コルト・ノーワード
コルト・ノーワード
魔王討伐から、五年。
湖の畔に立つ小さな家に、一台の馬車が到着する。
先に降りた執事の手を借りて馬車から降りた女性は、家の扉をノックした。
「こんにちは。こちら、コルト・ノーワードさんの御宅で間違いないでしょうか」
扉が開くと、小さな青年が出迎えて来た。
整った容姿に紺碧の瞳。
空と海に浸してつけたような青い髪。
やや人より白い肌。細い指の揃った小さな手。
初見では誰も、彼が世界でも十本の指に入る魔法使いだなんて思わない。
魔王を倒した魔法の使い手、コルト・ノーワード。
そんな彼を訪ねた女性も、同じく世界屈指の魔法使い。
名を、アンドロメダ・ユート・ピー。
「久し振りですね、コルトさん。元気な姿を見られて何よりです」
(こんにちは、ミス・アンドロメダ。中へどうぞ)
淹れるのは、蜂蜜入りのシナモンティー。
湖の上に浮かぶよう作られたテラスから雪の積もる巨大な山と、同じ姿を逆さに映す湖とが同時に見られて、湖畔を彩る緑も合わせた景観は絶景の一言に尽きる。
湖の上を吹き付ける風は真夏の昼で火照った体を冷まし、体が冷え過ぎないようにと出された温かいシナモンティーが体に沁みて、シナモンティーを含んだ口から、甘い香りが漏れた。
「あなたが淹れてくれるシナモンティーは、相変わらずとても美味しいわ」
(お褒めに預かり、光栄です)
言葉を失ったコルトが使うのは、相手の脳内に直接言葉を送る魔法。“テレパス”。
常人でも使える数少ない無詠唱魔法の一つである。これのお陰で日常生活では困らなかったが、詠唱を必要とする魔法は、もう使えなくなっていた。
(それで、今日は何用で?)
「えぇ、あなたに頼みがありまして」
(今の僕に、何か出来る事があるでしょうか)
「あらあら。世界魔法使い序列二位にして、魔王を討伐なさった魔法使いに、出来ない事があって?」
(僕はもう、魔法使いとしては死んだも同然の状態です。もちろん、そのままは嫌なので、今は無詠唱魔法の制作に取り掛かっておりますが)
「まぁ、無詠唱魔法を? 研究熱心なのも相変わらずね。さすがコルトさん。やっぱりあなたに頼みたいわ」
(一体、何を……)
「今から二週間後、私が理事長を務める魔法学校コールズ・マナが、夏季休暇を終えるのは御存じですか?」
(申し訳ありません。そこまでは把握しておりませんでした)
「まぁ、あなたは飛び級で既に卒業した身ですから、仕方ないでしょう。問題はその夏季休暇の後、一人の貴族の令嬢を編入させる事になっているのです」
(編入、ですか。この時期に)
時期的にも珍しい。
普通は魔力の測定や魔法使いとしての実力等を計るため、進級や入学に合わせて編入させるものなのだと思っていたのだが。
貴族ならば猶更、面子を保つためにも子供に恥はかかすまいとして、魔術の訓練を充分にさせてから編入させると思うので、やはりこの時期の編入は珍しく感じられる。
「編入されるのはノイシュテッター公爵家の御令嬢、イルミナ・ノイシュテッター様。歳は確か、あなたと同じ位だったかしら」
(それで何故魔術学園に編入を? 時期だけでなく、年齢的にもズレているかと思われますが)
「本人たっての希望です。彼女は元々、王国軍養成学校に通っていたのですが、魔術の才があったようで、独自の魔術を開発し、先日正式に魔法として認めさせた天才です」
(その話は聞いておりました。まさか魔法と縁の遠い、貴族の御令嬢の実績だったとは。驚きです)
「ただ、そうして独自の魔法を開発した事と、元々男勝りな性格も相まって、彼女は今天狗になりつつあります。そこで、あなたにその鼻をへし折って頂きたいのです」
少し冷めたシナモンティーを、口に含む。
魔王によって声を奪われたコルトの口からは、紅茶を啜る音すら聞こえない。
湖を撫でる様に吹き付ける風の音が妙に騒がしく聞こえて、アンドロメダは、もしかして断られるのではないかという不安に、一瞬だけ駆られた。
彼には個人的に売っておいた恩があるものの、それを糧に脅したりはしたくない。
だからもし嫌だと言われたら、アンドロメダには彼を動かせるだけの言葉がなかった。
(何故僕に? それこそミス・アンドロメダ。あなたが力の差を見せ付けるべきでは?)
「私のような大人よりも、同い歳の子にやられた方が効くと思うの。お願い出来ないかしら」
(……開発中の無詠唱魔法、制御がまだ完璧ではないんです。色々フォロー、して下さいよ?)
「もちろんです。ありがとうございます、コルトさん」
久方振りに、魔法使いとしての衣装に袖を通す。
魔王を倒した時の上級装備では大人げない――同い歳だが――ので、魔法使いとして世界中を冒険していた頃の中級装備を着込み、アンドロメダの乗って来た馬車に同乗した。
(それで、その御令嬢はどんな魔法を開発されたのですか?)
「“キャノン”……大砲を顕現させ、魔力の砲撃を可能とした魔法です」
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