コルト・ノーワードーⅢ

 イルミナ・ノイシュテッター、二十歳。


 魔法学校に編入するより前、彼女は北の大陸にある王国を守る軍学校に通っていた。

 十八から通って二年間。彼女に敵はいなかった。


 同性相手はもちろん、男性が相手でも関係ない。大人だろうと関係ない。

 魔法など使わずとも、体術だけで周囲を圧倒し、誰にも殴られた事も、蹴りを入れられた事もなく、無敵不沈艦と呼ばれていた。


 そんな自分が、蹴り飛ばされた。

 汚水に叩き付けられ、汚泥に汚された青年は、寒さにでなく、憤りから震えていた。


 目の前に降り立った少年目掛け、疾駆。

 振り被った拳を繰り出すが、拳を躱された上に脇下に入られ、自分よりも小さな体に一本背負いで投げ飛ばされ、背中から叩き付けられる。


 泥のお陰で痛くは無かったが、投げ飛ばされた事が許せずすぐさま立ち上がる。

 が、振り返った瞬間に水を掛けられ、繰り出された跳び膝蹴りが整った顔の中央に叩き付けられ、また背中から倒された。


 “フルブースト”で身体能力を限界まで底上げしたのに、全く歯が立たない。

 最初に殴れたのも、外に出るためわざと殴られたのだと今ならわかる。

 しかしだからと言って、納得は出来なかった。


 軍人養成学校に入る以前から、公爵家に来る家庭教師らに叩き込まれた体術で、自分が負けるなど、許せなかった。

 魔法の詠唱が出来なくなったから体術を齧った程度の魔法使いに一方的にやられるなど、許したくなかった。


 てっきりすぐさま相手の土俵に引き込んで来ると思っていたのに、敢えて自分の得意分野で叩きのめされる屈辱。蹴りや一本背負いと共に叩き込まれる敗北感。

 自分が仕掛けるまで一歩も動かない余裕といい、許容出来ない事ばかりだった。


「おまえ……同い歳だったな。誰から習った。その体術」

(独学だよ)

「独学……? 独学、だと?」


 自分は八歳の時から十年間、王国護衛軍の軍隊長クラスに指導を受けて来た。

 辛く厳しい日々。子供相手にも容赦なく罵詈雑言を叩き付けられ、叱責され、学校では体罰として言われそうな処罰を受け続けて、身に沁みた体術が、独学の体術に負けている。

 どれだけの期間を費やしたのか知らないけれど、独学で学んだ体術程度に、今までの自分の十年間が否定されるなど猶更許せない。許されない。


 苛立ちを隠すため煙草を銜える。

 が、火を付けるためポケットに手を突っ込んだ瞬間、コルトの蹴りがイルミナの脛を蹴り上げ、激痛に悶えさせた。


 怒鳴る言葉は無く、声は出ない。

 が、戦いの最中に煙草を吸うなんてと怒るコルトの冷たい視線が真っ直ぐにイルミナを見下ろし、イルミナは涙目でコルトを見上げて、銜えていた煙草を噛み潰した。


「こ、の……! ふざけるな――!」


 跳びかかろうとしたイルミナの下顎を蹴り上げ、打ち上げた顎を拳で横に薙ぎ、次いで繰り出した足刀でイルミナのコメカミを打つ。


 両膝を突いたイルミナの脳は揺れに揺れ、彼女の見る景色が水けの多い絵の具で塗りたくった絵画のように歪み、グチャグチャに捻じ曲がる。

 歪みに歪んだ世界の中で、コルトがまたイルミナの回復を待っているのが見えたが、イルミナは反撃は疎か、立ち上がる事さえ出来なかった。


 自分の得意分野であるはずなのに、手も足も出ない。まるで歯が立たない。

 魔法で強化を施しても、尚負ける。


 ここまで一方的にやられ続けた結果、もう認めるしかなかった。

 同時、同じ事をしてやろうと思った。

 今度は自分が、相手の得意分野で――魔法で潰す。


「『走れ炎』! “ファイアボール”!」


 超至近距離での魔法攻撃。

 炸裂する炎に巻き込まれる事も覚悟していたが、コルトの姿はもうなく、炎は目の前で爆ぜずに遥か向こうへ飛んで行く。

 直後、背後から繰り出される後ろ回し蹴りによってイルミナの体は横に倒され、顔の半分が水に沈められた。

 息苦しさからもがくが、足は一切退く気配がない。


 そこまで追い詰められていったイルミナには最早、切り札を切るしかなかった。


「『我、鋼の馬にて海原を駆ける』……“ノイシュテッター”!!!」


 突如現れる鋼鉄のふね

 戦艦と呼ぶに相応しい巨大なふねには、大型の魔物さえ仕留められる巨大な砲身と、空を飛び交う敵を狙い撃ちにする狙撃銃とが搭載されており、イルミナを足蹴にするコルトに向かって、また突如現れた夥しい数の銃口がコルトを狙って撃ちまくり始めた。


 ふねから飛び降りたコルトは水上を駆ける。

 左右から撃ち出される砲撃を躱し、立ち上がる水柱の陰に隠れる形で姿を消す。


 操縦席に入ったイルミナは魔力探知機を駆使してコルトを探すが、見つけた時には遅かった。


 数十トンはあるだろう鋼鉄の艦隊が船尾を下にして持ち上がり、ゆっくりと、しかし徐々に加速しながら振り回されて、操縦席のイルミナが遠心力に耐え切れず、壁に押さえ付けられている状態になったところで投げ飛ばす。

 海岸に打ち上げられた鯨が如く、池を上って引っ繰り返りながら座礁したふねは消え、満身創痍のイルミナだけが残された。


「馬鹿な……あたしのふねが、投げ飛ばされる、なんて……!」

「気分はどうですか、イルミナさん」


 理事長、アンドロメダが笑顔で見下ろしている。

 その背後にはもうコルトがおり、彼に向かって喰らい付こうとしたイルミナだったが、全身の痛みに耐えかね、動けなかった。


「如何でしたか、イルミナさん。これが今のあなたと、彼の実力差きょりです」

「……あたしは、魔法を使うまでもないって事?」

「いいえ? コルトさんは魔法を使っていましたよ。身体強化の魔法、“ブースト”を」

「は……?」


 詠唱なんてしていなかった。

 魔法が発現する前と後での差がわからなかった。


 更に彼が使ったというのは、自分が使った“フルブースト”の下位互換。

 身体能力強化の魔法の中でも基礎中の基礎である魔法に、ここまでコテンパンにやられたのかと信じられず、事実であれば、これ以上に恥ずかしい事は無かった。


「イルミナさん。あなた、ここでコルトさんを倒せば、なんて仰っていたけれど、今でも出来るとお思いですか? 今の戦いが実戦ならば、コルトさんはあなたを百回以上仕留めていました。あなたも、それはわかっておいででしょう?」


 否定は出来ない。


 否定の言葉を出す事は出来るが、それは自分の未熟さをも認めない事になる。

 そんな恥は、晒したくない。今晒す恥は、圧倒的な敗北だけで充分だ。


「あぁ、あたしの負けだ……負けだよ……」

「……お疲れ様でした、コルトさん。ご協力頂きまして、ありがとうございました」

(いえ。大した事はしていないです)


 今の戦いが大した事じゃないと言われた事に、イルミナはまた打ちのめされる。

 悔しさをバネに今まで努力して来たが、この時ほど打ちのめされ、挫折を味わった事は無く、一人では決して立ち上がれなかった。


 そう、


「コルトさん。不躾ながらもう一つ、あなたにお願いがあるのですが……よろしいでしょうか」

(何でしょう)

「彼女の――イルミナ・ノイシュテッターの付き人として、学園に来ては頂けませんでしょうか」

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