に失礼しました。お騒がせして申し訳ございません)

「うん。本当に迷惑だ。だから、さっさと出て行ってくれないかな。この学校から」

「何だと貴様ぁっ!」


 虫の居所が悪い令嬢は吠えるが、周囲はまたヒソヒソ。

 突然やって来た未知の存在。特に一年生にとっては、まだ共に入学した間柄の人達の事さえ理解し切れていない状況での編入とあっては、接し方がわからないだろう。

 それに加え、イルミナの性格とヘビースモーカーが更に周囲への反感を買い、彼女の敵を作っていた。


 問題なのは、イルミナがそれに対して徹底抗戦する構えである事だ。

 それはいけない。学内での孤立は、学びの妨げにもなり得る。

 ただ三年間を無意味に浪費するだけでは、編入して来た意味がない。


(すみません。お嬢様は今日、当校に編入したばかり。緊張とストレスで上手く感情が制御出来ていないだけです。慣れるまでの間、暫しご容赦願えますか?)

「ご容赦? 何を言ってるんだ。僕は、今すぐに出て行けと言ったんだ。その女も、そしてあなたもだ。コルト・ノーワード。魔王を倒した偉大なるお方である事は承知しているが、詠唱魔法を使えなくなったあなたに、僕らはもう尊敬の念を抱けない」

「そう言う事だ。さっさと出てけよ、このチビ」


 取り巻きの一人が、コルトに触れようとする。

 だが、軍人として体術を叩き込まれたイルミナが敵わないと言うのに、わずかな身体強化を施した程度の巨体が敵うはずもない。


 コルトは彼の手を取り、握り締める。

 握手じゃねぇよと突っ込もうとした男は自分でも気づかぬ間に跪かされ、立ち上がれず、寧ろ立とうとすればするほどに倒された。


 コルトの笑顔が、先に声を掛けた青年へと向けられる。


(尊敬の有無は、仕方ありません。崇拝と信仰に似た問題です。ただ、だからと言って力尽くで追い出すのは違うかと。理事長も認めた上での編入です。彼女はもう、ここで魔法を学ぶ権利を得ている。それを奪う事は、誰にも出来ないはず)

「……魔法が使えなければ体術ですか。ですが、魔法が使えない事には変わらないでしょう。『眠れ』、“スリープ”」


 眠気を誘う魔法。

 眠らせてしまえば、どんなに強い人間とて無力と考えているのなら、甘い。甘過ぎる。

 彼らは今のコルトを軽んじるあまり、かつてのコルトを忘れている。彼の最後の戦場は、世界屈指の魔法使いが十人揃い、一体の魔王と称した強大な敵との戦いであった事を。


 青年の体が重くなる。

 体重が増えた訳ではない。怠かったり眠かったりする訳ではない。

 見えない何かが、上から圧し掛かっているかのような――上から巨大な手に圧し付けられているかのような圧迫感。


 三年生になる彼は、この魔法を知っていた。だが、同時にあり得ないと思った。

 何せそれは、紛れもない


「これは……“グラヴィティ”……?!」

(いいえ。効力は酷似していますが違います。これは、。あなたは頭上から押さえ付けられているのではなく、地面に引き寄せられているんですよ。でも、まるで重力に押さえ付けられているように、感じるでしょう?)

「し、知らない……! こんな魔法、まだ習って……!」

(知らないも何も、開発してまだ間もないですから)

「開、発……?」


 魔法の創造。開発。制作。

 それがどれだけの偉業か、学生の身分では計り知れない。

 例え元となる魔法があったとしても、そこから発展させて更に新しい物を作るだなんて、自分達には到底真似出来ない。


 そこはキャリアの違いだろうが、飛び級で学校を卒業したコルトと自分達には大した年齢差などなく、単に才能の差である事は言うまでも無かった。

 地面に引き寄せられる力に耐え切れず、屈した彼の体が更に沈む。


(さて、あなた方にあんな事を言ってしまった手前、僕もあまり力を行使したくありません。なので、この程度で見逃して頂けますか? 卒業生が在学生を虐めていると、大人げないと言われてしまうもので)


 魔法が解除された途端、男と取り巻きは一目散に逃げ出していった。

 周囲で見ていた学生らも、そそくさと退散していく。


 みっともないところを見せてしまったと振り返ったコルトは力尽くで自分の腹を殴り、眠気に耐えるイルミナを見下ろし、にっこりと笑って。


(その様子だと、煙草は必要無さそうですね。さぁ、さっさと食事を済ませて、授業に出席しましょう。お嬢様)

「……あんた、悪魔なの?」


 優しく微笑む美青年を相手に、真剣にそう思ったイルミナだった。

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